古い土地

暗い穴

入沢康夫論1:導入に代えて――群盲象を撫でる

 

 詩は「怒り」です。

 

――『現代詩体系』「自作を語る」全文

 

  I

 

 韜晦と偽物の詩人、入沢康夫

 神話と構造の詩人、入沢康夫

 メタポエムと母なき子の詩人。入沢康夫

 匿すことによってますます匿された詩人、入沢康夫

 

 

彼女の住所は 四十番の一だつた

所で僕は四十番の二へ出かけていつたのだ

四十番の二には 片輪の猿がすんでいた

 

――「夜」部分 『倖せ・それとも不倖せ』(1955年、書肆ユリイカ) 

 

 第一詩集『倖せ・それとも不倖せ』に収められた「夜」について、詩人の天沢退二郎いわく「偽りのユーモア」「意味と時間とパッションのはぐらかし」「けっして詩人が結婚したくないのに宿命によって婚約させられ、たどりつけば婚姻するほかない不毛の醜女がいる」「そこへ向かって《出かけていつた》なぜなら、それが書くことだから」(天沢退二郎入沢康夫の作品史について』)。

 天沢退二郎によるこの読みは、そのまま入沢康夫の生涯の詩作を説明してしまう。いつの時代でも詩人の第一詩集というものは予言めいている。

 

 まだ24歳だった新進気鋭の詩人入沢康夫はこの後に、二度の「地獄くだり」を行うことになる。一度目(1968年『わが出雲・わが鎮魂』)は現代詩史上まれにみる「オペレーション」を完遂した。二度目(1994年『漂ふ舟 わが地獄くだり』)は彼の詩に内在していた致命的な弱点を突かれ、(言葉の)限界がはっきりと示される。「こたびは地獄そのものを見た」と。

 この奇妙な旅路までも、第一詩集は記憶していたのか?

 

「やがて、証明をあきらめる日が来るだろう。そしてその日、すべては伝へられるがままに受け入れられ、貨幣は純粋に貨幣としてのみ用ゐられて、装飾や玩具としての用途は廃絶せられるであらう。あらゆる遊びも、しかるべき(それが何であるかは判らぬながら)理由を有する生真面目な営みと看做され登録され、各自の死の必然的な到来の予想さへも、つひには忘れ去られるであらう。かくて牛の首は勝利し、しかもその勝利の事実も、誰ひとり気づくものはないであらう」と、わたしたちは、わたし、行き交ふ限りの子供たちに、一語一語口うつしに教へ込まうとつとめる。

 

――「牛の首のある七つの情景 6」 『牛の首のある三十の情景』(1979年、書肆山田)

 

(二度の地獄下りのちょうど中間に迎えた、二回目の全盛期(一回目は60年代後半)。牛の首、牛たちの首。「錯乱的な記号系」としか言いようのないそれは、我々にとって入沢康夫の作品であり、同時に入沢康夫の作品ではない。その達成と挫折を、我々の殆どは知らぬまま死ぬ)

 

 本稿では多数の引用を交えつつ入沢康夫をごく主観的に紹介する。群盲象を撫でるが如く。

 

  キーワード:遊び、悪意、肉体、書くこと、死者

 

 

  II

 

 清水徹は現代詩文庫『入沢康夫詩集』の背面にて「jeu」という単語を持ち出している。元々19世紀の仏詩人マラルメが自作の説明に用いたこの言葉。「遊び、戯れ、ゲーム、賭、トランプの手、芸、ゆとり」という意味の広がりがそのまま入沢康夫にも適用される、という見立てだ。

 実際、彼の詩を読み込んで行くと、(異常なほど)ハイコンテクストなことに気付かされる。節々にある神話(初期はギリシャ、中期から日本も)からのモチーフの借用、過去の自作を含む詩歌の引用、ポストモダン思想を背景とした創作、人文科学全般への造詣。

 全部は踏まえなくても彼の作品について語ることはできるだろう。しかし最低ラインは存在するはずで、筆者には知識不足からライン引きすらできない。つねに入沢康夫を読み零している感覚がある。

 

 それでもなお――その資格が無いような気分にさせられつつも――筆者が入沢康夫を愛好しているのは、「but for me」なのは、ときにあまりに文語的で主知的ともいわれる独自の言語世界、理性と肉体性の奇妙なバランス、悪意の美しさに惹かれたからだ。

 悪意、その根底には「怒り」が?

