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量子群勉強ノート(教科書・参考文献集)

 

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 ようやく量子群について勉強することができる。12000文字。

 

 

 

 『可積分系の歴史』で述べたように、Drinfeld-神保の量子群(1985年)の起源は、統計力学の可解格子模型などの量子可積分系が解ける理由を説明するYang-Baxter方程式の研究に求めることができる。

 一般にYang-Baxter方程式を解くことは難しい。しかしその解である量子R行列は、個々の量子多体系モデルを通して散在的に知られていた。量子群の量子可積分系への貢献は、普遍R行列なるものを通じて、量子R行列の扱いやすい大きなクラスを系統立てて構成したことである。つまり、(原理的には)解ける量子可積分系の系列が作られた。特にそれらは、表現論の分類理論の鍵である(アフィン)ルート系と対応する。

 

 量子可積分系の研究から生み落とされた量子群は、1980年代という数学・物理の地殻変動時代――作用素環論から結び目の量子不変量を先駆的に構成したJones(1983年)、ゲージ理論から4次元微分トポロジーに革命をもたらしたDonaldson理論(1983年)、解ける場の量子論という枠組みを超えてあまりに多くの分野に影響を及ぼしたBelavin-Polyakov-Zamolodchikovの2次元共形場理論(1984年)、超弦理論ブームの火付け役となった第1次ストリング革命(1985年)、位相的場の理論(1988年)やGromov-Witten不変量(1990年前後)などこの時代の数学を代表してしまう物理学者Witten――に乗っかって*1、瞬く間に数学全体に広がっていった。その応用範囲をリスト化すると、次のようになる。

 

(1) 統計力学における可解格子模型

(2) 結び目と絡み目の量子不変量

(3) 有限次元/アフィンリー代数を含むKac-Moody代数の表現論(標数0の表現論)

(4) Hecke代数などの代数構造の表現論(特に標数  p の表現論)

(5) 共形場理論

(6) 幾何学的表現論

(7) 作用素環論

(Hong-Kang ”Introduction to Quantum Groups and Crystal Bases” p.xi より 改変)

 

 本稿では筆者の興味・関心・能力の下で、記述に濃淡をつけながら量子群の諸相を紹介する。必ずしもこのリストに従うわけではない。

 

 ところで、リー代数を変形した対象に「量子群(quantum group)」と名付けたのはDrinfeldだった。ここには「量子化された/非可換化された群の対称性」という表現論的な意味が込められている。しかし、群論を少しでもかじったことがある方ならご存知のように、群というのは基本的に非可換な対象である。あらかじめ非可換な群をさらに非可換化=量子化するとはどういうことか?

 

量子化という病:非可換幾何学の夢

 

 今日「量子群」と呼ばれる対象は3つある*2

 

①Drinfeld-神保(1985年)に始まるリー代数  \mathfrak{g} の普遍包絡環  U( \mathfrak{g} ) の変形量子化  U_q ( \mathfrak{g} ) 。「量子展開環(QUEA: quantum universal enveloping algebra)」とも呼ばれる。

②リー群  G の関数環  Fun(G) の変形量子化  Fun_q (G) 。Woronowicz(1987年)が作用素的に扱った連続関数環の場合を「(局所)コンパクト量子群」という。同時期にFaddeev-Takhtadzhyan(1986年)は代数(幾何)的に正則関数環の場合を考えており、これを「量子代数群」と呼ぶことがある。

③ある種のテンソルで、上2つの量子群の(余)表現圏に対応するもの。淡中-Krein双対の哲学によれば、これは①②と等価な対象と思える。

 

 本稿では代数的・表現論的に扱える①について専ら紹介するが、リー代数の変形量子化なのに「量子群」と呼ぶのはやや気持ち悪い感じがする*3。実際「量子展開環」と呼ぶことも多い。

 本節に限って②の場合にその量子化の歴史を記述しよう。これを「量子群」と呼ぶことに抵抗はない*4。また、リー代数の普遍包絡環よりはリー群の関数環の方が説明しやすい。

 

 一般に、非可換化ないし量子化と呼ばれる作業の動機は、切実なこともあれば、「とりあえずやってみた」というレベルで始まり、そのままアブストラクト・ナンセンスで終わってしまうこともある。

