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表現論の歴史:対称性の数学

 

リーマン対称空間の不連続群論では 100 年以上にわたって広く深く研究が発展してきたが,それとは対照的に,1980 年代当時は非リーマン等質空間の不連続群論に興味を示す研究者は殆どおらず,孤独ではあったが何をやっても新しい発見になった

(小林俊行『非リーマン等質空間の不連続群について』)

https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~toshi/texpdf/rons-discont.pdf

 

 数学の中には表現論と呼ばれるけったいな分野がある。その歴史について以下で素描を試みたい。14000文字。現状、数学に心得のある人向け。

 

 

 

表現論の紹介

 

 まず、表現論が何かについて述べた方がよいだろう。それが容易にできないから「けったいな」印象を受けるのだが。

 

 数学をジャンル分けするとき、応用数学純粋数学に分けるとか、代数と幾何と解析に分けるとか、いろいろな分類が今日用いられている。ジャンルの定義については、「代数は等式の研究であり、解析は不等式の研究である」とか、「これから調べる空間を  M 、よく知っている空間を  \Sigma としたとき、解析は写像 M \rightarrow \Sigma の研究、幾何は写像  \Sigma \rightarrow M の研究である」*1とか、いろんなことが言われている。

 数論というジャンルの定義は比較的ゆらぎがない。「代数でも幾何でも解析でもどんな道具を使ってもいいから、整数を中心とする数を調べる分野」だと言っていいだろう。実を言えばラングランズ・プログラムに代表されるように、数論の道具箱の中には表現論も含まれている。

 表現論はおそらく、数論と同様に、道具ではなく対象や目的によって定義づけるべきジャンルだ。ただ、「リー群」「リー代数*2「ルート系」といったものが我が物顔で振る舞う――数学科の学部の必修授業では学ばないにも関わらず、大学院に入るといつの間にか既知の対象として扱われている――のがよくワカラナイ。さらに言えば、表現論はリー群・リー代数で全てが尽くせるわけではなく、もっと巨大なジャンルである。しかしここまで大きくなったのはいつ頃からなのか、どういう目的意識で表現論の名を共有しているのかがよくワカラナイ。

 

 一つの作業仮説を立てておこう。表現論とは対称性を研究する分野だ。

 数学の中には、人間には御しきれないようなワイルドな現象(具体的に知っているにせよその可能性に怯えるだけにせよ)を抽象論によってなんとかなだめる方向と、美しい(ともすれば「綺麗すぎる」「うまくいきすぎている」)具体例の謎を解き明かそうとする方向の二つがある、と考えてみよう。このとき表現論はかなり後者寄りの分野だと言える。

 何かが「うまくいっている」とき、その背景に対称性があることが多い。たとえば、5つしかない正多面体はそれぞれの正多面体群によって統制される。球面調和関数はリー群  SO(3) によって統制される。量子力学におけるスピン角運動量リー代数  \mathfrak{su}_2 のspin  \frac{\ell}{2} 表現になっている。モンスター群がとある頂点作用素代数の自己同型群として現れる。モジュラー形式は  SL(2,\mathbb{Z}) \backslash SL(2,\mathbb{R}) / SO(2) 上のベクトル束の切断として書ける。統計力学のXXZ模型は量子群  U_{q}(\widehat{\mathfrak{sl}_{2}}) に統制される。これらは全て表現論の研究対象になり得る。

 

 気持ちだけ言われても困るかもしれないから、表現論をもう少し実際的に定義しておこう。

 群  G の表現とは、なんらかのベクトル空間  V一般線形群  GL(V) に対する群の準同型写像  f : G \rightarrow GL(V) のことである。

 もっと一般に、 A をなんらかの代数構造  \mathcal{O}(群、位相群、リー群、多元環リー代数、etc)を持つ対象とする。ベクトル空間  V について、自己線形写像の空間  End(V) の部分集合  B にも構造  \mathcal{O} が入るとする(群の場合は  B = GL(V) \varsubsetneqq End(V) )。この時、 A表現とは、構造  \mathcal{O} に関する準同型写像  f: A \rightarrow B のことである*3 f によって  A の元はそれぞれ  V 上の行列として表示できるため、これをもって「抽象的な代数構造を空間の対称性として実現した」と思おう。

 表現それ自体が興味の対象なのだが、応用となると2つの道に分かれる。

 ①  A のことをよく知るために表現を調べる。どんな構造であれ、人類が計算できるのはほぼ線形代数(と微積分)に帰着できるケースに限られる。だから情報が落ちることを覚悟で  A を行列表示し、また情報落ちを防ぐためいろんな方式で行列表示することを試みる。そして表現論ではしばしば、「 A の表現の情報をすべて集めれば  A を復元できる」という定理が成り立つ(コンパクト群に対する淡中-クライン双対など)。

