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なろう批評1:「ダンジョン経営」というジャンルについて

 

 この二か月で読み溜めたなろう作品を紹介し批評し読み替えていくのが「なろう批評」シリーズの目的。なろうにおけるミーム汚染から少しでも距離をとるため、なろうに馴染みのない読者を意識しながら書くつもりだ。今回の主題は「迷宮/ダンジョン」である。他の主要ミームとして「異世界」「転生」「転移/トリップ」「勇者」「魔王」「奴隷」「ハーレム」「チート」「最強」「冒険者(ギルド)」「悪役令嬢」「内政」「VR」「ゲーム」「勘違い」「TS/性転換」「追放」「婚約破棄」「ざまぁ」などが挙げられる。

 

 

 

 

ダンジョンはどこから来たのか(序文)

 

 「ダンジョン」という概念は、なろう内、もっと言うと漫画・アニメ・ゲームの文化圏の中でいま異常にメタが回っている状態で、これを適切に説明するだけで非常に大きな仕事となる。つまり私の能力を超えている。『異世界迷宮で奴隷ハーレムを』も『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』も『Dジェネシス』あれもこれも全部ダンジョン。迷宮へ異常な執着を示したボルヘスのごとく、なぜ皆そんなにダンジョンに潜りたがるのだろうか? どこでそのフェティッシュを手に入れたのか?

 ボルヘスにとって迷宮とは「その中で永遠に彷徨えるもの」であった。しかし、なろうにおけるダンジョンは「最終的に攻略されうるもの」でなければならない。ゲーム的ダンジョン、TRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(1974年-)コンピュータRPG『ローグ』(1980年)『ウルティマ』(1981年-)『ウィザードリィ』(1981年-)の系譜である*1。これらの作品は多くの派生作品を産んだ。いや、そもそも新しい世界の発見だった。『ドラクエ』(1986年-)も『FF』(1987年)も新大陸で発見された。

 さて、ゲームの文化圏においてダンジョン概念が洗練されていく中で、RPGではなくシミュレーションゲームとしてのダンジョンが生じる。魔王の側に立ちダンジョンを構築して勇者を撃退する、あるいはゲームマスターの側に立ちプレイヤーたちを揉んでやる、そういった快楽の発明である。調査不足の感もあるが『ダンジョンキーパー』(1997年)『影牢刻命館 真章〜』(1998年)をひとまず挙げておこう。こういった「ダンジョン経営」ゲームがなろうにおけるダンジョン経営ものの祖先となる*2

 ある世代の人々にとってダンジョン経営ゲームといえば『勇者のくせになまいきだ。』(2007年)だろう。そのポップさ、フレーバーにおける夥しい数の先行作品の引用において「なろう」の先駆ともいえる作品である。本稿末尾の「補足:なろう初期の歴史感覚」を参照。ここから更にメタが回り続けて現在の「ダンジョン」概念があると思うと、途方に暮れるしかない。

 

 

ダンジョン経営系作品の実例

 

 このようなわけで、なろうの「ダンジョン経営」ものは非常にゲームの血が濃いジャンルである。なろう全体がゲーム的リアリズムに侵されているため、濃い薄いと言っても1000%と1010%を比較しているようなものだが。

 ダンジョン経営系で人に勧められそうな作品を列挙する。

 

ダンジョンを造ろう

https://ncode.syosetu.com/n8630br/

やすらぎの迷宮

https://ncode.syosetu.com/n8293bs/

こちらダンジョン、住所は王都アパート103号室

https://ncode.syosetu.com/n3305cn/

絶対に働きたくないダンジョンマスターが惰眠をむさぼるまで

https://ncode.syosetu.com/n5490cq/

 

 『ダンジョンを造ろう』『やすらぎの迷宮』は昔読んで印象に残った作品で今読んで面白いかは不明。『ダンジョンを造ろう』はあまりダンジョンを造ってなかった気もする。『やすらぎの迷宮』は人と目を合わせない主人公がキュート。

 『こちらダンジョン、住所は王都アパート103号室』はまとまりの良い中編で終り方も良いのだが、あくまで「第一章完結」であって設定的に美味しいところは山ほど残されていそうである。続きが無いことが惜しまれる。

 『絶対に働きたくないダンジョンマスターが惰眠をむさぼるまで』はカスに見えてなぜか面白いタイプの作品*3。第一章の山賊との共存がフックとなって、世界観設計、展開、ダンジョン攻略/運営に関するアイディア、主人公ケイマの超越的立場(知略、獣人少女奴隷ニクが犯されてもちょっと引く程度で済ませる、足フェチを自称しある程度性的なイベントに巻き込まれつつも身を崩さないバランス、睡眠欲ドリヴン)、そこそこキャラが立っていつの間にか愛着が湧く登場人物、いつの間にかメインヒロインにまで成長した相棒ロクコ、唐突に出てくる半陰陽ふたなり)……。なんだかんだ私は10件しか登録していない「高評価」ブックマークにこの作品を入れている*4

