古い土地

暗い穴

日記:「パターン化された”エモ”」一周年を記念して/安藤元雄の詩

 

もうパターン化された“エモ”気持ち悪すぎるんだよ、純喫茶でクリームソーダフィルムカメラで街を撮る、薄暗い夜明け、自堕落な生活、アルコール、古着屋、名画座、ミニシアター、硬いプリン、もう全部飽きた 面白くない

https://x.com/_capsella_/status/1611892581537058816?s=20

 

このブログで「パタエモ」に言及するのはもう3回目になるだろうか。

せっかくだから、「パタエモ」がここまで流行った理由を考えてみよう。重要なのは、アイロニー(改変しやすいカレンダーの手法、「もう」で強調される断ち切りがたい過去へのベクトル、etc)ではなく、ユーモアである。

 

「パタエモ」のユーモアは、「パタ」という音韻そのものに含まれていると言っても良い。つまり

日曜の夜は腰のあたりで両手を小さくパタパタさせ、星空の中を浮遊してる

https://x.com/gsnc_/status/1695779555704033601?s=20

腰のあたりで両手を小さくパタパタさせ、星空の中を浮遊してると月曜からの日常がどうでもよくなる...というわけではないんだよな。無視できない日常から逃避するのではなく、日常と共存して「星空の中を浮遊する」という異なる生のレイヤーを内に持っておくことが重要なのだと思う

https://x.com/gsnc_/status/1695781412857897390?s=20

のような連想。これこそが「パタエモ」の潜在力である。

『エモあるよ(笑)』*1の本文引用はここでは控えよう。しかし付言しておくならば、虚無へのアイロニー(誰も傷つけない笑い)とユーモアのあわいで、「名画座、ミニシアター」から80年代ミニシアターブームで大流行した『バグダッド・カフェ』(1987年)を引き出し、一気にユーモアに傾けること。このような構図も、やはり「パタエモ」原作に内在していたのではないか。

 

あるいは「パターン」という言葉から次の詩句を思い出してもよいだろう。

 

Words move, music moves

Only in time; but that which is only living

Can only die. Words, after speech, reach

Into the silence. Only by the form, the pattern,

Can words or music reach

The stillness

言葉も音楽も時の中で

はじめて動く。だが、ただ生きるものは

死ぬのみ。言葉は語られた後

沈黙に達する。フォームにより、パターンにより

はじめて言葉や音楽は

静止に達する

(T. S. Eliot - Burnt Norton V “The Four Quartets”)

「パターン」は一方で資本主義の欲望を駆動しながら、もう一方で神話と信仰と時の中に息づいているのである。このような広がりが「パタエモ」にある。

 

さて、この記事を書き始めたきっかけである知人のオーダーは「パタエモが一周年を迎える間、俺たちは何を成せたのか」だった。これに対して私は、「パタエモが生み落とされるまでの137億年の間に何が成されたか」を考えたい。というのも、「われわれの行為は、ことごとく、われわれの内部にある死者の行為」*2だからだ。

「パタエモ」直前の先行者、「純喫茶でクリームソーダ」を形成した者として、松本隆松任谷由実荒井由実)を挙げたい。より悪質、というか模倣しやすかったのは松任谷由実の方ではないか。歌詞にそのまま「クリームソーダ」が出てくる〈まずはどこへ行こう〉(2007年)は自己再生産(パタエモ)なので放っておくにせよ、「ソーダ水の中を/貨物船がとおる」の〈海の見える午後〉*3(1974年)は功罪罪罪が深すぎる。

 

いや、ユーミンなどどうでもよい。安藤元雄(1934年~)という詩人に遭遇すべき時が来た。私の手許に『安藤元雄詩集』(思潮社、1983年)があり、「パタエモ」にかこつけて紹介したいだけなのだが、とにかく読んでみよう。

第1詩集『秋の鎮魂』(1957年)より。

初秋

 

 草に埋もれた爪先上りの道が、その白壁に尽きている。

 もしも空の美しい日、ひび割れた漆喰に影を落して佇むなら、おまえはどうしても気づかずにはいないだろう、午後の日ざしがあらゆるものを睡らすとき、その壁からかすかに磯波の音がとどろき、海鳥の声が落ち、遠くうしおが風のように匂うのを──

 

 いぶかしげに見まわすおまえの目に、しかしむろん海もその波も映りはしないだろう。ここは落葉松からまつの林にかこまれた山あいのひっそりした村はずれ、おまえの吸う空気にも樹の肌の匂いがするばかりで、鳥たちの啼声もとだえがちのようだ。だが、そこには少しかしいでその廃屋の白壁がある……

 ああ、おまえは信じるだろうか、この壁に遥かに海が秘められているということを。

 