 

 

広場にとんでいつて

日がな尖塔の上に蹲つておれば

そこぬけに青い空の下で

市がさびれていくのが たのしいのだ

街がくずれていくのが うれしいのだ

やがては 異端の血が流れついて

再びまちが立てられようとも

日がな尖塔の上に蹲つておれば

(ああ そのような 幾百万年)

押さえ切れないほど うれしいのだ

 

――「鴉」 『倖せ・それとも不倖せ』 

 

  9 祭り

マルピギー氏の館では、ほとんど毎日、さまざまの名目の、実はなんの根拠もない祭儀が行われ、祝宴がそこここで設けられる。これらの祝典は完全にその厳粛味を欠いていて、人身供儀の式典でさえも、だらけたゲラゲラ笑いの中で、血だけが小川のように流れる。

 

――「「マルピギー氏の館」のための素描」部分 『声なき木鼠の唄』(1971年、青土社

 

黒壺の中で燐光を放つ牛の首。粉末状の憎悪。

 

――「「牛の首のある八つの情景」のための八つの下図 6」 『牛の首のある三十の情景』

 

 

  III

 

 そもそも現代詩人にすら「入沢康夫の読み方はよく分からない」らしい。筆者は小笠原鳥類を通じて入沢康夫を知ったが、小笠原鳥類もたいがい系譜外の詩人である。現代詩人の派閥でもそういうところにしか影響が残っていない。

 入沢康夫の詩作は(もっと言えば現代詩全般が)大多数の人に必要とされず、「つひには忘れ去られる」部類のものなのか。

 

 しかし、もちろん言葉そのものが廃れたわけではない。言葉は未だに我々の間で交換され広く流通している。

 その形態を考えると、過去に詩的表現(文学的表現)が持っていた役割は今、もっぱら歌詞が果たしているのではないか? 「教科書以外で詩を一度も読んだことが無いが、音楽はよく聴くしそれも歌詞に重点を置いて聴く(読む)」タイプの人間がいることは想像に難くない。

 (伝え聞いた話になるが、興味深い一例として次の事実を挙げる:2010年代後半になってtik tokを起点にボーカロイドが大流行(復活)していること、その歌詞が若者の実存に寄り添う真剣味を持つこと、動画サイトのコメント等で歌詞の「考察」が頻繁になされていること。

 時代の偶然によって大衆性と芸術性を兼ね備えることができた1960年代以降、従来の文学は緩やかに力を失い続けている。ボブ・ディランノーベル文学賞をとってしまったのも、言語表現の流通形態について歴史化が行われたよう見える

 

 そして、60年代的な現代詩と歌詞はかなり相性が悪い。例えば、(戦前詩や現代小説はまだしも)現代詩のノウハウ・蓄積は歌詞を書くことに活かせない。その言葉はどこまでも書き言葉で、歌うにはあまりに重すぎるからだ。

 「歴史性に対して垂直に立つ」言葉が効力を失った、水平な時代。

 

 

  IV

 

 おおよそ上のような事情で、筆者は「なぜ今入沢康夫なのか」という問いに答えることが出来ない。筆者にとっては殆ど「なぜ今生きているのか」という実存の問いと等価である。本稿は筆者の偏好を引用で満たし続けるうちに終わる。

 

 閑話休題。さて、入沢康夫その人に戻ってこよう。彼についての一般的事項は(紙面に余裕がなく筆者の知識不足故に)たとえば次を参照。

 「No.005 現代詩の創出と終焉―入沢康夫論(上・中・下)」

 「No.008 【現代詩人論 番外編】入沢康夫が現代詩人だった。(上・中・下)」

 

