以下の文章は入沢康夫『わが出雲・わが鎮魂』についてのテキストからエリオット『荒地』に関する部分を分離させたものである。独立でも読めるが、重心がそこに寄っていることを注意しておく。
T.S.エリオット(著)岩崎宗治(訳)『荒地』(2010年、岩波書店)
もし水さえあれば
岩はなく
もし岩があり
そして水もあれば
そして水が
泉が
岩のあいだの水たまりが
せめて水の音でもあれば
蝉の声ではなく
枯れ草の歌う声ではなく
岩に落ちる水の音が
鶫が松の樹にとまって歌うところに
ポトッ ポト ポトッ ポト ポト ポト ポト
だが水はない
――「V 雷の言ったこと」 岩崎訳『荒地』
T.S.エリオットについて
モダニズム詩(現代詩)は19世紀フランス象徴派(ボードレール、マラルメ、ランボー等)に端を発し、そこからしばらくヨーロッパ大陸で発展し続けてきた。英語圏は詩に関して(その他の文学も?)しばし遅れをとっていたわけである。
2021/11/16-17:ポー/エリザベス・ビショップ/ボードレール - 古い土地
アメリカに生まれイギリスへ移ったT.S.エリオット(1888-1965)による『荒地』(1922年) は、まさに英米モダニズム詩初期にして到達点を示した記念碑的な作品であり、遅れを取り戻すどころか一気に旧大陸を突き放してしまった。
エリオットは第一詩集『プルーフロックのその他の観察』(1917年)からして特異だった。表題作「J・アルフレッド・プルーフロックの恋歌」は1910-1911年、つまりエリオットが23-24歳の時に草稿が成立しているのだが*1、すでにモダニズム詩の語法(このあと模倣される語法)が完成している。
じゃあ、行こうか、きみとぼくと、
薄暮が空に広がって
手術台の上の麻酔患者のように見えるとき。
じゃあ、行こう、半ば人通りの絶えた通りを抜けて――
安宿で落ちつかぬ夜たちが
何かを呟きながらひそんでいたり
おが屑まいたレストランには牡蠣殻が散らばっていたり。
確たる当てもない
退屈な議論のように続く通りをたどって行くと
とてつもない大問題にぶち当たるのだ……
訊かないでくれ、「なんのことだ」なんて。
さあ行こう、訪問しよう。
ボードレールが都市の荒廃を描くとき、我々はどうしても19世紀の都市を、近代を共起してしまう。だがエリオットの描き口はまったく現代的で、描かれる対象も現代の都市で、「今ここ」と地続きだ。
表のテーマが「40代中年男の恋愛にまつわる悲哀」なのも面白い。「さあ行こう」「訪問しよう」と繰り返し語るプルーフロックは、しかしひたすら煩悶し、最後131行目まで女の部屋にたどり着くことがない。彼は謎めいた「溺死」を遂げるのだ。これは断じて恋歌なんかではない。
英米モダニズム詩の「教師」エズラ・パウンド(1885-1972)と会ったのが1914年のことだから、パウンドの指導抜きに「プルーフロック」は完成していることになる。エリオットは「若くして年老いた」タイプの天才だった。
パウンドの影響はここから始まる。『荒地』(1922年)の成立は内外ともにパウンドの助力なくしてあり得なかった(そもそも『観察』(1917年)の出版にもパウンドの協力があった)。
『荒地』における神話的方法の採用はパウンドの超長大叙事詩『詩篇 Cantos』(1917-1962年)の第1~3部(なお最終的には100部まで膨らみ、それでも未完に近い)を読んで示唆を受けたらしい。あるいは、同じくモダニズム文学の開始を告げるジョイス『ユリシーズ』(1922年)がエリオットとパウンドに影響したとも言われる*2。
加えて、現在の構成は元草稿から分量を約半分にまで減らしたエズラ・パウンドの指導的添削=「帝王切開」に従ったものである。当時のエリオットは精神的に衰弱しており、判断を「教師」に委ねたのだった。元草稿は案外エリオットの内声が聞こえるが、決定稿以上に錯綜としている。
『荒地』の詩法を要約しよう。*3
- 〈意識の流れ〉:語りの分裂とコラージュを要素として含む*4
- 引喩性:多数のオマージュ。日本詩歌でいうところの「本歌取り」
- 並置:古典と現代の並置
- 神話的方法:『荒地』でメインとなるのは「漁夫王伝説」「聖杯伝説」、そこから遡って「植物神の再生神話」。サブで聖書・ギリシャ神話はもとよりサンスクリット語の引用まで。
冒頭で引用した「もし水さえあれば」のシーケンスは、再生神話における「乾いた大地での死」と「水死」の分別に基づいている。「水死」のみが次代へつながる。
この時代における神話や民話の引用というと、先輩の詩人にW.B.イェイツ(1865-1939)がいた*5。イェイツに関しては同じダブリンに暮らしたジェイムズ・ジョイス(1882-1941)の方が影響されてそうではある。またパウンドとイェイツの間には相互作用があるらしい(1909年に二人は知り合う)。
イェイツがアイルランドという土地にまつわる精神的・政治的愛憎からアイルランド神話を扱ったのに対し、エリオットは西洋文明の荒廃=第一世界大戦後の「荒地」に立ち向かうために、あるいは自分の「新奇な」文学が実は伝統と不可分であることを示すために、神話的モチーフを取り扱った。後年明らかになるが、彼は本質的に「伝統主義者」なのだ。