 ②  V のことをよく知るために表現を調べる。正確に言えば  B \subset End(V) が与えられたとき、 B を分析するためどのような  A の表現空間になり得るかを調べる。たとえばKdV方程式と呼ばれる非線形偏微分方程式は、非線形にもかかわらずソリトン解が「重ね合わせの原理」を成り立たせることから謎を呼んでいた。KdV方程式の解空間が無限次元リー代数  \widehat{\mathfrak{sl}_{2}} の表現空間だと理解されたとき初めて、美しい挙動の謎は解けたと言える。

 

 表現論は具体的で、面白いし、美しい。

 しかし以上のように表現論を定義し理解してもなお、どこかしっくりこない感じ、いかがわしい感じが個人的には残った。これを動機の一つとして歴史的形成を追おうとしたのが本記事である。

 

 

1830-1870年代:ガロアからジョルダン、クライン

 

 空間の対称性の研究という意味での表現論は、古くから各地の自然科学体系で考えられてきた。たとえば正12面体の存在は、宗教的意義も込めて、ピュタゴラス教団の秘奥であった。

 「抽象的な代数構造を空間の対称性として実現する」という狭義の意味での表現論となると、群論について先駆的な研究を行ったガロア(1811-1832年)から話を始めるべきだろう。

 19世紀が数学にとってどのような時代だったか思い出すと、解析学が厳密化していき、代数学が抽象化していき、非ユークリッド幾何の探求が行われたのだった。

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 3次方程式と4次方程式の代数的解法を最初に発表したのは、ルネサンス時代イタリアのカルダーノだった(1545年)。しかし続く5次方程式は、その後250年数学の算術化が進んでも代数的解法が見つからず、19世紀初頭のガウスは不可能なことをほとんど確信していたという。

 ルフィニ、アーベル、ガロアといった人々が1810-30年の間に独立してこの仕事に取り組んだ。このうちアーベルが最初に完全な証明を与え(1824年)、ガロアは方程式の根の置換がなす群である対称群  S_{n} の重要性を見抜いた(1831年)。ここで対称群  S_{n} とは、 n 個の数の組  ( 1, \dots , n ) の順序を入れ替える操作全体からなる、位数  n! の群である。

 

 それでは群の一般的定義を確認しよう……と進めるとアナクロニズムに陥ることになる。ガロアは「寄り集まったもの」程度の意味合いで「群」という言葉を用いたのであって、群の3公理「結合律」「単位元律」「逆元律」は対称群  S_{n} という具体例のうちに沈んでいる。群の一般的な定義は可換群の場合クロネッカー(1870年)、非可換で無限の場合はヴェーバー1893年)による。それまで群の考察の対象は、幾何的な出自が明らかな群(たとえば回転群  SO(3))と対称群  S_{n} の部分群に限られていた。

 

 さて、ガロア理論が広く普及したのはフランスのジョルダンによる大著『置換と代数方程式論』(1870年)によってだった。この年、ジョルダンのいるパリに連れだって旅した2人の若者がいる。フェリックス・クラインとソフス・リーである。両者ともガロア理論の洗礼を浴び、群概念を代数方程式の外に持ち出そうとした。

 クラインはゲッティンゲン学派に属し、ヒルベルトを自らの大学に招聘した人でもある。彼の関心は幾何にあり、有名な『エルランゲン・プログラム』(1872年)で当時バラバラに研究されていた非ユークリッド幾何に統一的見解を与えようとした。彼のプログラムに従えば、幾何学的性質とは変換群  G の作用で不変に保たれる性質のことである。たとえばユークリッド幾何は合同変換群によって不変な性質の研究であり、射影幾何学は射影変換群によって不変な性質の研究、ということになる。

 リーマンによって多様体の局所概念が提出されたのは1854年だった。リーマンはそこで「多重に広がったもの」と述べ、多様体が局所的に  \mathbb{R}^{n} であるべきことをおずおずと主張している。対してクラインは、リーマンを踏まえつつ(同じゲッティンゲン大学である)、局所的というよりは大域的な考え方で来るべき幾何学の姿を描いた。表現論の幾何的な研究の根がここにある。

 

 クラインはガロア理論幾何学に持ち出そうとした。では、ノルウェーの数学者リーはどうだったか。

 

 

1870-1910年代:微分方程式ガロア理論リー代数

 

 今日リーの名はリー群やリー代数*4のみならず、多様体のリー微分にも残っている。しかし彼は幾何的な仕事をしたかもしれないが、究極目的は偏微分方程式ガロア理論だった*5。「置換論が代数方程式を支配しているのと同じ意味で、接触変換の不変式論は第一階の偏微分方程式積分理論を統治しているのである」(リーの書簡、1874年)。