 切実かつある程度進歩があった非可換化の例として、数論におけるラングランズ・プログラム(1970年)を挙げよう。これはGalois群が可換な場合のみ成立する美しい類体論(1930年頃完成)を、なんとか非可換Galois群の場合に拡張しようとする試みである。

 あるいは素粒子物理において、可換な  U(1) ゲージ理論として記述される量子電磁力学(1949年、くりこみ可能性の証明)を拡張し、弱い力と強い力が非可換な  SU(2) ,  SU(3) ゲージ理論として記述された(1973年、漸近自由性の証明)ことを挙げよう。

 「とりあえずやってみた」量子化の例としては、「文献G」で述べる楕円量子群の試みを一応挙げておく。

 

 さて、リー群の非可換化=量子化を説明するにあたって重要なのが、非可換幾何学と呼ばれるプロジェクトだ。量子力学の発見に端を発し、「量子化によって座標  q と運動量 p qp \ – \  pq = \sqrt{-1} \hbar を満たす作用素に化けるなら、対応する非可換な幾何学が存在するはずだ」と考えたWeylなどが先駆的な仕事を行った。しかし今見ると動機がややナイーヴに見える上、中身のある数学ないし物理には結びつかなかった。

 時は流れて1980年代初頭、Alain Connes(1982年フィールズ賞受賞)が作用素環論の枠組みで非可換幾何学を深く取り扱い始める。ここにおいて重要なのは「空間のこと(幾何学的対象)はその上の関数環(解析学的対象)を全て知ればわかる」という、作用素環論のGelfand-Neimarkおよび代数幾何学のGrothendieck以来の価値転換である。普通の空間から可換な関数環が出てくるのであれば、非可換空間からは非可換関数環が出てくるのではないか? そして非可換関数環を調べれば非可換空間のことは原理的に全て分かるのではないか? 私たちは今なお、来るべき非可換空間の正しい定義を知らないが(それゆえ正しく幾何的直観を働かせることができないが)、その上の関数環に関してはいくらか手が届くようになっている。

 Connesの発想は、作用素環論に内在する動機だけから来たのではない。この時期、量子重力が真剣に考えられ始めた*5。結果として重力場の住まう時空は、(従来の場の量子論だと可換なパラメータとして扱われてきたが)量子化に伴って非可換化しなければならないことが発覚する。運動量と座標の非可換性から座標同士の非可換性へ、とひとまずまとられるだろう。しかし、これは20世紀の時空概念のアナロジーで理解できる表層にすぎない。

 Einsteinの一般相対性理論がRiemann幾何の枠組みを必要としたように、量子重力を記述するためには非可換幾何学を含む「22世紀の幾何学*6が必要だ。そして、量子重力が絶望的に遠いように*7、非可換幾何学を含む「22世紀の幾何学」もすこぶる遠い。ミラー対称性(1990年)やSeiberg-Witten理論(1994年)など、物理学者が与えた予言に追従する形(ある種の「実験数学」)で断片的に22世紀的現象が知られているのみである。脳に瞳が必要だ。

 

 リー群のさらなる非可換化=量子化は、非可換幾何学のプロジェクトに従ったものである。そもそもHilbert第5問題*8として知られるように、リー群のトポロジカルな変形は全てリー群になってしまう。20世紀幾何学の枠組みでは有意味な非可換化ができない。そのため解析の側に移って、文字列操作で扱える関数環の変形を考えるべきだ。

 具体的に、2次元特殊線型群  SL(2, \mathbb{C}) =  \{ A = \begin{pmatrix} a & b \\ c & d \end{pmatrix} | \ det A = ad – bc = 1 \} の場合を考えてみる(追記:amp;とかいうのははてブで行列を書こうとする際のバグ。とりあえず無視して欲しい)。 a, b, c, d はリー群  SL(2, \mathbb{C}) の(座標)関数とみなすことができて、関係式  ad \ – \ bc = 1 で結ばれている。

 ここでパラメータ  q \in \mathbb{C} を導入し、関数環を変形してみよう:  \mathbb{C} a, b, c, d で生成される非可換代数で、その関係式は  q=1 のとき元の可換関数環に戻るようにして

 ac = q ca

 bd = q db

 ab = q ba

 cd = q dc

 bc = cb

 da – q^{-1} bc = 1

 ad – q bc = 1

 

