古い土地

暗い穴

TSの欲望:エリオット『荒地』と『お兄ちゃんはおしまい!』

 

 「性」は神話の時代から、ずーっと、ずぅーっと、私たちの想像力を駆り立ててきた。

 

T. S. エリオットの現代

 

mixing / Memory and desire

追憶と欲望をかきまぜ

(I. The Burial of the Dead, T. S. Eliot “The Waste Land”)*1

 

1.

 

 T. S. エリオット(1888-1965年)*2の『荒地』(1922年出版)から101年経ち、『お兄ちゃんはおしまい!』(アニメ化2023年)*3ジブリ並のアニメーションと(日常系として考えても)つまらない作劇で放映されて、思うこと。

 

 

2.

 

 「助かる」というネットミームがある。英語圏の人がなにか不都合なことが起こったときに使う「nice」と似ているかもしれない。違うのは、「nice」は皮肉だが、「助かる」は相手へのいたわりがあること。「それは自分にとって都合の悪いことではありませんよ」と*4

 「助かる」は例えば、Vtuberが配信中にくしゃみをした時に打つコメントらしい。Vtuberのファンの共同体、「不能の父」たちの牽制、いたわりと性欲、ミームと「あったかもわからない現実」への憧景*5、音へのフェティッシュ、そこに微かに含まれる水分。

 

If there were water

水さえあれば

If there were the sound of water only

せめて水の音でもあれば

But there is no water

だが水はない

(V. What the Thunder Said)

 

By this, and this only, we have existed

これによって、これによってのみ、われわれは存在してきたのだ。

(V. What the Thunder Said)

 

 

3.

 

 『荒地』は日本の詩史のみならず、二次創作史にも接続する点できわめて重要である。以下では断りなく「二次創作」に関する専門用語を用いるが、詳細は本ブログの別記事を参照されたい*6

 

TS(性転換)ギリシア神話においてナルキッソスオイディプスに予言を与えた有名な予言者テイレシアス*7が引用され、男女を統合する最高位の語り手としての役割を持つ。

I Tiresias, though blind, throbbing between two lives,

Old man with wrinkled female breasts, can see

At the violet hour, the evening hour that strives

Homeward, and brings the sailor home from sea,

The typist home at teatime, clears her breakfast, lights

Her stove, and lays out food in tins.

われテイレシアスは、盲目だが、男女両性のあいだで鼓動する者、

しなびた乳房もつ老人だが、見ているのだ、

すみれ色の時間、家路をいそぐ

夕暮れどき、船乗りが海から帰るのも、

タイピストが夕食に帰り、朝食の後片づけをして、ストーブに

火をつけ、缶詰め食品をテーブルに広げるのも。

(III. The Fire Sermon)

 テイレシアスは「後天的TS」を二回繰り返したため、『荒地』で見られるように「両性具有/半陰陽ふたなり)」として扱われることがある。暴力と性愛、両性具有はエリオットにとって重要なテーマだ(『「女嫌い」「女殺し」の系譜』参照)。

 

BL(ボーイズラブ)/ゲイ:「スミルナの商人」「ユーゲニウス氏」(III. The Fire Sermon)はおそらく同性愛者。彼が商う「乾葡萄」は湿乾の乾に属し、再生の望みのある「水死」と対置されている*8。一方で、エリオット自身の注によれば、彼は後に「きみのように背が高く美青年だった」「フェニキアの水夫フレバス」(IV. Death by Water)に変じる。

 

女体化BL:『荒地』の最もラブ・ロマンス的なパート「ヒヤシンス娘」は、ギリシア神話において男神アポロンに愛された美少年ヒュアキントスの引喩。オウィディウス『変身物語』(古代ローマ)によれば、二人が円盤投げをしているとき、アポロンの円盤が誤ってヒュアキントスの顔に当たり、傷から血が落ち、そこから真っ赤な花が生え出たという。

‘You gave me hyacinths first a year ago;

‘They called me the hyacinth girl.’

