古い土地

暗い穴

詩をよむそれはくるしい 4:天沢退二郎

 

 詩を読みあぐね原稿を三か月放置していたら、期せずして追悼文となってしまった。彼の人と鳥の記憶に捧ぐ。

 

……ややや 何たる恥知らず!

「鳥」の字がこんどは「馬」になり変っていく……

 

――天沢退二郎「鳥について」(『ノマディズム』)

 

 

 天沢退二郎(1936-2023年)をフォローしようと思ったのは、何よりまず彼の批評の仕事によってだった。

作品たちは何を記憶しているだろう? 作者をだろうか? そんなはずはありえまい。作品におぼえていてもらった作者などありえたはずがない。だが、何か別のものを記憶していないはずもまたありえない。

 これは『入沢康夫詩集(現代詩文庫)』に収められた入沢康夫論の書き出しである。いかにもな「カマし」の仕草であり*1、しかし実はその後の綿密な作品分析に本質的に関わってくる。実作から「作品の記憶」というほとんど意味不明なテーマを抽出する能力。批評としての明徹さを保ちながら「詩を読む行為は詩になり得る」のだと幻視する文体。詩人批評家としての天沢の本領が発揮されている。

 あるいは、『大岡信詩集(現代詩文庫)』の裏表紙に寄せた文章を読んでみよう。天沢はアジを書くのが本当に上手い。

大岡信の口はいつも爽やかな唾が塡まっていて シュッシュッと的確に宙を飛び紙に当たると 詩だ! 大岡信の口はいつも おおと言おうとしてまるく開かれ あらゆる言葉のかたちをして鳥たちがそこから血まみれの頸をのぞかせて死ぬ。水がながれ水がながれ 大岡信の詩の言葉はさらに湯舟をもとめて白いゼリーの帯づたいにながれを遡る。私たち読者はそこで透き通る馬。

 さて、詩人批評家は詩人として何を描いてきたのだろうか。以下の三冊から抜粋して紹介する。

天沢退二郎詩集(現代詩文庫11)』(思潮社、1968年)

『続・天沢退二郎詩集(現代詩文庫112)』(思潮社、1993年)

『続々・天沢退二郎詩集(現代詩文庫113)』(思潮社、1993年)

 

 

 

『詩集』

 

 1950-60年代の天沢退二郎の語法は、昭和のシュルレアリスムモダニズム詩の現代化とひとまず言ってしまえる(ただし初期詩集『道道』は除く。『道道』は端正かつ抒情的な詩集。出版当時の天沢が21歳だったことには畏怖と納得を同時に覚える)。「現代化」で指す内容は、彼の詩が言葉の豊穣やイメージの散逸を装いつつも全体を何らかの原理によって統制していることだ。意外にも「単線の語り」に近いのである。その器用さ、構成への強い意思に注意したい。

 

 「死刑執行官 布告および執行前一時間のモノローグ」(『夜中から朝まで』、1963年)の第一連を読む。

 

旗にうごめく子どもたちを裏がえす者は死刑

回転する銃身の希薄なソースを吐き戻す者は死刑

海でめざめる者は死刑

胃から下を失って黒い坂をすべるもの死刑

いきなり鼻血出して突き刺さる者は死刑

はじめに名乗るもの死刑

夜を嚥下し唾で空をつくる者死刑

ひとりだけ逆立ちする者を死刑にする者死刑

つばさがないので歩く鳥は死刑

鳥の死をよろこばぬもの死刑

死者を死刑にする者とともに歩かぬもの死刑

めざめぬ者は死刑

めざめても青いまぶたのへりを旅する者死刑

死刑にならぬというものら

死刑を行うものら

死刑を知らぬものら

を除くすべてのもの死刑

 

 「死刑執行人」における愉快なカタログの手法は、W・ホイットマン『草の葉』(1855-1897)とも1920-30年代日本のシュルレアリスム詩とも趣を異にする。

 相矛盾するようでしない死刑執行のリストだ。第3行「海でめざめる者は死刑」と第12行「めざめぬ者は死刑」と第13行「めざめても青いまぶたのへりを旅する者死刑」。第8行「ひとりだけ逆立ちする者を死刑にする者死刑」と第15/17行「死刑を行うものら/を除くすべてのもの死刑」。

 「子供たち」が哄笑するがごとく巧みに意味と無意味を張り合わせ、断ち切り、屈折させながら、「肉体」と「刑罰」のテーマが各行を貫いてる。「死刑」されるのは「人」でなければならない。ただし第9行「つばさがないので歩く鳥は死刑」だけは例外であるか、もしくは「鳥」を人の暗喩のように扱っている(天沢にしては珍しい)。

