古い土地

暗い穴

T. S. エリオット『荒地』登場人物最強議論スレ(強さランキング)

 

以下、独断と偏見に基づきエリオット『荒地』(1922年)の登場人物で誰が一番強いかを決める。ただし一般人レベルのDランクとそれ未満のEランクは列挙していたらキリがないので、ある程度枝刈りした。

和訳は基本的に岩崎宗次訳『荒地』(岩波書店、2010年)に従う。引用の末尾に「I:死者の埋葬」「II:チェスゲーム」「III:火の説教」「IV:水死」「V:雷の曰く」のいずれの章に属するかを記す。例:

四月は最も残酷な月、リラの花を (I)

燃える (III)

 

 

Eランク

 

せめて水の音でもあれば

[……]

チャイロコツグミが松の樹にとまって歌うところに

ポトッ ポトッ ポトッ ポト ポト ポト ポト

だが水はない

(V)

存在すらしない雑魚。Eランクが妥当。

原注で「ポトッ」はツグミの鳴き声だとされている。しかし一部の専門家によれば、ツグミの鳴き声よりも「ノコギリフクロウ」の鳴き声の方が「ポトッ」に近いという。

 

 

ここには水はなく岩ばかり

岩だけで水はなくただ砂の道

山地を抜けてくねり行く道が

水はなく岩ばかりの山地を

(V)

存在する。しかし雑魚なのでEランクが妥当。

キリスト教圏で「岩」というと、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう」(マタイ16:18)を想起する。だが『荒地』の「岩」にはこのような福音のイメージが一切含まれない。

 

 

シェイクスピヒア

O O O O that Shakespeherian Rag—

It’s so elegant

So intelligent

おお おお おお 〈あのシェイクスピヒリアン・ラグ〉──

なんて優雅

なんて知的

(II)

どことなくエリオットと当時の妻ヴィヴィアンヌを思わせるすれ違った会話の最中に、唐突に挿入されるユーモラスな一節。〈That Shakespearean Rag〉(1912年)はラグタイム風の流行歌。ここではさらにスペルと発音を変えるひと手間が加わっている。「elegant」「intelligent」は歌詞からの引用。

シェイクスピア本人ならAランクは固いが、そのパチモン(しかもティン・パン・アレーの流行歌の誤引用)なので、せいぜいEランク。

 

 

Dランク

 

マリー・ラリッシュ伯爵夫人

そう、わたしたち、子供のころ大公の城に滞在して、

従兄なのよ。彼がわたしを外につれ出して橇にのせたの。

こわかったわ。彼が「マリー、

マリー、しっかりつかまって」って言って、滑り降りたの。

(I)

オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子ルドルフ(1858-1889)とマリー・ヴェッツェラ男爵令嬢(1871-1889)が謎の情死を遂げた「マイヤーリンク事件」が背景にある。

ややこしいのは、ここの「マリー」が男爵令嬢ではなく、彼ら2人を仲介したルドルフの従姉妹マリー・ラリッシュ伯爵夫人(1858-1940)であること。つまり引用部分のやりとりは子供の遊びであり、恋人のそれではない。さらに、エリオット(1888-1967)本人が幼少時に伯爵夫人と出会った記憶が混合されているらしい。

いずれにせよ「崩壊前のヨーロッパの記憶」である。

貴族とはいえ能力は一般人の域を出ないため、Dランクが妥当。

 

 

死神にやられた人

ロンドン・ブリッジを群衆が流れていった。たくさんの人、

死神にやられた人がこんなにもたくさんいたなんて。

短いため息が、間をおいて吐き出され、

どの男もみんなうつむいて歩いていた。

(I)

一般人。力を失った現代人のモチーフは第一詩集から一貫している。「おいおい泣きながら、おおぜいの人たちが/無数のABCレストランでうなだれている」(「料理用卵」)など。Dランクが妥当。

 

 

〈犬〉

「去年、きみが庭に植えたあの死体、

[……]

「あ、〈犬〉は寄せつけるなよ。あいつは人間の味方だから。

「前足で掘り出しちまうからね。

(I)

ジョン・ウェブスター『白い悪魔』(1612年)の引喩。岩崎訳の解説によれば「埋葬した死骸を掘り出してしまう犬は、生命の再生を妨げる安易なヒューマニズムを意味するのかもしれない」(p.230)。Dランクが妥当。