—Yet when we came back, late, from the Hyacinth garden,

Your arms full, and your hair wet, I could not

Speak, and my eyes failed, I was neither

Living nor dead, and I knew nothing,

「あなたが初めてヒヤシンスをくださったのは一年まえ、

「みんなからヒヤシンス娘って呼ばれたわ」

――でも、ぼくたちがヒヤシンス園からおそく帰ったとき

きみは両腕に花をかかえ、髪をぬらし、ぼくは口が

きけず、目はかすみ、生きているのか死んでいるのか

なんにも分からなかった。

(I. The Burial of the Dead)

 エドガー・アラン・ポー『To Helen』(1831年)のように、「ヒヤシンス(の髪)」を女性と結びつけることは特段不思議ではない。しかし『荒地』のエリオットは原典を強く意識していたはずだから、「ヒヤシンス娘」において改めて「同性愛」を「異性愛」化した、と言っても許されると思う*9。変身のテーマ。「ヒヤシンス-植物神崇拝-再生」「髪-動物性-豊饒性」等の結び付きに要請された作業なのだろう。

 

多重クロスオーバー:『荒地』は古今東西の様々な宗教・文学からのコラージュで成立している。SS投稿掲示板「Arcadia」(全盛期2008-2010年)のゴミみたいな多重クロス二次創作を見かけて「うっ」となる感じと『荒地』初見時の「うっ」となる感じにどれほど差があるだろうか。あるよ。

 

転生(死と再生):エリオットは第一世界大戦後の西洋社会が「荒地」となってしまったことに絶望し、再生の可能性を模索した。植物神信仰という「異教」からキリスト教に移り行く時代に形成された「聖杯伝説」(中世ヨーロッパのアーサー王物語の一部)を詩の中心に据えつつ、「危険堂」の試練を抜けた詩人は最後『ウパニシャッド』(古代インド)に辿り着く。

 

オリ主(オリジナル主人公):「意識の流れ」による語りのコラージュが取り沙汰される『荒地』だが、エズラ・パウンドによる大胆な編集以前の原稿にはエリオットの直截な声がしばしば残されている。「死と再生」は、私生活に問題を抱えていた彼自身の希望であった。詩の分裂は彼自身の分裂であり、詩人は案外語り手に自己移入していたのである。つまりオリ主。

 

 

4.

 

 というわけで『荒地』は「多重クロス転生オリ主(※:TS要素あり/BL要素あり/女体化BL要素あり)」ものの作品ということになる。結構な地雷。さすが『Fate/stay night』(2004年)にパクられただけのことはあった。

 そういえば「『Fate/』が『荒地』のパクリ」というのをまだ誰もちゃんと述べていないようなので、ここで放言しておく。

・文学作品である*10

・元ネタが聖杯伝説。

古今東西から偉人が登場する。

・「タイガー道場」は死と再生のゲーム的表現。

・「I am the bone of my sword.」はエリオットが冗語法を用いるときの単語の平易さに近い。

 『Fate/』にあって『荒地』に無いのは「オリ主の導入に伴う原作主人公TSヒロイン化」くらいだろう、と下調べする前は思っていた。『Fate/』側の事情はかなり有名だと思うが、一応説明しておく。『Fate/stay night』の元になった『Fate/Prototype』と呼ばれる原稿では、女性主人公(オリ主)に男性アーサー王(原作主人公:アーサー王物語)というタッグで物語が進んでいた。ところが発表媒体をエロゲ―にする過程で(エロゲ―が偉い時代!)、男性主人公が要請され、アーサー王も「女性化」された。

 実際は、『荒地』も「ヒヤシンス娘」において異性愛規範に基づく女性化を行っている。『荒地』にはちゃんと全部あった。

 

 

5.