 引用しなかった詩の後半連には「あたたかさにみちた処刑の知らせ」という語句がある。生の有機性というよりも死の有機性、「死刑」を近代刑務所の隠蔽の中から取り戻す試みは、戦後すぐの「荒地」一派には書けなかったものだ。とはいえ天沢も幼時に戦争体験があり、単に言葉遊びではなく彼なりに戦争と向き合っていたことを無視すべきではない。大江健三郎『死者の奢り』(1958年)やミハイル・バフチンのグロテスク・リアリズムを想起する。

 「死刑執行人」の全文は次のサイトに載っている。

https://ameblo.jp/cocaine0124/entry-11324096363.html

 

 

 比較的短い詩を一篇まるごと引用してみよう。「REVOLUTION」(『朝の河』)より。

 

夜明けの街道を歩いていた男は

とつぜんに理解する

自分の後頭部が鉛の河のように透明なことを

その瞬間 男は一ときも立止まらぬまま

後向きに歩きはじめる 港のほうへ

ぼろぼろとビラが剥がれては飛ぶ

とつぜんに女理容師は理解する

あらしが遂に目醒めたと

客を放棄し窓際にかけ寄ると

彼女はまっさおな手をさし上げ

冷たい湯気の音のなかで花になって絶える

外の通りを男たちが

ひしめきながら港のほうへ行く

そそけだつ壁づたいに

恐ろしい子供たちが右往左往する

戸毎に錆びた銅のメダルが垂れる

紙屑の走る街角でいざりの老人は

とつぜんに理解する

港市が永遠に彼の呪文を脱れたことを

狭い坂道を朝の暗さが匍いのぼり

町ぢゅうの石が肉のように冷い汗をにじませる

息をひそめ鉄格子に眼を嵌める青い女たち

港のほうへ

霧がはげしく流れ

くろい甲冑に身を固めた家々の向うで

海の泥濘が裏切りの地平線を張る

 

 60年代の作品の中では物語が読み取りやすい部類の作品。勢いがある。

 最初の三行が素晴らしい。「後頭部が鉛の河のように透明」であることの認知が最初の革命であった。準備を終えた者にのみ訪れるひらめきの瞬間。「その瞬間」から「後向き」に港へと下っていく男は、海と坂の街に「とつぜん」の「理解」を次々ともたらす。

 朝陽が照らしていく「河」「港」「あらし」「霧」「海」に対し、「青」はあくまで「彼女」「女たち」に付与されている:「彼女はまっさおな手をさし上げ」「息をひそめ鉄格子に眼を嵌める青い女たち」。水が青くないのはリアルな観察に基づくのだろう。女性が青いのはどう思えばいいのか。

 

 

『続・詩集』

 

 『続』『続続』に収められたテクストはおおよそ幻想譚のような散文詩のようなテクストで占められている。天沢は六十点以上八十点以下のさほど変わり映えしない物語をなぜ千ページ以上も書き散らしたのだろうか? この圧倒的な量は中々受け止めきれるものではない。代表例として『les invisibles』(1976年)のみを扱う。

 以下は今井裕康(三浦雅士の当時のペンネーム)の的確な批評に従う。天沢退二郎の「道」「河」「水」「雨」へのオブセッションは「物語」に通じ、「物語」は明らかに宮沢賢治の文脈から生じている*2。天沢が『光車よ、まわれ!』(1973年)などの童話/子供向けファンタジーを並行して書いていたことは、「物語」をめぐる取り込みとして理解できる。

 蓮見重彦は『小説から遠く離れて』で70年代末の長編小説、たとえば村上春樹羊をめぐる冒険』や村上龍コインロッカー・ベイビーズ』、から全く同一の「物語」を抽出し、その不毛を嫌味たっぷりに嗤ってみせた。天沢のスタンスは、物語を描くには長くても数ページで事足りるし、もし「原物語」に接近できたとすればそれだけで文学になる、というものだろうか。当然、ここには宮沢賢治のみならず柳田国男的なイデオロギーが底流している。

 今井の読みはこの上なく的確だが、テクストに関して大事な何かを取り落としている感じもする。「物語」という概念が便利だから、全部そこに押し付けて天沢の詩を読んでしまわないか。物語的還元への誘惑に抗うべきか否か。

 以下は『les invisibles』からの引用。

 

 

「1」(抜粋)

 

 その川には縁(へり)というものがなかった。水面にも水中にもまた川底にもいたるところに住みついてひらひらとなびきうごく広葉の水つる草がいつのまにかそのまま岸の上へ、土手の斜面をおおって自転車道までも達していたから、どこまでが川でどこからが岸であるか、当の川水自体にさえもわからないそのさだかならぬ縁のない縁から、一疋の肺を食いつくした馬が旅していた。