 1873年頃から断続的に仕事を始め、結果はエンゲルとの共著『変換群の理論』(1888-1893年)にまとめられている。彼はそこでいわゆるリー対応、リー群(彼の言葉では「有限連続群」) Gリー代数  \mathfrak{g}微積分(あるいは  g = e^{tX} \ (g \in G, X \in \mathfrak{g} ) のようにexpとlog)によって対応していることを示した。が、実のところリーによるリー群の考察は単位元の近傍に限定されている。クラインと違って局所的なのである。

 これは彼の目的が微分方程式だったことも影響しているが、そもそも彼の時代には大域リー群(ないし多様体)を扱うための道具が無かったことに注意したい。大域リー群が十全に扱えるようになるのは、20世紀初頭ポアンカレによる基本群の定義、ハウスドロフによる位相の定義を経て、1920年代のカルタンとワイルを待つ。

 

 もう少し表現論の内部に寄った話をしよう。

 ドイツの数学者キリングは1980年頃、リーとは独立にリー代数の概念に辿り着いた。そしてリーとは違った目的意識により、複素単純リー代数の分類を開始する(1888-90年)。いわば「対称性の分類」だ。厳密性は欠いたが、ルート系の概念を導入して4つの無限系列(古典型) A_{n} : \mathfrak{sl} (n+1, \mathbb{C}) ,  B_{n} : \mathfrak{so}(2n+1, \mathbb{C}) ,  C_{n} : \mathfrak{sp}(2n, \mathbb{C}) ,  D_{n} : \mathfrak{so}(2n, \mathbb{C}) と5つの例外型  E_6, E_7, E_8, F_4, G_2 を発見した。なお古典型はリーも取り扱っている。

 キリングの欠陥を埋め、複素単純リー代数の分類を完成させたのはフランスの数学者エリ・カルタンだった(1894年)。カルタンは実単純リー代数の分類も1914年に行っている。

 また単純リー代数の表現論についてカルタンは、ウェイトという概念によって分類を完成させた(1913年)。

 以上でリー代数の古典的結果はおおよそ出揃ったことになる。

 

 リー代数に限ってもう少し先まで話を進めてしまおう。この後、リー群論や代数群論の進展に伴い、リー代数の理論もたびたび見直される。リー対応を使ってリー群の側で議論している部分をリー代数だけで済ませられないか(リー群上の解析学から出てきたワイルの指標公式など、後述)。また代数群との関係では、複素数体  \mathbb{C} 上に限らず標数 pp 進上のリー代数が問題になってくる。

 1930年代から60年代にかけて、カシミール、ディンキン、シュヴァレー、ハリシュ=チャンドラ、セールといった人々によってリー代数の理論が整備された。古典的な結果の証明もかなり見通しが良くなった。

 セールの最後の結果が1966年であり(シュヴァレー-セール関係式)、今度はここを出発点として、1968年に無限次元リー代数の最重要クラスであるカッツ-ムーディ代数が定義される。これはソリトン方程式と関わったり、指標として自然にモジュラー形式が出てきたりして、新古典といえるような領域になっている。

 

 

1890-1900年代:有限群の表現論

 

 表現論といいつつ、1894年までずっと連続群(リー群)ないし無限小代数(リー代数)の構造論を述べていたことにお気づきだろうか。この節では狭義の意味での表現論である、有限群の表現論について紹介しよう。史上はじめて「表現」が定義された分野である。

 

 歴史的には群の表現  f : G \rightarrow GL(V) よりも先に、群の指標  \chi = trace \circ f : G \rightarrow \mathbb{C} が現れた。特に有限可換群  \mathbb{Z} / p \mathbb{Z} の場合は、19世紀初頭のガウスがすでに利用していた。有名な平方剰余の定理は、可換群の指標(ルジャンドル記号) \binom{a}{p} によって平方剰余の存在( x^2 \equiv a \  mod \ p の解の存在)が判定できることを主張する。有限可換群の表現論は既約表現が全て1次元となり、非常にシンプルである。

 有限非可換群の指標を最初に扱ったのは1896年のフロベニウス*6だった。1880年代に対称群  S_{n} の部分群に限らない一般の有限群の研究が進む中で、デデキントによる群行列式*7の問題に際して、フロベニウスは指標を導入した。

 

 有限群の表現自体は、続く1897-98年にモリーン(Theodor Molien)、バーンサイド、フロベニウスらが本質的には定義した。表現の完全可約性や、正則表現  L^{2} (G) が全ての既約表現を成分として持っていることもすでに示されている。表現論の構造論への応用としては、バーンサイドの定理(1905年)が基本的だ。

 行列を使って今日に近い形で表現を定義したのはフロベニウス門下のシューア(1905年)である。既約表現に関するシューアの補題もここで示された。

 最重要例の対称群  S_{n} について、その既約指標はフロベニウスによって決定された(1900年)。対称群の既約表現がヤング盤で記述できることは今日よく知られているが、これはヤングの1900-1902年の仕事が発端となっている。

