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旧約聖書の編集史と間テクスト性について(K.シュミート『旧約聖書文学史入門』)

 

はじめに

 

 『旧約聖書』(The Old Testament)あるいは『ヘブライ語聖書』と今日呼ばれるテクスト群*1。その「非神学」的な批評研究は、スピノザ(1632-1677)などの先駆的な仕事を経て、18世紀啓蒙の時代に始まったという*2

 いわゆる「モーセ五書」(創世記、出エジプト記レビ記民数記申命記)――旧約聖書の冒頭を飾り、ユダヤ教においては「トーラー(律法)」と呼ばれ最重要視され、イスラム教でも啓典として扱われている――は(伝承と違って)モーセが書いているはずがない。この直観がまず、テクスト分析によって裏付けられた。じゃあ誰が、というとスピノザエズラ記の祭司エズラを持ち出している。

 ユリウス・ヴェルハウゼン(1844–1918)の新文書仮説(1876年)は、それまでの研究をとりまとめつつ現代的な旧約研究の開始を告げるメルクマールとなった。この仮説ではモーセ五書から「J(ヤハウィスト資料)」「E(エロヒスト資料)」「D(申命記史家)」「P(祭司資料)」という四つの独立した文書の存在を取り出す。Jにおいて神は「ヤハウェ」と呼ばれるが、Eにおいて神は単に普通名詞「エロヒーム」で呼ばれる、等。

 

文書仮説 - Wikipedia

 

 今や旧約聖書学は、本文批判、文献批判、様式史、伝承史、編集史、社会史、神学的研究、宗教学的研究、法学的研究、物語的研究、etcと多すぎるほどのアプローチ・分野を抱えている。その中から今回は、「編集史」を中心として旧約聖書を紹介したいと思う。

 そうすることで旧約聖書というテクストを立体的に読めるようになる。あるいは、斜め読みが始まる。私たちは幻惑され、幻滅し、また幻惑させられるだろう。

 

 

注意:

 以下はK.シュミート(著)、山我哲雄(訳)『旧約聖書文学史入門』(教文館、2013年)をネタ本にする。

 予め断っておくが、この本は主流派の意見ではない。1990年代ドイツの旧約聖書学で発展したかなりラディカルなミニマリズム(テクストに書かれた歴史的出来事とテクストの成立年代を切り離し、考古学的証拠が無い限りテクストの成立を可能な限り後代に見る)の影響を受けている。例えば、J(ヤハウェスト資料)をもはや仮定しない(ただしJ不要論はミニマリスト以外にも割と見られる)。

 ぶっちゃけた話、考古学的発見でインパクトの大きいものがここ数十年無いため*3、言いたい放題の状況になっている。

 私の狙いは、まだ効力を失っていない「偽史」、あるいはそのような「偽史」が乱立する状況そのものを、想像的に利用することにある。「古代出雲にもともと大国は存在せず、古事記日本書紀の編集過程において各地の神話を縫い合わせることによりはじめて「出雲神話」が創出された」と主張した鳥越健三郎『出雲神話の成立』を受けて、入沢康夫『わが出雲・わが鎮魂』が成立したように*4

 

 

 

創世記から

 

旧約聖書

 創世記の冒頭は物語として読んでいるといきなり驚かされる。創1章の「七日間神話」と創2章の「肋骨神話」は明らかに矛盾しているのだ。例えば、創1:27では男と女を一気に創造しているのに対し、創2:21-23では男の肋骨から女を創造している。

 世界創造の語り直しは創世記以外でも随所で行われるし、『新約聖書』「ヨハネによる福音書」にすら見られる。ただ創世記の1-2章に関しては「異稿の提出が早すぎるだろ」と正直思う。

 

 ここから生じる独特の眩暈は何だろうか*5。重複話法は『タルムード』(旧約聖書成立以後にテクスト化された口伝律法)にも現れるユダヤ民族の伝統らしいが、それよりもなお、「もっともらしい語り」の背後にある歴史的蓄積が混乱を生じさせる。

 創1章が主にP(祭司資料:バビロン捕囚(前597-538年)後)に属するのに対し、創2章は骨格が素朴でP以前のものと思われる。もちろん、両者ともテクスト成立以後たびたび編集を受けたことだろう。創1章はかなり洗練されているし、創2:1-4では1章との接続が(雑に)試みられている。