 日本現代詩に関する基本事項として押さえておきたいのは次の点。『入沢康夫が現代詩人だった。(上)』より。

  1. 終戦直後に自らの戦争体験をもとにした鮎川信夫田村隆一ら『荒地』派の戦後詩が隆興する 
  2. もう少し若い世代が詩壇に登場するにつれ、例えば谷川俊太郎らによって現代抒情詩が切り開かれる*1
  3. 入沢康夫は東大系の同人誌『あるもふ』からデビューし、(後に主流となる)現代詩の黎明と時を同じくしながら全く違うスタンスを持っている

 

 次のブログには小笠原鳥類の入沢康夫論が書き起こされている(小笠原鳥類は自分のことを質問されたのに勝手に入沢康夫について語り始めている! オタク仕草)。優れた詩人は詩の優れた評論家でなければならない、と述べたのは誰だったか。

 文章の面白さも考慮するとインターネットで読める範囲ではこれが一番だろう。

 

 あとは『入沢康夫詩集 (現代詩文庫 第 1期31)』に収録された作品論『入沢康夫の作品史について=天沢退二郎』も参考になる。入沢康夫の導入としては完璧な出来。

 冒頭を引用してみよう。詩人による詩論は、ときに詩になる。

 

 作品たちは何を記憶しているだろう? 作者をだろうか? そんなはずはありえまい。作品におぼえていてもらった作者などありえたはずがない。だが、何か別のものを記憶していないはずもまたありえない。自分自身をか? いや、この答えは矛盾している。はじまりをか? 自分のはじまりを記憶の彼方へ消し捨てたときはじめて作品ははじまるのではないか。私が最初にいいたいのはそのような記憶でもない。作品はかれ固有のある記憶によってはじまる。自分がいなかったときの記憶によって。作品と記憶とのかさなりあいが、そのままで体現しているこのようなずれが、私たちへの、そして作品そのものへの、詩人の入場である。

 

――天沢退二郎入沢康夫の作品史について』 (一部改変:傍線部は本来傍点)

 

 

  V

 

 入沢康夫は『詩の構造についての覚え書』(1968年、思潮社『詩の逆説』(1973年、サンリオ出版 / 復刻 2004年、書肆山田)などの詩論で、自作の背景にある思想を解説している。ともすれば興醒めになってしまう趣向だが、しかし彼は、一番大事なことを解説しない:言葉の森に隠された肉体の艶めかしさようなもの、言葉の嘘=構造の中で拡張される人間感覚(反抒情が生みだす叙情、と言って良いものだろうか?)

 冷ややかな言葉と共に、このような肉感が無ければ彼の詩は成立しない。

 

 

    ヌエド一名 トラツグミ〔山で〕

《何をしているんですか、あの水つぽい詩人は?》

 

    キジ〔野原で〕

《探しているんです、もう何千年も前に失くしたものを

  いまだに、性こりもなく》

 

    ニワトリ〔庭先であざわらつて〕

《ケケロケケー》

 

――「VIII」 『わが出雲・わが鎮魂』(1968年、思潮社

 

《お母さん ぼくはあなたの死んでからの子だけれど

 やはりあなたの子なんですから

 遠からず 狂うはずです

 たのしみです》

 

――「IX」部分 『わが出雲・わが鎮魂』

 

  5

今日ここで、わたしたちは、わたしは書く、草の繊維で織り成された布地に、潰した貝殻虫のうす茶色い汁でもつて。「たつた一度の愛撫を求めて、わたしたちは、わたしは、一生を棒に振つた」と。漂着物の間から、わたしたちを、わたしを見てゐる牛の首。その紫がかつた毛の表面を、冬至の太陽が滑る。

 

        7

だが、わたしたちは、わたしは、確実に年老い、花々は笑ひながら舞ひ去つて、夜々の真赤な空洞の底で行く千本の白い手が揺れてゐる。牛の首、牛たちの首に追はれ、また追はれ、あるいはまた、それらを追つて、わたしたちは、わたしは、大きな(しかしおそらくは、――否、絶対に、不毛な)恋情の中へと、ますます深くとらへられて行く。

 

――「牛の首のある七つの情景」部分 『牛の首のある三十の情景』

 