 

 この後、1920年代にネーターが抽象代数によって有限群の表現論を書き換えた。たとえば、表現の定義に行列ではなくベクトル空間を使うのはここから。

 1930年代にはブラウアー*8がモジュラー表現論を創始する。これは表現先のベクトル空間を複素数体  \mathbb{C} 上ではなく、有限体  \mathbb{F}_p 上考えたものである。特に群の位数が  p で割り切れる場合には表現の完全可約性が成り立たないなど、厄介な現象が多数起こる。モジュラー表現論は有限群の構造論に貢献した。

 とはいえ、有限群の(複素/モジュラー)表現論は、有限単純群の分類という有限群の大問題からはいつの間にか離れてしまったように見える。お互いがお互いに役立たないのだ。ドリーニュとルスティック*9は1976年、ヴェイユ予想を解くために開発された  lコホモロジーを用いて、リー型有限群*10の表現を代数幾何的に構成した。この結果は果たして群論研究者にフォローされたのだろうか。

 

 

1920-1930年代:大域リー群と解析学

 

 リー群の表現論について、20世紀前半の動向を追ってみよう。

 単純リー代数の分類(1894年)とその表現の分類(1914年)を為したカルタンは、リー群の表現に関しても早期に結果を残している。リー対応においてリー代数の表現とリー群の表現も対応することを示し(1909年)、前者を利用することで、「古典型系列の複素単連結リー群の有限次元表現」の分類を完成させた(1913年)。

 条件がたくさん付いているので注をつけていく。

 ①古典型:例外型でできなかったのはリー代数の側が片付いていなかったせいだろうか?*11 それさえ通れば例外型でも同じようにできるはず。

 ②単連結:20世紀初頭のポアンカレは基本群などトポロジーの基礎概念を提出し、単連結性も意識されるようになった。単連結でないリー群はリー環とのexpによる対応に障害が生じる(例:リー群  U(1) とそのリー環  \sqrt{-1} \mathbb{R} に対して、 1 = e^{\sqrt{-1}t} となる t t = 2 \pi n と無限に存在)。そのせいでリー代数の表現のうちリー群の表現にならないものが出てくる。 

 ③有限次元表現:無限次元の既約表現はリー代数の既約表現(本質的に有限次元)と全く違った様相を見せる。後述。

 ④複素:実リー群の表現論、特にコンパクトリー群の表現論が1920年代のテーマになる。1900-20年代の間にトポロジーと位相の概念が整備され、リー群の大域的な考察が可能になった。

 

 ゲッティンゲン学派ヒルベルト門下の数学者としてワイルが表現論に参入してくる。彼は1910年代後半に相対性理論*12を研究していたが、そこから触発されてリー群の研究を始めたらしい。

 1920年代中頃のワイルはコンパクトリー群に対して、解析的な議論(群作用で不変なハール測度の存在)から表現の完全可約性、ワイルの指標公式、ピーター-ワイルの定理といった多くの美しい結果を示した。ピーター-ワイルの定理は非可換調和解析の可能性を示している。

 さらに複素単連結単純リー群について、コンパクト実形とよばれる実コンパクト部分群がつねに存在し(例: SL(n, \mathbb{C}) に対する  SU(n) )、コンパクト群の表現論から元の複素リー群の表現が決定できることを示した。この過程をユニタリトリックという。

 このうえ、複素リー群の表現は複素リー代数の表現に持って行くことができる。表現の完全可約性と指標公式は、リー代数の表現論においても当時は新規の結果だった(後にリー代数だけで示せるようになる)。

 

 ここで位相群とリー群の関わりについて触れておこう。位相群は群の積が連続写像になっている群、リー群は  C^{\infty} 写像(任意回微分可能な写像)になっている群である。前者の方が圧倒的に広いクラスに見えるが、ヒルベルトは20世紀初めに第5問題として、少しでもリー群に近い位相を持った位相群は全てリー群になってしまうことを予想した:「局所ユークリッド(どの元にも  \mathbb{R}^n と同相な近傍が存在)な位相群はリー群である」。 C^0 群が  C^{\infty} 群(実をいうとリー群の積は常にベキ級数展開可能なので  C^{\omega} 群)になってしまうという、おそるべき剛性*13をリー群は持っている。リー群の豊かさの背景にはこのような縮重現象も影響しているかもしれない。

 フォン・ノイマンは第5問題をコンパクト群の場合に解決した(1933年)。完全解決は1950年代になる。

 

 リー群に限らない位相群の表現論も研究されている。ポントリャーギン双対は局所コンパクト可換群  Gに対し、指標のなす群  \widehat{G} との双対関係を主張する。これはフーリエ変換の一般化になっている。

 淡中-クライン双対(1939年)は非可換コンパクト群の場合に双対関係を主張するが、 G と対応するのはもはや群ではなく、圏である。群  G から表現圏  Rep(G) が作られるが、逆に表現圏から群を復元できる、というのが淡中-クライン双対の主張だ*14