 

 

ダンジョン経営とシリアス/なろうとシリアス

 

 先の四作品に共通しているのはシリアス要素が薄いことである。私はなろうにおけるシリアス・ストレス要素が得意でない(「なろうでシリアス読むぐらいならメルヴィル『白鯨』読むわ!」と思っている)こと、そのために既読作品として紹介するものに大きな偏りがあることを遅まきながら宣言する。

 特にダンジョン経営ものでシリアス・ハードぶるのは――その方向性で評価を受けてる作品も結構あるのだが――無理があると個人的に思う。ダンジョンを攻略する探索者たちの側にはまだ「人間」を浮かび上がらせる余地があるかもしれない。ゲーム的ダンジョンの存在意義を「試練」や「謎」としてメタフォリカルに読み替えることができるから。しかし、ダンジョンを経営するという設定はどうあがいても荒唐無稽だ。人間に試練を課す、人間を謎めいて幻惑する神の側に立ってどうする? ダンジョン経営ものではよくダンジョンの存在意義を「魔王の側へエネルギーを送る」だとか「世界に存在する魔素をモンスター・人間の生成消滅を通じて循環させる」だとかで説明するが、これは設定のための設定であって、むしろ「ダンジョン」の虚構性を強調する。

 ダンジョン経営ものを読者が選ぶ理由は、シミュレーションゲームの快楽を満たすテクストの内、ダンジョン経営が最もゲーム的で反現実的だからではないのか。たとえば「内政」もの、領地経営では、現実の歴史に接近しえる(そしてそこに「人間」の余地がある)。

 『こちらダンジョン、住所は王都アパート103号室』はダンジョンのバカバカしさを作品内で意識的に取り扱っている点で注目に値する。「オドの循環」のために、人間が立ち入ることができるダンジョン上層部の下、四桁階層もある下層部で、一階層ごとに数百匹も配置され眠らされ続ける、世界を滅ぼし得る魔獣ベヒーモス。彼らの悲哀は、まさにダンジョンがフィクショナルな存在であるところから生じる。作品全体はライトタッチなのも効果的である。

 ダンジョン経営に限らずなろうでシリアスをやるなら、ミームのバカバカしさを躱す(巧妙に設定を練り上げ説得的な雰囲気を創りあげる)だけでは不足で、むしろバカバカしさを受け止め積極的に利用しなければならない*5。これが第二の宣言。熱くなったり深刻になるだけでは的を外す。バカバカしさに冷め(醒め)たりシラケたりしつつもバカバカしさと戯れる(その中でときに熱くなる)作品を私は評価したい。

 

 

本文のreference

 

「ダンジョン」に関する作品リスト

List of pages tagged by "ダンジョン" - なろう読者おすすめスレ@may Wiki*

「ダンジョン経営」に関する作品リスト

https://syosetu.org/?mode=seek_view&thread_id=26479

 

 

次回予告

 

 ダンジョンを「経営」すること、その前提にはゲーム的なエコノミーの観念がある。原理不明の堅固な「法/ルール」に守られた等価交換(ときに非対称交換)。流通する通貨(シミュレーションゲームでいえば行動のために消費し外部から獲得するリソース)は「DP(ダンジョンポイント)」と呼ばれることが多い。一種のミーム/テンプレートで、DPといっておけば読者は「DP」なる曖昧な共通認識を参照する。作者はリソース周りの独自設定を回避でき、読者はリソース周りのありふれた説明を回避できるのだ*6。この利便性から、「DP」というミーム自体が交換され広まっていく。

 「DP」の説明をしたのは次回のなろう批評で扱う『【クラス全員で魔王転生】奨学生だった僕は初期ポイントの不利をくつがえすため、「自販機作製ギフト」を選び砂漠にダンジョンをつくる。あれ? 堅実な運営をしていたら、イジメっ子だった皇太子を抜いていました』へ接続するためである。タイトル長いな。「初期ポイント」がDPに相当する。

 ダンジョン経営にまつわる他のミームとして「ダンジョンマスター」「ダンジョンコア」もあるが、これ以上は実作を読んでいただきたい。

 

 

補足:なろう初期史

 