 

 いや、『荒地』に無いものも当然ある。それは「萌え」だ。「GL(ガールズラブ)/レズビアン/百合」だ。「TS百合」(後述)だ。

 「レストランでの会話」(II. A Game of Chess)から女の連帯を引き出すことは難しいだろう。「てぇてぇ」*11こそが、『荒地』から100年近く経ってようやく人類が付け足せたものということになる。

 

 なにはともあれ、ジェンダーアイデンティティ、侵すべからず*12

 

 

6.(追記)

 

 Vtuberのファン共同体、『荒地』、TSに共通することがある。それは不能だ。去勢、と言ってもよい。

 Vtuberのオタクたちは、Vtuberという絶対的上位者の下で、なによりも相互監視の下で、ミームの使用に代表されるどこかアセクシャルな振る舞いを身に付ける。このパフォーマンスで隠すものとは、コメント読み上げやスパチャという形で煽られ、しかし決して満たされることのない性欲(といって悪いなら愛着)だ。「不能」と呼んで差し支えない抑圧。

 『荒地』における不能は、聖杯伝説に求めることができる。カーポネック城の主「漁夫王」が、ロンギヌスの槍で癒えない傷を負い、不能になってしまう。結果彼の国も荒廃してしまう。マロリー版では、最終的には漁夫王の曾孫であるガラハッド卿が聖杯に到達し、ようやく漁夫王は苦痛から解放される*13。エリオットは西洋文明の荒廃を「漁夫王の国の荒廃」に重ね、「聖杯」を求めた。

 ポルノとしてのTSは、身体的な不能/去勢から物語が始まる。それによって精神的にも去勢されてしまう場合(精神的BL)と、身体的去勢がむしろ彼/彼女の男性性を強調する場合(TS百合)の二つがある。

 「不能/去勢」は近代小説*14からポルノ(TS以外だと「寝取られ/鬱勃起」がある)、ラカン派の精神分析まで、幅広い分野に登場するモチーフだ。逆に増える場合(ポルノだと「ふたなり」「百合ちんぽ」)も考えた方がよいのかもしれない*15

 

 

[reference]

 

岩崎宗治訳『荒地』(岩波書店、2010年)

 

佐伯惠子『「女嫌い」「女殺し」の系譜―― T.S.エリオット作品の女たち――』

http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/bitstream/11173/2366/1/0020_060_001.pdf

 

 

 

 

TSFの現代

 

 今、『お兄ちゃんはおしまい!』(以下、『おにまい』)論壇が形成されつつある。

 

"おいまい"はジェンダー多様性に配慮したアニメではない|寸胴はむすたー|note

穏当に否定。

自由で平和な日本の脱ー社会的作品『お兄ちゃんはおしまい!』 - シロクマの屑籠

穏当に?肯定。

お兄ちゃんはおしまいとならない性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律 - 本しゃぶり

法律の視点から。

もうひとつの「おにまい」:『お兄ちゃんはおしまい!』について(1) - てらまっとのアニメ批評ブログ

2019年に農林水産省の元事務次官が四十代の息子を刺殺した事件から。

 

 個人的には、作品の内部構造に鋭い社会批評を喚起する力はまずないと思っている。語られるべきは表層部分、純粋なアニメーションの運動だ。『らき☆すた』(アニメ化2007年)の系譜だとか、『ヤマノススメ』(アニメ化2013年-)等のペドフェルアニメの系譜だとか、髪のインナーカラーだとか、部屋の広さだとか、ギャルの「かえで」や家庭科の先生のおっぱいが異常に大きいのはここ数年の語法だとか*16

 筆者の勉強不足により、「映像」に着目したアニメ批評をここで展開することはできない。一方でまた、『荒地』を引き合いに出して無理やり『おにまい』を分析することはしたくないし、できない。夥しい数の引用と語り手を含む詩を書くことで自我をなんとか保とうとしたエリオット(「これらの断片を支えに、ぼくは自分の崩壊に抗してきた」(V. What the Thunder Said))と、天才科学者の妹「みはり」が作った薬によって「妹の妹」になってしまった兄「まひろ」。「水死」(植物神信仰)に再生を託した『荒地』と、「TS」(美少女信仰)に再起を重ねた『おにまい』。「荒廃」と一人格闘を続け頼れる家族もおらず最後に(だけ)エズラ・パウンドの手を借りたエリオットと、「荒廃」を諦観と共に受け入れていたが妹「みはり」の横槍により突如「許され」てしまった「まひろ」。……並べたところで何を引き出せばいい?*17

 強いて抜け道を探すならば、私自身の興味関心(主にWeb小説)にひきつけて、『おにまい』がデータベースとして参照している「TS」というジャンルについて述べていこうと思う。これなら言いたいことをわずかに見つけられる。一般論を通じて『おにまい』に関する知見もいくらか得られるだろう。

 

 

-9.