 

 ここまでの古典的結果をまとめたのがシュヴァレー『リー群の理論』(1946年)であり、リー群論の古典的教科書として今日知られている。

 

 大域リー群の幾何的側面についていくつかコメントしておく。

 ワイルに触発されたカルタン1920年代、リー群を微分幾何的に研究した。リー群の等質空間  G / H (の一部)はリーマン対称空間と呼ばれるものになり、諸々の微分幾何的な計算が明示的にできるよい具体例を提供している。

 リー群のトポロジーも1930年代以降よく研究された。ボット周期性(1957,59年)の名を挙げておく。

 幾何と表現論の交わりとして、ボレル-ヴェイユの定理(1954-55年)によりリー群の表現が複素幾何的に構成された(ベクトル束の切断空間・層係数コホモロジーが表現空間になる)ことに触れておこう。これが今日大きな勢力を持っている幾何的表現論の発端である。前節末尾で触れたドリーニュ-ルスティック理論は、ボレル-ヴェイユの定理の「有限体類似」を狙ってつくられた。

 

 最後に、現在まで続くリー群のトピックの1つを述べておく。

 解析的な表現論に関して、リー群の無限次元表現は今なおリー群研究の中心課題である。コンパクトリー群の表現は本質的に有限次元表現で尽くされるが、一部の非コンパクトリー群は逆に、自明な表現以外の有限次元表現を持たない。

 無限次元表現論は相対論的量子力学の考察をきっかけに、まずローレンツ SO(2,1) , SO(3,1) の場合(それぞれ  SL(2, \mathbb{R}), SL(2, \mathbb{C}) と同型)がゲルファンド-ナイマークおよびバーグマンによって分類された(1947年)。その後1950年代にハリシュ=チャンドラによって組織的な研究が始まる。

 リー群の無限次元許容表現と呼ばれるクラスは、ラングランズその他の人々によって何度も分類されている(1982年)。問題はユニタリ表現と呼ばれる自然な部分クラスで、どの許容表現がユニタリなのかは一般には分かっていない*15

 

 

 

 

1950-1970年代:代数群と代数幾何と数論

 

 リー群の表現の代数的理論から話を始めよう。

 カルタンは古典系列の複素リー群に対してその有限次元表現を、リー代数の表現論から分類したのだった(1913年)。これは無限小=リー代数への移行という解析的・幾何的な議論を用いている。ところで、古典系列の中でも一番扱いやすいA型の  GL(n , \mathbb{C}) に限っては、ずっと前に有限次元表現の分類がなされていた。

 それを行ったのは1892年、ドイツの数学者ドゥルツ(Jacques Deruyts)である。彼は表現の行列成分が多項式になる場合に代数的議論で表現を分類した。 GL(n , \mathbb{C}) の有限次元既約表現はこの多項式表現に本質的に限られている*16ため、表現を分類しきったと言える。ただし、彼は表現論の言葉を一切用いていないし(フロベニウス以前!)、動機も表現論的ではなかった。彼の仕事は20世紀前半の表現論研究者に全く気付かれることがなく、事後的に先駆者として発見された。

 もっと有名なのはシューアの博士論文(1901年)における多項式表現の分類だろう。とはいえ、彼の仕事はヒルベルトの不変式論に動機づけられており、不変式論への関心低下とともに一度は忘れられた。シューアの論文が有名になったのは、ワイルの有名な教科書『古典群:不変量と表現』(1939年)において再定式化されたからであり、今日シューア-ワイル双対として知られている*17。リー群である一般線形群  GL(n , \mathbb{C}) と有限群である対称群  S_N は ベクトル空間  (\mathbb{C}^{n})^{\otimes N} への表現を通じて互いにintertwinerになる。どちらの表現もヤング盤で支配される。

 

 もっと高度な代数的議論によって、あるいは代数幾何によって、リー群を含む代数群(群構造と代数多様体構造が整合している群)を研究したのは、1950年代のシュヴァレーとボレルだった。彼らの前提にあるのは1920-30年代ネーター門下による可換環(特に局所環)の研究であり、その知見を代数幾何に持ち出した1940年代プリンストンのザリスキーの研究である。代数カテゴリだとexpがうまく働かず(標数 p だと定義すらできない)、リー対応が使えないのが最初の壁になるが、これは代数幾何の大域理論により乗り越えられた。

 代数群論複素数体  \mathbb{C} 上でも有用で、リー群やリー代数の表現論に新規の結果を与えた*18。ただ、より基本的なのは係数体・係数環を様々に変えたときの代数群だろう。有限体  \mathbb{F}_p 上の線形代数群(シュヴァレー群)はリー型の有限群と呼ばれるものの一部で、有限単純群の重要なクラスをなしている。代数閉体  \overline{ \mathbb{F}_p } 上の代数群は標数 p代数幾何における対称性を考えるにあたって重要である。