 このような非可換代数を関数環として持つ仮想的な幾何学的対象を  SL_q (2, \mathbb{C}) と書き、量子代数群と呼んでいる。

 上の定義を素手で発見しようとするのは中々骨が折れる。歴史的にはリー代数の量子展開環  U_q (\mathfrak{sl} (2, \mathbb{C})) の双対として定義された(1986年頃)。さらにアブストラクト・ナンセンス(「とりあえず変形できた」)で終わらせないためには諸々のチェックが必要になる。第1に、リー群との類似が成立して、諸々の良い性質を満たすことを示さねばならない。第2に、非可換化の影響で元のリー群との相違が発生して、それが興味深かったり応用を持つことを示さねばならない。

 1980年代末に生まれた(局所)コンパクト量子群や量子代数群は、幸いにも数理物理や作用素環論といった周囲の環境に恵まれて、すぐさま様々な応用を持つようになった。非可換幾何学の良い具体例である。

 

 筆が乗って長々と書いた。しかし改めて確認すると、以下で取り扱うのは群上の非可換関数環ではなく、量子可積分系から生まれたリー代数の量子展開環  U_q ( \mathfrak{g} ) である。こちらの方が議論に作用素環論が要らないために、あるいは局所的対象であり大域特有の困難が避けられるために、もっと応用範囲が広い。

 リー代数はリー群と同じくらいの剛性を持っており、Hochschildコホモロジーと呼ばれる量の計算を通じて、リー代数  \mathfrak{g} の非自明な変形  \mathfrak{g}_q は存在しないことが示されている。ではどうするか。リー代数の普遍包絡環  U ( \mathfrak{g} )余代数/Hopf代数という聞き慣れない構造*9に関して変形するのだ。この結果テンソル積表現をつかさどる余積  \Delta が非余可換になり、テンソル積表現  V \otimes W W \otimes V が同型なのに、単なる置換  x \otimes y \mapsto y \otimes x は表現の同型射にならない、という奇妙な状況が生じる。ここでの非自明な同型射  R : V \otimes W \stackrel{\sim}{\rightarrow} W \otimes V こそ、量子群があたえる量子R行列の正体だ。

 実際のところ、量子群の形成過程でこんな「絶対代数構造を変形したい!」みたいなモチベーションが働いたわけではない。そうやって定義された代数構造は80年代以後数多いが、類似か相違のどちらかの点でほぼ必ず失敗する。良い定義というのはときに発見的だ。

 量子群の場合、1981年にKulish-Reshetikhinが量子sine-Gordon模型の研究から、リー代数  \mathfrak{sl}_2 \lbrack \ E , F \ \rbrack = H という関係式が  \lbrack \ E , F \ \rbrack = (q^{H} – q^{-H} ) / (q – q^{-1}) となっているのを観察したことが先駆になっている。ここから4年もの間、量子群は見逃されていた――とは言うものの、量子代数としてちゃんと定義して、テンソル積表現をちゃんと定義して、テンソル積表現の置換を考察する、という手順は重いタスクである。ここまでしないと相違点は出てこず、量子群を価値づけられない。

 

 

文献A:量子群の前に読むべき表現論の教科書

 

佐武一郎『新版 リー環の話』日本評論社、2002年

J. E. Humphreys, “Introduction to Lie Algebras and Representation Theory”, Springer, 1972.

 とりあえず、1914年頃にはすでに基本的な結果が揃っていた有限次元単純リー代数の理論は知っていないとお話にならない。

 [佐武]は日本語の良著。今ならもっと良い本があるかもしれない。[Humphreys]はド定番の名著。他にもブルバギなど定番の本は多い。

 

V. G. Kac, “Infinite-Dimensional Lie Algebras”, Cambridge University Press, 3rd ed. 1990.

R. Carter, “Lie Algebras of Finite and Affine Type, Cambridge”, Cambridge University Press, 2005.

 次に問題になるのは無限次元リー代数の良いクラスであるKac-Moody代数(1968年)、特にアフィンリー代数の理論である。知らなくても1冊や2冊量子群の教科書を読むことはできるが、ステップアップするなら必須事項だ。

 [Kac]は良著だが、行間を埋めるのが教育的だという点まで含めての良著判定であり、サッと読むには穴ぼこだらけでつらい。[Carter]は丁寧かつ有限次元リー代数から説明されるので予備知識なしに読めておすすめ、らしい。

 