 

TSF (ジャンル) - Wikipedia

 

 ポップカルチャーとしての「TSF」(TransSexual Fantasy:性転換ファンタジー和製英語)。具体的な作品を挙げると、手塚治虫の一部の作品、『らんま1/2』(1987-1996年)、『君の名は。』(2016年)、『お兄ちゃんはおしまい!』(2018年-)。

 根強いファンはいるものの、メジャージャンルとは言えない。

 

 

-8.

 

少くともTSFを学ぶために DLsiteまで旅する必要はないであろう*18

 

 資本主義社会に、「オタク的な表現」に、溢れる性の表象。「TS」もその一つだ。

 資本主義がすでに加速していた1920年代、エリオット『荒地』(1922年)やヴァージニア・ウルフ『オーランドー』(1928年)が知らなかったものとは何だろうか。「萌え」だ。彼らは「TS」を描いても、「TS萌え」をついぞ知らなかった。

 

 以下では非成人向けのWeb小説(「小説家になろう」「ハーメルン」等)を中心に、ライトなポルノモチーフとしての「TS」を考えていく。ジェンダーについての洞察を深めるもの、あるいはハードなポルノ(『人体改造系』『皮モノ』等)は基本的に扱わない。

 Web小説の一要素としての「TS」は、ジェンダー攪乱としてよりもむしろジェンダーロールを固定化する方向に機能する(そもそも読者の期待の地平を揺らがせるなんてWeb小説に期待されてないだろうが)。真剣に考えれば、第一に「美少女表象」/「美男子表象」という「貶め」と「記号化」の問題が、第二に「ルッキズム」の問題が立ちふさがるだろう。一方でまた、Web小説の中で「TS」だけジェンダー論・フェミニズム論によりあげつらうのは敵の選択を間違っている感じがする。敵として小さすぎる。いや、でも、「萌え」とは、表現の自由とは……。

 

 総じて、奇妙なジャンルである。

 

 

-7.

 

 「TS」の形成について。

 「異性装」や「性同一障害」や「半陰陽」、シリアスからコメディまでを漠然と含む「性転換」の領野から、「萌え」を基準にライトなものだけを切り出したのが小説投稿サイト「少年少女文庫」(1997年-)*19だった。

 

各時代の各種のメディアに散見される性転換的モチーフを収集し、分析するという行為はすなわち、無意識に語られてきた現代の一つの神話体系の再構成にあたる作業だと私は信じている。このホームページが、トランスセクシャルという現象の持つ非常に現代的な「意味」について少しでも考える材料を提供できれば幸いである。

…ってのはタテマエでありまして~。

ここは、性転換萌えな人のためのクールでチェキラウなページだったりします。

http://www14.big.or.jp/~yays/intro.html

 

 「少年少女文庫」からストーリーを中心とするものが現在の「小説家になろう」まで受け継がれている。『おにまい』にも少なからず。

 ポルノ成分は個人サイトを経由して「ノクターンノベルズ」に行き着いたのだろうか。

 

 

-6.

 

 「性」関連で、『らんま』の「お湯をかぶったら~」という気軽な設定に現れるように元々虚構度の高い「性転換」が、データベース消費、あるいは参照系*20の構築によって、更によくわからない方向に行く。欲望がエミュレートし難い。

 虚構に虚構を、欲望に欲望を重ねる「オタク」たち。 

 

 

-5.

