古い土地

暗い穴

児童文学『ぼくのいずも きみのおやすみ』作・入沢 康夫せんせい(『わが出雲・わが鎮魂』より)

 

子どもに読ませたい現代詩不朽の名作!

 

原作:入沢康夫『わが出雲・わが鎮魂』思潮社、1968年

対象年齢:7∼8歳(小学校低学年)

制作支援:ChatGPT-4o

 

※:Web掲載にあたり表現を一部改めています。あらかじめご了承ください。書き下ろしの「かいせつ」はWeb版からの増補です。

 

 

 


おはなし『ぼくのいずも』

 

 

1

 

やつめさす

いずも

 

みんなであつめて ぬいあわせた くに

いずも

 

つくられた かみさまの おはなし

いずも

 

かりものの にせものの

いずもよ

 

かなしくて かわいそう

 

*1

 

 

2


いつのまにか          どしゃぶりの
 ぼく はいず        みちにまっか
  もの のろい      なくさのみの
   のなか をにし    まぼろしたち
    にはしってる。 あめをよんで、
     フロント・ガラスがばしゃ
      ばしゃぬれる。まるで
       あまのとりふねだ。
        いや、うつぼ
       ぶね、みたいだね?
      あめはきづくとあがって  
     ゆうひがぎらりてりつける。
   (へんなてんき) おうへいやの
   いぬが きゅう    きたのはずれ
  こん のめを      おうかわあか
 くわ えなが        いりうみへと
らはしってる。         そそぐあたり、

                      ただ
                      ひ
                      た
                      むきに――

                      その いぬは。

 

 

ぼくは ともだちの たましいを さがしに やってきました。

 

ぼくのともだちは、ぼくと そっくり。じかんの なかで、やみの なかで、カイツブリ みたいに しろく わらった。わかいのに としをとった かみさま みたい。

ともだちは、じぶんで うった やに あたって、もやまの やぶの なかに おちてしまった。そして、みつからなかった。

だから、ぼくは ともだちの たましいを さがして、なぐさめるため、ここに きたんだ。

 

くるまおおきく かたむいて、4ばんめの どぶがわを わたって、

 

この にせものの ふるさとの おくのほうへと むかいました。

 

*2

 

 

3

 

むかし 「こちと」 と よばれていた 4ばんめの よごれた かわ

それを いま わたりました

 

みぎには ぼくの うまれた まちの ゆうれいが どうくつの ように のびていて

そこから たくさんの あおざめた かおが のぞいています

 

でも ぼくは もう そこに もどらないし

もどれない

 

すみれいろの

いたちの ように はしりだす どもたち けものたち

 

 

たにの おくは、みちの せまい ところ。ぼくは こころを ふるいたたせて、しろく かがやく いしだんを のぼる。

ならんだ いしの はしらを おおきく みぎに まわって、さらに いしだんを のぼる。

 

  このとき

  たましいが ぬけちゃった ともだちは

  おおきな すぎの みきに

  せみの ように  はりついて

  こちらを おろしている

  おーい どこに あるんだい?

  きみの たましいは

 

*3

 

 

5

 

きのうの いぬが、よるの うちに きゅうこんの めを

じんじゃの さき に おいて いきました。

これから なにが おこるかな?

 

(いいかい、まつえ の まちは むかし、『ふどき』 の ころ には

 ぜんぶ みず の した に あったんだ)

 

*4

 

 

6

 

みなみ と きた の

3つの たてもの

ともだちの たましいを

さがして みたけれど

みうしなった

たましいは

どこへ いったか

かげ さえ えなくて……

 

ぼくたちは また まちにもどって おひるごはんを たべました。

 

 

《ここは ちいさいけど きもちのいい ところだね》

《テーブルを みんな くっつけたら いいと おもうよ》

 

が つめたくなったり いたくなったり しました》

《この おさけは ぼくのとは ちがうみたい》

 

《ナイフを とりかえてみない?》

《めずらしい とり だけど なきごえが よくないね》

 

  まだ いってない くまの じんじゃの

  5ほんの かしの の したから

  ともだちの まぼろしが たちあがって

  その しろっぽい かおは ひだりみぎに ゆれて

  イヤイヤ を している みたい

  くちびるの かたはし だけが

  ぽっちりと あか

 

《おくさんが せんえん ですから、あなたは せんごひゃくえん ですよ》

《ぼくは しんゆう ですけど、ほんにん では ないのです》

 

 

だまされちゃ いけないよ、

ふわふわの くも の ような

7かいも まいた つる の ような、

この にせものの いずもの、すごく いけない いたずら に。

 

*5

 

 

7

 