詩における「犬アンチ・ヘイト」の系譜としては例えば、入沢康夫『わが出雲・わが鎮魂』(1968年)の「一匹  の犬/が死  人の/腕を  銜え/て走つている。」が挙げられる(こちらは『日本書紀』内の出雲神話を出典とする)。犬アンチ・ヘイト現代詩の集大成が「敵が増大している(一般論です/自分にとって嫌いなものは、自分の中で/ふくらむ(犬の卵(犬の卵(犬が/嫌いなので、それについて語ろうと/思っているのですが、犬が好きな人が/「残念ながら」多いので」(「犬」)と書いた小笠原鳥類であることは論を俟たない。

 

 

偽善家の読者

「きみ、偽善家の読者よ! わが同類、わが兄弟よ!」 (I)

〈犬〉のくだりに続く部分。ボードレール悪の華』「序歌」からの引用。露悪なのでDランク。

 

 

兄王、父王

ぼくは、よどんだ運河で釣りをしていた、

冬の夕暮れどき、ガス・タンクの裏、

破滅した兄王のこと、その前に死んだ

父王のことを、思い返しながら。

(III)

勝手に死んでいる王たち。シェイクスピアテンペスト』の引用に漁夫王伝説のモチーフが重なっている。生前の戦闘能力はDランク相当。

 

 

フェニキア人フレバス

フェニキア人フレバスは、死んで二週間、

鴎の鳴き声ももう忘れてしまった。深海の波底も、

収支損得の勘定も。

[……]

思いたまえ、きみのように背が高く美青年だったフレバスのことを。

(IV)

現行の草稿では「IV : 水死」は10行しかない。しかし第一稿ではこの前に60行にも及ぶ、ホメロスオデュッセイア』を下敷きにした航海譚が載せられていた。後述のジャン・ヴェルドナルのイメージも色濃い。

とはいえ、高々人間でしかない。Dランク。

 

 

Cランク

 

予言者シビュラ

じっさいわしはこの眼でシビュラが甕の中にぶらさがっとるのを、クーマエで見たよ。子供がギリシア語で彼女に「シビュラよ、何が欲しい」と訊くと、彼女はいつも「死にたいの」と答えていたものさ。

エピグラフ

ギリシア神話に登場する予言者シビュラは神に不死をこいねがう際、間抜けにも不老の条件を忘れてしまった。積もる老いに希死念慮を募らせている。

神秘性や不死性を考慮しても、『荒地』に登場する「予言者」たちの中では最低ランクとすべき。Cランク。

 

 

「きみに見せたいものがある」奴

きみに見せたいものがある──朝、きみの後ろを歩く

きみの影とも、夕方、きみの前に立ちはだかる

きみの影とも、違ったものを。

一握りの灰の中の恐怖を見せたいのだ。

(I)

露悪してくるカス。しかし(おそらくジョン・ダンの引喩である)「一握りの灰」の中に「恐怖」を持っているなど、その能力は警戒に値する。Cランク相当。

『うつろなる人々』(1926年)とは違った「影」の使い方に注目。

 

 

ぼく/ミュラエの海戦で一緒だった見覚えのある男

見覚えのある男を見つけ、ぼくは呼びとめた。「ステットソン!

「ミュラエの海戦で一緒だったね!

「去年、きみが庭に植えたあの死体、

「あれ、芽が出たかい? 今年は花が咲きそうかい?

「それとも、不意の霜で花壇がやられた?

「あ、〈犬〉は寄せ付けるなよ。あいつは人間の味方だから。

「前足で掘り出してしまうからね。

「きみ、偽善家の読者よ! わが同類、わが兄弟よ!」

(I)

法律で定められた場所に「死者を埋葬」しないカスども。〈犬〉が掘り出せる程度には浅い位置に埋めているなど、ポスト・スペイン風邪の世界で衛生意識が低過ぎる。

彼らミュラエの海戦(前260年、ミュラエはシチリア島北岸の街)に参加し、古代の神秘をある程度帯びている。もちろんこれは第一次世界大戦でもある。Cランクが妥当。

なお、エリオット自身は第一次世界大戦に参戦できなかった(検査段階で不適格とされた)ことをずっとコンプレックスに思っていた。

 

 

ヒアシンス娘

「あなたが初めてヒアシンスをくださったのは一年まえ、

「みんなからヒアシンス娘ってよばれたわ」

──でも、ぼくたちがヒアシンス園からおそく帰ったとき

きみは両腕に花をかかえ、髪をぬらし、ぼくは口が

きけず、目はかすみ、生きているのか死んでいるのか

なんにもわからなかった。

(I)

