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日本の狼(犬)は月に吠えたか:萩原朔太郎『月に吠える』と狼の文化史

 

萩原朔太郎の第1詩集『月に吠える』(1917年)は、大正口語自由詩を代表する作品としてよく知られる。

この詩集に頻出するモチーフの1つが、タイトルにもなっている「月に吠える犬」「病める犬」だ。

 

月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。

(「序」『月に吠える』)

 

本稿で調べたいのは、「月に吠える獣(狼/犬/その他)」というモチーフの歴史的形成である。朔太郎の詩全般がそうであるように、「月に吠える犬」という一見なんということもないモチーフもまた、明治維新以後の文化交渉(東洋/西洋、都市/地方など)の中で生まれた。このダイナミズムを記述することが、私の(建前に近い)根本的なモチベーションだ。

ただ本件は未だ調査途上にある。今回は狼を中心に据えて、分かったこと・分からなかったことをまとめた。

 

 

 

日本の「月に吠える」と狼信仰

 

「月に吠える獣」といえば現代だと狼のイメージがある。そもそも「狼が月に吠える」と言われるのは、狼の2つの習性に基づいている。狼が夜行性であることと、遠吠えするとき頭を空に向けることだ(遠吠えは10km先まで届くらしい)。逆に狼がいる地域ならどこでも「狼が月に吠える」という表現が生まれるのではないかと、ナイーブには思える。

 

ちなみに朔太郎は狼と犬を一応区別していた──わざわざこう書くのは、比較的最近まで狼の正式名称が「ヤマイヌ/山犬・豺」とされたり、「ヤマイヌ」は狼と別の生物とされたりしたからだ。1957年の『原色動物大圖鑑』*1では「やまいぬ(にほんおおかみ)」の名で項目を立てており、「えぞおおかみ」「やまいぬ(hodophilax Temminck)」*2がその亜種と扱われている。

 

ああ、けふも月が出で、

有明の月が空に出で、

そのぼんぼりのやうなうすらあかりで、

畸形の白犬が吠えてゐる。

しののめちかく、

さみしい道路の方で吠える犬だよ。

(「ありあけ」『月に吠える』)

 

これを読むに、朔太郎の「犬」はヤマイヌに対するサトイヌ*3、でもなく都市部にすむ野良犬の風情だ。別の詩では「疾行する」ものとして「狼」の語句を使っている。

……と思いきや、「病気の狼」(1919年)という散文詩もあるらしい。区別していないのか、区別した上でモチーフを共有していたのか、よく分からない*4

 

ここで朔太郎からは一端離れて、日本における「月に吠える狼」のモチーフについて述べよう。調べた限りでは、日本の狼信仰(秩父三峯神社*5が有名)にせよ「送り狼/犬」といった民間伝承にせよ、「狼/犬が」「月に」「吠える」というモチーフの組み合わせが日本の古典・民話体系にはありそうでない

月夜の狼の遠吠えなんて江戸時代までそこそこ観測できたはずなのに(ニホンオオカミ絶滅は1905年)、「狼が月に吠える」という特定パターンの認識・表象が生じなかったようなのだ。いや、調査を始めたばかりなので全くないとは言えない。しかし少なくとも、メジャーな話としては流通していないように見える。

 

では、朔太郎の「月に吠える」はどこから来たのか。中世ヨーロッパの人狼伝説がまず思い浮かぶだろう。

 

 

ヨーロッパの「月に吠える」と人狼

 

「月に吠える」について、シェイクスピアにそのものずばりの表現がある。

 

I had rather be a dog, and bay the moon,

Than such a Roman.