 また、エデン追放を語る創3章は2章から連続した内容であり、大枠はP以前と推測される。しかし「追放」というモチーフの強調具合(原初の「追放」!)から、バビロン捕囚開始後にテクスト化したものと思われる。

 

 テクスト成立以後(編集史)だけでなく、テクスト成立以前(伝承史、古代イスラエル史)についても言及しておきたい。ここはかなりミニマリスト的な記述なので注意(もっと穏健な見方については『聖書時代史 旧約篇』を参照)。

 前10-8世紀頃に「国家」としての体を為すようになった古代イスラエルは、古代オリエント世界の中だとかなり遅れて成立した弱小国家だった。なにせアッシリアバビロニア、エジプト等の超大国に囲まれた交通の要衝という糞立地だったのである。

 ダビデ(在位:紀元前1004-965年?)やソロモン(在位:紀元前965-926年?)はおそらく史実の人物だ。しかし、旧約聖書に描かれる広大な版図は間違いなくフカしである。彼らの時代から前9世紀まで、古代イスラエルでは「文学」を支えるだけの経済・文化すら発展していなかった*6

 ソロモンの死後、統一王国は北イスラエルと南のユダに分裂した、と旧約聖書は主張する(実際の北イスラエル王国ユダ王国の成立はそれぞれ前9世紀/前8世紀まで待つかもしれない)。そして北イスラエルでは、婚姻外交により、バアルやアシェラといった「土着で異教の」神がヤハウェと並列して信仰されていた。

 世界創造に関する口頭伝承はこのような状況で、外来の伝承の影響を強く受けながらゆっくりと醸成された。ノアの箱舟(創5-11章)がメソポタミアの氾濫伝承に由来することは有名な話だろう。

 

 テクスト化が最長5世紀近く後になること、政治・宗教の側から必要とされなかったことにも注意しよう。アブラハム、イザク、ヤコブといった「族長物語」(創12-50章)以前を語る動機がなかったのだろうか?*7

 

 

 以上、創世記を例として取り上げた。

 時間軸においては、「実際の」歴史、考古学的な歴史、周辺国の聖書外史料による歴史、口頭伝承の発展史、聖書テクストの編集史、最終的にテクストとして書かれた歴史、などが混在していることが分かる。

 空間的には、古代オリエント世界の各種伝承に影響され、旧約聖書内部でも申命記主義や祭司文書に影響され、モーセ五書全体の連なりをも考慮して編集されている。

 

 実のところ、旧約聖書の正典化は西暦1-2世紀頃にも関わらず、現存する完全な写本はレニングラード写本(1008年)までしか遡れない。ただし、この写本と千年前の原典の間には本質的な差異が無いと言われている。本文をよりよく保存しようとした紀元後のマソラ学者たちへの信頼――しかし、紀元前の聖典学者はそのような意識をもっていなかった。旧約聖書の形成過程において、聖書本文の注釈・釈義はむしろ聖書そのものに追加される*8

 他の民話・神話体系に見られない旧約聖書の特異性は、預言や伝承がそのままの形で保存されず、常に「現在」のテクストとして読まれ修正され続けてきたことにあるという。特に、そういった「更新」の在り方が隠蔽されず、むしろ聖典の正しい継承法としてテクスト内に暗示されていることは。

 

 旧約聖書特有の幻惑・眩暈とは、古代的で動的なエクリチュールの在り方*9、多くの対立する言明の並列(申命記的/祭司的、民族的/普遍的、審判的/救済的、終末論的/非終末論的、その他)に由来する――いや、もう一点だけ。

 

 前節で「ぶっちゃけ言いたい放題の状況」と述べたが、これは古代イスラエルを研究するにあたって聖書外資史料が未だ十分でないことが影響している。旧約聖書に対しモダニズム的な歴史性を設定すれば*10、循環論法の陥穽に否も応もなく巻き込まれる。

 テクストの形成について、最古は紀元前10世紀(モーセが書いたと信じるなら前13世紀)から、最新は西暦1世紀(死海文書の成立時期)まで考えられる。聖書学者たちは仮説に仮説を重ねることでこの範囲を狭めようとするわけだが、ここに幻想のトレードオフが発生する。つまり、古代の幻想を減らす代わりに、現代の研究という幻想を生産する。