 

 それでもなお、「なろう」や「二次創作」シーンにおける「異世界)転生」の大流行に伴い、「TS転生」(現実世界の男性が異世界/作品世界へ来訪する際に美少女/幼女へと変ずる)がジャンルとして定着し、一部は傑作とされるのだから、考えないわけにはいかない。Web小説読みはTSとの正対を迫られる。

 

 

-4.

 

 TSの派閥を分類してみる。あるものは複合し、またあるものは複合しない。

 

【恋愛、関係性を軸に】

 

TS百合:転生前の男としての性自認を維持し、女と恋愛する。「女の子とキャッキャウフフしたい」から「同性故の合法的セクハラをしたい(合法ではない)」から「レズセックスしたい」まで。現代は「百合」の時代ゆえある程度受け入れられているようである*21。次の恋愛回避派をグラデーションの極に配置してもよさそうだ。

 

恋愛回避派:「恋愛要素を書きたくない/ヒロインは一人にしたいのに、男主人公で書くと恋愛要素/ハーレムを望む声が出てきて面倒くさいので、TSさせる」*22とか、「男主人公でも女主人公でも恋愛要素が混ざってきて面倒だ。しかし美少女は欲しい(これは書き手の欲望以外にも「美少女が出てこないと「華」がなくて中々読まれない」という受容状況を考慮すべき)。というわけでTSさせる」*23といった、消極的にTSを選択した派閥。

 Web上の二次創作史においては、2008-12年頃に蔓延していた「最強系チートハーレムニコポナデポ転生オリ主」に対するメタとして、恋愛回避系の「TS転生オリ主」が一定の支持を集めたようだ。

 

精神的BL性自認がなんやかんやで「女」に変遷し男と恋愛する(この過程は「メス堕ち」とも呼ばれる)。「身体に引っ張られて精神が男から女へ移り行く過程、合間の葛藤に萌える」とか「内面が男となら男にとって都合の良い/理想のヒロインになる」とかと言われている。性自認と性愛対象の違いからTS百合とはほぼ排反な派閥。

 「なろう」の異世界転生ファンタジーだとポイントが伸びない傾向にあるが、ラブコメ寄りのTSはだいたい精神的BLだし、成人向け小説投稿サイト「ノクターンノベルズ」でも大変人気がある。TS娘はよく男に犯されたり、ふたなり巨根JKに犯されたりする(TS娘が男性性を降りる点で精神的BLの派生と見てよいだろう)。

 

【その他】

 

美少女体験派:「自分がもし違う性別だったら」というIFのエミュレートから「とにかく美少女になってみたい」「賞賛されたい」「溺愛されたい」(幼女になる場合は特にこの傾向が強い)まで。「美少女」の極度の記号化に伴う「チート感覚」がもとになっている。

 「オタク」の騎士道的ロマンティシズムにより、「美少女」は貶めと崇拝を同時に浴びてきた。「美少女」がさらに「女でもあり男でもある」ならば、きわめて神秘的な(穢れた)存在になり得るだろう。『荒地』のテイレシアスのように。

 ゼロ年代ネットゲームにおける「ネカマ」の成功体験(あるいは騙された体験)、2018年頃からの「バ美肉おじさん」「Vtuber」に見られる「アバター」のテーマの再燃も考慮したい。

 

コメディ派:男が突然女になることのギャップ。そこからTS娘が周囲を振り回したり周囲に振り回されたりする様子を楽しもうという派閥。

 

身体派:TSの過程そのものに興味がある派閥。つまり、男の身体が美少女になる瞬間、身体的な(≠精神的な)変遷の過程が主題となる。「あさおん」(朝起きたら女の子になっていた)を採用するようなストーリー中心の派閥とは排反。ぶっちゃけ「なろう」でも「ノクターン」でもほぼ見ない。

 

女主人公派:「本当は女主人公を書きたいけどTSさせといた方が書きやすいし受け入れられやすい(男性の書き手・読み手ともに感情をエミュレートしやすい)」という派閥。消極的なTSの選択。