『荒地』は一見して難解であり当時は賛否両論だったが、文学全体がモダニズムの方法を知るにつれ評価は高まっていく。最終的にエリオットは1947年にノーベル文学賞を受賞した。生前から名声を欲しいままにした点でかなり珍しいタイプの詩人だ。
余談になるが、エリオットはミュージカル『キャッツ』(初演1980年)の原作となる子供向け詩集『キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法』(1939年)を書いており、現代ポップカルチャーとも無関係ではない。
インターネットでも『荒地』の対訳を読むことが出来る。
T.S.エリオット「荒地」を読む
https://poetry.hix05.com/Eliot/eliot.index.html
日本における『荒地』の受容
日本の近現代詩は海外文学の翻訳と共にあった。その中には『荒地』もあって(初訳は1933年)、海外での扱いと同様に重く受け止められたはずである。しかし長らく、日本の「現代」詩は19世紀フランス象徴派詩人の重力圏にあり、初期のエリオットに関してはまず批評が受容された。次いで『プルーフロック』などの読解が始まる。しかし、日本の場合いかにもモダニズム的な『荒地』と宗教詩的な『灰の水曜日』が同時期入って来ており、それゆえ混乱が生じている。
戦後詩の「荒地」一派は名前をそのまま拝領したようにエリオットの批評研究を盛んに行っていた。主宰の鮎川信夫は1942年エリオットで卒論を出すほどの熱の入れようだ。
しかし、戦争体験と実存の問題を日本語によって極限まで問う彼らであってみれば当然、実作の方向性がエリオットとは異なる。
彼らにとって『荒地』は「I 死者の埋葬」までで、文明を荒野と化す戦争への絶望(エリオットの場合は第一次世界大戦による)をのみ引き受けたのだ。この切り捨ては必然だった?
「論理性を剥奪された言葉による詩世界は、言いかえれば『接続詞のない世界』(深瀬基寛)であり、つまりエリオットの『荒地』の文体の、彼らなりの模倣、あえて言えばエリオットの『荒地』の「誤読」であった」
――「解説 四 エリオットと日本の現代詩」 岩崎訳『荒地』
エリオットの第一詩集『プルーフロックとその他の観察』(1917年)と、「個性からの脱却」を図ったかのような『荒地』(1922年)を比べてみよう。前者はイマジズム*6を発展的に実践しこれを以て現代詩の開幕とする意見もあるが、まだギリギリ個人的哀歌の範疇にある(ゆえにポップだ)。後者は詩の方法論が極度に抽象化され、文明批評と文学の高みに至ったのと引き換えに、人間性を失っているようにも読まれかねない。
エリオット後期(1928~)の宗教的詩もやはり研究対象であって、おいそれと翻案できるものでは無い。またこの時期の作品は「閉じて」おり、文明批評としても詩作としても後退したと批判されることがしばしばある。
結局のところエリオットは1920年代という時代の墓碑銘であって、1930年代の英米モダニズム詩人にしてすでに乗り越えるべき対象だった。後には根本的にモダニズムと決別した詩人たち、40年代ブラック・マウンテン派や50年代ビートニクの詩人が登場する。
日本の戦後詩人たちも同じように、エリオットをある種の古典として研究していたのではないか。戦争が違い、社会が違い、国が違い、時代が違い、言語が違えば、何もかも違うのだ。
さて、戦争から距離があった入沢康夫・岩成達也の『あもるふ』一派は、詩のテキストそのものを突き詰める過程で「詩は(筆者による感情・意思伝達の)表現ではない」と宣言するに至り、エリオット的/戦後詩的なイマジズムを切り捨てた。客観的事物や比喩を通じても詩に主観が流入する余地はない。実際にはあるのかもしれないが、少なくともそう読まれるべきではないのだ、と。
そうして彼らは、主知的なモダニズム詩の方法論と「遊び」を(それのみを?)継承したのだ。
とはいえ30年も時が経てば人も、言葉も、相応におぞましく変化する。日本における「現代詩」が始まろうとしていた。
西脇順三郎について
鍵谷幸信(編)『日本の詩 西脇順三郎』(昭和50年、ほるぷ出版)
日本のモダニズム詩と『荒地』との関係で外せないのが戦前から活躍した西脇順三郎(1894-1982)である。その影響は大きく、詩誌「荒地」も西脇順三郎特集で始まったのだ。エリオット『荒地』の翻訳(1952年、創元社)も有名。
四月は残酷きわまる月だ
リラの花を死んだ土から生み出し
追憶に欲情をかきまぜたり
春の雨で
鈍重な草根をふるい起すのだ。
冬は人を温かくかくまってくれた。
地面を雪で忘却の中に被い
ひからびた球根で短い生命を養い。
――「I 死者の埋葬」 西脇順三郎訳『荒地』
当時東大仏文科にいた入沢康夫は原文でなく翻訳でまず『荒地』を読んだ。『わが出雲・わが鎮魂』そして『死者たちの群がる風景』の中にも西脇訳が引用されている。