うみは とても あれていて

たくさんの かみのけを りくに ふきつけました

 

そらの ずっと うえのほうを

くびの ながい あおさぎ が さけんで とんで いきます

 

「おしえてください あのひとの たましいは

どこに あるのでしょう いったい どこに

どこに どこに どこに どこに どこに」

 

それが わかれば こまらないのに…………

 

 

なにかが いま、つき を すっかり かくして しまった。

 

*6

 

 

8

 

エドリ ひとり トラツグミやまで〕

《なにを しているの? あの へんな ひとは?》

 

キジ〔のはらで〕

《さがしているんだよ。もう なんぜんねんも まえに なくした ものを

まだ あきらめずに》

 

ニワトリ〔にわさきで わらって〕

《コケコッコー!》

 

*7

 

 

9

 

たいへん!

あたまが ちょっと へんになった おかあさんに ぼくは であいました

 

おかあさん

ただ おう おう とだけ さけぶ おかあさん

 

《おかあさん、ぼくは おかあさんが しんでから うまれた だけど

やっぱり おかあさんの ども だから

そのうち ぼくも あたまが へんに なると おもいます

たのしみだね》

 

さんども とびついて おかあさんに だきつこうと したけれど

おかあさんの すがたは そのたびに ぼくの てから すりぬけました……

 

その こえを おって のに でてみると

じゅうなんまんの がぜるの むれ つのを ふりたて ががががが、

じゅうなんまんの がぜるの むれ つのを ふりたて ががががが。

 

*8

 

 

10

 

このとき、にせものの いずもは ぼくの まえで 2つ、3つと すがたを かえ、いくつもの かお を みせた。

 

ぼくは、あしの うらや、ひざの うらや、こしや、おなかや、せなかや、くびや、あたまに、ちがう いずもを かんじた。

 

くうきは、ある ところでは ねばねば していて、べつの ところでは さらさら していた。

 

そのなかを ぼくは すすんだ。はしり、あるき、はいつくばり、ときには あおむけに なって ねそべった。

 

ぼくの まわりでは、ひる と よる が まざって、ぐちゃぐちゃに なった。

 

おおきな ほしが ぼくの あたまの うえに さがってきて、「ちっ」と いって、また とおくに さった。

 

ぼくの めの たかさで、たくさんの まるきぶねや、ムカシトンボが いったりきたり した。

 

ひろい のはらが、はじの ほうから ぬまになり、うみにかわり、その うみが また かわいて りくに なった。

 

おかの うえに、そらに とどく くらい たかい おやしろが たっては くずれ、くずれては また たてられた。

 

やがて、ぜんぶが かぜに ふきとばされる えいがの ポスターみたいに はがれおちて、

 

おぐろい くらやみ と しずけさの なかに きえていった。

 

 

11

 

(それにしても

どこに あるのかな

きみの たましい

 

ほんとうの

いずもは)

 

 

12

 

それから なんにちも たちました。ついに、ともだちの たましい が つからなくて もう どうしようかと こまっていた ちょうど そのとき、かみなり が なった!

ゴロゴロと、とびはねる いのししの ように、たくさんの あなに ひびいた。その あなの 1つ から とびだして そらを あげ、ぼくは とうとう つけたんだ。ぼくの いずも を、そして ともだち の たましい を。

 

(あの あな の おくで、すこし ねようと したときには、ぼくは たしかに、だれか と いっしょ だったのだけど、それが だれだったのか、どうしても おもいだせない)

 

そうだ いずもは 3つのかおを
もった おおきな いきものだった
えない 2つのかおは そらに
むかって くちは さけて あお
ちが あちこちから ふきだした
3つめの かおのまんなかで た
だ1つだけ ひらいていた めは
ちきゅうを じいっとみつめる 
その ひだりの まえあしの あたり
ふみつぶされた くさの くきの
ぽんに ほたるみたいに そっと
とまって ゆれながら かがやく

    

   ちいさなひかり そ
  れがぼくの さがして
 いたもの ぼくのともだちの
たましいで ぼくはそれを な
 いちゃうような きもちで  
  てのひらのうえに そっ
   と すくいあげた

 

 

13

 

ひめの さき

たびの おわりの

おし たかべ

うかんで とおく

ながい ながい

おやすみのひと が かえってくる

 

おえ!

