古い土地

暗い穴

ξ:文学

詩をよむそれはくるしい 5:塚本邦雄

塚本邦雄(1920-2008年)は、第二次大戦後の前衛短歌運動の旗手としてよく知られる。 きっかけは、戦後まもなく歌壇・俳壇に対して突きつけられた「第二芸術論」(1946年)だった。これは短歌型文学の前近代性──日本的抒情、表現の狭小、「何を」より「誰が…

中原中也という現象【詩を読まないのでとても楽しい】

大岡昇平(編)『中原中也詩集』岩波文庫、1981年 これを読んだ。良さが分からなかった。 北川透『中原中也論集成』思潮社、2007年 困ったのでこれを流し読んだ。おおむね説得的な議論だった。だが1935年生まれの北川透が、なぜ1968-2007年の間に700ページ分…

日本の狼(犬)は月に吠えたか:萩原朔太郎『月に吠える』と狼の文化史

萩原朔太郎の第1詩集『月に吠える』(1917年)は、大正口語自由詩を代表する作品としてよく知られる。 この詩集に頻出するモチーフの1つが、タイトルにもなっている「月に吠える犬」「病める犬」だ。 月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである…

日記:「パターン化された”エモ”」一周年を記念して/安藤元雄の詩

もうパターン化された“エモ”気持ち悪すぎるんだよ、純喫茶でクリームソーダ、フィルムカメラで街を撮る、薄暗い夜明け、自堕落な生活、アルコール、古着屋、名画座、ミニシアター、硬いプリン、もう全部飽きた 面白くない https://x.com/_capsella_/status/1…

劇としての(二次創作)

歌は、詩よりもずっと劇に近い。 (サイモン・フリス『サウンドの力』1981年) 全ての詩は劇をめざし、全ての劇は詩をめざす。 (T. S. エリオット『批評選集』1932年) 「劇」に関する2つの言及をきっかけとした、5つの断片・エッセイ。 劇としてのSCP 劇…

日本近代詩史の裏ルート:亀井俊介『日本近代詩の成立』

抜群に面白い日本詩史の本があったので、読書メモ代わりに紹介しようと思う。 www.amazon.co.jp 亀井俊介『日本近代詩の成立』南雲堂、2016年 亀井俊介(1932-2023年)は『アメリカン・ヒーローの系譜』や『対訳 ディキンソン詩集』などで知られる、比較文学…

T. S. エリオット『荒地』登場人物最強議論スレ(強さランキング)

以下、独断と偏見に基づきエリオット『荒地』(1922年)の登場人物で誰が一番強いかを決める。ただし一般人レベルのDランクとそれ未満のEランクは列挙していたらキリがないので、ある程度枝刈りした。 和訳は基本的に岩崎宗次訳『荒地』(岩波書店、2010年)…

補篇:貞操逆転・短歌・その他の観察

A. 一行はミニシアターに入ると、受付の鬼が「バグダッド・カフェあるよ(笑)」と言いました。 エモあるよ(笑)は「もう見飽きたんだよな(笑)」と言いました。 一行はシアターへ入り、バグダッド・カフェを鑑賞しました。 エモあるよ(笑)|惑星ソラリ…

貞操逆転・短歌・その他の観察

1. 貞操逆転 すばらしい あ 鳥だ机を撫でるゆにゔぁーさるの鳥を捨て塔の方へ (31文字に)

HACHIMAN「おれが今日 ここに来たのは……」[このSSの続きを読む]

1:以下、名無しが深夜にお送りします HACHIMAN「 おれが今日 ここに来たのは 偶然が重なった結果というべきで なにも証しがあったからではない ただ毎夕 鳥たちの喃語に耳を傾け 河底をあるく幾千の死馬の群れを率いたおれらであってみれば やはり単なる偶…

読書メモ:増田聡『聴衆をつくる』

増田聡『聴衆をつくる』(青土社、2006年) www.amazon.co.jp 音楽批評、というよりも「音楽批評」批評の本。 「ポピュラーミュージックを学問の対象として初めて扱ったテオドール・アドルノは、聴くことの研究を標榜して聴く人を研究していないか?」(第一…

旧約聖書の編集史と間テクスト性について(K.シュミート『旧約聖書文学史入門』)

はじめに 『旧約聖書』(The Old Testament)あるいは『ヘブライ語聖書』と今日呼ばれるテクスト群*1。その「非神学」的な批評研究は、スピノザ(1632-1677)などの先駆的な仕事を経て、18世紀啓蒙の時代に始まったという*2。 いわゆる「モーセ五書」(創世…

日記 最近書いた/読んだ/聴いたもの

最近書いたもの ここ一週間はずっと「小説家になろう」「カクヨム」向けに四万文字の論考を書いていた。 kakuyomu.jp 無から生成したわけではなく、次のブログ記事を下敷きにしている。 「転生オリ主」の出現――「憑依」と「オリ主」の落ち合うところで/「ト…

読書メモ:後藤護『黒人音楽史 奇想の宇宙』

暗黒批評……僕のやってることですよ(笑)。ただのキャッチフレーズなんですよね。もともとゴシック・ロマンスやフィルム・ノワールが凄い好きでした。それを日本語にすると、暗黒小説や暗黒映画になるらしいと。ああ暗黒舞踏もあるなとか気づき始める。暗黒…

