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なろう批評3:ゲーム脳への序/VRMMOの衰退/VRゲームの新潮流

 

 この三か月で読み溜めたなろう作品を紹介し批評し読み替えていくのが「なろう批評」シリーズの目的。シリーズ通して「短評」できていないことに気付き、タイトルを「短評」から「批評」へと変更した。今回のテーマは「ゲーム」「VR」「掲示板」である。

 

 

 

序:なろうにおけるゲーム的リアリズムジェンダー

 

 「ゲーム的リアリズム」は東浩紀ゼロ年代オタク文化から抽出した世界の解釈方法であり(『ゲーム的リアリズムの誕生』参照)、これまでも「なろう批評」シリーズで何回か言及した。

 しかし実際のところ、なろうにおける「ゲーム的リアリズム」は東の指摘したそれと様相を異にする。なろうの共同体が望んだテクストは、セーブ&ロード機能を用いたループ展開による緊張-解決ではなく、ダラダラしたプレイ日記であり、早い話がゼロ年代終盤に普及した「ゲーム実況/字幕プレイ動画」の快楽を譲り受けたものだった。自分で試行錯誤しつつプレイする(ゲームとの一対一のコミュニケーション)ところから、人がプレイするところを見て楽しむ(ゲームをプレイする人を取り囲んだ不特定多数のコミュニケーション)ところへの遠ざかり。遠ざかりのテクストへの翻案は、「死に戻り」に代表される過剰で空疎なシリアス演出をもっとお気楽な方向に導く*1。シラけた、とも言えそうだ。このような変遷が可能になったのは、「ウェブ上のアマチュア小説がテンプレを大いに共有しつつランキングで競い合う」というなろうのプラットフォームとしての特質も影響している。

 なろう流のゲーム的リアリズムは『異世界迷宮で奴隷ハーレムを』(2011年-)が祖にして頂点を極める。『奴隷ハーレム』はそれまでのなろうにおけるゲーム的要素をある方向に一挙にまとめあげ、以後のゲーム小説/ゲーム的リアリズムの適用範囲を拡大させた。『無職転生』(2012-2015年)の作者も『奴隷ハーレム』の影響を明言している。『奴隷ハーレム』イデオロギーの強靭さと浸透ぶりには畏れすら覚える。

 

 さて、なろうのテクストにおける「ゲーム性」はジェンダーパフォーマンスとしても読めることを論じよう。つまり男性性の誇示。『スペースインベーダー』(1978年)の時代より(コンピュータ)ゲーム文化は「男性」的に形成されてきた、と断言するのは現実の多様なゲームとその受容を無視することになるので避けよう。だが少なくとも、なろう流のゲーム的リアリズムはゲームの「男性」的な側面(と社会構築されてきたもの)をことさらに誇張引用することで、ナードなりの男性性を提示してきた。「ステータスオープン」も「チートスキル」も「バグ」も「クソゲー」も「RTA」もジェンダーパフォーマンスとしての側面、「男の子の遊び」であることを無視できない。個別の興味深い例を挙げれば、『元・世界1位のサブキャラ育成日記』(2017年-)はスキルの「序列」を表すのに将棋の駒の名前を利用している(「金将弓術」「龍馬剣術」など)。将棋という対戦型ボードゲームの文化的な男性性は言うまでもない。

 では「異世界[恋愛]」カテゴリのような「女性向け」ファンタジー作品ではゲーム要素が薄くなるのか? 実際そうだ、と以下で主張する。即座の反例として『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』(2014年)に代表される「悪役令嬢」とセットの「架空乙女ゲーム転生」ものが挙げられよう。しかしこれはノベルゲームのノベル(物語)部分だけを抽出し、なろうの共同体にテンプレ(貴族/学園/悪役令嬢/取り巻き/ざまぁ/婚約破棄/逆ハーレム……)として供したのであって、ゲーム性が活かされているとは思えないのだ。というかそもそも、「悪役令嬢」が出てくる乙女ゲームなどほとんどない。「架空の乙女ゲーム」という体で、自らの乙女ゲーム体験からネタを引っ張ってくるのではなく、あくまでなろうの共同体において共有された「想像上の乙女ゲーム」を引用すること。「ナーロッパ」と同じ構造が成立している。