小林俊行、大島利雄『リー群と表現論』岩波書店、2005年

岡田聡一『古典群の表現論と組合せ論 上・下』培風館、2006年

 一応リー群の教科書として[小林-大島]を、Schur-Weyl双対を含む組み合わせ的表現論の教科書として[岡田]を挙げておく。ヤング盤などの組み合わせ論的表現論は量子群の結晶基底でも重要なツールになるため、興味があったら学んでおくとよい。

 

 

文献B:日本語で読める量子群の教科書

 

神保道夫『量子群とヤンバクスター方程式』シュプリンガー・フェアラーク東京、1990年

 最初に1冊読むならこれをお勧めする。量子群創始者の1人による120ページほどのショートコース。学部3-4年レベルで、有限次元リー代数の表現論を知らなくても適宜飛ばせば読めなくはない。当然知っていた方がよい。

 神保にとって量子群発見の契機となったSchur-Weyl双対(「シューアの相互律」)が7-8章に載っている。11章において、可解格子模型である6頂点模型のR行列を アフィン量子展開環  U_q ( \widehat{\mathfrak{sl}_2} ) のR行列と喝破するところが頂点、なのだが、ここで記述が息切れしており誤りが多いのが難点。論理の飛躍や計算の省略に関しては[Jantzen]など他書を適宜参照のこと。

 

谷崎俊之『リー代数量子群共立出版、2002年

 リー代数の基礎から始めて有限次元リー代数、アフィンリー代数量子群を学べることになっているが、すでに知っている人が手元に確認用として置いておく以外の用途を想像しがたい。書きぶりも生硬で初学者向けとは言えない。そもそも1冊でこれら全てを知ろうとすること自体、学習曲線的に無理がある。

 

山下誠『量子群点描』共立出版、2017年

 量子群に関するサーベイ本。最近書かれたことと、作用素環とテンソル圏の視点が多いことが特徴。本稿で紹介しなかった(局所)コンパクト量子群に関する文献はこの本から探していただきたい。

 とはいえ、中級者以上向けの本である。あまり本筋ではない変形理論でオペラッドを持ち出されたら、初心者は全くついていけないだろう。そもそも原理的に、100ページ強で量子群のマップをつくることは不可能である。1994年時点に書かれた[Chari-Pressley]ですら600ページを超えているのだから。

 

有木進『A(1)(r-1)型量子群の表現論と組み合わせ論』2000年

https://digital-archives.sophia.ac.jp/view/repository/00000034504

参考1:有木進『古典型Hecke環のモジュラー表現』2003年

https://www.jstage.jst.go.jp/article/sugaku1947/56/2/56_2_113/_pdf/-char/ja

参考2:柏原、谷崎『Kazhdan-Lusztig予想をめぐって』1995年

https://www.jstage.jst.go.jp/article/sugaku1947/47/3/47_3_269/_pdf/-char/ja

 ネットで読める量子群の教科書。  A^{(1)}_n 型のアファイン量子展開環の場合に限って結晶基底を導入し、箙(えびら、quiver)による幾何学的表現からHecke環の標数 p での表現論に応用する。

 ここまで量子群について量子可積分系におけるR行列的な側面ばかりを強調してきたが、表現論的には変形パラメータ  q を動かすことで様々な表現論をつなげてしまうことがきわめて重要である。  q=1 の時は古典的な有限次元/アフィンリー代数標数  0 の表現論)になり、 q が1の冪根  q = exp(2 \pi \sqrt{-1} / p ) のときは標数  p の表現論になり、 q = 0 のときは柏原正樹*10の結晶基底/Lusztigの標準基底と呼ばれる組み合わせ論的対象になる。この多様性からポンポン非自明な関係が出てくる([柏原-谷崎]参照)。

 [有木]では、量子群 q=0 で構成したものが箙を通して、Hecke環という量子版のShcur-Weyl双対でも出てくる大事な代数構造(リー代数ではなく対称群の量子変形)の標数  p での表現に応用されるという、中々こんがらがったことになっている。結晶基底の強さがうかがえる。

 

『数学』のバックナンバー 「量子群」検索結果

数学

 

 より発展的な内容はここから発見できるかもしれない。

 

 

文献C:量子群の教科書

 

J. C. Jantzen, “Lectures on Quantum Groups”, American Mathematical Society, 1996.

 ちゃんと量子群を勉強するならまずこれをお勧めしたい。丁寧かつ端正な書きぶりに好感が持てる。量子群によくある煩雑な計算を全部書き下しているのもありがたい。具体例が少ないのが難点。