 

 『les invisibles』には多数の動物が出現し、主人公は「馬」とみなせる。五十一篇のうち七が「水中の馬」の挿話で、もともとは独立した一篇の詩だったらしい。

 

 

「2」

 

 おどかしちゃいけないおどかしては おどかすのはわたしたちは暗い路地うらにたたずんでいたが、近くに住むらしい少女がひとりこっちへくるけはいにいそいですぐ傍の空家へ入りこんだ。おどかしちゃいけない もしも少女の目がわたしたちのすがたをみたらば これはもうとんでもないことになる。火の気も灯のけはいもない空家の台所とおぼしいくらがりにわたしたちはじっと息をつめて立ちつくし 少女がまたむこうへ行くのを待った その空家はまだつくられてまもないのかしめった壁土のにおいがつんと鼻や目にしみとおり 近所の家のあかりが街灯があるいは星のあかりが台所の格子窓から入ってきてかすかにものの見えるかの空家に わたしたちはおたがいの姿も見ずにじっと待ち続けた

 

 ほとんど幽霊のような空き巣たち。あるいは空き巣のような幽霊たち。彼らの過剰な臆病さ、「ひとりこっちへくるけはいにいそいで」逃げる「わたしたち」の過敏さは、少女に対する潜在的な暴力性の裏返しにも読める。

 

 

「8」

 

みみみみみみ見るな

きききききき聞くな

どもるのはおれでなくて言葉だ

ゆえに見えないのは言葉でなくておれだ

きこえないのはおれでなくて言葉だ

いいいいいい云うな

きこえないのはお前でなくて言葉だ

 

ひさしく開け放されたままの祠の中

これら三匹の動物には

ひさしく名前がない ゆえに

書くな

この語だけはおれも言葉もどもらぬ

 

 三猿にかこつけたエクリチュールパロールの寓話。よくよく考えると色々変である。

 どもる、あるいは書きあぐねるといった言葉の痕跡からは発話者の存在が強く想定される(現前性)。だからいくら吃音者らしき「おれ」が願ったとしても、「どもる」のは「おれ」だと普通理解される。第4行の「ゆえに」は論理的接続ではなく詩的接続であり、その後の意味をとるのは困難。パロール的言語を都合よく扱いたいという欲望は見える。

 第10行の「ゆえに」も不思議だ。そしてまた、書くことと読むことに関する「猿」が三猿の中にいなかったことを思い出す。

 

 

「37」

 

 およそ歌にしかけられた仕掛けは、それが作動するたびに再びしかもさらに深く仕掛けられ、いくども作動すればするほど、かくて仕掛けは深くなり底知れぬものとなり、歌びとはその深みに姿を没してゆく。いま私たちの目にはその深みをいっさんに下って往く一匹の鳥と、逆にいっさんに還りつつあるもう一匹の鳥の姿とが見えるが、その間にいかなる鏡の存在も認められない。還りつつある鳥のつばさは時に私たちには読みとくことのできない露で重くなり今にも垂れおちるかとさえ危まれるが、そのたびいかにも軽やかに死語をはねちらして再び歌の深みを還りつづける。

 だが、およそ歌にしかけられた仕掛けの地誌は作動をくりかえすたびに微妙で決定的な変異を生じているから、鳥が還りつくすには記憶以上のものが必要であり、しかも私たちの側には鳥を迎えるべきここなどありえようはずはない。歌びとたちがその目に見えぬ奥津城から鳥へ投げるはじめての言葉だけが鳥の帰還をあらためてかたちづくるとしても、仕掛けがことさらに仕掛けを生んで変貌した迷宮のそこかしこ、それらの奥津城同志の声を結びうる者はいったい誰だというのか。

 ――その間も、鳥は往き、かつ還る。

 

※1:傍点の代わりに傍線を用いた

※2:奥津城(おくつき)とは、上代の墓のこと。またそこから神道式の墓のこと。神道式の墓石に刻まれる文字でもある。

 

 あからさまなメタポエム。ここにおける「記憶」は「作品の記憶」と関わるのだろうか。

 

 

『続々・詩集』

 

 現代詩文庫の二段組が散文詩で埋め尽くされるのでげんなりする。げんなりの結果流し読みしかしていないが、それでも目につく箇所はあった。

 たとえば「添乗員として」(『〈地獄〉にて』)の冒頭は次のようである。

 

 その幼い兄妹は明るい陽の光と緑のなかで遊んでいたときに綺麗なカラー刷り大人向絵本でここは死の国と地続きで一度は戻ってくることができるが二度目はもう帰れないというのを読んだのでした。そこで幼い兄妹は行ってみよう! と云って来てしまった(*)のに私はちょうど死者たちの添乗員として働いていたとき待合室で出会ったのです。私は二人が不憫でならなかったので[……]