 ゲーム性を強いて挙げれば、女性が主体となって男性キャラを「攻略対象」として眼差し「選択」するという姿勢(それに伴う転生オリ主的葛藤)だろうか。

 

 狂おしく、おぞましく、それゆえに愛おしい「ゲーム脳」たち。今回はその中でもVRゲームにまつわる系譜を扱う。

 

 余談:なろうにおける「ギャルゲー(/エロゲ)」と「乙女ゲーム」の非対称性は面白い。『ゲーム的リアリズムの誕生』においてキーワードでもあった「ギャルゲー」が現在のなろうにおいて完全に忘れ去られているのに対し、「乙女ゲーム」はミームとして定着している。どうも「ギャルゲー」でないと説明できない状況(現代学園ラブコメ+ハーレムの匂い+ゲーム性?)は人々の関心を惹かなかったらしい。*2

 ミームとしての「乙女ゲーム」あるいは「悪役令嬢」の成立史は興味深い話題だ。不勉強な私でも『謙虚、堅実をモットーに生きております!』(2013年)がすべての鍵を握っていることくらいは知っている。『奴隷ハーレム』が男性向け作品に及ぼしたのと同じぐらいの影響力を、『謙虚堅実』は女性向け作品に持っている。次の記事を参照。

悪役令嬢は「小説家になろう」において如何にして生まれたか? - WINDBIRD::ライトノベルブログ

 「ギャルゲー」と「乙女ゲーム」の共通点は、据え置きゲームは死んでスマホアプリ/ソシャゲに姿を変えて定着していること、基礎的理念はなろうのテクストに昔から今までずっと浸透していること、あたりだろうか。

 

 

そして開幕のベルも聞かずに劇は終わった

 

 なろうのVRMMOは今何処(いずこ)?

 2010年代前半のなろうにおいて、「VRMMO」ものと称される作品群は常に一定の勢力を持っていた。そもそも「VRMMO」とは何だろうか? 『ソードアート・オンライン(SAO)』(2002年ウェブ投稿開始、2009年出版)を御存知ならひとまずそれをイメージしていただきたい。詳しくは次の記事を参照。*3

 

VRMMOとは (ヴイアールエムエムオーとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 

 要点をまとめると次のようになる。かつて「VRMMO」は存在しないゲームジャンルであり、来るべき未来であり、夢であった。しかし実際に来た時(『Zenith』、2022年)には、「MMORPG」的なものに人々は魅力を感じなくなっていた*4。2022年はVRMMORPG「ソードアート・オンライン」のサービスが開始された、と2002年に設定された年でもあった。

 なろうにおけるVRMMO流行の背景には、ゼロ年代MMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game=大規模多人数同時参加型オンラインRPG)の隆盛があった。『ウルティマオンライン』(1997年)、『ラグナロクオンライン』(2002年)、『ファイナルファンタジーXI』(2002年)、『メイプルストーリー』(2003年)……その他多くのゲームが匿名掲示板文化と交わりながら日本のネット文化の一潮流を成した。

 『SAO』の夢と欲望は、「現実を代替するほどリアル(VRVirtual Reality)なMMORPGを遊びたい」「それを上手くプレイしてチヤホヤされたい」ということにある。VRMMOは「転生」よりずっと自然に、ゲームをプレイするという形で「ゲーム的リアリズムに浸された異世界」への渡航を可能にするだろう。