死したかつての恋人が、「ぼく」をも死人にしようとする。『荒地』で繰り返される「男と女」のテーマの中で、最も幻惑的な部分。Cランクが妥当。

ヒアシンス娘については、『プルーフロック・その他の観察』(1917年)の献辞が捧げられた「ダーダネルス海峡で歿した/ジャン・ヴェルドナル(1889-1915)」だという説もある。医学生ヴェルドナルはエリオットのパリ時代の友達で、第一次世界大戦の最中に亡くなった(「海」および「戦争」=「荒廃」のテーマ!)。

そもそも「ヒアシンス」の名前の由来であるギリシア神話のヒュアキントスは、アポロンに愛された美少年であった。書簡などで見られるエリオットのヴェルドナルへの追憶は、どことなくエロティックな雰囲気が漂う。

 

 

スウィーニー

スウィーニーが

泉でからだを洗うポーター夫人をご訪問だ。

おお、月に照らされたミセス・ポーター

と、彼女の娘(ドーター)

足洗いにはソーダー・ウォーター

(III)

スウィーニーはエリオットの詩に何回も登場する人物。うつむく近代人J・アルフレッド・プルーフロックに対し、スウィーニーは「日向で直立」する獣のような男である。

この後、彼は貞潔と狩猟の女神ディアナと悪意的に重ねられたポーター夫人(おそらくスウィーニーの情夫)を「凌辱」する。この凶暴性はCランク相当。

 

 

タイピスト

女は鏡のほうを振り向いて、ちらっと覗く

さっきの男のことは、もう頭にない。

[……]

「やっとすんだ、やれやれだわ」

[……]

女は機械仕掛けの手つきで髪をなでつけ、

蓄音機にレコードをのせる。

(III)

1922年当時、タイプライターはモダンな機械、タイピストはモダンな職業だった。そこに「新しい女(フラッパー)」への警戒心が重ねられている。「レコード」などピチカート・ファイヴっぽさを評価してCランク。

 

 

Bランク

 

ぼく(漁夫王)

        ぼくは岸辺に坐って

釣りをしていた。背後には乾いた平原が広がっていた

せめて自分の土地だけでもけじめをつけておきましょうか?

[……]

これらの断片を支えに、ぼくは自分の荒廃に抗してきた

(V)

強キャラ。神秘を持たない現代人の限界であるBランクに相応しい。漁夫王伝承を重ねながら、ほとんどエリオットその人の告白と思ってよい。

 

 

エズラ・パウンド

「わたしにまさる言葉の匠」 

 エズラ・パウンド

(献辞)

「わたしにまさる」とあるように、エリオットより格上。しかしその差は僅かと見てBランク。どちらかといえば、とっくに師匠を越えているのにまだ師匠の方が強いと思っている弟子、みたいな関係性かもしれない*1

パウンドが『荒地』の第一稿にペンをいれて、バッサリ半分近く削ったことはよく知られている。パウンドが減らす方向で『荒地』に貢献したならば、エリオットの最初の妻ヴィヴィアンヌは増やす方向で貢献したという(日常会話の取り入れなど)。

 

 

占い師マダム・ソソストリス

マダム・ソソストリスは有名な占い師で

ひどい風邪をひいていたが、それでもやはり

ヨーロッパ第一の賢い女とされていて

あなどれないトランプをもっていた。

[……]

このごろは用心しなくちゃね

(I)

マダム・ソソストリスは現代最高峰の予言者で、第I章において『荒地』の展開を暗示する。「風邪(スペイン風邪?)」をひいてなければB+ランクは固い。一方「このごろは用心しなくちゃ」など、外的要因による死の気配が漂っている。

 

 

テムズ川

川面に浮かぶ空き瓶も今はない。サンドイッチの包みも、

絹のハンカチも、ボール箱も、煙草の吸殻も、

もっとほかの夏の夜の証拠品も。妖精たちはもういない。

[……]

美しいテムズよ、静かに流れよ、わが歌の尽きるまで。

美しいテムズよ、静かに流れよ、ぼくは声高にも長くも話さないから。

(III)

冒頭「四月は最も残酷な月」(I)から最終連「ロンドン・ブリッジが落っこちる落っこちる落っこちる」(V)に至るまで、『荒地』の中に川はずっと流れている。

この箇所はエリザベス朝時代の詩人エドマンド・スペンサーの引喩。もちろん現代のロンドンを流れるテムズは、ドブ川でしかありえない。Bランク。

 

 

Aランク

 

テイレシアス

われテイレシアスは、盲目だが、男女両性のあいだで鼓動する者、

しなびた乳房もつ老人だが、見ているのだ

(III)