 行ってごらん、足音をしのばせて。

 ──藻の香りの漂う浜の風が、季節を過ぎたおまえの夏帽子のリボンを、ふとそよがせるかも知れないのだから。

かしいで:「傾いて」の意。

 

典雅で擬古的とさえ言える作風。文語混じりに改作すれば1930年代の叙情詩誌「四季」に載せられそうな感じも覚えた。しかし、「わたし=詩人」を抑制した(実際詩の中では一度も「わたし」が出てこない)「おまえ」の描写は、1950年代以降でないと書けないだろう。この油絵のような重厚さ、風格、豊饒性を、私は好ましく思う。

「壁」が「白壁」であり、あまつさえ「ひび割れた漆喰」であるところに、シュルレアリスムとの訣別を読み取れるかもしれない。大岡信など50年代中頃の「感受性の世代」と天沢退二郎など「60年代詩人」に挟まれた安藤は、独自の道を行った(大岡と天沢はどちらもシュルレアリスムを通過している)。

「初秋」はかなり読みやすい方の詩である。第2詩集『船と その歌』(1972年)の表題作はどうか。なお、第1詩集から15年後の出版という点で察せられるように、安藤元雄は寡作で知られている。

 

船と その歌(抜粋)

 

薄められた光線が湿気のようににじんで来る方角から

一本の盲目の手がおぼつかない指先で探り寄るとき

君の中の船がめざめる こだまのない地の底の眠りから

──聴くがいい 船台はとうに朽ちて いま最後の楔が落ちる

船が自らの重みで へさきを起こす

柾目の立った船底は いま 砕け散った咒文を踏みにじり

何という永い年月閉じていた水門へと滑り出す

水門が開く その沈黙の長さを

ただ一度の軋みに引き裂かせて──そしてこの水路の

茶色く干上がった路床にどよめきながら

真黒い水がほとばしりなだれ込む

船が浮き上る そうだ 船はいまこそ君の中に自らを取り戻す

いったんは押し戻された船尾が渇きの名残りを洗い落せば

それですべては終る 船は水門をくぐり出る

暗渠のように開かれた君をあとに残して 

船台: 船の建造、修理、陸置のために、船体を載せる台。 船の進水と上架に用いられる、海や川などの岸に設けられた斜面。

柾目(まさめ):木を中心を通って縦断したときの面にみられる、樹心に平行してまっすぐな木目のこと。対して「板目」は樹心から離れた場所でカットしたときの面で、楕円的な木目。柾目材は水を通しやすく、船舶の外装に用いると沈んでしまう。詩の描写はおそらく意図して逆説的なのではないか。

咒文:呪文。何の?

 

テクストに「重み」という言葉が置かれているように、重い詩だと思う。寡作の人らしい、という言い方はしたくないが。

かつて「おごそかに」埋められた一隻の船が「君の中」でめざめ、「自らの重みで」動き出す(「ゆっくりと」など速度が描写されることはない、だから重い)。やがて「干上がった水路」に「真っ黒い水」がなだれ込み、「いったんは押し戻され」ながら「すべては終わる」=「水門をくぐり出る」(「出発する」ではない)。「君」は「暗渠のように」取り残される。

細部を見ると、「何という永い年月閉じていた」は「何という」という詠嘆型の強調が例外的に加えられつつ「永い年月」を修飾し、しかしそれがすぐ「閉じていた」に接続してしまう。意味的な年月を言葉の時間が裏切って、読みがたい。この種のズレが少しずつ仕込まれている。

 

この重み、遅さは歴史的に取り残されパターン化できなかったエモだ。松本隆の一部の歌詞もまた、ときにえげつない程「重い」が、その方向性の作詞で後続者は出なかったように思う。

第3詩集『水の中の歳月』(1978年)より。

火の鳥(抜粋)

 

そうだ 灰だったな 忘れていた

そうやって君が両手に掬う そのささやかなもの

燃え尽きたものたちのぬくもり

祈ろうと祈るまいと陽はかげる

 

安心おし 羽ばたきはすぐによみがえる

さもなければわれわれが別の花火を浴びるだけ

──村を過ぎ 火の見から火の見へ渡り

飛び去って行く一つの影を見送るまでさ

 

焔の思い出を頬に溜めて

崩れる者を崩れるままに

ただ叫ぶだけのこと

あの遠いほてりを返してくれ と

火の見:火の見櫓

 

火の鳥」も「灰」も「燃え尽きたものたちのぬくもり」も「火の見」も「焔の思い出」も「遠いほてり」も、「もう全部飽き」られることなく、ほとんどの人に「忘れ」られていたまま、私たちの目の前にある。

 

 

Q. 要するに何が言いたいの?

A. 安藤元雄の抒情詩は食える。