 

 「私」は兄妹の世話を少し行うが、七十人の男の団体客が来たため付添いで列車に乗る。がやがや騒がしく強がって七十人の乗客たちは終点において「もう影もかたちもなく」なる。「(*)」として現れた注は本文の末尾に付されている。

 

 それから私はひとり待合室へ戻ってきたのでしたがあの幼い兄妹はもうどこかへ連れて行かれていなくなったあとでした

  *およそひとはいちどこの死の道すじを通ってこの世に生まれてくるので、次に死の国へ行けばもうそれは二度目なのです。大人なら誰でも知っているこんなことを幼い兄妹はまだ知る由もなかったのです。

 

 注は最後に補足的に読まれることを想定していたわけだ。面白い使い方だと思う。私は注を即座に参照するタイプなのですぐ末尾に飛んでしまったが……。

 

 表題作「〈地獄〉について」で描かれる「地獄」はどうだろうか。詩の後半部分を引用する。

 

[……]やがて私たちはあの老夫婦の栖む極楽へはもはや行くわけにはいかないこと、なぜならわたしたちのような自死をえらんだ者は地獄へ行くほかないことを知らされたのだった。

[……]一気にすべりおちたかと思うと、びしゃり、ぶしゃっ! そこは水とも湯ともつかぬなまぬるい液体をみたした広い浴槽かプールのような所で、低い天井のどこからか青ぐらい証明が降りかかり、そして水の中はいたるところ、剥げかけた肌膚のようなうすものをまとった女や幼児たちがものうげに漂っていた。こんなところで未来永劫、ただただ漬かり漂ってくらすのかというとそうでもなくて、ときにひとりまたひとり、寒そうに身をすばめながら上がって行き、ぐじゃぐじゃした寒天質の通路から現し世へ出ていくこともあるのだが、そこで待っているのはいっそう暗くきびしい雪や眼や言葉ばかり。姉も一度ならずそのようにしてよみがえりしばらく夫や子供たちと暮したりしたが、この世ならぬ者と見破った警官に路上で激しいライトを浴びせられたときは肝もひえ魂消ゆるばかりであったと、聞けばまた思い返すたびに苦しくて胸もふたがる思いがするのだ。

 

 「地獄」は善も悪もなさなかった人が行く、どこまでも宙づりで薄気味悪い場所らしい。そして「一度ならず」生者の世界に戻ることができるらしい。

 一方で、作品中の「死せる老夫婦」とはおそらく両親のことであろうが、その場所の極楽性は詩の前半で「私」や「姉」が訪れたこと、および「疲れ果てた姉は夫も子どもたちもこの世にのこしてまたあの、老夫婦のひっそりと住むところへ戻りたい」という願望でのみ語られる。それは「郷愁」であって、「極楽」ではない。詩の前半のテーマはむしろ、「部屋から部屋」「階段から階段」をいくつも経由しなければたどり着けない過程の「迷宮」性にある。

 

 「鳥について」(『ノマディズム』)に次のような連がある。

 

まったく 猫や女やツルナシインゲンの

気持はいくらかわかる気もするが

鳥どもの考えてることはわからん

ネギの髄なら吸わぶりゃわかる

鳥の足の髄はなめても吐くだけさ

鳥なんて「鳥」という字の

かたちしてるだけじゃないか

 

 『続続』の表紙にもこれが引用されていて、思わず涙ぐんでしまった(百番台以降の現代詩文庫シリーズの通例としてカモメのロゴが引用詩句の傍に配置されている)。翼を持つ神々、終末を告げる鳥、舌切り雀、キーツナイチンゲールへの頌歌』、ポー『大鴉』、宮沢賢治よだかの星』、メシアン『鳥のカタログ』、ラスコーの洞窟絵画で牛を狩る鳥頭。全部「鳥」の「かたち」をしていた。私たちは、詩人たちは、まさに「かたち」を愛していた。

 

 

 ちなみに詩は次のように終わる。

 

……ややや 何たる恥知らず!

「鳥」の字がこんどは「馬」になり変っていく……

 

 こんなんただの手癖やん。

 

 

 

*1:内容についてはモーリス・ブランショロラン・バルトの影響を考慮すべきだろう。天沢は仏文科出身でフランス留学経験もある。

*2:天沢退二郎宮沢賢治フリークである。エッセイで幼少期に『グスコーブドリの伝記』の豪華本を女の子に貸して返ってこなかったエピソードを恨めがましく描いている。最初の詩論は宮沢賢治に関するものだし、70年代初頭から終盤まで宮沢賢治全集の監修に携わり綿密な草稿研究を行っている。