入沢康夫は12歳の時に母親を亡くしていることを一応述べておこう。この事実は、しかし、幾重にも屈折され無効化され(たように見え)る。幼少時の母の死を「都合のよい口実」に使って30代の入沢康夫が悪意と悲しみのモチーフを展開しているようにも読めるし、何かしらの影を作品に投じているようにも見える。そもそもこういった読みはテキスト外を読んでいるにすぎない)

 

 

  VI 

 

 遊びの一例、謎解きのナンセンスさ、という点で取り上げてみたいのが「季節についての試論」だ。極めて長いセンテンスと絶えず読者を意味の外へ弾きだそうとする語りは、単なる技巧ではない。言うまでもないことだが、「試論」は「詩論」でもある。

 

 この詩には題材となったモチーフが存在するのだが、初見で推理できるだろうか。ヒント:神話の引用ではない。

 

季節に関する一連の死の理論は 世界への帰還の許容であり 青い猪や白い龍に殺された数知れぬ青年が 先細りの塔の向うの広い岩棚の上にそれぞれ座をかまえてひそかに ずんぐりした油壷や泥人形 またとりどりの花を並べ 陽に干していると虚しく信じることも それならばこそ 今や全く自由であろう 支配者の遺体を模して束ねられた藻や藁を焚き こうすることで 古い春と その記憶を追い立て 生命と受難の観念を あえて声高にかたることによつて いつそう深く地中に埋め 窒息させ 二度と生え繁ることのないようにと しきりに祈る彼らであつてみれば彼らは 当然 世界の屍臭を むしろ身にまとうに足る芳香であるとことさらに誤認し見せかけだけの儀式の力で この卑劣な狂躁を永遠のもの 地表を蔽ううまごやしとおなじく 四季による消長はありながらもついに不滅な 一つのいとなみとしようと欲するが この作られた愚かさ この水平な堕落は 単なる偶然の所産 あるいは 監視者の怠慢としてかたづけることはできない

 

――「季節についての詩論」部分 『季節についての試論』(1965年、錬金社)

 

 

 正解は60年代安保闘争だ。「青年たち」「支配者」「監視者」あたりは他の詩では登場しない語彙であり、それらしいか。

 そう、安保闘争は「都合のよい口実」を与えた程度で、読解には一切影響しない。むしろ知らないままの方が魅力は増したかもしれない。筆者は知った後の方が、あの狂騒がここまで美しく(グロテスクに)捻じ曲がるのかと感心したが。

 

追記(2021/11/18):三浦雅士ニヒリズムと詩」『現代詩手帖2019年2月号 追悼入沢康夫』において次のことが指摘されている:戦後を代表する思想家の一人である吉本隆明(1924-2012)。彼がニヒリズムからマルクス主義に転向して(後には安保闘争に関わる)書いた『転位のための十篇』(1953)だが、ここに出てくる「季節」が「季節に関する一連の死の理論」としてあげつらわれたものではないのか、と。そして批判のスコープは吉本から「荒地」派、そしてエリオットのモダニズムにまで波及している? (エリオットに関しては一方で、フレイザー民俗学等をベースに創作することには深く共感している。『わが出雲・我が鎮魂』の方法論は『荒地』のそれである)

 

 「II」で評論にあたっては神話や人文の知識が必要と書いたが、それは謎解きの範疇であり、読解はまた別の能力を要するかもしれない。なんとまあカロリーが高いコンテンツである。

 入沢康夫を受け付けない人は、この多層の分からなさ(骨格からして筋が通らないのに高い教養を必要とするモチーフで修飾してる)を良しとしない人が多いのではないか。遊ぶにしたって限度があるだろうと。筆者も、ただの趣味で難しくしてないかとしばしば疑いたくなる。彼が東大出身のインテリなのが察して余りある。

 

 

キラキラヒカルサイフヲダシテキ
ラキラヒカルサカナヲカツタキラ
キラヒカルオンナモカツタキラキ
ラヒカルサカナヲカツテキラキラ
ヒカルオナベニイレタキラキラヒ
カルオンナガモツタキラキラヒカ
ルオナベノサカナキラキラヒカル
オツリノオカネキラキラヒカルオ
ンナトフタリキラキラヒカルサカ
ナヲモツテキラキラヒカルオカネ
ヲモツテキラキラヒカルヨミチヲ
カエルキラキラヒカルホシゾラダ
ツタキラキラヒカルナミダヲダシ
テキラキラヒカルオンナハナイタ