 追記:TS主人公が美少女主人公の記号として有用であることに気づいた。この場合は積極的なTSの選択と言えるかもしれない。

 つまり、TSでない女主人公の「美」を説明する方法は様々だが、いずれにせようまくやるなら「照れ」の克服や描写の工夫が必要になる。ところがTS主人公なら、主人公の一人称による「美少女になっちゃった」だけで済む。「美」を語る男の視線が内在しているのだ。ほかに、「TS主人公ならどうせ美少女だろう」というステレオタイプ(本稿で全面的に採用している)を利用することもできる。

 

男だと困る派:二次創作において、原作キャラの性別が設定段階で/物語途中で変更されることがしばしばある。性別が元々違う/途中で変わることによるIFを楽しむ場合から、「オリ主の導入に伴う原作主人公TSヒロイン化」のような身も蓋もない場合まで。後者はときに原作主人公アンチを背景に成立しており、消極的なTSの選択と言える。

 

 

 例えば『おにまい』は、TS百合/美少女体験/コメディ型のTSになっている。

 

 

-3.

 

 それにしても、欲望を書き連ねると本当にやるせない気持ちになってくる。

 ジェンダーアイデンティティ、侵すべからず。

 

 

-2.

 

 ところで、「TS」という語の起源はよくわからない。「男性向け」ジャンルだとゼロ年代に「性転換」と代わるようにして普及したようだ(『TS考』参照)。

 「女性向け」の「性転換」ジャンルとして大きいものを二つ挙げておく。

 

BL夢:夢小説とBLの合流地点に存在するもの。つまり、「読者が自由に名前を決められる男主人公(男夢主)と男性キャラとの関係性を描く」夢小説。ミラーリングすれば「TS百合」になる。友情からエロまでグラデーションがあるのも同様。

 

女体化BL:BLの文脈でカップリングの片方が性転換するもの。BLに含めるなという意見が根強い。文脈は全く違えど起こることは「精神的BL」と同じ。

 

 「女体化BL」をミラーリングした「男体化GL」に相当するものが無いことに気づく。いや、一応ポルノのジャンルとして(しかも結構大きいジャンルとして)、「百合ちんぽ」「ふたなり」が存在する。これらは局部だけ男性性が引用されている。

 BL夢も「BLの体験」がメインであって、「女が男になること」そのものに萌えの主眼はないようだ。「男→女」は男女ともに性的魅力を感じているのに、「女→男」には男女ともにほぼ性的魅力を感じないらしい。なるほど、なるほど。

 

 

-1.

 

 TSの欲望をまた別の面から整理する。消極的にTSを選択した派閥は、TSの高度な操作性を浮き彫りにする点で重要だが、ここでは捨て置こう。

 

 TSには「女性の身体を所有する」能動的欲望と、「その欲望に晒されたい」という受動的欲望がある*24。前者はTS百合派(自にも他にも)、精神的BLで「TS娘」よりも相手の「男性」の方に移入する派閥(「メス堕ちさせたい」)が当たる。後者は精神的BLで「TS娘」に自己移入する派閥など。

 身体といっても、そこにはだいぶ戸惑いがある。ポルノは肉体/身体表象と不可分だ。しかしTSにおいて欲望される身体とは、主体なのか客体なのか、リアルに漸近していく(少なくともその意思がある)のかリアルから遠ざかっていくのか、遠ざかったとしてどこに向かっているのか、よくわからない。

 『おにまい』のアニメ二話で生理がテーマになったときも、リアリティラインをどこに引きたいのか分からず混乱した。「コメディ系のTSでは普通取り上げられない生理を題材とし、アンリアルな萌えの中でも女性性に配慮しながら家族関係を描いた、という体で結局は下世話なことがしたいのが透けて見えるけど大丈夫なの?」と。生理を巧妙に(?)ポルノ利用したって元がポルノなんだから何も悪いことはないが。

 

 TSの欲望について、これは某氏に指摘いただいたのだが、「(無自覚に)誘惑されたい」(TS百合)と「(無自覚に)誘惑したい」(精神的BL、のうち「TS娘」に移入するもの)の二分法がある。後者は更に、誘惑の結果手を触れさせるか否かで意図が大きく異なる。