 この本の他の特色は次の通り。①有限次元リー代数に対応する量子展開環のみ考えていること。そうすると理論が綺麗になる(アフィン量子展開環の一般論は出来ないこと・面倒くさいことが多い)。②量子群の基礎体が標数  p でも回るようにしていること。Jantzenは標数 p での表現論で功績が多い人で、関連して量子群でも結果を出している。ただ難易度を考慮してか、この本で  q が1の冪根の場合に深く突っ込むことはない。③結晶基底を最後の3章で扱っていること。

 結晶基底は、もう全てが知られていそうな有限次元単純リー代数の表現論にすら応用をもたらした。Gelfand-Tsetlin bases(1950年)と呼ばれる、リー代数の表現の都合の良い基底がある。これは古典型A, B, C, Dに対して各論的に構成されていたのだが、結晶基底によって例外型まで含めて系統的に構成することが可能になった。特に例外型での構成は新規の結果である。

 

C. Kassel, “Quatnum Groups”, Springer, 1995.

 これも名著として知られる。が、具体例は U_q ( \mathfrak{sl}_2 ) の場合しか考えないという大胆な選択をしている。400ページのその他の部分はDrinfeldの仕事の抽象的側面(テンソル圏、Hopf代数、Drinfeld associatorなど)と、結び目への応用に当てられている。

 河野-Drinfeldの定理(1987,90年)の解説が白眉だろう。その主張は、「WZW模型と呼ばれる共形場理論の相関関数を決定するKZ方程式と呼ばれる微分方程式について、そのモノドロミー表現から量子群のR行列が出てくる」というもの。結び目の量子不変量、共形場理論(アフィンリー代数)、量子群をつなぐ重要な定理だ。

 

V. Chari, A. Pressley, “A Guide to Quantum Groups”, Cambridge University Press, 1995.

 この時点までに知られていた量子群の結果を概観したら600ページを越えていたヤバい本。証明は他書に飛ばされることが多いので、お話として読むと良い。

 刺激的な事実が多く含まれる。これを読みながらとったメモは1万文字を越えているので全てを紹介することはできない。1つだけ取り上げてみる。

 Drinfeldはもともと数論をやっていた人で、数理物理に来る前は関数体に対する  GL(2) の場合のLanglands予想を解決していた(1976年、凄い結果)。 80年代にかけて古典/量子可積分系に対し巨大な抽象理論を建設した後、量子群で用いたHopf代数を元手に、Grothendieck-Teichmüller群という数論/低次元トポロジー的な対象を定義した。Drinfeldを触発したのはGrothendieck(70年以降隠遁生活を送っていたが80年代に一度カムバックした)が描いた巨大構想「Esquisse d'un Programme」(1983年)であり、これはABC予想云々で数学的世間を騒がしている望月新一の出発点にもなっている。要するに全て数論的基本群と呼ばれるものの話。

 

G. Lusztig, “Introduction to Quantum Groups”, Birkhaeuser Boston; 1st ed. 1993. Corr. 2nd printing 1994. 3rd. printing 2010.

 名前に反して専門家向け。殺意が高い。アフィンケースまで含めてLusztigの標準基底の話が書いてあるらしい。

 

 

文献D:可解格子模型について

 

R. J. Baxter, “Exactly Solved Models in Statistical Mechanics”, Academic Press, 1982.

出口哲生『1次元量子系の厳密解とベーテ仮説の数理物理』2000年

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/96826/1/KJ00004709327.pdf

南和彦『格子模型の数理物理(SGCライブラリ 108)』サイエンス社、2014年

川上則雄、梁成吉『共形場理論と1次元量子系』岩波書店、1997年

 量子群がどういうところから出てきたか知っておくのは、量子群を勉強する上でも無駄にはならないだろう。そうすると気付くのは、Yang-Baxter方程式とか量子群とかは数学的対象であって、物理量を求めるのにはあまり役立たないことである。

 [Baxter]は可解格子模型に関してド定番の教科書。[川上-梁]は物性物理から共形場理論を扱っている。

 

V. E. Korepin, N. M. Bogoliubov, A. G. Izergin, “Quantum Inverse Scattering Method and Correlation Functions”, Cambridge University Press, 1993.