エリオット『荒地』とマヤコフスキー『ズボンをはいた雲』、この二つのおよそ傾向を異にする長篇詩を西脇訳・小笠原訳で何度となく読み返し、しゃぶり尽くすところから、私の詩的姿勢は作られたように思う。その「読み返し」、その「しゃぶり直し」は、詩を殆ど書かなくなった今も継続中だけれど……。
— 入沢康夫 (@fladonogakobuta) 2014年4月25日
西脇順三郎の詩のスタイルは、特に戦後は「都市の荒廃」よりもむしろ「田園」であり、和洋折衷で、ジョイス/パウンド/エリオットの系譜に並べてもよいパロディストである。パロディもユーモアが利いていて、全体的にバランスが良い。それに、西脇はイマジスト的な簡潔にして凝縮された文体も得意としている。
西脇が受け取らなかったのは、戦争による文明の荒野である。彼は戦争中、賛成詩も反対詩も書かずにずっと黙していた。それ以外の方法は決して「取り得なかつた」のか?
詩が作者の感懐や意見や印象や箴言を「述べる」水準にとどまっている限り、要請があれば、戦争協力詩はずるずると書かれてしまうだろう。協力詩が絶対に成り立たない自分の詩の在りよう・詩のかたちを、常に模索し鍛えておくべきだと日々に思う。それ以外は、戦時に詩人の採り得る道は、多分沈黙のみ。
— 入沢康夫 (@fladonogakobuta) 2015年5月11日
[reference]
・山本証「T. S. エリオットの詩と評論(1) : 懐疑的精神の超克」1975
https://core.ac.uk/download/pdf/154966886.pdf
重めの文章、というか論文なのだがT.S.エリオットがいかなる詩人であったかについてよく書かれている。初期の近代的・哲学的懐疑から後期の伝統・信仰への回帰。
・「T. S. エリオットの詩と評論(2):エリオットの懐疑的精神をめぐる世界観と詩論」
・辻昌弘「モダニズムと1930年代詩人における詩生成のプロセスと音韻システム」2013
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16424/1/jinbunkagakukiyo_72_89.pdf
エリオットの韻律における技巧。
・「第十五章 モダニズムの詩人たち」 - 平石貴樹 『アメリカ文学史』(2010、松柏社)
イマジズムについてはこれを参考にした
詩を読むにあたって重要な視点3つ。Sight, Sound, Sense. インド・ヨーロッパ語族から日本語へ翻訳する際は特にSoundの情報が跡形もなく失われてしまう。
個人的に気になっている30-40年代モダニズム詩について触れられてないな。大して文学的達成のない一過性のムーヴメントだったのか? もう原文で読むしかないか。
非英語話者が原文で英語の詩を読む際の方法論。ネイティヴが半ば無意識的に行うことを方法論として確立せねばならない。厚いが読みやすくて面白い。
・新倉 俊一『詩人たちの世紀―西脇順三郎とエズラ・パウンド』(2003、みすず書房)
なんでこの取り合わせ? と思ったが存外に面白い。
・Internet Lecture series: "An Invitation to Modern American Poetry"(2003.4-2004.3)
https://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/koga/
日本語で読めるアメリカ現代詩に関するテキスト。大学の講義一学期分。
・矢口以文「T. S. Eliotの”荒地”のイメージと「荒地」の詩人たち」
https://core.ac.uk/download/pdf/228560086.pdf
表層的比較。とはいえ多くのイメージが日本の戦後詩に派生したことが分かる。
・「村上春樹を読む」 T・S・エリオットをめぐって、その4
https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-217221.html
・ブックレビュー - 『マクシマス詩篇』(平野順雄訳)
https://gold-fish-press.com/archives/5978
モダニズム以降60年代までのの英米長編詩の系譜として、エリオット『荒地』(1922年)、パウンド『詩篇Cantos』(1917-1962年)、W.C.ウィリアムズ『パターソン』(1946-1958年)、ジョン・ベリーマン『ドリームソング』(1964-1968年)、チャールズ・オルソン『マクシマス詩篇』(1953-1983年)がある。大きく言えばホイットマン『草の葉』からすべてが始まっているのだが。
追記:
・中井晨『エリオットと日本 時代の眼差し』(『モダンにしてアンチモダン T. S. エリオットの肖像』研究社、2010年)
・出口菜摘「冷戦下に広がる荒地」・田口麻奈「日本の戦後詩壇の出発とパウンド/エリオット」(『四月はいちばん残酷な月』水声社、2022年)