 

*9

 

 

あとがき

 

わたしは しまねけんの まつえしに うまれました。まつえしは むかし 「いずも」 と よばれていた ところです。ぼくの おとうさんや おじいさんは 「ほうき」 の やまで そだちました。だから、じゅうななさいまで まつえしに くらしていた わたしは よそもの でもあり とちっこ でも あります。

 

このおはなしでは わたしの いずもへの きもちを もとに、いろんな おはなしを まねして 《じごく》や 《だましうち》や 《たましいを やすめること》 について かんがえてみました。おはなしと そのせつめいを いっしょに つくることで、「おはなしを つくるって どんなことかな?」と かんがえました。

 

わたしなりに いっしょうけんめい がんばりましたが、うまくいったかは わかりません。たぶん、この おはなしは「し(うた)」 とは よべないでしょう。

 

ほんとうの いずもは、わたしにとって たいせつな 「ちょっと こわいばしょ」です。このおはなしも おなじように 「こわいけど だいじな おもいで」になると おもいます。

わすれたいけど わすれられない、そんな おもいで です。

 

*10

 

 

 

かいせつ

 

[こどもの みなさんへ]

すこし ながくなります。かんじ が おおいので まわりの おとなのひとに よんでもらって くださいね。

 

 

詩人・入沢康夫(1931-2018年)が書いた『わが出雲・わが鎮魂』(1968年)について、ここで簡単に解説したいと思います。

といっても、本文の「1」と「あとがき」ですでに十分なくらい作品が解説されていることにみなさんお気づきでしょう。ここに『わが出雲・わが鎮魂』の特徴があります。

ポエムに対するメタポエムとして始まり、大量の引用をコラージュすることでできた詩(もどき)『わが出雲』と、『わが出雲』の内容を説明するように見せかけてたびたび逸脱する注(もどき)『わが鎮魂』で構成された1つの「オペレーション」。これこそ『わが出雲・わが鎮魂』です。

 

むろん、作品の魅力はこのような知的で難解とも言われる仕掛けに尽きるのではありません。肉体性・抒情性を隠し持った詩句や、友の魂を探し求める帰郷譚というストーリーも、私たちに訴えかけるものがあります。

今回の『ぼくのいずも きみのおやすみ』では、知的な仕掛けよりも言葉の強さやストーリーに重点を置いた翻案を意図しました。

 

『わが出雲』のベースとなった出雲神話とその研究史について、本文と一部重複しますが説明しておきます。

出雲国風土記』(8世紀頃成立)において、出雲の建国神話である国引き神話が語られています。

 

……「やくもたつ いずもの くに は、せまい ぬのの ような 小さな くにだね。はじめの くに だから 小さく つくっちゃった。それなら、まわりから くに を あつめて 大きくしよう」と やつかみずおみづぬのみこと は いいました。

かみさまは まわりを みて「しらきの みさきには、あまりの くにが あるよ」と いいました。

そこで、おとめの むねの ような すきを 手にとり、大きな さかなの えらを つくように じめんを たちきりました。ふとい つなを かけ、くろづづらを くる ように、ひきよせて ひきよせて、川ふねを ひくように そろりそろりと「くに きて、くに きて」と ひいてきて つけた くに は……

(『いずもこくふどき』)

 

八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)という神さまは、最初に「狭布の稚国」、つまり狭い布のように小さな国を作りました。慣れないものだから失敗したのです。これを「作り縫って大きくしよう」と思い、各地から土地を引き寄せて出来たのが島根半島(=出雲平野・宍道湖・中海と日本海に囲まれた横長の部分)だといいます。

古事記』『日本書記』『出雲国風土記』からうかがえるように、八岐大蛇や因幡の兎をはじめ、出雲にはたくさんの神話が伝わってきました。しかしそれなら当然存在するはずの巨大な古代国家の痕跡は、明治以後長らく発掘されませんでした。

民俗学者・鳥越憲三郎は『出雲神話の成立』(1966年)において、詳細な史料分析をもとに大胆な仮説を提唱します。「考古学資料が発掘されないのはそもそも古代出雲に巨大国家がなかったから」で、「出雲神話はすべて中央政府において編纂された」というのです。

国引き神話からはじまる出雲神話が、それ自体、各地から中央に集まった神話・伝承を「作り縫」ってできたものかもしれない──このパラレルの構図が、入沢康夫に霊感を与えました。もともと神話の利用や言葉の「うそ」性に強く関心を持っていた入沢は、二重の「国引き」に基づく『わが出雲・わが鎮魂』を書き上げます。

1970年代の日本では古代史・偽史ブームが起こりますが、『わが出雲』はそういった偽史的想像力のはしりだと言えるかもしれません。さらに1983年に荒神谷遺跡が発掘され、前例のない数の銅剣から出雲巨大国家の存在が実証されたことで、鳥越=入沢的な史観は本当に「偽史」となってしまいました。考古学的な発見はテクノロジーの発展とともに現代まで続いています。