M. Jimbo, T. Miwa , “Algebraic Analysis of Solvable Lattice Models”, American Mathematical Society, 1995.

参考:神保道夫『格子模型と対称性』1998年

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/96493/1/KJ00004707309.pdf

 2点関数以上の相関関数を求めるのは一般にとても難しい。共形場理論は大きな例外であり、原理的にも実際的にも多くの相関関数が書き下されている。共形場理論は量子多体系の臨界温度直上の極限として現れるが、この過程で何かしらの単純化が起こっているのだろう。実際のところ、量子可積分系と共形場理論、あるいは量子群と共形場理論の関係がどうなっているか、深いところは分かっていないように見える。

 さて、[Korepin-Bogoliubov-Izergin]は量子逆散乱法により、[Jimbo-Miwa]は量子群により相関関数を求めている。抽象的な可解性に関する考察が具体例に応用された形だ。

 

 

文献E:結び目理論と量子群

 

村上順『結び目と量子群』朝倉書店、2000年

大槻知忠『結び目の不変量』共立出版、2015年

T. Ohtsuki, “Quantum Invariants: A Study of Knots, 3-Manifolds, and Their Sets”, World Scientific Pub Co Inc, 2001.

 作用素環から結び目のJones多項式(1983年)が生み出されたのは結び目理論にとってショッキングな出来事だった。Alexander多項式(1923年)から60年越しに結び目の多項式不変量が構成されたのである。Skein関係式による表示を受けて、HOMFLY多項式、Kauffman括弧といった不変量も見つかる。これらはまとめて結び目の量子不変量と呼ばれている。

 量子不変量は当時盛り上がり始めていた量子群のR行列を利用しても構成できることがすぐに分かった。標語的に言うと、「量子群の表現ごとに結び目の量子不変量がある」*11。これらをまとめた現状最強の不変量としてKontsevich不変量がある。

 [村上]は初学者向け。[大槻]は証明飛ばしがちなのでお話として読むべき。[Ohtsuki]は3次元多様体の量子不変量のことも載っている。

 

 

文献F:最高パス・箱玉系・艤装配位

 

 「最高パス」「箱玉系」「艤装配位」という3つの関連するトピックについて紹介する。

 

J. Hong, S. Kang, “Introduction to Quantum Groups and Crystal Bases”, American Mathematical Society, 2002.

 最高パス(highest path)は1993年頃、[Jimbo-Miwa]によるHeisenberg XXZ模型研究の過程で発見された概念である。量子群  U_q (\widehat{\mathfrak{sl}_2}) の対称性を活かして相関関数を決定するわけだが、ここで  q = 0 により結晶基底に移行すると、表現の基底として

 11112212111211 \dots \dots 

のような無限列が現れることが判明した。この組み合わせ論的対象を最高パスという。これは一般のアフィン量子展開環の表現に拡張することができて、レゴブロックを構成するように表現を研究することができる。[Hong-Kang]は結晶基底の教科書としても読める最高パスの解説書である。

 

坂本玲峰、アナトール・N・キリロフ『ベーテ仮設の数理』森北出版、2021年

参考:坂本『Bethe仮説へのいざない』

https://arxiv.org/ftp/arxiv/papers/1704/1704.01650.pdf

 艤装配位(rigged configuration)は1986年頃、ベーテ仮説の厳密解の研究から生じた組み合わせ論的概念である。

 ベーテ仮説は1931年の発明以来、量子多体系を解くテクニックとして重宝されてきた。量子逆散乱法においても「代数的ベーテ仮説」として利用されている。しかし、物理的にはともかく、数学的には「仮説」としか言いようがない。その厳密化は今なお模索されている。艤装配位はベーテ方程式の解の配置を記述するような、ヤング盤に付加情報が加わったものとして定義された。しかしKirillov-Reshetikhinクリスタルの定義以降、それ自体が研究の対象になっている。

 [坂本-キリロフ]*12および[坂本]は前半でベーテ仮説について1から解説し、後半で艤装配位について述べている。

 

広田良吾、高橋大輔『差分と超離散』共立出版、2003年

時弘哲治『箱玉系の数理』朝倉書店、2010年

 1990年に発見された箱玉系に関しては、『可積分系の歴史』でも触れたので詳しい解説は省く。「箱の列に収まった玉の群を、子どもが手慰みに思い付きそうなルールで移動させていったら、無限個の保存量を持つソリトンになった」という話だったことを思い出しておく。

 