 手を触れさせるならそれはマゾヒズム(「メス堕ち」)だ*25。一方、手を触れさせないならそれは復讐の手段としてのTSである。つまり、女性恐怖、ネカマ恐怖の裏返しとして、上位者=女性になろうとするのだ。「きみになりたい」と小西康陽が書いたように*26

 

 マゾヒズムまで行かなくとも、TSは男性性を降りる手段として機能する(『おにまい』)。逆にTSによって主体の男性性が強調されることもある(TS百合)。

 TS娘との関わりは、ときに周囲のジェンダーロールを浮き彫りにする(「父」の登場しない『おにまい』において「母」として最も優位に立つギャル「かえで」)。

 

 

0.

 

 転移(現実と異世界)、タイムトリップ・逆行(過去と未来)、クロスオーバー(作品と作品)、憑依(身体と身体)、転生(生と死)、トリップ(現実と虚構)。二次創作で開発された数多の越境の中に、TSも位置付けることができる。

 去勢することと美少女になることの因果関係は未だよくわからないが。

 

 

 

[reference]

 

なろう小説を批判するを批判するを批判するを、そのまた批判するっ!……のはやめて、淡々とTS小説の歴史について語るエッセイ

https://ncode.syosetu.com/n1853es/

 

【考察】TSものの違いについて分類と考察

https://ncode.syosetu.com/n9411eo/

 

小説のTSものについて

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10104425480

 

TSの手法の分類について

https://ncode.syosetu.com/n8309dn/

 

TS考

https://ncode.syosetu.com/n7135hs/4/

 

 

追記:

これまで同性愛は、男女を問わず、性科学や精神分析学において病理化されたり、また、前世が男だったために現世で女を愛してしまうといったような異性への転生の証明とされたりすることによって、しばしば異性愛主義言説に回収されてきた。

 

レズビアン表象の彼方に――三島由紀夫暁の寺』を読む――

https://teapot.lib.ocha.ac.jp/record/39573/files/40_6-1-6-9.pdf

 

 

 

*1:以下の和訳は岩崎宗治訳を参考にしつつ一部改変した。

*2:第一次大戦後のモダニズム文学を代表する英米詩人・文芸批評家。20世紀前半を代表すると言ってもよいかもしれない。1948年ノーベル文学賞受賞。

*3:2018年に連載を開始した漫画作品。「TS」(性転換)をテーマとした日常系コメディ。ドイツではあの『ONE PIECE』(1997年-)よりも人気がある。https://twitter.com/nekotou/status/1147207074805235712/photo/1 

*4:「助かる」は元々「淫夢」文化の影響が強かった2010年代半ばのニコニコ動画において生まれ、「皮肉」としての意味合いが強かった。言葉は変遷する。

https://isyokuju.com/tyoudokirasiteta-7275 

*5:https://wagaizumo.hatenablog.com/entry/2023/03/05/142916 

*6:例えば次の記事。https://wagaizumo.hatenablog.com/entry/2023/04/07/231355  

*7:「また一説には、テイレシアースがアルカディア地方のキュレーネー山中で交尾している蛇を打ったところ、テイレシアースは女性になってしまった。9年間(オヴィディウスの『変身物語』では7年と書かれている)女性として暮らした後、再び交尾している蛇を見つけ、これを打つと男性に戻った。あるときゼウスとヘーラーが、男女の性感の差について、ゼウスは女がより快感が大きい、ヘーラーは男の方が大きいとして言い争いとなり、テイレシアースの意見を求めた。テイレシアースは「快感を10倍に分けており、男を1とすれば、女はその9倍快感が大きい」と答えた。ヘーラーは怒ってテイレシアースの目を見えなくしてしまった。ゼウスはその代償に、テイレシアースに予言の力と長寿を与えたという」テイレシアース - Wikipedia 