犬にでもなって月に吠える方がましだ、

そんなローマ人でいるよりは。

シェイクスピアジュリアス・シーザー』(1599年)第4幕第3場)

※ bay = bark at

 

ここから「むなしく抗議する」「悪口を言う」という意味のイディオム「bark at the moon」が成立した。

引用部は「月に吠える」表象が明確な点で記憶に値する。吠えるのが狼ではなく犬な点も。劇の時代設定であるカエサル統治下のローマでは、狼はむしろ誇らしい存在だったからか。

シェイクスピア「犬が月に吠える」の由来は、よく分からない。「狂ったように遠吠えする犬」や「月に怯えて吠える犬」を身近に観察したのだろうか。古代より知られる「狼が月に吠える」伝承をひねったのか。そのまま伝承があったか*6

 

 

狼と月の関わりは、語源から説き起こすことができる。

 

大部分のインド=ヨーロッパ語では、前述したように、狼をさす呼称は光ないし輝くことを意味する語源*leuk-(そこからギリシア語のlykosやラテン語のlupusが派生)、あるいは*wulk(そこからゲルマン語のwulf、のちにwolfが派生)と結びついている。[……]狼とふたつの光源、つまり太陽と月のかかわりも、やはりそこから生まれている。ギリシア神話では、狼(リュコス)はアポロン(太陽神)の眷属で、アルテミス(月神)に庇護されている。北欧神話では最後に狼がこのふたつの天体を飲み込んでしまう。

(パストロー『ヨーロッパから見た狼の文化史』p.87)

 

狼と月:熊や狐などの野獣と同様、狼もまた月と特別な関係を保っていた。とくに秋と冬の夜、狼はうなり声を発する前に月のほうを向く。一部の古代の著作家たちは、アルテミスに守られたこの野獣は、多少なりとも月に恋をしていたとしている。だが別の著作家たちが断言しているところによれば、狼は自分の影を盗んだ月にそれを返してくれるよう求めているのだという。

(同p.150)*7

 

狼はギリシャ世界で人気だったし、ローマ世界でも人気だった。建国神話でローマを建国した双子の兄弟ロムルスとレムスは狼に育てられている。狼は家畜しか襲わない神々の眷属であり、人間の守護者だった。

 

一方北欧神話では、怪物フェンリルに代表されるように、狼は悪役だった。

スコルとハティと呼ばれる2匹の狼は、それぞれ日食と月食の原因とされている。「遠吠えで上を向く」→「太陽/月に向かって吠える」→「太陽/月を食おうとしている」、と連想が働いたのだろうか。

 

キリスト教世界でも狼は「公式には」悪役だった。そもそも聖書の中の狼は「狼は子羊と共に宿り」「狼と子羊は共に草を」(『イザヤ書』11:6, 65:25)など、比喩的に15回程度しか登場しない。これが「万物の中で最悪の獣」と言われ始めるのは5世紀の教父アウグスティヌスあたりから。原因として、古代世界の狼より北方世界の狼は大きく獰猛だったとか、狂犬病が蔓延していたとか、気候変動により人間のみならず獣も飢えていたとかが言われている。

この時期の聖人伝の類型として、「聖人が狼にさらわれるが信仰の力で屈服させる」というものが存在した。『狐物語』など12世紀の動物誌ではアプローチが変わり、狼は残酷だが滑稽な獣として愚弄される。

以上は公式文化の話。中世初期ヨーロッパの農村はほとんど異教世界のようなもので、人狼伝説を含む多くの民間伝承・変身譚・迷信が流通した*8。民衆を教化する目的で教会権力は色々なものをバッシングし始めたが、その中にゲルマン民族に人気のあった狼が含まれていた、とも考えられる。

テクストとして存在するために書き手を確保できたのは高級文化だけだが、中世高級文化と民衆文化の間には交流も対立もあった。『狐物語』の滑稽譚は民衆文化が聖職者側に取り入れられた例だろう。

 

中世の伝承における人狼は「人語を話す狼」ないし「人間大の狼」のことだった。「月を見て狼に変身する人間」でイメージが固定化したのは近世以後の創作物による。

近世において、狼は「悪魔的な動物誌や妖術的犯罪のスター」「サタンの手先」を担い始め、狼アンチが時代の趨勢となった。魔女狩りや狼男狩りが16-17世紀に流行したように、宗教改革前後にやっと民衆が「教化」された感がある。あとは単純に人口増加で遭遇率が上がったのだろう。