 

 代数群にはまた、数論的な動機が最初から埋め込まれている。たとえば有理数 \mathbb{Q} 上の楕円曲線*19は19世紀から現在までずっと数論の中心課題であるが、代数群は現代的な楕円曲線研究の基礎の言葉を与える。

 

  \mathbb{Q}上のガロア理論およびガロア群も数論の中心課題だ。1960年代以降、ガロア群の研究は絶対ガロア Gal( \overline{\mathbb{Q}} / \mathbb{Q} ) の連続表現論として行われることが多くなった。ラングランズ・プログラム(1970年頃)においてガロア表現と保型表現の対応が予想されてからは特に。

 ガロア表現において、表現空間を複素数体  \mathbb{C} 上とると表現の値域が有限集合になることが知られている。一方  \ell 進体  \mathbb{Q}_{\  \ell} 上の表現だとより深い現象が起こり、難しい。これは  \ell 進体を含む局所体上の代数群の表現論を強く動機づけた。

 

 

1910-2010年代:物理学における対称性

 

 抽象代数学で有名なエミー・ネーターは、物理学においても足跡を残している。ネーターの定理(1915年)は、古典力学系において d 次元の対称性と  d 個の保存量の存在が等価であることを明らかにした。物理系が解けるとは保存量が十分ある=対称性が高いということ、解けないとは対称性が低いということ*20。前者は2体問題やソリトン方程式、後者は3体問題におけるカオス現象が例になるだろう。本稿第1節で数学研究におけるワイルド/テイムの二項対立を述べたが、ネーターの定理はこの二項対立を力学系の可積分性において、対称性の役割を明確にしながら示す。

 物理の研究を通じてローレンツ群の無限次元表現が探究されるようになったことはすでに「大域リー群と解析学」で述べた。量子力学、あるいは場の量子論(粒子の生成消滅を扱える量子力学の枠組み)においても対称性は非常に重要である。なお、CP対称性のように、量子化に伴って対称性はときに破れてしまう。

 

 コールマン-マンデュラの定理(1967年)は、物理的に妥当な条件のもとで場の量子論において可能な対称性が、ポアンカレ対称性(時空の特殊相対論的な対称性)とゲージ対称性(関数自由度のリー群的対称性)に限られることを示した。電磁気力・弱い力・強い力に関してはそれぞれ  U(1), SU(2), SU(3)ゲージ理論で書けることが70年代に分かり、後に実験結果とも整合した。しかし場の量子論の探求はこれに尽きるのだろうか。特に、ゲージ理論で書けない量子重力はどうすればよいのだろうか。

 抜け道は2つある。

 1つは超対称性。ボソンとフェルミオンを混ぜあわせるような、1967年時点では想定されていなかった対称性である。これを加えると理論の記述量が増し、ときに系が可積分になるため、現代でも超対称場の量子論は好んで研究されている*21。数学では超リー群や超リー代数の表現論が研究されている。

 もう1つは無質量の共形対称性。角度は保存するが長さを変えるような共形変換に関する対称性のことである。コールマン-マンデュラの定理は質量のある粒子に対してのみ適用されるため、質量のない、あるいはもはや粒子とは考えらない量子場は共形対称性を持ち得る。時空が3次元以上だと共形対称性は有限次元におさまるが*22、2次元だと対称性は無限次元にまで伸び、系が可積分になるという著しい結果が得られた(1984年)。共形場理論からは、ヴィラソロ代数やW代数や頂点作用素代数といった新たな無限小対称性のクラスが得られており、数学的にも物理的にも非常に重要である。

 

 場の量子論ではないが、統計物理におけるヤン・バクスター方程式の考察から1985年頃、量子群という「量子化された対称性」のクラスが発見された。物理的に可解なモデルの多くに量子群が関わっているし、数学的には量子群の表現論から古典的な表現論について新規の結果が多く得られている。量子群については別途『量子群勉強ノート』を用意した。

 

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おわりに:歴史語りのイデオロギーとスナーク狩り

 

 表現論の歴史について、まだまだ節を増やそうと思えばいくらでも増やせるし、歴史的に重要なものを漏らした感が無くはない*23。とはいえすでにリストは長すぎる。

 

 私が数学史を考える目的ははっきりしている。

 それは、歴史のifを考えること。「今ここにあるのではなかった数学」を空想すること。過去改変が目的であって、未来のためではない。

 それは、近代という化け物の正体を知ること。数学という化け物、そこに現れたモダニティの正体を知ること。私(たち)の身体/テクストに潜む何者かを照らすこと。

 

 表現論という分野を選んで具体的に歴史を展開したのは、たまたま機会があったからにすぎない。「なにかと散逸する分野だから、無理やりまとめたら逆に面白いかもしれない」と考えた側面もあるけれど。