*8:モダニズム文学は「新しい女」の出現に慄いた男性たちによるジェンダーパフォーマンスとしての側面を持つ。同性愛を「現代文明の荒廃」と結びつけるのは分かりやすい保守性と男性性のパフォーマンス。また一方で、エリオットは同性愛者の文人・芸術家を集めた内輪のサロンを開き、異性愛への嫌悪を表明していたらしい(1923年頃)。こちらもモダニズム期によく見られるパフォーマンスだろう。そうして彼が最終的にたどり着いたのは、「神への愛」=イギリス国教会への帰依(1927年)であった。

*9:追記:『荒地草稿』(1971年)の研究によれば、「ヒヤシンス娘」には『プルーフロックその他の観察』で献辞を捧げられていた医学生ジャン・ヴェルドナルの反映があるように読めるらしい。ヴェルドナルを語るエリオットの語り口は、友人以上にどこかエロティックな匂いがする。参照:佐藤亨「1922年秋、ケインズは『荒地』を朗読した」『四月は一番残酷な月』水声社、2022年、p.109

*10:Fateは文学とは (フェイトハブンガクとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 

*11:2018年頃からVtuberファンの間で広まったネットミーム。2012年頃女性オタクの間で広まった「尊い」というミームの訛り。先の「助かる」が男性オタクによるものであることを踏まえると、Vtuber/百合/推しの時代とは「オタク」が希釈拡散していく中で、世相もやや反映しながらジェンダー的にやや越境していく時代だと言える。

*12:「アイデン貞貞メルトダウンhttps://www.youtube.com/watch?v=cHcMHceZEuk 

*13:漁夫王 - Wikipedia 

*14:枚挙にいとまがないが、例えば「性愛-機械」の繋がりとして次を参照されたい。インターネット以後に重要性を増す批評。 独身者の機械 - Riche Amateur 

*15:不能」を考えるにあたってつい男性中心に考えてしまったが、ミラーリングしたものにも言及しておくべきだろう(「不感」なのか「不妊/石女」なのかは分からないが)。文学において「子を産まない/産めない女性」が主人公となることは普通だし、ポルノ的に他者化された形では「娼婦」「ファム・ファタール」が「不妊」の属性を帯びている。

*16:静止画で醸成された文脈であり、ちゃんとアニメ化されたのは『おにまい』が初だと認識している。

*17:と言いつつ、時代も文脈も異なる『荒地』と『おにまい』が互いを相対化することを期待してこの文章を書いたのだ。

*18:「TS」は「内面萌え」のため、漫画媒体に対してテクスト媒体が比較的優位に立てる珍しいポルノジャンルかもしれない。「DLsite」において成人向け同人作品を検索してみると、「TS」4000件に対し「男の娘」6500件。一方「ノクターンノベルズ」では、「TS」1900件、「男の娘」700件となる。とはいえ、「現代のアレクサンドリア図書館」であるところの「DLsite」を精査しない理由など本来どこにもなく、それをしないのは筆者の怠慢でしかない。

*19:https://web.archive.org/web/20130421122355/http://ts.novels.jp/library.html 

*20:「転生オリ主」の出現――「憑依」と「オリ主」の落ち合うところで/「トリップ夢主」の方へ - 古い土地 

*21:「百合」というジャンルもまた美少女表象とルッキズムの問題を中々突破できない。レズビアン当事者を回避し「女=萌えが増えれば増えるほど嬉しい」から消費されているという、いつもの問題も加えておく。

*22:https://w.atwiki.jp/nijifan/pages/16.html 

*23:てと​​ - Q.なぜTSさせるんですか? - ハーメルン 

*24:https://twitter.com/tamo_rar/status/1437180702227775491?s=20 

*25:やや不正確。実のところ「ノクターンノベルズ」では「TSビッチもの」(TSした後自覚的に男を誘惑し、女としての性的快楽を主体的に味わう)とでも呼ぶべきものが支持を集めている。ここからはマゾヒズムよりも復讐の臭いがする。

*26:https://wagaizumo.hatenablog.com/entry/2023/02/23/235138