 『SAO』同様に多くのなろう作品がVRMMOに夢と欲望を託し、なろう流のゲーム的リアリズムを形成する一助となった。ただし、『SAO』のような劇的なデスゲーム(=ゲーム世界での操作キャラクターの死がそのまま現実世界でのプレイヤーの死に直結する)展開はなろうで然程好まれなかったことを明記しておこう。なろうのVRMMOは「プレイ日記」か「ゲーム世界への転移/転生」のほぼ二択である。

 

 ひるがえって現在のなろうの累計総合ランキングを眺めてみると、50位までに「VRMMO」関連でランクインしたのは『シャングリラ・フロンティア』(2017年-)、『元・世界1位のサブキャラ育成日記』(2017年-)、『くまクマ熊ベアー』(2014年-)の3作品。少なくなった、と言える。これは近年のMMORPGの衰退とどこかで繋がっているようだ。あなたの周囲に未だMMORPGをやっている人はいるだろうか? ネットゲームをやるにせよソシャゲやアクション味の強いFPS/バトルロワイヤルゲームに流れていないだろうか? 今も稼働しているMMORPGを私は『ファイナルファンタジーXIV』(2010年)しか知らない。
 これも個人的な感想になるが、かつてのVRMMOものを今読むとかったるくてしょうがない。どこで快楽回路を回していたのか疑いたくなる(どこかで快楽回路が失われたと思うと恐ろしくなる)。『シャンフロ』(プレイ日記タイプ)や『セカサブ』(転移転生タイプ)はそれぞれ現代的アップデートを施すことで対処したようだ。

 

 VRMMOの現代的取り扱いという点で『ギスギスオンライン』(2016年-)は注目に値する。プレイ日記タイプのVRMMOもので、ミクロなコメディとマクロなSFストーリーの両輪によりテンプレからどんどん外れていく。

 

ギスギスオンライン

https://ncode.syosetu.com/n0776dq/

あらすじ(抜粋)

これは、とあるVRMMOの物語。

主人公のコタタマはごく平凡なプレイヤーの一人。戦闘は苦手だが、その日時々で狩りに出て、持ち帰った戦利品でクランメンバーの武器を打つ。鍛治の腕前は廃人に及ぶべくもなく、露店で掘り出し物が見つかればそれに越したことはない。

そんな彼がある日、ひょんなことからヘイトコントロールしたモンスターの群れを中堅クランのキャンプ地に誘導してターゲットをなすり付けたら全滅してしまうという事件が起きる。現行犯逮捕されたコタタマは身の潔白を証明するために容疑を否認するが……?

 

 ステータス画面が一切出てこない、主人公のレベルが全然上がらない、モンスターに対してプレイヤーが貧弱すぎる、プレイヤーたちが「これ途中でデスゲームになるだろ」と噂している、デスゲームにはならないが死にまくってキャラロストしたプレイヤーたちがゲームに関する記憶を失う、運営ディレクターの「ョ%レ氏」があからさまに宇宙人……。コミュニケーションゲームとしてのVRMMO*5、そしてSFの土壌としてのVRMMOを探求したのだ。「コミュニケーション/コミュニティ」と「SF」性は次節以降にも別の形で現れる。

 『ギスオン』は別の記事でも取り扱うつもりだ。

 

 あとは『Hereafter Apollyon Online』(2021年)などもVRMMOとSFを現代的な水準で混ぜあわせていて面白そうである。読んでないから知らないけれど。

 

 

掲示板形式とVRゲーム:ブレファンの登場

 

 「掲示板形式」と呼ばれるテクストの形式がある。18世紀の書簡体小説がやり取りされる書簡から作品世界で起こった出来事や書き手の感情を推測するテクストなら、掲示板形式は不特定多数の脱線的な投稿から主筋の物語を読み取るテクストだ。

 掲示板形式の源流には2ちゃんねるに投稿された『電車男』(2004年)のような体験記風のスレッドがある。これをファンタジー世界で展開した初期のなろう作品として、『しいていうならお前の横を歩いてるのが魔王』(2011年、『ギスオン』と同作者)や『勇者互助組合 交流型掲示板』(2012年)を挙げよう*6*7