 本稿で彫り描いたラインを見て思うのは、吹けば飛ぶような頼りなさである。19世紀から歴史をやり直したとき、ワイル・カルタン1920年代の結果までは何らかの形で辿り着くだろう。しかしそれ以降となると同じ数学が行われている気がしない。突き詰めれば歴史的必然性などありえず、すべては偶然なのだが、それにしたって表現論は偶然性に左右されすぎ、過去改変が容易すぎな感じを覚える。対称性の探求はギリシャ以来のテーマであるはずなのに。

 私の目的に沿わないこと(未来に関すること)を言ってしまうと、今こぞって研究されている表現論の対象が30年後に顧みられているか、疑問である。そんなの誰にも分かりはしないか。

 表現論と近代の関係について、分類欲求はいかにも近代的である。しかしそれ以外の部分について、表現論から「なにか面白いことが起こりそうだ」以上のモチベーションを掘り出すことが、私にはできなかった。

 

 私は結局、表現論を理解していない。ルスティックのような本当に表現論がうまい数学者を含む研究者たちが、いかに問題をつくり、解決し、思想を養っているのか、想像もできない。

 スナークを捕まえたつもりがなにかとんでもないものを掴まされたかのような薄気味悪さだけを残して、ここで筆をおく*24

 

 

 

[reference]

 

C. W. Curtis, "Pioneers of representation theory", American Mathematical Society, 1999.

Review:

https://www.ams.org/journals/bull/2000-37-03/S0273-0979-00-00867-3/S0273-0979-00-00867-3.pdf

 

A. Borel, "Essays in the history of Lie groups and algebraic groups", American Mathematical Society and London Mathematical Society, 2001.

Review:

https://www.ams.org/journals/bull/2003-40-02/S0273-0979-03-00979-0/S0273-0979-03-00979-0.pdf

 

T. Hawkins, "Emergence of the Theory of Lie Groups: An Essay in the History of Mathematics 1869–1926", Springer-Verlag, 2000.

Review:

https://www.ams.org/notices/200306/rev-rowe.pdf

 

『表現論の簡単な歴史』

https://m-a-o.hatenablog.com/entry/20130303/p3

 

『Historical review of Lie Theory』

https://www.math.ucla.edu/~vsv/liegroups2007/historical%20review.pdf

 

B. L. van der Waerden(著)、加藤明史(訳)『代数学の歴史―アル‐クワリズミからエミー・ネーターへ』現代数学社、1994年

 

平井武『群のスピン表現(射影表現)の歴史概観(付 年表)』

平井武『群のスピン表現入門』数学書房、2018年 付録

https://www2.tsuda.ac.jp/suukeiken/math/suugakushi/sympo23/23_5hirai.pdf

 

 

・70年代以降の表現論について

高橋哲也『p進体上の簡約代数群の admissible 表現論入門』

http://www.math.kobe-u.ac.jp/publications/rlm04.pdf

小林俊行『解説 —– リー群の表現論における最近の進展』

https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~toshi/texpdf/tk2018a-sugiura-kaisetsu.pdf

雑誌『数学』に掲載された表現論の論考・書評その他(J-STAGE

数学

 

*1:グロモフによる定義。深谷賢治『1997.10 「位相的場の理論」 集中講義ノート』p.22 https://www.math.kyoto-u.ac.jp/~fukaya/shzuok.pdf

*2:音韻上の理由で「リー環」と呼ぶこともあるが、以下では混乱を避けるため「リー代数(Lie algebra)」に統一する。本来は係数体や係数環が想定されないLie構造を指してリー環と言うが、そういった対象を扱うことはリー代数に比べると少ない。また英語でLie algebraをLie ringと言い換える習慣はない。

*3:  A に位相などが入っていて  V が無限次元の場合はさらに修正が必要かもしれない。

*4:リー群は群作用と可微分多様体の構造がうまく整合しているような群のこと。一般線形群  GL(n) や実数直線(加法で群をなす) \mathbb{R} など。ナイーブには「連続群」と思えばよい。リー代数はリー群の無限小極限として得られる代数構造で、結合律の代わりにJacobi律が成り立つ。詳しくはwikipediaでも参照。

リー群 - Wikipedia

リー代数 - Wikipedia 

*5:リーがやっていることは偏微分方程式の解空間における変換群の考察であって、1880年代にピカールが先駆的に研究した「微分ガロア理論」(エアリー方程式の解が初頭関数で書けないなど)のように、群と体の対応を与えているわけではない。

追記:「  (t,x) \in \mathbb{R}^{n+1} に作用する可解Lie群で n次元常微分方程式 [tex: dx/dt = f(x,t) が不変なら求積可能」という定理をLieは示していた。これはGaloisの代数方程式の可解性に関する結果の綺麗なアナロジーになっている(今ならNotherの定理で済みそうだが)。千葉逸人『可積分系とPainlev´e方程式』参照

https://www.wpi-aimr.tohoku.ac.jp/chiba/paper/suurikagaku2016.pdf

 