一方で、出雲神話に各地の神話が混ざっているのも事実です。例えばもともと紀伊半島の神さまだったスサノオ出雲神話で活躍するに至った経緯は、現代でも研究が続いています。

 

 

ここからは『ぼくのいずも きみのおやすみ』をもっと楽しく読むために、その「ねらい」について、いくつかお話ししたいと思います。

 

 

・作品の生命

最近「100年後も読まれる名作」というシリーズから、ジェイン・オースティン高慢と偏見』(1813年)を翻案した『リジーの結婚 プライドと偏見』(KADOKAWA、2018年)が出ました。訳者は『若おかみは小学生!』(講談社青い鳥文庫、2003-13年)で有名な令丈ヒロ子さんです。

 

ウィッカム「ぼくはダーシーさんに財産をうばわれました」

ダーシー「ウィッカムはうそつきだ!」

ジー「え~! どっちがホントのことをいってるの??」

【KADOKAWA公式ショップ】100年後も読まれる名作(10) リジーの結婚 プライドと偏見: 本|カドカワストア|オリジナル特典,本,関連グッズ,Blu-Ray/DVD/CD

 

もともと『高慢と偏見』は幅広い年齢層に人気のある本でした。『リジーの結婚』では小学校低学年までターゲット層を広げています。今後盛り返しようがない紙媒体の出版不況の中で、作品の生命をつなぐ方法が模索されているのでしょう。

 

『ぼくのいずも きみのおやすみ』もやはり、作品の生命をつなぐことを目的の1つとしています。今からは想像もできませんが、現代詩は1960年代に「時代の言葉」としてもてはやされました。もてはやされ過ぎたせいかは知りませんが、その後現代詩はどんどん影響力を失い、かわりに「詩的なもの」の表現として音楽の歌詞が台頭していきます。

この「アートからポピュラーへ」ないし「全てのポピュラー化」と言えそうな(他の分野でも1968-70年を境に見られる)変遷は、愛憎こもりつつ、それ自体抵抗できるものではありません。ただ、現状の現代詩は忘れられすぎというか、宣伝不足の感があります。

短歌が2010年代に入ってSNSを通じてリバイバルしたように、現代詩もリバイバルできないでしょうか? 短歌の「手軽に作れる」という利点は、現代詩にはひとまずありません。スピードを追及するのも1つの手ではありますが、状況を変えるにはむしろ腰を据えて、子どもの頃から詩にふれやすい環境を作るべきではないでしょうか。真に面白い作品なら子どもも楽しめるはず。

というわけで、ストーリー性の強い『わが出雲・わが鎮魂』(1968年)から始めることにしました。「子どもに読ませたい現代詩不朽の名作!」の看板にまぎれなし。これならYouTubeにも勝てるでしょう。100年後も読み継いでほしいものです。

 

とはいえ、小学校低学年向けという選択も『わが出雲・わが鎮魂』の選択も性急すぎたと今では反省しています。小学校高学年向けに『ランゲルハンス氏の島』(1962年)あたりから始めるのが筋でした。なお、ここまで入沢康夫の翻案にこだわっているのは、「誤解」からなにか生まれないか期待しているからです。

 

 

・幼時の記憶

『わが出雲・わが鎮魂』の最も感動的な場面は、「9」の亡母憧憬に関するところです。入沢康夫は「詩は表現ではない」と言って、作品と作者を切り離してこなかった従来の日本文学(および「時代の言葉」として消費される詩)を批判していました。そんな入沢が自分の人生を素材として詩を作ったからこそ、生まれる緊張感がここにあります。

そして最も強い部分は最も根源的ではないでしょうか。ここから私は、「十何万のがぜる群 角をふり立て ががががが」という「私の作った歌めいた文句の、記憶にある限りで、最も古いもの」を作品全体に拡張した説話的還元を構想しました。作者本人すら知らなかった作品の新たな側面が明らかになるかもしれない、と期待しつつ。

 

 

文学史

第二次世界大戦前の日本詩の歴史を振り返ると、「大人の文学」の側から「子どもの文学」はたびたび重要なモチーフとなりました。

例えば童謡の創始には詩人の北原白秋が深く関わっています。童謡という日本以外ではほとんど例を見ない「子どものうた」の運動と、子どもを聖化して詩の根源にすら置いた北原白秋の独自の思想は、どこかでリンクしているようです。