 掲示板形式は部分的にも使われる。プレイ日記タイプのVRMMOものでは合間に「掲示板回」が挟まることがよくあった。MMOの大多数性をプレイヤーたちの掲示板で表現しつつ、主人公の活躍が他者にどう受け止められたかを描くのである。

 先のジェンダー論と絡めて、「ゲーマーたちの閉鎖的な匿名掲示板」がホモソ―シャル性を帯びることを指摘しておこう。

 

 『ブレイブファンタジー』(2015年-)の力点は、「全てが掲示板回のVRMMOもの」を成立させることにあった。のちに「ブレファンリスペクト」と呼ばれる作品群を生み出すことになるオリジネイターである。

 

VR】ブレイブファンタジー神ゲー確実】

https://ncode.syosetu.com/n7778cw/

あらすじ

20XX年、ついにVRMMOが世に解き放たれた……!

次々とリリースされ続けるクソゲーとデスゲームの洪水に翻弄される哀れで愚かなゲーマー達と、ゲーマーに対抗するべく明後日の方向へネジが飛んだ奇々怪々たるゲームを提供し続ける名だたる無能企業群。

この作品はそんな歴史の転換期、VR技術が発展した未来世界の掲示板と奇々怪々たるゲームを眺めるだけのサイコギャグホラーSFである。

 

 『ブレファン』は「VRMMOの攻略」を「転生オリ主的な一人称のヒーロー」の手から取り戻した。読者は作中の事件をあくまで匿名の「モブ」として体験することになる。これはまさに「MMO」の不特定多数性だ。ヒロイックファンタジーゲーム脳が相対化されていく。

 『ブレファン』の第二の軸は、作中ゲームであるVRMMOを「クソゲー」「バグゲー」と設定したことである。突き抜けて面白くないゲームには別種の魅力が宿り、匿名掲示板的な罵倒および悪意とも相性が良い。逆に、一人称のヒーローが攻略組としてクソゲーをひたすらプレイし続けるテクストは想像し難い。クソゲー愛好はコミュニティの存在を前提とする。

 

 しかし、一人称のヒーローを省いたことによる問題もある。五感でゲーム世界を体験する主人公が居なくなったとき、もはや「VR」ゲームである必要性はないのではないか。もし必要性が生じるとすれば、なろうにおける「VRMMO」の文脈を利用できること、そして「SF」的フレイバーが理由になるのではないか。

 未来のことは分からない。未来のゲームのこともあんまり分からない(今Steamの無料/安価ゲームに大量のクソゲーがあるように、未来にもクソゲーが大量にあることは想像できる)。だが未来のゲームに対する未来人の日常的コミュニケーションは、本質的に今と変わらないのではないか*8クソゲーをめぐるやり取りから未来を覗き見ることはできないか。

 ここに掲示板というコミュニケーションのプラットフォームでVRMMOという「SF」を語らせることの意味が生じる。

 

 ここまで滔々と語ってきたが、私は『ブレファン』を読んでくれとは思っていない。

 歴史的に重要だし、とがった面白さはある。個人的にはクソゲーを本気で応援するためクソゲー内で面白いVRゲーム内VRゲームを作り上げた狂気の人が登場する『A-Y 』まわりの話が気に入っている。しかしオリジネイター故の雑味も多い。後続の「リスペクト」作品群に受け継がれなかった要素が幾つもある。

 第一章「ブレイブファンタジー」は最も匿名掲示板のエミュレート精度が高く、同時に最もつまらないパートだ。「掲示板小説」、あるいはVRMMOの「掲示板回」のつまらなさは普通、物語を進めたり主人公を褒めたりするためにレスを恣意的に操作し「掲示板としてのリアリティ」を損なうことから生じる。テクストの不特定多数性を失ってはいけない。ところが、第一章「ブレイブファンタジー」は大変珍しいことにこの逆の失敗を犯した。掲示板としてリアルすぎるせいで主筋の物語の牽引力を損なっているのだ。第二章からバランスが良くなるので、読まれる方は第一章で諦めないでほしい。 

