「うい麦畑でつかまえて」、『わが出雲・わが鎮魂』説
うい 夢に見るよ 新婚旅行
そっかそれなら 空き缶はお前らだね
しっかりくくるね
(「うい麦畑でつかまえて」作詞:ナナホシ管弦楽団、作曲:岩見隆)
https://www.youtube.com/watch?v=5uaHMmcReI0
ガラス鐘の中の白へび・鳴つていた赤青の幡・アセチレンの匂い・ギリシア風記念館のきせる・社殿のうしろで朽ちていく女雛男雛・椿並木・その枝々に蓑虫のようにつり下つた何十人の首くくりたち
(『わが出雲・わが鎮魂』入沢康夫)
キャッチャー・イン・ザ・ライ
村上春樹の訳で『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(The Catcher in the Rye、1950年)を読みました。「うい麦畑でつかまえて」が良い曲なので。
序盤の学校生活パートが辛かった。『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(2011-21年)の比企谷八幡を想起してしまったからだ。2003年に出た村上春樹訳の『ライ麦』から『俺ガイル』を想起すること自体が、精神に重くのしかかっていた。
中盤のニューヨーク放浪に入ると「ダメ男が」「突拍子もない行動で」「人生を棒に振る」というアメリカ文学の黄金パターン*1が完成し、『俺ガイル』っぽさは抜ける。それでも1940年代末のアメリカ学生のノリは中々分からない。ギリギリ若者文化が創出される前で、ビートニクよりむしろ『グレート・ギャツビー』の方が世界としては近い気がした。いずれにせよ現代日本に住む人は『俺ガイル』を読めば事足りるだろう。
妹フィービーの(幽霊めいた)可愛さに限っては今なお通用すると思う。しかし登場するのが終盤なので、フィービー目的だけで『ライ麦』を読むのは勧めがたい。
まともな内容紹介をここでするつもりはない。小説としての評価に興味のある方は『サリンジャー戦記』などを参照して欲しい。読みの誘因力が強すぎるきらいはあるが、説得的だ。
村上春樹も言うように、『ライ麦』は構造的に完成された小説ではないし、根本的な疵や無防備な弱点を見出すのはむしろ簡単だ。しかしストーリーテリングが無意識レベルから巧みで、文体=主人公の話芸により生命が通っている。
そして私はホールデンの話芸に乗れなかった。その理由を突き詰めると、かなり身も蓋もなくなるが、主人公がハイティーン(16歳)なことに起因する気がする。ローティーン主人公の物語なら許せる、例えば『ハックルベリー・フィンの冒険』なんかかなりナイスだ。でもハイティーンの青春物語からは大事なことが出てこない気がして、興味関心を持続できない。
じゃあ『ブルーアーカイブ』も出来ないじゃん。終わりだ……*2。
若き日のフランク・ザッパ
ドン・キホーテ
けっこう前にセルバンテス『ドン・キホーテ』を読んだ。彩流社から出ている岩根訳で読んだが、ふつうに岩波文庫の牛島訳が安定していると思う。面白いけどクソ長いので暇な人向け。
本文を読んで驚いたのは、主人公ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャが雑魚狩りしかできていないこと。正確に言えば強者にも弱者にも平等に突っかかっている。そして強者と挑むときは順当に負け、何の咎もない弱者には順当に勝って荷物を奪ったりしている。結果だけ見れば小悪党、原因まで見て狂人だ。極悪な殺人犯を勘違いから解放して逃してしまう(そして狂人だから許されてしまう)エピソードとか結構ヤバいと思う。
ここで深堀りするつもりはないが、ドン・キホーテは単なる狂人・道化とも言い難い。彼が世界を騎士道物語として読む方法には論理と飛躍が幾重にも重なっている。ドン・キホーテが喜劇的なのは人の話を聞かないからだし、悲劇的なのは状況が見えてないからだ。
あと読了後に関連書籍を探したときも驚いた。日本語では良い概説書とか批評とか論集とかが中々見つからない。あの『ドン・キホーテ』がだ。日本におけるスペイン語文学研究ってどうなってるんだろう?
Web小説考
大江健三郎『万延元年のフットボール』、村上春樹『1973年のピンボール』ときて、「2011年の奴隷ハーレム」を書きたい。書きたいのだが、しかし……。いや別に書きたくないな。
3か月間Web小説を読んだけれど、特にアウトプットはない。アウトプットしないために読んでいたようなものだからだ。ハーメルンの累計ランキングを頑張って上から掘りもしたが、読者層の変化によりコロナ禍以後の作品しかほぼ見かけないこと、オリジナルが強くなっていること、ハリポタとコナンは未だに強いことぐらいしか分からなかった。全部読まなくても分かる。
あと『異世界迷宮で奴隷ハーレム』も結局1話以降読めていない。思ったより「奴隷ハーレム」なるものに対して憎悪が深かった。
これしか聴いていない