国場敦夫『ベーテ仮説と組合せ論』朝倉書店、2011年

参考:国場『組合せ論的ベーテ仮説』2007年

https://www.jstage.jst.go.jp/article/emath1996/2007/Autumn-Meeting1/2007_Autumn-Meeting1_32/_pdf/-char/ja

 組み合わせ論的・離散数学的な3概念「最高パス」「箱玉系」「艤装配位」はどうやら深く関係していることが2000年前後に分かった。興味のある方はまず[国場]のpdfを読んでみて欲しい。[国場]のみならず[時弘][坂本-キリロフ]も3つの関係に焦点を当てている。

 

 

文献G:量子群の広がり

 

粟田英資、久保晴信、守田佳史、小竹悟、白石潤一『共形場理論を越えて : 変形 Virasoro 代数が開く扉』1998年

https://www.jstage.jst.go.jp/article/butsuri1946/53/3/53_3_170/_pdf/-char/ja

 アフィン量子展開環をさらに変形して変形パラメータが2つある量子群を作ろう、という動きがあった。もともと格子模型の6頂点模型のR行列(指数関数で書ける)はアフィン量子展開環で統制される。ならば6頂点模型の拡張である8頂点模型も、R行列に楕円関数が出てくるが、量子群で記述できるはずではないか。おおよそこんな動機だった。

 結論を述べると、「楕円量子群」と呼ぶべきものは1990年代にいろんな人が定義して8頂点模型のR行列をちゃんと再現した。しかしそれ以上の応用がなかった。定義が煩雑で、Hopf代数ではなく亜Hopf代数になってしまうのが厳しい。

 上の記事は楕円量子群を含む「楕円代数」に関するサーベイ

 

Y. Matsuo, “Quantum toroidal algebra: Relation with integrability and application to AGT conjecture”, 2019.

https://www-hep.phys.s.u-tokyo.ac.jp/~matsuo/file/YITP2019.pdf

 楕円代数の中でも最近は「量子トロイダル代数(quantum toroidal algebra)」と呼ばれるものに注目が集まっている。4次元超対称Yang-Mills理論と2次元共形場理論の驚くべき対応を主張するAGT予想(2009年)、その4+1次元-2+1次元への拡張に量子トロイダル代数が現れるのだ。

 一番簡単なケースはDing-Iohara-Miki代数(DIM algebra)とも呼ばれる。Ding-Iohara(1997年)がアフィン量子展開環の拡張から定義し、三木(2007年)が 共形場理論における  W_{1 + \infty} 代数の  q -変形としてDing-Ioharaの代数を得たので、この名がついている。

 いろんな場所でたびたび観察されるが、逆に可解格子模型での応用が今のところ無いかもしれない。Hopf代数でありR行列を持っていることは確認されている。

 

中島啓『講座 : 数学の発見 – クラスター代数とルート系』

https://member.ipmu.jp/hiraku.nakajima/Talks/12_Hakken/hakken.pdf

 Lusztigの標準基底を動機として2002年頃定義されたクラスター代数は、その定義の簡単さと応用の広さからすぐさま爆発的に研究された。箙との相性もよい。詳しくないのでこの程度の紹介にしておく。

 

 

おわりに

 

 『数学の歴史』から始まった記事シリーズはこれで完結となる。量子群についてちょっと書くだけのつもりが、歴史と文脈をちゃんと調べ始めたら、えらく長くなってしまった。

 

 可積分系を中心にトピックをまとめると次のようになる(赤字で表現論的側面=対称性を付記)。

可積分系の地図

 4次元Yang-Mills理論は明らかに難しい対象なので、分からなくても良しとしよう。問題は共形場理論である。本当に多くのアプローチがある中、可積分系から見たときの共形場理論は謎めいている。

 なぜ場の量子論の癖に線形微分方程式で相関関数が求まってしまうのか。一方非線形性も織り込まれていて、たとえばKZ方程式はそのモノドロミー表現に量子群のR行列が出てくる。非線形な量子Painleve方程式の線形特殊解であることが知られている。  c = 1/2 の共形場理論のfusion ringが、 1の4乗根  q = \sqrt{-1} での量子群のtilting加群の分岐則と一致する。

 機会があれば「謎」を列挙するだけの記事を別途作成するかもしれない。うまく可積分系の地図の中に位置付けることができればそれが一番良いのだが。

 追記:書いた。

wagaizumo.hatenablog.com

 

 