この時期に害獣*9狼の根絶が目指されている。イギリス諸島での取り組みは早く、イングランドでは16世紀に、スコットランドでは17世紀に、アイルランドでは18世紀に狼がいなくなった。

一方、狼は悪役需要で「赤ずきん」など多くの寓話と童話に登場した。狼が現実にいなくなってからも、近代の大量の印刷物の中、現代の映画(狼男映画の始祖は『倫敦の人狼』1935年)の中で、狼と月の結びつきは再構成され、狼は月に吠え続けている。

 

 

 

中国の「月に吠える」と虎

 

萩原朔太郎は西洋詩ばかりを摂取していたわけではない。短歌も作っているし、当時の文人の教養として陶淵明杜甫の詩集は背が壊れるくらい読み込んだらしい。朔太郎には文語調の作品も多く(例えば『氷島』1934年は全篇文語調)、それらには漢詩の影響が見て取れる*10

というわけで中国の事情を調べてみよう。

 

手始めに、「蜀犬日に吠ゆ」というフレーズ。

中唐の柳宗元の「韋中立に答えて師道を論ずる書」に由来する表現。

蜀(四川省)は高山に囲まれて霧や雲が多く、めったに太陽が出ないため、蜀の犬は太陽を見ると怪しんで吠えるということから、この言葉はその後、見識の低い者が卓越した人物の言動を見て違和感をおぼえ、やっきになって非難攻撃する喩えとして広く用いられる。

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000135294

これは故事成語の犬だ。次に世界観レベルの犬を見てみよう。

 

前節で北欧神話のスコルとハティについて触れた。日食や月食が生じるのは天空の怪物の仕業だとする説話は世界各地にあり、中国の場合それは「天狗」だった。山岳信仰と習合した日本の天狗とは違い、中国の天狗は四足の獣を指している。

「天狗食日(月)」は現代中国で広く普及している伝承だ。しかし実のところ、14世紀の明朝までしか遡れない*11。それ以前は諸説あり、動物系だと「日食は三足烏、月食ヒキガエル」などと言われていた。

また、「犬が天体を食う」話の前段にはおそらく「犬が天体に吠える」話があるけれども、「吠える」方は文書には現れない。

 

本題。日本の「月に吠える」と関わる話をしたい。

日本民衆の狼民俗の大本には、中国・朝鮮半島から伝来した虎民俗がある*12室町時代の物語「熊野の本地」には山の神として「とらおうかみ(=虎狼)」が出現した。それ以後民俗からは次第に虎が消えていき、狼が残る。高級文化で日本には存在しない虎、民衆文化で日本に存在する狼、と整理しよう。

ところで、夜行性の虎と月の組み合わせは中国古典文芸・絵画でよく見られる構図である。11世紀北宋の詩句「猛虎一声山月高」をきっかけとするらしい。これにならい、中島敦山月記』(1942年)ではないが、日本においても月に吠える獣とは虎だったと考えたい。

不思議なのは、虎民俗が狼民俗で吸収されていく中で「月に吠える狼」が成立しなかったことである。少なくとも即座には文献・絵画・伝承の類を発見できない。何が吸収を妨げたのか、

 

月と虎を組み合わせた日本絵画は一定数ある。例えば葛飾北斎晩年(1845年)の「月見る虎図」*13

ところが月と狼となると、まず狼を描いた図像がそう多くない。菱川『狼の民俗学』p.230では、①お犬信仰など宗教関係、②芸術的な要素を含む絵画関係、③本草学・博物学関係をあわせて約65点としている。