 

 余談:なろうで「クソゲー」といえば、『この世界がゲームだと俺だけが知っている』(2012-2018年、通称『猫耳猫』)を挙げるべきだろう。クソゲーとそれを打開する裏技・バグの奇想に関しては今なおこの作品に勝るものはない。アイディアもヴァリエーションもあって本当に面白い。その他の小説パートはやや冗長のきらいがあるが……。

 『シャンフロ』は『猫耳猫』の亜流にいる(主人公がクソゲーハンター、プレイするVRMMOは設定的に面白いらしい)。また別の亜流として『ブレファン』が存在する。

 

 

ブレファンリスペクトの作品群/その他

 

VRゲーム自作板過去ログ

https://ncode.syosetu.com/n0975gv/

あらすじ(抜粋)

いつの時代も、ゲームは人間によって作られる。神ゲーも、クソゲーも、そしてデスゲームも。人工知能などの例外もあるが、それも結局は人間の手足として働いた結果だ。ゲームは人間によって作られ、人間によって楽しまれ、人間によって消費される。

 

しかし、本当にそうだろうか?

 

 この作品の構造と文脈をちゃんと説明するために六千文字も使ってしまった。とにかくこれを読んでほしくて記事を書き始めたのだ。

 『ブレファン』の方向性を短編連作形式で洗練し精鋭化したような作品。インディーズのVRゲームという体で繰り出される数々の奇抜なクソゲー/奇抜な受容方法に笑いが絶えない。よくここまでアイディアを出せるなと思う。本編最終話「R」に向かうまでの流れや「VRゲーム実況板現行スレ」のストーリーも見事である。

 オチに至るアイディア、猥雑に見えてどこかストイックな潔癖さ(文体に由来?)は、SCPを想起させるところがある。

 優れたレヴューがあったので引用する。

VRゲーム自作板の住人たちは今日も楽しく阿鼻叫喚」投稿者: 暁麒麟

[2021年 05月 10日 22時 27分 (改)]

 

VRゲーム自作板には、今日も素人制作者の自作VRゲームが投稿され、板の住人たちは意気揚々とその不具合満載、斜め上の発想だらけのVRゲームに突貫する。

 

謎仕様で即死してクソゲー認定し、頻繁にログアウトを封じられてデスゲームに取り残されつつも、スローライフを謳うゲームでPKの方法を模索し、仕様の穴をついた戦術でゲーム内ランキングの覇を競い合う。

そしてそのすべてを掲示板で共有して盛り上がる。

 

投稿されるゲームも、大胆で大味で謎の発想で、素人制作の魅力たっぷりで、掲示板の住人たちも無駄にチャレンジ精神旺盛で、素人制作のゲームの遊び方をよくわかってて、今日もクローズドサークル内は阿鼻叫喚で楽し気だ。

 

読むとゲームの楽しみ方を思い出す、そんな小説でした。

https://novelcom.syosetu.com/novelreview/list/ncode/1770798/

 

 

〈ミラクルエイジ・オンライン〉不具合報告掲示

https://syosetu.org/novel/267717/

あらすじ

〈ミラクルエイジ・オンライン〉の不具合報告掲示板へようこそ!当ページでは、ゲームプレイ中に発生した不具合について、些細なものから重大なものまで、好きなだけ報告していただいて構いません!よりよいゲーム世界のため、プレイヤーと運営が協力し合う、素晴らしいコミュニティを目指していきましょう!