TSの欲望:エリオット『荒地』と『お兄ちゃんはおしまい!』

「性」は神話の時代から、ずーっと、ずぅーっと、私たちの想像力を駆り立ててきた。

詩をよむそれはくるしい 4:天沢退二郎

詩を読みあぐね原稿を三か月放置していたら、期せずして追悼文となってしまった。彼の人と鳥の記憶に捧ぐ。 ……ややや 何たる恥知らず! 「鳥」の字がこんどは「馬」になり変っていく…… ――天沢退二郎「鳥について」(『ノマディズム』)

詩をよむそれはくるしい 3:吉岡実

水中の泡のなかで 桃がゆっくり回転する そのうしろを走るマラソン選手 わ ヴィクトリー ――吉岡実「桃 或はヴィクトリー」

詩をよむそれはくるしい 2:高野喜久雄

……なおも和解か ――高野喜久雄「今日の言葉」

日本近現代詩ミニマル史

ミニマル史とはいえない。小史ぐらい。 国語便覧にも載っているような詩史の整理を行う。詩歌はまったく触ったことがないので記述を省く。

詩をよむそれはくるしい 1:T. S. エリオット『荒地』

『荒地』の原文・和訳からいくつか抜粋して読むつもりだったが、冒頭の七行で力尽きてしまった。できた部分だけ公開する。 四月は残酷極まる月だ リラの花を死んだ土から生み出し 追憶に欲情をかきまぜたり 春の雨で鈍重な草根をふるい起すのだ。 冬は人を温…

読書メモ:蓮見重彦『小説から遠く離れて』

「物語は本来小説の父ではないのに、父を僭称している」 https://meigaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=1078&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1

狂える母――オースティン『高慢と偏見』論

結婚はサヴァイヴだ。 序:愉快な仲間たち(作品紹介) 狂える母 ①階級について ②狂気 ③罪と罰の経済 ④家族というコレクティヴ ⑤過剰な自我、卑小な自我 ⑥女たちの共同体

空ろなるヒーローたち①:フォークナー『響きと怒り』『アブサロム!』のクエンティン・コンプソン

人間が、意味を求めてしまうことの浅ましさ。意味を求めてしまうことの悲しさ。それらはときに、自殺という形態で現れる。

入沢康夫論2-3:『わが出雲』と世界への帰還の許容(下)

とりあえず提出するが、後で手直しするかもしれない。今は草稿の全容を見通せない。盲いた唖はその表面を撫でるだけ。 <前| wagaizumo.hatenablog.com 入沢康夫『漂ふ舟 わが地獄くだり』(1994年、思潮社) 浮きつつ遠く永劫の、魂まぎ人が帰ってくる。 帰…

入沢康夫論2-2:『わが出雲』と世界への帰還の許容(中)

<前| wagaizumo.hatenablog.com 入沢康夫『わが出雲・わが鎮魂』(1968年、思潮社) 幼き日の友。己と瓜二つの友。その「あくがれ出た魂」を鎮めるため出雲の国をさまよった「ぼく」。紆余曲折の末に「小さな光」を「血も/凍るおもいで 両のて/のひらに そ…

入沢康夫論2-1:『わが出雲』と世界への帰還の許容(上)

入沢康夫『わが出雲・わが鎮魂』(1968年、思潮社) 導入:異説・出雲神話 オペレーション 自注の例 余録1:いくつかの植字的方法 余録2:『わが出雲・わが鎮魂』「あとがき」全文引用 [reference] 導入:異説・出雲神話 この節は以前内々に作ったテキスト…

T.S.エリオット『荒地』の歴史的受容について

以下の文章は入沢康夫『わが出雲・わが鎮魂』についてのテキストからエリオット『荒地』に関する部分を分離させたものである。独立でも読めるが、重心がそこに寄っていることを注意しておく。 T.S.エリオット(著)岩崎宗治(訳)『荒地』(2010年、岩波書店…

異世界論――「異世界転生」論と「小説家になろう」論のための助走

以下は「なろう」論をきっかけに書いた8000文字の放棄稿である。論が言語や論理の解体(destruction)の方へと進み、コントロール不能に陥った。論としては成立していないが何らかのオブジェとしては成立していると判断したので、ここに残す。 手が届かない …

入沢康夫論3 – 2:牛の首をめぐるパラノイアックな断章(後編)

前回から引き続き入沢康夫『牛の首のある三十の情景』(1979年、書肆山田)を読んでいく。 wagaizumo.hatenablog.com [記法] 「牛の首のあるXつの情景( y)」を「X(- y)」と略記することがある。 「「牛の首のある八つの情景」のための八つの下図」は「八…

入沢康夫論3 – 1:牛の首をめぐるパラノイアックな断章(前編)

入沢康夫『牛の首のある三十の情景』(1979年、書肆山田) 今回は入沢康夫の代表作の一つ『牛の首のある三十の情景』について、極めてパラノイアックな読解を試みる。 『詩の逆説』(1973年、サンリオ出版)で入沢康夫が述べていたように、詩について「愚者…