 ともすれば、多様化し混乱する研究によって、旧約聖書の神秘性はいよいよ増しているのかもしれない。少なくとも、知れば知るほど確実に間テクスト性は増えている。

 

 

 

各時代について

 

 旧約聖書の編集史はふつう、「創世記の編集史」とか「詩編の編集史」とかといった具合に、各書ごとに書かれる。

 『旧約聖書文学史入門』の功績は、研究が細分化した現代において困難となりつつある通史を剛腕により編み、しかも各書の編集史の寄せ集めに堕さず、通時的・共時的な思想潮流(特に申命記主義と祭司文書は縦にも横にも広く影響を及ぼす)やテクスト相互の参照関係を見やすくしたことにある。

 用いる時代区分も「統一王国時代」「捕囚後の時代」など聖書の記述する内在的区分ではなく、イスラエル・ユダを支配し文化的な影響・圧力を与えた覇権勢力の交替に基づくのが新鮮である。具体的には

 

 

 以下に面白かった部分を抜粋してみる。泣けるほど受難の歴史だ。

(細部を省き初心者向けにしたら間テクスト性への言及がほぼないミニマリスト的な通史になってしまった。興味のある方はぜひ『旧約聖書文学史入門』に当たって欲しい)

 

 

アッシリア時代(前8-7世紀)

 

 キリスト教の神が「愛の神」ならユダヤ教の神が「契約の神」とはよく言われる。モーセ十戒のように。

 では、「契約」の概念がどこから来たのかというと、どうやらアッシリア時代に由来するらしい。個々の法伝承は口頭で受け継がれていたのかもしれないが、「契約」はまさにテクスト化と共に発明された。

 北イスラエル王国ユダ王国は当時、軍事大国アッシリア朝貢国だった。彼らはそこで宗主国との「契約」を神との「契約」に横滑りさせたのである。テクストの形態の類似性が根拠になっている。

 これが「申命記」的なもの/申命記主義/D(申命記史家)の開始地点になる。外来のものが民族主義的な申命記に流用される点が面白い。外から脅かされて初めて民族性は生じる。

 

 また、北イスラエル王国の滅亡(前722年)によって難民が南のユダ王国に合流する(以下イスラエル民族ではなくユダヤ人と呼ぶ)と共に、預言書の初期形態が現れる。つまり

 

アッシリアの軍事力によってもたらされた北王国の滅亡は、イスラエルの祭儀的・社会的な弊害(引用者注:婚姻外交により異教の神を崇めるなど)への反応として、神の下した措置なのである。(p157)

 

 といった具合に。基本的に旧約聖書における預言は――少なくともそのテクスト化は――事後的に行われる。たまの外した預言(成就を見る前に急いでテクスト化してしまったもの)は、とりあえず残しておいて、一世紀後くらいに「あの預言はこのことを言っていたのか」と解釈したりする。

 

 事後的な読み替えの例として、新アッシリア王国の最盛期を築いた王センナケリブによるユダ王国エルサレム攻囲(前701年)を取り上げたい。屈辱的な条件で包囲は解かれたにも関わらず、旧約聖書だと神の恩寵で解放されたことになっている(王下19:7,35)*11

 当然のことながら、旧約聖書はすこぶる政治的なテクストなのだ。祈って救われたと書いてあって実際そうだったことは、特に国家的危機のときには、たぶんない。婚姻外交も国の存続に必要不可欠であり、しかしアッシリアの軍事力の前には無力だった。

 神学的にはなおも祈ること、祈りに見返りを求めないことが重要なのだろう(なお「祈りに見返りを求めるな、それは人間による神の主権の侵犯である」といった主張が現れるのはバビロン捕囚後である)。

 

 法学的にはこの頃に法律の神学化が起きて、「王の法」から「神の法」に軸足が移る。

 

 

バビロニア時代(前6世紀)

 

 新バビロニアの王ネブカドネザル二世によるバビロン捕囚(前597-538年)。王権、国家、神殿(第一神殿と呼ばれる。ペルシア時代に再建されるのが第二神殿)が崩壊する。

 列王記には「北イスラエル王国が崩壊したのは行いが悪かったからで、ユダ王国は比較的行いが良かったから存続した」と書かれていたが、「いやユダ王国も実は全然ダメだった」という趣旨の追記がなされる。