ギリシア最強の予言者。男→女→男と性転換し、神の意に背いたとして盲目にされ、哀れに思った別の神から予言能力を授かった。『オデュッセイア』においては、冥界でオデュッセウスにいくつも予言を与えている。

『荒地』の中では「全ての人であるような1人の人」とされている。純粋な戦闘能力は低いかもしれないが、探査系能力を評価してAランク。

ところで、『荒地』の構想を与えたのはエズラ・パウンドの長編詩『キャントーズ』であり、1918年頃から雑誌に掲載されていたジェイムズ・ジョイスユリシーズ』であった。『荒地』も最初は『オデュッセイア』に大きく依存しており、テイレシアスの強調は『ユリシーズ』の差別化のために行われたのではないかと指摘する専門家がいる。また原注冒頭で強調される聖杯伝説も、やはり差別化のため草稿作成の終盤に付け加えられたとする説がある。

 

 

〈非現実の都市〉

〈非現実の都市〉

冬の夜明けの褐色の霧の下、

ロンドン・ブリッジを群衆が流れていった。たくさんの人、

死神にやられた人がこんなにもたくさんいたなんて。

短いため息が、間をおいて吐き出され、

どの男もみんなうつむいて歩いていた。

(I)

〈非現実の都市〉=「Unreal City」は、エリオットが働いていたロンドンの金融街「シティー」を基に、ボードレールの「幽鬼の都パリ」や、ダンテ『神曲』の「地獄」が重ねられている。死神をその内に飼うキルゾーン。Aランクがふさわしい。

 

 

いつも君のそばを歩いている三人目の人

いつも君のそばを歩いている三人目の人は誰だ?

ぼくが数えると、きみとぼくしかいないのに

白い道の先を見ると

いつもきみのそばを一人の人が歩いている。

(V)

原注によると南極探検記をモチーフとしているらしい。しかし前後の流れを踏まえると、ここで召喚されているのはほぼ間違いなくイエス・キリスト

とはいえ断言するには証拠が足りず、神の子としての権能を発揮しているわけでもないので、Aランクとした。

 

 

パブの主人

HURRY UP PLEASE ITS TIME

イソイデクダサイーイ、時間デース

(II)

たむろする女たちにラスト・オーダーを促すパブの主人、というのは仮の姿。その本質は時間系能力者(加速に関わる)であろう。「HURRY UP PLEASE ITS TIME」を5回繰り返すことで第II章を終わらせにかかるなど、メタ的干渉も可能。納得のAランク。

 

 

Sランク

 

それからわたしはカルタゴに来た

燃える 燃える 燃える 燃える

おお 主よ あなたはわれらを引き出し給う

おお 主よ あなたは引き出し給う

 

燃える

(III)

「引き出し給う」はアウグスティヌス『告白』からの引用。

仏陀の「火の説教」と接合した、炎熱系最強の権能。文句なしのSランク。

後の『四つの四重奏』(1941年)では、「火と薔薇は一つ」によって再び主が顕現する。

 

 

そのとき雷が言った

DA

ダッタ──与えよ。われわれは何を与えたか?

[……]

DA

ダヤヅワム──相憐れめ、わたしはただ一度だけ鍵が

回される音を聞いた。ただ一度だけ

[……]

DA

ダミヤタ──己を制せよ。船は従った

楽しげに、帆と櫂に熟達した人の手に

(V)

恵みの雨を与える春雷。ヒマラヤ山脈から湧き出た黒い雲。そこから伝わるのは『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』の三つの教え。一方「DA」にはダダイズムの絶対否定が暗示されていると考える専門家もいる。

西の炎熱系能力と対になる、東の雷電系能力、というか雷そのもの。当然Sランク。

 

 

 

参考文献

T. S. エリオット『荒地』岩崎宗次訳、岩波書店、2010年

『モダンにしてアンチモダン T.S.エリオットの肖像』研究社、2010年

佐藤亨、平野順雄、松本真治(編)『四月はいちばん残酷な月』水声社、2022年

 

 

 

*1:そもそもこの献辞はダンテ『神曲』「煉獄篇」からの引用である。そこではダンテが先輩詩人アルナウト・ダニエルを「わたしにまさる」と呼んだのであった。しかし後世から見ればダンテの方がよほど実力があったわけである。パウンドの編集力・指導力・扇動力は並外れていたが、詩の実作は(個性的であれ)超一級までは行かない、という評価がおよそ衆目の一致するところであり、エリオット自身も後に述べるものである。