 

――「キラキラヒカル」 『倖せ・それとも不倖せ』

 

(謎解き・遊びの一例。縦読みが文章の左端と右端に仕込まれている(本来は縦書きなので、横読みが上端と下端に仕込まれている))

 

 

  VII

 

 悪意の側面ばかり取り上げてきたが、入沢康夫の詩に優しそうに見える側面が、ごくわずかながら無いでもない。教科書にも掲載された「未確認飛行物体」がその一例である。

 

薬缶だって、
空を飛ばないとはかぎらない。

(中略)

天の河の下、渡りの雁の列の下、
人工衛星の弧の下を、
息せき切って、飛んで、飛んで、
(でももちろん、そんなに速かないんだ)
そのあげく、
砂漠のまん中に一輪咲いた淋しい花、
大好きなその白い花に、
水をみんなやって戻って来る。

――「未確認飛行物体」 『春の散歩』(1982年、青土社

 

 出来の悪い詩だとは思わない。しかし素直に受け取れないところがある。テキスト外の読みで申し訳ないが、「あの入沢康夫が単に人の心のひだに優しく触れるような詩を書くか?」 

 実際、『春の散歩』の他の詩篇は「死人の髪の毛を煮たのをフォークにからめて」(「葬制論」)とかそんなものばかりなのだ。彼の遊びに惑わされている? 宮沢賢治のパロディ?(入沢康夫宮沢賢治研究の第一人者として知られ、全集の編纂にも関わっている) 

 正直、筆者にはお手上げである。

 

 入沢康夫の詩の中では例外的にとっつきやすくキャッチーなことから詩選集などでもこの詩はよく紹介される。しかしその際、「詩は(作者の意思・感情・メッセージの」表現ではない」と散々各所で書いた入沢康夫に真っ向勝負を仕掛けるような解説がつくのが気になる。あるいは興味深いポイントかもしれない。

 結局、詩の読解における入沢康夫の思想は、現代詩人の間でも、さほど継承されていない。ここは『星の王子さま』からの引用だからどうこう、薬缶は不器用な人間の暗喩でどうこう、みたいなのは、文章の読解だとしても詩の読解になるのか? 詩とは何か?

 

 

石の上で蜥蜴が眠り 蜥蜴の下で石が眠つていた 眠つたまま石は縦横に走ることができる それというのも石は眼ざめている時は身動き一つできないのだから 動けないくせに眼ざめている時石は自分を雲だと思い また野鼠だと思つたりする 蜥蜴は眠りつづけ昔自分が何億倍も巨きかつた日の日蝕を夢みている 自分は今石ころを踏みくだいて駆けているのだと思つている やがて石は眼をさます それというのも石はどうしても蜥蜴より先に目をさましてしまうのだから そうして自分を野末の一かけらの雲と同じものだと思う

――「樹 その他  - 石」『夏至の火』(1958年、書肆ユリイカ

 

入沢康夫的優しさの一例。悪意が差し色で入っている方が筆者は安心できる)

 

 

  VIII

 

 詩人はみなそうかもしれないが、しかし入沢康夫ほど「書くこと」「読むこと」それ自体を追及した詩人はいない。先に引用した『季節についての詩論』の文体、『わが出雲・我が鎮魂』の自註やメタポセティクス、「詩は表現でない」という逆説もその試みの一例である。

 彼のハイコンテクストな暗晦や戯れというのも、「言葉に内在している嘘を暴く」という「怒り」に似た側面があることに注意したい。一見ただの遊びに見えるものは、ともすれば想像以上に練られた構想に基づいているかもしれない。

 

 現代詩文庫に未収録の作品の内、非常に重要と思われるものを引用しておく。「今まさに書くこと」を「書く」ことによって生まれるグルーヴがある。谷川俊太郎へ贈られた詩。

 