 罪は事後的に発見されるのだ。と同時に、罪の主体が王から民全体へと拡大されるのがこの時期の特徴である。国を失ってなおも民族を保つために、責任主体を王から民へ、アイデンティティの源泉を土地からへ法へと変遷させる。「約束の神学」(族長物語)、「選びの神学」(モーセ、士師物語)、「契約神学」(申命記)といった神学素が描かれた。

 そもそも古代オリエントの常識的な戦争解釈では、敗北はそのまま信仰する神の屈服を意味する。ユダヤ人はここで大きな価値転換を行った。我々の神が負けたのではなく、我々の敗北は我々の神による罰なのだ、と。

 

 興味深いことに、バビロン捕囚について実は言うほど捕囚されていないという説がある。「跡形も残さず滅ぼし尽くされた」(歴代記下36:17-21)などと書かれているが――そもそも「滅ぼし尽くす」というのは一種の専門用語で、ジェノサイドではなく上流階級を除き奴隷にしてしまうのが古代オリエントの常である――明らかに誇張で、連れて行かれたのは四千(エレミヤ書52:28-30)とも一万(列王記下24:14)とも言われている*12

 ただ、識字できる/聖書の編纂に関わる特権階級はほぼ全員捕囚されるか殺されるかしたらしい。それは彼らにとって間違いなく世界の終わりだった。

 ……しかし、アッシリアの徹底的な民族分断政策と違って、バビロニアイスラエルに異民族を移住させず、捕囚したユダヤ人を比較的まとまって扱い、(監視の下ではあるが)信仰に大きく介入しなかったことは重要である。それゆえ捕囚解放後もメソポタニアに残ったユダヤ人は結構居て、経済的に成功する者さえ現れた。ディアスポラの初期形態と言えるだろう。

 

 後には、宗教性を洗練させていった帰還エリートたちと、異教混淆を進めていった現地の貧民との間に利害衝突が起こる。「いちじくの幻」(エレミヤ24章)はこの観点からすると本当にしょうもないポジショントークだ。神学的には、ユダヤ人だからといって救済されるわけではない、という主張なのだろうが。

 この種の(律法的)限定主義がイスラエル内部に適用されるのは前例がない。なおエレミヤ書では24章の後すぐ(ディアスポラ的に)融和する方向に向かう。

 

 もう一点。旧約聖書フェミニズム的研究は昨今しばしば行われる。例えば、雅歌は非常にエロティックな詩文なのだが、神学的に解釈できる(聖書において神と人の関係やよく男女関係に譬えられる)ということで正典に入れられた。しかし後の研究によると、雅歌自体はだいたい世俗寄りの歌らしい。

 関連して取り上げたいのが、「都市」の女性化であり、「罪ある女」化である。

 

……彼女を苦しめる者が栄え、彼女の敵ははびこっている。これは、彼女のあらゆる背きのゆえに、ヤハウェが彼女を苦しめようとされたからだ。彼女の子らはとりことなり、苦しめる者らの前を、引いて行かれた。……エルサレムは罪に罪を重ね、笑いものになった。かつては彼女を重んじてくれた者も彼女を軽んじる。彼らが彼女の恥部を見てしまったからだ。彼女は呻きつつ身を引く。(哀歌1:7-8)

 

 これはユダ王国が滅亡の数年前に行った、バビロニアとエジプトの間の日和見政策指しているらしい。神学的にそれは「姦淫/遊女の行い」に等しいのだ。

 最終的に神は「俺の元に戻ってくればええ」と言う。正確には、「エルサレムの罪はすでに支払われた。彼女の罪のすべてに倍する報いをヤハウェの手からすでに彼女は受けたのだから」(イザヤ書40:2)。

 やや寝取られ感というか、DLsiteの先駆感がある。

 

 

ペルシア時代(前5-4世紀)

 

 祭司文書の時代。

 ペルシア王キュロスはイスラエルバビロニアの支配から解放し(前537年)、自治に任せる穏和な統治政策をとった。彼は旧約聖書内で「ヤハウェの油注がれたもの(=メシア)」とさえ呼ばれている。中心地を一度失ったことによる世界宗教化の兆しが見出せるだろう。安息日・割礼といった国が関わらないシステム面もこの時期整備された。

 