このうちタイトルに「月」が含まれているものは全て絵画関係だ。

上田公長「月狼図」江戸後期*14

鈴木松年「月下狼図」「月下老狼図」明治時代

幸野楳嶺「亥中の月」1889年

岸竹堂「月下吼狼図」1894年*15

島田雪湖「月下狐狼図」明治時代

友田九渓「月夜双狼図」1913年

意外なことに7点もあった。しかし数多ある「月と獣」系の構図から派生して7点程度とも言える。

また「月と狼」のテーマが確立したのは明治に入ってからのようだ。明治維新後の日本画界で行われた、伝統の延長線上にある日本的モチーフの探求に見える。そうなると、明治時代のハイソな人々の間で、狼への関心がいついかに育まれたかを知りたくなる。都市における狼民俗受容問題だ。

 

 

ニーチェの「月に吠える」と朔太郎

 

思わぬ角度から答えが来た。

月に吠える朔太郎の犬はニーチェの犬がモデルであること - Magazine Oi!

萩原朔太郎の「月に吠える」について、ニーチェツァラトゥストラはこう語った』第3部(1884年)に出てくる「犬」の影響が指摘されている。朔太郎は「ニイチェに就いての雑感」(『浪漫古典』1934年)を書くなどニーチェを愛読していたため、これは十分あり得そうだ。

ここでは朔太郎が読んだと思われる1911年の生田長江*16を引用する。

 

 我甞て斯く吠ゆる犬を聞きたりしか。我が思は昔に歸りぬ。なり。我が幼かりしとき、いと遙かなる幼時に於て。
 ――其時我は斯く吠ゆる犬を聞きたりき。又我は彼を見たりき、犬すらも幽霊を信ずる、いと静なる夜半に於て、其毛を逆立て、其頭をもたげ、戦慄するところの彼を見たりき。
 ――ために我は惻隠の心を起しき。蓋し其刹那、満月は死のごとく静かに家を越えにき、其刹那そは、燃ゆるところの球體は、――さながら他人の所有地に於て立つごとく、平坦なる星背に於て静に立ちき。
 此故に犬は恐怖したりき。犬は盗賊を信じ、幽霊を信ずればなり。さて我が再び斯く吠ゆるを聞きしとき、我は今惻隠の心を起しき。

(第三編「幻影と影と」 フリィドリッヒ・ニイチェ『ツァラトゥストラ生田長江訳、新潮社、明治44年10月、p.281。国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/899480

※歸り=帰り

※惻隠の心:同情心、憐み、思いやりの心。

※球體=球体

 

明珍昇『朔太郎とニーチェ』注32によると、ニーチェ「幻影と影と」からの引用は1960年頃既に指摘されていたらしい。

60年経って他の影響元が指摘されていない現状、朔太郎「月に吠える犬」の主要影響元はニーチェとしておこう。

 

 

とりあえずの結論

 

本稿タイトル「日本の狼(犬)は月に吠えたか」に対する現時点での回答。

明治になるまで日本の狼(犬)はほぼ月に吠えなかった(=「月に吠える狼(犬)」というモチーフが成立しなかった)。狼(犬)が月に吠え始めたのは西洋の諸々の「月に吠える」が入ってきてからのこと。中国にも各種「月に吠える」があったが、日本の狼(犬)表象とは関係を持たなかった。

「月に吠える狼(犬)」はどこで生まれてもおかしくない表現だと、現代の私たちは思ってしまう。しかし各地域・各時代によって狼(犬)や月の価値づけは異なる。ヨーロッパで「月に吠える狼」が成立したのは、狼も月も信仰の対象だった古典時代のこと。中国や日本の高級文化では月は風雅なものとされ、数多ある獣との組合わせの中で狼(犬)が強く主張されることはなかった。日本の民衆文化からは狼信仰・狼民俗が芽生えたが、月信仰などとは合流しなかった。

 

 

参考文献

 