*6:フロベニウスは偏屈な人だったらしい。ベルリン大学に所属するフロベニウスはゲッティンゲン大学のクラインを学閥的にライバル視していたが、ヒルベルトがゲッティンゲンに招聘された際(1895年)に負けを悟ったという。

*7:今日ではほとんど顧みられることのない概念。群の正則表現  G \curvearrowright L^{2}(G) の行列表示に付随する変数行列の行列式をとったもの。

*8:Richard Brauer。直観主義トポロジーの研究で知られるBrowerとは別人。

*9:ドリーニュはヴェイユ予想を解いた人、ルスティックは1970年代以降の表現論のキープレイヤー。

*10:有限体上のリー群=代数群(シュヴァレー群)を含む有限単純群のクラス。鈴木群なども含まれる。

*11:調査中:あるいは例外型リー群の具体的構成が当時なかった? G_2 は1890年代に得られていたらしい。「Freudenthal magic square」なるもので1950-60年代に統一的構成が与えられたようである。それよりずっと前にカルタンが複素単連結リー群の場合を与えた? いつ?

https://mathoverflow.net/questions/99736/beautiful-descriptions-of-exceptional-groups

https://www.benasque.org/2009gph/talks_contr/0910G2-agricola.pdf

*12:一般相対性理論はリーマン幾何の言葉で書かれており、形成期の微分幾何に大きなインパクトを与えた。

*13:数学用語。ここでは「変形できない」「出てくる結果が離散的で限られている」ような状況を剛性といっている。

*14:淡中忠雄の専門は代数的整数論だった。表現論の広がりを感じさせる。追記:ここでのクラインはゲッティンゲン大学のFelix Klein(1849-1925年)ではなく、ロシアの数学者Mark Krein(1907-1989年)のこと。

*15:2012年の論文『Unitary representations of real reductive groups』で分類のためのアルゴリズムが提示された。しかしリストとして明示はできていない。

https://arxiv.org/abs/1212.2192 

*16:一次元表現  det によるひねり(テンソル積)の自由度がある。

*17:小話をいくつか。①正確に言うと、ワイルが基づいているのはシューアの1927年の論文であり、1901年の論文とはずいぶん内容が変わっている。具体的には対称群が出てきたのは1927年から。②シューア-ワイル双対における対称群をその量子変形であるヘッケ環に置き換えることで、神保道夫はドリンフェルドとは別ルートで量子群の概念に到達した(1985年)。③シューア-ワイル双対は量子情報理論でも活躍しているらしい。

*18:幾何学的表現論を通じて。たとえばリー群に対するボレル-ヴェイユ-ボットの定理、あるいはD加群を用いてリー代数の表現の指標を決定するベイリンソン-ベルンシュタインの定理(1981年)は、代数幾何(あるいは複素幾何)の剛性を存分に活かしている。

*19:代数群は線形代数群( GL(V) の部分代数群)とアーベル多様体複素数体上なら複素トーラスと思えばよい)に2分される。楕円曲線は1次元アーベル多様体

*20:ここでは「厳密に解ける(rigorous/exactly solvable)」と「可積分(integrable)」を意図的に混同している。数学と物理でもニュアンスが異なり、厳密な定義が必ずしもあるわけではない。リウヴィル-アーノルドの定理によると、古典力学系におけるリウヴィル可積分性は、座標空間の次元と同じだけの保存量=対称性があることと同値である。

*21:現実で超対称性粒子がないのは対称性が破れたためとこれまで説明されてきたが、最近の実験物理学の雰囲気は超対称性はないという方向で固まっているらしい。

*22:この場合も最近は統計物理(共形ブ―ストラップ)や量子重力に関連して研究が進んでいる。

*23:たとえば、ハミルトンによる4元数の発見(1843年)に始まり線形代数の形成にすら影響した多元環の表現論、ヘッケ環(古典/アフィン、1960年代)とDAHA(Double Affine Hecke Algbera、1990年代)の理論、箙(えびら、quiver)の表現論(1970年頃)、量子群の結晶基底をきっかけとしたクラスター代数(2000年頃)、アフィン量子群のさらなるループ拡大とみなせるトロイダル代数(1990年代)、etc。幾何学的表現論は独立した節で論じた方が適切だったろうか。

*24:『スナーク狩り』はルイス・キャロルによる1876年のナンセンス詩。伝説の生物スナークを捕まえようと冒険に出かけるという筋で、彼の詩・物語には珍しくバッドエンドで終わる。スナークを捕まえたつもりがブージャムであり、ブージャムに出くわした者は突然静かに消え失せ二度と現れることはない。