 神の唯一化はこの時期起きている。それまで「ほかにも神はいるようだがあなたはわたしを信じなさい」というスタンスだったが、「わたしの他に神はいない。わたしが全世界を創造した」というスタンスに変わった。そうすると明確に災いがヤハウェの創造とみなされるようになる(祭司文書ではなく申命記主義に与する流れ)。

 

 祭司文書はモーセ五書/律法(トーラー)の基盤になっている(族長物語と出エジプト記の結合もこの時代)。「終末」をノアの箱舟という原初史に持ってきたり、神の救済をわりと無条件にしたり、かなり操作的な印象だ。「救済」された時代の空気を吸っている。

 とはいえ、実際の暮らしはすぐに改善したわけではなかった。救済の遅延体験(天上での決定と地上での実現の間のタイムラグ)について、おおよそ三つの態度が観察できる。

 

①救済もうすぐくるよ派 

②救済もう来ているよ派(ペルシアイデオロギーの変形、祭司文書、平和主義的、神政主義的):ノアの箱舟を原初に持ってきたのはこの意図*13

③まだまだ審判状態にあるよ派(申命記主義、終末論的、民族的)

 

 このいずれにも当てはまらないのがヨブ記であり、物語的な完成度と一筋縄ではいかない神学性から今日に至るまで活発に議論されている。少しだけ紹介しよう。

 何ら罪のないヨブという義人が、まさに「試し行為」として神に罰せられるところから物語は始まる。彼は十人の子供と全財産を失い、全身に腫瘍ができる。「私は裸で母の胎を出た、裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取り去りたもう、主の名は賞め讃えられよ」(ヨブ1:20-21)と感動的なことを言う。しかし八日目に耐えかねて反転。「私の生れた日は滅びうせよ。『男の子が、胎にやどった』と言った夜もそのようになれ」(ヨブ3:3)「闇と暗黒がこれを取りもどすように」(ヨブ3:5、創世記の引用)と世界や神を呪う。

 この後紆余曲折を経て神への信仰に立ち帰るのだが、本当に色んな解釈があるので興味のある方は複数の本に当たることをお勧めする(概説書には何かしら言及があるはず)。『旧約聖書文学史入門』では次の通り。

 

そうではなく、この書では、神学というのものの可能性そのものが論議され、問題視されるのである。[……]神について語るのは不可能であるが、ヨブ記は、神に向けて語ることを、神に対する振る舞いの妥当な可能性として見ている。

[……]というのも、ヨブ記は、双方の秩序神学と激しく格闘しているのだからである。すなわち、神は暴力を振るわない(祭司文書の見方)わけでも、よこしまで不信仰な者だけを罰する(申命記主義的伝承の流れの見方)わけでもない。そうではなく、神は、一見しただけでは何の理由もなく、敬虔者や義人にも襲いかかり得るのである。しかし、ヨブ記は、詩編的な敬虔に対しても論争する。(p250-251)

 

 

プトレマイオス朝時代(前3世紀)

 

 アレクサンドロス大王の襲来によるペルシア崩壊(前330年、また審判の時代!)とヘレニズム文化の受容開始。旧約聖書においてはおおよそ反ヘレニズム表象として現れる。

 元ペルシア派の人々は、終末論化したり、積極的に「神の国」を持ち出したりした。祭司文書は原初史に置かれたことで終末論的にも読まれうる。

 さらに、「黙示録」的なものが出現し始める。終末における救済と審判の両立にギリシャ二元論の影響が見られる。

 

 口頭伝承としてもテクストとしても歴史が長い知恵文学の神学化がここで始まる。知恵の擬人化、知恵は全て神に由来する、等。

 一方で知恵を賞賛し、他方で懐疑主義虚無主義(コヘレトの言葉)に傾倒する。後者についてはヘレニズム的なギリシア思想の影響が指摘できる。

 

 預言書(ネビイーム)の大枠が完成する。以降、新規文書は諸書(ケトゥビーム)に突っ込まれる。

 

 

セレウコス朝時代(前2世紀)

 

 マカバイ戦争を経てユダヤ人の独立国家ハスモン朝(前140年頃-前64年)が成立する。失地回復をしたものの、すぐ権力闘争への失望が表明される。

 マカバイ時代の殉教者の影響で「復活」モチーフが初めて出現し、ローマ属国化(前64年)と合わせて、ユダヤ教の基礎がすべて固まったことになる。同時にキリスト教の出現条件もすべて揃った。