 ところで、共形場理論がよく分からない遠因は、量子群の幾何的描像の欠如かもしれない。ここで非可換幾何学の話に戻ってくる。 

 量子群(量子展開環)はどうも代数的・組み合わせ論的な対象に見えていて、それがある種の計算しやすさをもたらしている。しかし幾何学的にも理解できるならしたい。

 箙など幾何学的表現論は見通しをよくしてくれるが、根本を掴んだ感じがするものは今のところ見当たらない。Jones多項式を3次元Chern-Simons理論によって解釈したWittenの仕事は結び目理論においてきわめて重要。しかしオリジナルの発想を数学に出来ているわけではない。

 私たちは果たして量子群を「見える」ようになるのか。それともその前にここら辺の分野が全く流行らなくなったり、アカデミアそのものが死滅してしまうのか。脳に瞳を持った上位者のみぞ知る。

 

 

 

*1:フィールズ賞受賞者を見てみよう。1986年がDonaldsonとFreedman(4次元位相多様体論をあらかた片付けた人、Donaldsonの仕事の基礎)とFaltings(数論学者、Mordell予想の解決)、1990年がDrinfeldとJonesとWittenと森重文代数幾何学者、極小モデルプログラム)だった。なお1994年はバランスをとってか数理物理寄りの人が居ないようである。

*2:実のところ①の量子群=量子展開環は公理的に定まるものではない(②の場合は「量子群の公理」がある)。Kac-Moody代数と同様に、量子展開環は具体的に構成されているものが量子展開環と呼ばれる。Kac-Moody代数を収める箱が無限次元リー代数だったとすれば、量子展開環を収める箱はHopf代数になる。

*3:量子群の基礎を与えるHopf代数の言葉によれば、リー代数の普遍包絡環は「余可換Hopf代数」、群上の関数環は「可換Hopf代数」になる。そしてそれらの量子化たる①②はともに「非余可換・非可換Hopf代数」のため、まとめて「量子群」と呼んでしまってよいだろう、というのがDrinfeldの発想だった。

*4:圏論に馴染みのある方向けの注:とは言うものの、②の量子群は関数環として定義されており、空間ではなく解析側の対象である。もうちょっと具体的には、変換  G \to H に対し反変に変換する。一方、①の量子展開環は共変に変換するので、一応空間側と思える。しかし群ではなくリー代数。つまりどちらも「量子群」と呼ぶには微妙なところがある。

*5:追記:どうも量子重力の中でも超弦理論から来た動機らしい。そうなると少なくとも1985年以後だと思うべきである。

*6:中島啓『弦双対性の示唆する22世紀の幾何学: 母空間, 保型空間』数学セミナー1997年8月号 https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~nakajima/Articles/suusemi.html 

*7:量子重力の検出には強い力の  10^{12} 倍だかのエネルギーが必要で、21世紀の人類には検証不可能だという問題がまずある。観測できる量子補正をうまく掬い上げるしかない。理論方面に関しては立川裕二『量子重力の現状』参照。 https://member.ipmu.jp/yuji.tachikawa/transp/colloq.pdf 

*8:「1920-1930年代:大域リー群と解析学」『表現論の歴史:対称性の数学』参照。 https://wagaizumo.hatenablog.com/entry/2023/10/07/193813 

*9:余代数は代数の公理を圏論的図式で書いて射を逆向きにしたもの。代数と余代数がうまく整合している構造が双代数、それに対合射を足したのがHopf代数である。Hopf代数において余代数構造は表現のテンソル積表現・自明表現・反傾表現をつかさどったものと解釈できる。余代数 - Wikipedia 

*10:佐藤スクール1番の出世頭。D加群の建設に大きく貢献したあと、表現論での業績多数。

*11:ただし、量子群ribbon Hopf代数性を利用してできるのはframed knot(幅のある結び目、リボンだと思えばよい)の不変量である。普通の結び目、unframed knotの不変量を作るにはMarkov traceと呼ばれるものが別途必要で、それができる量子群の表現は案外限られている。

*12:表現論で活躍するキリロフ(Kirillov)は3人も居るので注意が必要。つまり、1960年代から活動を始めリー群の「軌道法」で名高いAlexander Kirillov 、その息子で1990年代から活動するAlexander Kirillov, Jr. 、1970年代から組み合わせ論的表現論で業績を残しているAnatol Kirillovの3名。A. Kirillovで略したら区別がつかない。