 

(※都合により、運営による投稿は行われない場合があります)

 

 良作。単一のゲーム「ミラクルエイジ・オンライン」に対して各話ごとにバグを取り上げていく形式。

 この作品に特徴的なのは「ロールバック」処理である。「ミラオン」の運営は問題が生じたとき、問題が生じる前までプログラミングのバージョンやプレイヤーの状態を巻き戻すことをよくやる。それが以前修正されたはずのバグを復活させ、ときにさらなる大惨事を起こす。

 

 

A.仕様です。

https://syosetu.org/novel/296215/

あらすじ

不自然な挙動他を仕様と言い張り中々バグである事を認めない運営ちゃんVS悪用でもなんでもして楽しむプレイヤー共

ファイッ

 

 良作。これまで紹介し作品は作品内ゲームに少なからず「クソゲー」要素を課してきたが、この作品の作品内ゲーム「Dimension Fix」はめちゃくちゃ面白い。ただしバグまみれだ。致命的なバグ以外は全て仕様として(たまに調整するが)黙認されている。壁抜けすらバグではなくテクニックの一端として運営が「これはプレイヤーが自力で見つけてほしかった」と言いながら紹介する。こんな特異なバランスのゲームをオンラインゲームとして構想し、膨大なアイディアと文章上のテクニック(ミームまみれなのが人によっては興を削ぐかもしれない。ハーメルン投稿らしい点)を以って実装した点が偉大である。ブレファン形式は必ずしも「クソゲー」でなくても良い、というのもこの作品の発明だ。

 二点文句をつけると、まずバトルロワイヤルを掲示板の実況だけで表現するのは無理があり、掲示板としてのリアリティを損なっている。戦闘の推移自体は面白い。そしてポルノの語り口がやや気持ち悪い。これはおそらく、「尊い」だとか「エッッ」だとか「クソボケ」だとかといった、性愛に関して繊細に距離を取り続ける最近のミームに私が慣れていないせいだろう。性に対して引け目を感じていることが、より誠実にもより卑劣にも映る。

 「性愛→擬似身体→仮想現実」というルートで掲示板形式ながらVRの必要性を生んでいることに今気づいた。成人版「Dimension Fix」を買うと対NPCのセックスが解禁されるという設定。

 

 

クリエイターのワールドクラッシュ

https://ncode.syosetu.com/n0269fi/

 

 主人公の一人称語りと掲示板が半々ぐらいに混ざった作品。

 正直言って「クソゲー」「バグ」に関するアイディアは乏しい。ただ、掲示板におけるペラ回しには目を見張るものがある。ゲームプレイヤーの少なさから掲示板は半匿名で、内輪のクローズドな煽り合い(ホモソ)が描かれる。

 掲示板の煽り合い、そして作品の全体的な完成度を鑑みて同作者の『過疎ゲーが現実化して萎えてます。』も紹介したい。というか『過疎萎え』の方を読んでほしい。機会があれば別の記事でも取り扱う。

 

 

電脳生命体、クソゲーを作る

https://ncode.syosetu.com/n1985fi/

 

 ブレファンリスペクトではない(掲示板形式ではない)が、「インディーズのVRゲーム」「クソゲー」の要素が共通するので紹介する。

 文章が上手く、意外にも人間を描くことに重心が寄っている。SF描写も巧み。「クソゲー」パートのアイディア自体はそこそこ。

 

 

付録:なろうへの序(いつか書いた放棄稿)

 

 近代小説が「自我の葛藤」と「他者の届かなさ」を描くシステムだったとすれば、「なろう」小説は「開き直って」「他者と現実界から遠ざかる」システムである。そのような欲望を充足するものとして私は「なろう」小説をスコップし*9、読み、語ろうとする。

 「開き直り」の要素は重要だ。近代小説という19世紀半ばに完成した「文学の私生児」(これは蓮見重彦の表現)、そのさらなる「水子」として「なろう」小説を読むこと。近代小説をどこか胡散臭いと思いつつ、負い目を感じ続けること。これが私の基本態度である。諦めるためには希望を持っていなければならない。最初から諦めていた人も、希望の概念を獲得したときはじめて遡行して「最初から」諦めていたことになる。