 

 民衆がメシア的なものを望み、「にせメシア」が大量に出現した世紀転換期において、「律法はこう書いてるが、私はこうする」と宣ったナザレのイエスは果たしてメシアだったのか否か。

 

 

 

おわりに

 

 ユダヤ人による反ローマ運動として始まったユダヤ戦争(西暦66-74年)において、エルサレム第二神殿の破壊(70年)は決定的な出来事だった。

 続くバル・コクバの乱(132-136年)では、シメオンという男がメシアを名乗り民衆を鼓舞したが(これはイエスに望まれた「メシア」像でもある)、当然の如くローマ帝国に負けた。以降「ユダヤ属州」は廃止される。

 ユダヤ人は本格的にディアスポラを開始し、彼らの精神的拠り所としてのユダヤ教は「書物の宗教」としての道を歩み始めた。

 

By this, and this only, we have existed

これによって、これによってのみ、われわれは存在してきたのだ

(T.S.エリオット『荒地』V. 雷の曰く)

 

 ニーチェは『道徳の系譜』(1887年)において、キリスト教の起源をユダヤ人からローマ人へのルサンチマンに求めている。しかし新約以前の旧約聖書からずっと、ルサンチマン的な抵抗の手立ては使われてきた。

 事後的な編集による価値転倒(をし続けたこと)と、テクストとして残ったことは、どこかで結びついている気がする。歴史的偶然性を無視した事後的な解釈にすぎないのだろうが(例えば、バビロニアが苛烈な統治政策をとっていたらユダヤ民族は歴史に残らなかっただろう)。

 歴史を編むことは古来より勝者の特権だ。それにもかかわらず、「敗者の歴史」がここまで膨れ上がり、あまつさえ西洋思想の根幹になるとは。

 

 とはいえ、旧約聖書キリスト教を通して受容されたことには注意が必要である。旧約聖書新約聖書によって「克服」されているし、ユダヤ教キリスト教の対立はエクリチュール(書き言葉)とパロール話し言葉)の対立である、とキリスト教はきわめて政治的かつ事後的に設定した。

 もちろん、神の啓示たる十戒を「書き留め」た石板が偶像崇拝の対象となったとき、モーセはそれを念入りに叩き割った(出エジプト記32:19)、という(もはや幾つの口頭伝承の集合かわからない)エピソードがテクスト化され、さらに多層の編集を受けていることから分かるように、旧約聖書の時点で書くことに対する態度は並一通りではない。あるいはユダヤ教における『タナハ』の正典化(西暦90年頃)が、勃興するキリスト教とそこで使われた旧約聖書の『70人訳』(紀元前3世紀以降のアレクサンドロスで行われたギリシア語訳)と対決する必要に駆られて行われたこと。さらに新約聖書エクリチュールの非現前性を活かして手紙を偽造していること*14

 

神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。(コリントの信徒への手紙二3:6)

 

 この思想がプラトニズムと合流して*15西洋のパロール中心主義(デリダ)を形成していく。

 

 しかし、パロール的な言葉の運用は「編集」を背景に追いやる。近代的自我というパロール的な在り方が危機に陥ったとき、必要になったのは「断片」の寄せ集めであった。

 

These fragments I have shored against my ruins

これらの断片を支えに、ぼくは自分の崩壊に抗してきた

 (T.S.エリオット『荒地』V. 雷の曰く)

 

 エリオットは文書仮説を当然知っていて、思索を巡らせたことだろう。影響関係は不明だが、「事後的には」旧約聖書と『荒地』の類似性を指摘できる。

 

 

 

[reference]

 

K. シュミート(著)、山我哲雄(訳)『旧約聖書文学史入門』(教文館、2013年)

『聖書 新共同訳』(日本聖書協会、1987年)

『総説 旧約聖書』(日本基督教団出版局、1984年)

並木浩一、荒井章三(編)『旧約聖書を学ぶ人のために』(世界思想社、2012年)

山我哲雄『聖書時代史 旧約篇』(岩波書店、2003年)

佐藤研『聖書時代史 新約篇』(岩波書店、2003年)

 

 『旧約聖書を学ぶ人のために』は巻末の文献紹介が優れている。日本語で読めるアカデミックな資料は一通り揃っているだろう。

 

 

 

おまけ:

 