私は 私は と書いてしばらくペンを休め と書き 私はそれを二本の縦線で消し と私は と私は 書きかけてやめ やめといふ字を黒く塗りつぶしてから と書いて 海は と私は書き つづけて 黄いろくて と書かうとするが一字も書かないうちに いやになつて またと書くと 私は 私は といふ字をすべて消さう と思つたが と書き と書いて 私は と書いて 私は私と書いて と書いて 私は と私は と書いても それが 私は 私と私 と私 と私と 私はとは書けないで と書いて と書きかけて すべてを×印で削除し と書いてその欄外に 私はをすべて俺はとすること と書いて ある と書い と書 と 書いたのを と書かうとして私は と書いてしばらくペンを休め を 二本の傍線で消し のあとに移して と書いたあと と私は泣きながら 書いた と 書いてすべて削除してあると書く

 

――「私は書く(ある校訂記録)」 『「月」そのほかの詩』(1977年、思潮社

 

 

 

  IX

 

 (欠落)

 

 

 

  X

 

 最後に、死者たちについて。すでに何回も登場しているが、<死>は入沢康夫にとって極めて重要かつ普遍的なテーマである。死者は「つねにすでに」存在する。死者は至る所偏在し、生者以上の役割を果たす。<根の国>からのまなざしが、我々を、詩を、相対化してゆく。

 入沢康夫(1931-2018)もまた、すでにして死者の呪いの中にあり、その呻きは我々の内部から聞こえる。

 

あの隻眼の西方の遊行びとは問うてゐる。

「われわれの行為は、ことごとく、

われわれの内部にある死者の行為なのではあるまいか。」

おそらくは然りだ。われわれの生存の道順に従つて

死者の群がる風景は展開する、鈍重に、時としては過激に。

 

――「VI 《鳥籠に春が・春が鳥のゐない鳥籠に》」部分 『死者たちの群がる風景』(1982年、河出書房新社

 

 

 

 

 

 

[Reference]

 

・『入沢康夫詩集 (現代詩文庫 第 1期31)』『続・入沢康夫詩集 (現代詩文庫177)』

 1000円前後でお手頃。この2つ以外に彼の詩集を手に入れる手段は今そう多くない。

 今回の記事を書くため『入澤康夫〈詩〉集成 1951-1994』(1996年、青土社)を改めて図書館から借りてチェックしたが、文庫の収録から洩れた詩はほとんど全部「単に凡庸」か「分からない」か「分からない上につまらない」ように見えた。

 『わが出雲・わが鎮魂』(1968年、思潮社)の自註、『かつて座亜謙什と名乗った人への九連の散文詩』(1978年、青土社)は文庫では端折られているので全集等で読む価値がある。文庫に未収録の『漂ふ舟 わが地獄くだり』(1994年、思潮社)もある程度入沢康夫を読んだあとだと興味深い。

 

・「No.005 現代詩の創出と終焉―入沢康夫論(上・中・下)」

https://gold-fish-press.com/archives/20041

https://gold-fish-press.com/archives/21192

https://gold-fish-press.com/archives/23389

・「No.008 【現代詩人論 番外編】入沢康夫が現代詩人だった。(上・中・下)」

https://gold-fish-press.com/archives/65015

https://gold-fish-press.com/archives/65094

https://gold-fish-press.com/archives/65099

 

・「詩人 入沢康夫について」「詩について、あるいは、入沢康夫について ――アンケートへの、不自然に長い回答―― 小笠原鳥類」「冷静に狂乱すること ――入沢康夫『詩の逆説』についての走り書―― 小笠原鳥類」

https://kotobukibune.blog.ss-blog.jp/2008-08-17

 

 

 次回は日本現代詩の問題作とも金字塔とも呼ばれる『わが出雲・わが鎮魂』を取り扱いたい。副読本として、入沢康夫の詩作の終焉を告げた『漂ふ舟』も。

 

 

 

 追記:偶然にも、初稿を提出した11月3日は入沢康夫の誕生日であったらしい。彼が生まれたのが90年前と考えると、あまりに遠い。

 

 

 

 

*1:大衆に読まれている/生き残ったという点で抒情詩が主流だと思っていたが、詩の歴史家からすると抒情詩は傍流であり戦後詩と入沢康夫・岩成達也的な「現代詩」の2つが交錯する過程こそが主流なのか?