少し時代が下って、宮沢賢治は膨大な童話とともに詩を編みました。また中原中也オノマトペにも強く「子ども」性を感じます。

注目したいのは、北原白秋宮沢賢治中原中也も、それぞれの仕方できわめてモダンだったことです。ここに都市・郊外・サラリーマンの出現とあわせて子どもを家族の中心に据えはじめた大正時代、ならびに日本のモダニズムの特徴を見出しても良いのではないでしょうか。例えば、T. S. エリオットの『荒地』(1922年)を児童文学っぽく書き直してみても、あまり甲斐はないように思われます。

 

きみに みせたい ものが あるんだ──

 

あさ、きみの うしろを あるく

きみの かげ とも

ゆうがた、きみの まえに たちはだかる

きみの かげ とも、ちがう ものを

 

ひとつかみ の はい の なかの こわい ものを

みせたいんだ

(だい1しょう「さよならのばしょ」、T. S. エリオット『あれち』1922ねん)

 

戦後の日本詩人だと、翻訳含め300冊以上の絵本・童話を手掛けた谷川俊太郎をまず挙げるべきでしょう。国語教科書への掲載をはじめ現代の詩受容に対する影響力は計り知れないものがあります。それはさておき。

入沢康夫宮沢賢治の研究者として知られています。また戦後日本を代表する「モダニズム」詩人でもあります。だとすれば、難解で頭でっかちだと思われがちな入沢康夫の作品には、いかに「子どもの文学」が潜んでいるのでしょうか?

こうした文学史的問い直しが、『ぼくのいずも きみのおやすみ』の背景にあります。

 

追記1:エリオットが後にミュージカル『キャッツ』(1981年)となる子供向け作品『ポッサムおじさんの猫とつき合う法』(1939年)を書いていることをすっかり忘れていました。またモダニズム文学における「子どもの語り」のすぐれた例として、ジェイムズ・ジョイス『若い芸術家の肖像』(1916年)冒頭も挙げておきます。

追記2:入沢康夫モーリス・ブランショを経由して構造主義的な「作者の死」に乗った人なので、1910-20年代を想起させる「モダニスト」の言葉で呼ぶには時代が離れすぎているかもしれません。逆にほとんど「ポストモダニスト」とも言えます。モダニズムポストモダニズムは見方によってほとんど違いがないので、こういった議論は無駄かもしれませんが、もう少し続けましょう。

『わが出雲』自体が偽書のようなもので、注『わが鎮魂』では検証しようがない作者の幼児の記憶や、行ったことのない加賀の潜戸、『わが出雲』執筆時には読んでなかった『日本書記』について素知らぬ顔で語っています。しかしここまで「にせもの」性にこだわりながら、ポストモダニズム文学でよく見られる偽書・架空書の引用を行っていない点は注目すべきです。

一方、1970年代に宮沢賢治の全集編纂に関わった経験から作られた『かつて座亜謙什と名乗った人への九連の散文詩』(1978年、青土社)は、プーシキンの英訳・注釈書執筆の経験から作られたナボコフ『青白い炎』(1962年)と比較するべきかもしれません。ここにおいてすら、架空の9枚の草稿の変更過程を追うその偏執性・正確性に、ポストモダニズムよりも「モダニズムのリミット」と呼びたくなるものが個人的にはあります。

 

 

・本文と注

形式的な実験に触れておきましょう。

入沢康夫は「作品の成立とは何かを問う」ために、詩『わが出雲』と注『わが鎮魂』の両方を自分でつくりました。エリオット『荒地』の例にならったとも、入沢にとって詩はすべて外国文学の訳詩のように見えていたとも言えます。

ところで、「本文と注」という形式は、集中力と記憶能力を適切に配分できることを前提にした「大人」の文学の気がしませんか? もしそうではないとしたら、どうすれば「子ども」(特に小学校低学年)の文学として実現できるでしょうか?

 

 

作品の「ねらい」については以上になります。

 

 

本作の制作にあたってはChatGPT-4oを使用しました。「次の文章を児童文学風に書き換えてください。特に小学校低学年以下に伝わる語彙・漢字のみを使うよう注意してください。また絵本のように適宜半角空白を入れてください。」と指示を出して文章の骨格を作っています。

大胆な省略、とんちき、本質の抽出が入り混じってなかなか面白いので、みなさんもいろいろ試してみてください。

 

力不足ゆえ、児童向け作品にもかかわらず挿絵が用意できなかったことが悔やまれます。原作『わが出雲・わが鎮魂』には後に絵本作家となる抽象画家・梶山俊夫の絵が添えられていました。

「IX」、『わが出雲・わが鎮魂 復刻新版』pp.36-37

求める方向性は全然違いますが、こんな感じで挿絵が欲しい所です。挿絵ができたら、次は文字を読む動画(オーディオブック)化。最後はアニメ化でしょうか。

今の子供は絵本よりYouTubeを見ている、なんなら絵本の読み聞かせをYouTubeで見ているので、YouTubeに(で)勝つという気概が大事になります。

 