エレミヤは、この国から婚宴の喜びの声が絶える日が近いことを結婚の断念によって知らせよ、との神の命令に従って生涯独身者であった(エレミヤ16:1-19)。しかし古代社会はどこでも独身男性を異常者とみなしたので、彼は民衆に軽蔑されたであろう。いわば彼には常時「攻撃誘発性」が備わっていた。エレミヤは人の心の悪を鋭く突いて人々の心を逆なでしたが、決して剛毅の人ではなく、繊細な魂の持ち主であった。(『旧約聖書を学ぶ人のために』p194)

 

 そ、そんな。

 

アナニアの子イエス

 アルビヌスの治世の初め、六二年の仮庵の祭の時、ある異様な人物が登場する。田舎出身で、アナニアの子イエスという者が神殿に現れ、突然大声でこう叫び出したのである。
  「東から声がする、西から声がする、
  天の四方から声がする!
  エルサレムと聖所に向かう声!
  花嫁と花婿に向かう声!
  すべての民に向かう声!」
 この後彼は、同じ言葉を街のあらゆる路地で、日夜を分かたず叫び続けた。不愉快に思った市民たちやローマ人は一度ならず彼を捕らえて鞭打ったが、この変人は何ら怒ることなく、ただ悲しみにつかれ、「エルサレムに禍い!」と叫びだけであった。気が触れた者として放免された後も、都の隅々を歩き回り、「エルサレムに禍い!」をただ繰り返した。こうして七年と五カ月後、ローマ軍がとうとう聖都の城壁を崩し始めた時、その投石機から発された石が彼に命中し、この聖なる狂人はこと切れた(『戦記』6:300-309)。(『聖書時代史 新約篇』p95)

 

 そ、そんな。

 

*1:これはキリスト教での呼び方。ユダヤ教ではトーラー(律法)、ネビイーム(預言書)、ケトゥビーム(諸書)の頭文字をとって『タナハ(TNK)』などと呼ばれる。なお、『新約聖書』(The New Testament)の原典はギリシア語で書かれている。

*2:言うまでもなく、宗教改革とは深い関わりがある。教会を媒介をせず聖書と向き合うプロテスタントの思想が聖書学に及ぼした影響は甚大で、現代でもドイツとアメリカが聖書学の中心地になっている。

*3:ダビデ王の存在を示唆するテル・ダン石碑(1993-94年)や死海文書の新断片(2021年)の名を一応挙げておく。

*4:詳しくは次を参照。

入沢康夫論2-1:『わが出雲』と世界への帰還の許容(上) - 古い土地 

*5:「時間性」「物語」「幻想」「詩」「眩暈」といったテーマに関しては、入沢康夫「作品の廃墟へ」(『詩の逆説』や『続・入沢康夫詩集』に収録)の影響を受けている。

*6:ここがミニマリスト。巨大な城門の跡が発見される一方で、イスラエル全土掘り返しまくっているにも関わらず統一王国時代の領土を支えるだけのインフラ機構の痕跡が発掘されない不思議。

*7:なおこの三人の伝承は本来独立しており、親・子・孫としてまとめられたのはバビロン捕囚後だと考えられる。

*8:旧約聖書においては「追加」にしか言及できない。完成後のテクストしか残っておらず、「削除」という編集営為を扱うことが原理的に不可能である。

*9:「古代的」と書くのは限定しすぎで、「前近代的」くらいが正しい。西洋では中世・ルネサンス文学まで「写本による伝達」「オリジナリティ概念以前」といった要因からエクリチュールの動性を見せる。

*10:これは様々な問題を含む。しかし神学的ないしポストモダン的に全てを空間的に呑み込むのは、相当タフな仕事だと個人的に思う。

*11:一方で「殲滅していない」ことがアッシリアの侵略として珍しい。外交努力で滅亡を回避できたのが奇跡?

*12:なお「数えられているのは家長のみなので実人数は数倍すべき」という説がある。

*13:あるいはフラナリー・オコナー『賢い血』冒頭で主人公ヘイズが「あなたは救済されたと思っているんでしょうね」と言うように。

*14:引用した「コリントの信徒への手紙二」の原テクストはパウロ自身の手によると考えられている。そこまで綺麗にオチはつかない。

*15:あるいは「コリントの信徒への手紙二」の時点で合流している? パウロローマ市民でギリシア語を巧みに操るエリートであった。