 2004年に開設された「小説家になろう」は、2007年時点でまだ個人サイト小説/ゼロ年代ラノベの重力圏にいた。

 2008年の9月10月11月に『異世界の王様』『魔法科高校の劣等生』(削除済み)『黒衣のサムライ』の初回が投稿される。

 2009年『黒い剣の異世界譚』(総合累計ランキングで一時期一位だった作品)。2010年『竜殺しの過ごす日々』『Knight's & Magic』『宝くじで40億当たったんだけど異世界に移住する』あたりに「なろう」の確立を見てもいいのではないか。ちなみに『ログ・ホライズン』『ノーライフ・ライフ』も2010年。

 2011年には『薬師のひとりごと』『異世界迷宮で奴隷ハーレムを』『黒の魔王』『シーカー』(削除済み)『理想のヒモ生活』『ラピスの心臓』『俺の人生ヘルモード』『辺境護民官ハル・アキルシウス』『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』(削除済み、更に二次創作アリのSS投稿サイト「Arcadia」で先行連載されていたことに注意)など、百花繚乱の時代を迎える。

 

 本格的な史観を身につけるためには、Web小説全体の流れを考慮しなければならないだろう。90年代ラノベゼロ年代ラノベがあり、漫画・アニメ・ゲームがあり、一次/二次創作の個人サイトがあり、一次/二次創作を投稿する掲示板があり、携帯小説があり、ブーン系小説があり、やる夫系小説があり……。

 なろう内に限っても、2012年まで二次創作が投稿されており最盛期には全体投稿数の20%強を占めていたこと、なろうのミームの多く、たとえば「転生」がウェブ二次創作界隈に起源をもつことは、今となってはあまり意識されていないように見える。私自身、「にじファン」(「小説家になろう」に投稿された二次創作を検索するサイト。「小説を読もう!」は一次創作を検索するサイト)の隆盛と崩壊は後から知った口である。

 統計に頼りすぎない、実作分析を絡めたなろうの通史を提出することが強く求められる。とくに、2012年以前からなろうを読んでいた人々の一部が強固に持つ「『異世界迷宮で奴隷ハーレムを』中心史観」を明文化し、再検討したいという欲求がある。我々は『異世界迷宮で奴隷ハーレムを』に神通力を感じている……。

 

[reference]

ネット小説史(小説家になろうを中心に) - スパイラルダイビング

なろう史統計資料集:https://ncode.syosetu.com/n1393gt/

にじファンとハーメルンについて:https://ncode.syosetu.com/n0429gp/

東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生』(講談社、2007年)

飯田一史『ウェブ小説30年史 日本の文芸の「半分」』(星海社、2022年)

Web小説書籍化クロニクル|monokaki―小説の書き方、小説のコツ/書きたい気持ちに火がつく。

「エヴァSS」から「小説家になろう」までのWeb小説年表 - WINDBIRD::ライトノベルブログ

 

追記(2023/2/16):1995年のエヴァ二次創作から2012年までのウェブ小説シーンを古参のなろう読みたちが作品ベースで回顧したもの。

スコ速@ネット小説まとめ 10年以上前の作品でおすすめある? その1

 

 

 

 

 

*1:参考資料:

https://gameprogrammingunit.web.fc2.com/history/rpg.htm

*2:現代ではタワーディフェンスサブジャンルとしてダンジョン経営ゲームを含めることができるが、実のところ「tower defense」という名称が流通し始めたのは2002年のことらしい。それ以前も防衛系シミュレーションゲームは山ほどあるが、どう呼ばれていたんだろうか。

*3:「カスなんだけど面白い」系の作品として『異世界のんびり農家』を挙げておく。キャラ立てと、緩い中でも展開(美味しい部分)を少しずつ変化させていく作者の妙だろうか。さらに格が落ちるが『 ヘルモード ~やり込み好きのゲーマーは廃設定の異世界で無双する~』も500話中300話までは読んでしまった。ゲーム攻略の快楽? 笑えるぐらいキャラが弱いのが200話以降も読み進め300話で切った理由。

*4:高評価10件、中評価76件、低評価48件、未読80件、死蔵131件という割合。なろうで自分の欲望を満たすものを探すことは難しい。

*5:雰囲気がシリアスそうで食指が伸びないのだが、『ノームの終わりなき洞穴』はダンジョンが生成される過程を説得的に主題にしていそうである。何かと評価が高く愛好されている作品でもある。

*6:2012年はダンジョン経営ものが「ダンジョン経営」と名付けられ、ジャンルとして認知されてきた年である。この頃の出世作『蝕む黒の霧』(2012)では魔王のHP、MP、SPを同量ずつ消費することがリソースとされている。最終的に「DP」で固定化されるまでの歴史的経緯は少し気になる。