 

[参考文献]

 

 

企画・文責:モダニズムゆうべ

 

 

 

 

 

せつめい『きみのおやすみ』

*1:やつめさす いずも いずも といえば 「やくもたつ」 という ことばが よく しられています。

でも ここでは 『にほんしょき』 というほんに でてくる いずもたけるの おはなしを もとに しました。

「やつめさす いずもたけるが つよい たちを もっている くろい つづらを さっと まきつけて でも ちょっと さみしい」

みんなであつめて……/つくられた……/かりものの…… むかしむかし かみさまが いたころの おはなしです。いずも というところは ほかの いろんなところから つちを あつめて つくられた おおきな くに だったそうです。

でも、この おはなしは、ほんとうは いずもの おはなし ではなくて、いろんな ところから あつめた おはなしを まぜて つくったもの だそうです。とりごえせんせい という がくしゃさんの ほんに かいてあります。

だから、いずもに おおきな くにが あった というのも ほんとうかは わかりません。

とりごえせんせいの ほんは、『ぼくのいずも』の おはなしの つくりかたに ついても かんがえる きっかけに なるでしょう。

かなしくて かわいそう(さみなしに あわれ) 「さみなしに あわれ」という ことばは、いろいろな いみを もっています。

『にほんしょき』では、やまとたけるのみことの うたの ひとつで、「へんだね、だめだね」という いみです。でも、『こじき』では、そのころの ひとたちの うたで、「ざんねんだね」という いみに なります。

とりごえせんせいの ほんでは、もともと いずもの えらいひとを ほめる うたが、かわいそうな うたに なったと いっています。

この「あわれ」という ことばの いみを どう とるかで、うた ぜんたいの いみが かわります。

そして、「あわれ」の いみによって、この ほんの いみも かわるでしょう。

おとうさんや、おかあさんに きいてみてくださいね。

 

[おとなの みなさんへ]

もし しつもん されたら、つぎの ぶんしょうを よんで せつめい してあげてください。

やつめさす

出雲

よせあつめ 縫い合された国

出雲

つくられた神がたり

出雲

借りものの まがいものの

出雲よ

さみなしにあわれ

 

やつめさす/出雲 「出雲」の枕詞としては「八雲立つ」がよくしられているが、ここでは「日本書紀」にある出雲健(いづもたける)についての歌を下敷きにした。

 「やつめさす 出雲健が はける太刀 黒葛(つづら)多(さは)巻き さ身なしにあはれ」

 

よせあつめ……/つくられた……/借りものの…… 前出の国引き神話にしたがえば、出雲の国土は多くの「他処」から引いてきて「作り縫」われ、大きくされたものだが、いわゆる「出雲神話」そのものについても、これは本来出雲地方で伝承された土地神に関する神話・伝説というよりも、「古事記」「日本書紀」編纂の頃、日の神の子孫の治める陽の国に対する、陰の国・夜の国の必要上、それを出雲に措定し、各地の伝承を寄せ集めて、大和朝廷で作られたものであり、古代出雲地方を中心として大和に対抗するに足る大国家があったわけではない、との説がある(鳥越憲三郎氏『出雲神話の成立』その他)。

 この三行は、また、本作品の構成の一面についての説明でもあることは、以下の諸注においてお判りいただけるとおりである。

 

さみなしにあわれ 「日本書紀」の場合は[刀をとりかえて騙し討ちする]倭建命の歌とあるから、「アアオカシイ、ザマヲミロ」の意となり、「古事記」では[出雲兄弟の同士討ちを見た]時人の歌とするから、同情の意、「カワイソウダ、キノドクダ」の表現ともとれる。しかし鳥越氏の前出書は、もともと出雲の勇士を賛美した歌が、替え歌として彼らの没族をうたう哀歌になったと指摘する。

 「あわれ」の意味のとり方で、この歌全体の立場が変転するように、「あわれ」の意味によって、『わが出雲』の立場もまた。

(以下、引用は全て入沢康夫『わが出雲・わが鎮魂 復刻新版』(思潮社、2004年)による)

 

*2:いつのまにか/ぼくは…… この ぶんしょうの バツの かたちは、じんじゃの やねに ある ちぎ の かたちを まねしました。

あまのとりふね いずも の ふるい おはなしで、おおくにぬし が くにを ゆずったとき、てんから たけみかづち と あまのとりふね が やってきました。あまのとりふね は、とりのように はやい ふねの かみさま だそうです。