菱川晶子『狼の民俗学 人獣交渉史の研究』東京大学出版会、2009年

ミシェル・パストロー『図説 ヨーロッパから見た狼の文化史』蔵持不三成訳、原書房、2019年

野口洋二『中世ヨーロッパの教会と民衆の世界 ブルカルドゥスの贖罪規定をつうじて』早稲田大学出版部、2009年

興津さくら『萩原朔太郎における〈吠える犬〉詩論  月に吠える〈犬〉』2023年

https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/records/23084

近藤洋太『朔太郎と口語自由詩』前橋文学館報、2004年

https://www.maebashibungakukan.jp/pdf/kanpo_26.pdf

王鑫『天狗食日(月)考』2015年

https://nichibun.repo.nii.ac.jp/record/2154/files/kosh_045__69__67_81__69_83.pdf

文化遺産オンライン『月に虎』

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/437922

明珍昇『朔太郎とニーチェ : 「浄罪詩篇」と「ツァラトゥストラ」』1981年

https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbungaku/30/11/30_KJ00009985948/_article/-char/ja/

 

→他にはこんな「月に吠える」も調べられています。

『ニャルラトテップはいつから月に吠えるようになったのか』

https://togetter.com/li/946727

 

 

*1:この図鑑は菱川『狼の民俗学』pp.220-221で紹介されている。

*2:ニホンオオカミの学名は「Canis lupus hodophilax」。動物学者コンラード・ヤコブ・テミンク(Coenraad Jacob Temminck)が1839年命名したため、「Canis lupus hodophilax Temminck, 1839」とも書かれる。

*3:ヤマイヌと区別するときの犬の名。特に山里の共有財産として飼われる犬のこと。

*4:興津『萩原朔太郎における〈吠える犬〉詩論』注16参照。

*5:狼信仰は必ずしも素朴な山里の信仰ではなく金が絡む、と主張する興味深い論文を見つけた。長谷川恵理『狼信仰を用いた三峯山の経済活動 : 近世における庶民経済の発達による信仰形態の変化』https://cir.nii.ac.jp/crid/1050012235914174336 

*6:例としてギリシャ神話、アルテミスの従姉妹とされるヘカテーの伝承。「ヘカテーは魔法や妖術の女神で、夜になると地上を歩き回り、十字路や三差路に現れました。 そしてその姿は犬にしか見えませんでした。夜、犬が吠えるのはこの女神がやってきたことを知らせるものだと 信じられていたのです」http://www.hal-astro-lab.com/history/episode3.html 

*7:具体的に古代ギリシャのどの著作に書かれているのかを知りたいのだが、調べきれていない。

*8:この様子は例えば野口『中世ヨーロッパの教会と民衆の世界』を参照。

*9:人を襲う狼のイメージが「具現化」したような事件として「ジェヴォーダンの獣」(1764-67年)が知られる。80-130人の死者が出たこの一連の事件は、未だ謎が多い。原因を獣に限定するなら狂犬病にかかった複数の狼とするのが妥当で、人間を含めるなら模倣犯陰謀論まで話は飛ぶ。ここでは、「ジェヴォーダンの獣」がある意味マスメディアによる創作物であることに注意したい。フランス革命の20年前に人々の恐怖を伝播・増幅し、ルイ15世の治世を疑わせたことは確かな事実だ。 追記:既に狼が絶滅していた当時のイギリスにおいて、フランスの「ジェヴォーダンの獣」事件は大いに嘲笑されていたらしい。露悪。

*10:近藤『朔太郎と口語自由詩』参照。

*11:王鑫『天狗食日(月)考』参照。一応、インドから5世紀に伝わった仏教経典に元ネタがあるらしい。

*12:以下、菱川『狼の民俗学』参照。

*13:https://matono.exblog.jp/14223066/ 

*14:https://ameblo.jp/htx0102/entry-11371956414.html 

*15:http://kenzou245.blog115.fc2.com/blog-entry-175.html

*16:出版されたニーチェの邦訳のリストが次にある。https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000075461