 個々の作品の未熟さや失敗のうちいくつかは、あえて歓迎して見せよう。時間の希釈、言葉の希釈、コミュニケーションの希釈、エネルギーの希釈を肯定してみせよう。それこそが遠ざかりであると。

 我々は逃避の文学の過程に何を思い、その果てで何を為すのだろうか。何も思わず何も為さないことが逃避の目的であったにも関わらず、我々はおそらく何かを思い、何かを為してしまう。それはテクストを読むことと関係する。

 この記事では神話・民話・原物語の形成、大衆小説史、メディアミックス論といった視点は取り扱わない。

 

 今ならここに「責任/責め/応答可能性」「不能/無気力/困窮」「エコノミー/存在と代価」「他者なき共同体」といったワードが加わるだろう。

 

 

 

 

*1:なろうにおいて「死に戻り」といえば『Re:ゼロから始める異世界生活』(2012年-)が有名である。『Reゼロ』はゲーム的リアリズムのうちゼロ年代的なものだけを採用したと思える。

*2:さらに余談。なろうの「美少女ハーレム」形成史を編むのは容易ではない。というのも、「ギャルゲー/エロゲ」、少年漫画の「ラブコメ」、そしてゼロ年代の「ハーレムラノベ」が互いに絡み合いながらなろうに合流しているからである。仮の源流としては少年漫画『ラブひな』(1998年)を設定するのが妥当らしい。

*3:「VRMMO」着想の前提としてSFにおける「仮想現実」概念の蓄積がある。『SF――現実と仮想現実のはざまに』を参照。

https://shimirubon.jp/columns/1674553 

現実の技術史としては90年代に第一次VRブームが起きている。任天堂の3Dゲーム機「バーチャルボーイ」(1995年)は「VRゲームが可能である」ことを世に知らしめた。これらと90年代終盤のインターネットの敷衍、そしてゼロ年代MMORPGブームによって「VRMMO」は形作られる。

*4:2017年頃からVR機器の価格低下やソーシャルアプリ「VRChat」の流行でVRが人口に膾炙し始めた。「バ美肉バーチャル美少女受肉)」等のミームは記憶に新しい。VRゲームの市場も順調に拡大し、2022年に初めてVRMMO『Zenith: The Last City』が配信された。ただし「VRMMO」ものの小説における作中ゲームは「フルダイヴ」(=視覚・聴覚のみならず嗅覚・味覚・触覚まで接続できる仮想空間)だと設定されていることが多く、この意味での「VRMMO」は未だ実現の見通しが立っていない。

*5:ただし、後述の「掲示板回」を『ギスオン』は注意深く取り除いている。ゲーム内に掲示板が存在し主人公や周囲のプレイヤーが利用していることが明記されているにも関わらず、である。『しいていうならお前の横を歩いてるのが魔王』の作者にも関わらず、とも言っておこう。掲示板不在の機能はよくよく考える必要がある。

*6:掲示板形式」は『まおゆう』(2009年)のような2ちゃんねるに投稿されていた台本形式のSSと違うものを指している。『まおゆう』ではレスの投稿者=作者だったが、掲示板形式のテクストではレスの投稿者=作品世界の人物である。作品世界に掲示板が内在している。

*7:匿名掲示板的な文化が廃れつつある現在、逆に掲示板形式のテクストが目に付くようになっている。特に二次創作がメインのハーメルンで多い。懐古趣味? それにしてはゼロ年代2ちゃんねる的な殺伐をエミュレートした作品は殆どないが……。テクスト化しやすいSNS程度の意味で採用されているのかもしれない。

*8:これも本当は想像力の欠如なのだろうが

*9:「なろう」にまつわるスラングで、ランキングに上がらないが面白い作品を「掘る」行為を「スコップする」と言い、作品を「掘る」人々を「スコッパー」と呼ぶ。「なろう」の言説空間を本格的に探索するなら、まず自分と趣味があうスコッパーを探すことが重要だ。自分の好きなマイナー作品のレビュー欄、感想欄から読者ページに飛んでみよう。