うつ/ぼぶね やなぎたくにおさんの 「うつぼぶねの はなし」や、おりくちしのぶさんの「いしから でるもの」に でてくる ふねの なまえです。

おう のかわ まつえの ひがしで なかうみに つながる かわです。いまでは 「イウガワ」 や 「アダカイガワ」 とよばれています。

そっくりのともだち そっくりな ひとうしの おはなしは、むかしから いろんな くにに つたわっています。ここでは、『こじき』や 『にほんしょき』の あめのわかひこの おはなし、ウェルギリウスさんの 『アエネーイス』、せんねんも まえの おはなし『アミと アミレ』、ネルヴァルさんの 『カリフ・ハケムの ものがたり』、ポオさんの 『ウィリアム・ウィルソン』のことを かんがえて いました。

カイツブリ わたしが まだ うんとちいさかった ころ、よく あそびに いった まつえじょうの おほりには、いつも カイツブリが いて、もぐったり うかんだり していました。いまでは そのおほりも かなり うめたてられて います。のこった ところには、さいきん いってみると はくちょうが およいで いました。

ともだちは/かみさま/やに あたって/もやまの…… これは あめのわかひこの おはなし です。

 

   (気違い天気だ)
   一匹  の犬
  が死  人の
 腕を  銜え
て走つている。

 

*3:「こちと」 と よばれていた よごれた かわ むかしの おはなし に よると、じごく には 4つの かわ が あります。

それは アケローン、ステュクス、ピュリプレゲトン、そして コチト です。

うまれた まち わたしは きたほりまえちょうで うまれました。

すみれいろの いたち 「すみれいろの じかん」は、エリオットさんの 『あれち』 という し に でてくる すてきな いろ です。

 

*4:

昨日の犬が、夜のうちに死人の腕を社の縁先に置いていつた。

何の前兆?

 

*5:おひるごはんを…… ここからは おひるごはんを たべながら きいた おはなし です。

わたしの すきな おはなしが たくさん でてきます。みなさんが しっている おはなしは あるかな?

テーブルを…… このほんの さいしょに でてきた 「みんなであつめて ぬいあわせた くに」 と にています。

くちびるの かたはし これは ゴーチェさん が かいた 『ゆうれいの こい』 です。

 

だまされてはならない、

群立つ雲のような

七巻きまいた葛(かずら)のような、

この贋の出雲の、底知れぬ詐術に。

 

*6:あれていて/たくさんの かみのけを…… こいずみやくも さんは、いずもの きたに ある「かかの くけど」について、「かみのけが さんぼん ゆれる かぜでも、かかへは いくな」という おはなしを かきました。

どこに どこに どこに…… みやざわけんじさんの 『よく きく くすりと えらい くすり』という おはなしで、ヨシキリが そらから「まだですか、まだですか、まだまだまだまだまあだ。」と さけぶ こと を おもいだします。

 

空の上の上のほうを

一匹の首のないあおさぎが叫んで行った

 

*7:エドリ……キジ……ニワトリ むかしむかし、あるところに ヤチホコノカミ という かみさまが いました。

ヤチホコノカミ は ぬなかはひめ という うつくしい しょうじょに けっこんを もうしこんでいました。

ある よる、ぬなかはひめ が ねている いえの まどを そっと ゆすぶると、

やまの ヌエドリ が 「キュー」と なき、

のはらの キジ が 「ケーン」と なき、

にわさきの ニワトリ が 「コケコッコー」と なきました。

ヤチホコノカミ は おこって いいました。

「うるさい とりたちだな。 だれか あの とりたちを しずかに してくれないか!」

 

  ヌエドリ 一名トラツグミ〔山で〕

《何をしているんですか、あの水つぽい詩人は?》

 

  キジ〔野原で〕

《探しているんです、もう何千年も前に失くしたものを

 いまだに、性こりもなく》

 

  ニワトリ〔庭先であざわらつて〕

《ケケロケケー》

 

エドリ……キジ……ニワトリ 「神代記」に有名なヤチホコノカミ(大国主神)の沼河比売(ぬなかはひめ)求婚の歌より。

「嬢子(をとめ)の 寝すや板戸を 押そぶらひ 我が立たせれば 引こづらひ 我が立たせれば 青山に 鵺(ぬえ)は鳴きぬ さ野つ鳥 雉(きざし)はとよむ 庭つ鳥 鶏(かけ)は鳴く 心痛(うれた)くも 鳴くなる鳥か この鳥も 打ち止めこせね」

 

*8:おかしくなった おかあさん この おかあさんは 《すみだがわ》 という むかしの うたに でてくる おんなのひとを おもいださせます。

でも その うたでは おかあさんが しんだ どもの たましいに あうのです。

ここでは その ぎゃくです。

ただ おう おう とだけ…… これは わたしが じゅうにさいの ころ、おかあさんを なくした ときの おもいでです。

しんでからの  これは すさのおのみこと の おはなしと かんけいがあります。

さんども とびついて…… これは 『オデュッセイア』 という ふるい ものがたりに でてきます。

じゅうなんまんの がぜるの むれ…… これは わたしが ちいさかった ころ、おかあさんと いっしょに でんしゃに のって はじめて いずもたいしゃに いったときに おもいついた うたです。

でんしゃの まどの そとに えた くわばたけの けしきを うたっています。

わたしが つくった いちばん ふるい うたを そのまま つかいました。

 

その声を追って野に出れば

十何万のがぜる﹅﹅﹅群 角をふり立て ががががが、

十何万のがぜる﹅﹅﹅群 角をふり立て ががががが。

 

十何万のがぜる群…… 幼時、母に連れられて、宍道湖北岸を走る電車ではじめて出雲大社へ行った時、車窓から見たいちめんの葉のない桑畑の印象。おそらく、私の作った歌めいた文句の、記憶にある限りで、最も古いもの。これをそのまま用いた。

 

*9:ひめの さき むかしむかし、ひめの さき には こんな おはなしが あります。

わにざめに たべられた おんなの、そのの おとうさんが わにざめを こらしめて、さいた おなかから でてきた おんなのの かたあし。

これは 『いずもこくふどき』という ふるい ほんに かいてある ものがたりです。

ながい ながい…… これは にしわきじゅんざぶろうさんが かいた、とおい ところに たびに でて かえらない ひとの おはなしです。

おえ これは かみさまが すわろうとする いみの ことばです。

ふしぎな ねむりの ようすを あらわしている とも いいます。

 

毘売(ひめ)の埼(さき)

旅のおわりの

鴛鴦(おし)・鳬(たかべ)

浮きつつ遠く

永劫の

魂まぎ人が帰って来る

 

意恵(おえ)!

 

毘売(ひめ)の埼(さき) 以下四行は三好達治「春の岬」のもじり。毘売の埼にまつわる、わにざめに喰われた乙女、その父による復讐、裂かれたわにざめの腹から出た女の片脛、の物語は「出雲国風土記」に書いてある。

 

永劫の…… この二行は西脇順三郎「旅人かへらず」の最終行「永劫の旅人は帰らず」のもじり。

 

意恵(おえ) 「出雲国風土記」国引きの詞章の末尾から。神が活動を止めて鎮座しようとする意を示すものか。仮死状態をあらわずヲエと通ずる言葉。

 

*10:

 本文と注とから成るこの『わが出雲・わが鎮魂』の制作は、私にとって、たしかに一つのオペレーションであった。しかし、この全体を、詩作品と呼んでよいかどうかは、私には判らない――というよりも、次に述べる理由で、これはおそらく詩作品ではあり得ないだろう。

 私の父祖の地は、中国四県の県境にほど近い伯耆国西南部の山の中で、出雲国側の肥川(斐伊川)と水源をほぼ同じくする日野川の上流にあたっているのだが、私自身は、さる事情があって、出雲国松江市に生まれ、半ば他処者、半ば土地っ子として十七歳までここで育った。この「作品もどき」における私の意図は、そのような因縁のある土地への私的な愛憎を都合のよい口実に、《根の国・底の国》《反逆》《騙し討》《被征服》《鎮魂=呪力の制圧》といったテーマを導きの糸としながら、パロディのパロディを本文(もどき)と注(もどき)とで組み立て、こうすることによって詩の「反現場性」「自己浸蝕性」の問題を、無二無三に追い詰めてみることだった。つまり、私の力点は、「作品を成立させること」にでなく、「作品の成立とは何かを問うこと」にかかっていた。

 その意図がどこまでつらぬかれているかは知らず、いずれにもせよ問題は、作者も読者も結局はたどりつくであろう「何とまあ、馬鹿なまねを……」という憫笑、顰蹙、あるいは歎息の向うに、はたして何かが見えてくるかどうか、であろう。ところで私自身としては、このオペレーションにほぼ全力を投入し得たという、開放感に似た感じもあるにはあるが、それにしても、現実の出雲が私の意識にとって一種の大切な「地獄」であるように、この『わが出雲・わが鎮魂』は、これまた一種の「地獄下り」の体験として、忘れたくても忘れられぬ苦い思い出となるのではないかと思っている。

『ぼくのいずも きみのおやすみ』、おしまい。