前回から引き続き入沢康夫『牛の首のある三十の情景』(1979年、書肆山田)を読んでいく。
[記法]
「牛の首のあるXつの情景( y)」を「X(- y)」と略記することがある。
「「牛の首のある八つの情景」のための八つの下図」は「八下図」で略記する。
つまり、詩集は順に 六 → 四 → 八下図 → 三 → 二 → 七 で構成されることになる。(6 + 4 + 8 + 3 + 2 + 7 = 30)
方位
以下、太字は引用者による。
昨日の昼屠殺された牛どもの金色の首が、北東の空に陣取つて ――「六 - 1」
ささくれ立つた木の樽に身をもたせて、西の方をちらちら盗み見てゐる男たち ――「八下図 - 1」
雨は北西の森から襲つて来る。(中略)白い叫びを背にして走らなければならないのだ。まづ南へ向つて、次いで東へ向つて。 ――「三 - 1」
西空にうつすらと牛の首めいた形の雲が浮かび、一瞬にして赤く燃えあがる。 ――「七 - 1」
わたしたちの、わたしの子供は、北の国で蒼白く生き返り ――「七 - 2」
彼らの見たことのない北の海の魚を ――「七 - 4」
方位がなにがしかのモチーフとして働いていそうな点でも『牛の首』は特殊である。他の作品では特にこだわりが感じられない。
列挙してみて、少なくはない数登場することは判明した。何か読み取れるかというと……。
方位を意味付ける方法としてとりあえず ①星座・天文学に結び付ける方法 ②宗教に結び付ける方法 などが考えられる。しかし『牛の首』においては夜空も神も丁寧に取り除かれている(「星」「爆破された教団」「太古の雷神」などは出てくるがモチーフとして弱い)。遊びと見る方が適切?
一つ思いついた。方位の具体性ではなく、方位が存在することそのものについて。
入沢康夫の〈擬物語詩〉で方位が内在しない作品世界は多数ある。
「あの、海へ出るにはどの道を行くんでしょう」「海ですって?」薬屋の主人はあっけにとられた顔をするが、すぐ僕が他処者であることに気がついて、「歩いては絶対にこの街の外へは出れません。何でもよいからとにかく乗り物に乗ってこの街の外へ出れば、海はすぐそこです」「なぜ歩いては出れないのです」「多分街路の構造上の問題だと思いますよ」とこの老店主は平然として言う。
――「5」『ランゲルハンス氏の島』(落合茂と共著、1962年、私家版)
「ランゲルハンス氏の島」だったり「マルピギー氏の館」で何が起こっていたか。幾何に喩えると、〈詩句〉が単位アトラス(地図/座標近傍)として張り合わさり、捩じ曲がったオブジェ=多様体=詩を構成する、と言うことができるだろう。局所的にのみ方位付け可能か、そもそも方位付けが不可能な作品ばかりだ。*1
ところが『牛の首』では、どうも大域的な方位まで存在するらしい。二次元曲面でいえば一番シンプルな球面である。
局所的にはどれだけグロテスクで異常でトポロジカルに変形していても(※1)、大域的には基底現実と同じ球形を擬装している(この意外性!)――『牛の首』は我々の話として読むことが(も)出来る。「作品」と「作者」と「読者」の関係の中で、『牛の首』は以前の作品(以降の作品)よりも読者を否応なく引きずり込む力を持っている。
※1:『牛の首』におけるトポロジカルな変形の例
(前略)そんな声を、どこからともなく聞いたとき、廊下はみるみる狭くなり、そして、いきなり、うつかりすれば転げ落ちてしまひさうなほどに急な下り階段となつて、――わたしたちは、わたしは、もうかれこれ二時間も、その階段を下りつづけてゐる。
――「六 - 3」
あるいは方位を「季節についての試論」における「季節」と同様の「構造」と思っても良い。ある種の循環と不変性。
方位の話を抜きにしても、この作品をどこか遠くの物語と思える人は居ないだろう。『牛の首』は今なお不気味な燐光を発し続ける作品だ。
という読み。説得的だろうか。
一人称「わたしたちは、わたしは」
「湖都松江」(松江市文化協会発行)の最新号 vol.25に、拙作松江讃歌「いつまでも どこまでも」が、全文再録されているが、そこで常に使われた一人称「わたしたちの わたしの」が、詩集『牛の首のある三十の情景』のそれと共通している。これは、何事かのヒントになるかも……。
— 入沢康夫 (@fladonogakobuta) 2013年4月7日
『牛の首』において一人称は必ず「わたしたちは、わたしは」という特殊な形で用いられる。(ただし、このルールは「八つの下図」の中では無効化される。「八下図」の特殊性は後でまとめて考える。)
この全性と一性はどういう働きを持つよう読めるか。
一つの説明は、「わたし」の背後(右後ろ・内部)にいる死者たちが「わたしたち」であるという推測だ。「われわれの行為はことごとく、われわれの内部にある死者の行為なのではないか」(「VI」『死者たちの群がる風景』(1982年、河出書房新社))。入沢康夫本人もこのラインで説明していた気がする。
本稿もとりあえず〈死者たち〉の影を追うことにする。
入沢康夫は日本の近代詩が全て「私詩」となってしまったことを、自然主義派がもたらした毒だとして鋭く批判した。そして小説で当然行われるように、詩においても「作者」と「発話者」の分離を前提とした。「作者」は〈詩〉という場に関係するプレイヤーの一人にすぎない。
『牛の首』における一人称の試みに近いものを挙げると、まず「異海洋からの帰還」『「月」そのほかの詩』(1977年、思潮社)がある。基本「私たちは」で時折「私は」「私たちは、私は」が混ざる。また『座亜謙什』は作品の進行とともに「私」「私たち」「あなた」「あなたたち」が何度も転倒していく。
これらは語りの多層性を担保しつつ「詩の虚構性」(=私たちの虚構性)を突き詰めていく試みだと言える。
天沢退二郎が「入沢康夫の作品史について」で指摘したように、語りの問題意識は『季節についての試論』以前と以後で大きく変わっている。それでも、第一詩集『倖せそれとも不倖せ』(1955年、書肆ユリイカ)の第一詩篇「失題詩篇」からして「二人」だったことは見逃せない事実だ。
心中しようと 二人で来れば
ジャジャンカ ワイワイ
山はにつこり相好くずし
硫黄のけむりをまた吹き上げる
ジャジャンカ ワイワイ
――「失題詩篇」
本当はずうっと一人だったのに。*2
血族・記憶・子供
以下、太字は引用者による。
わたしたちは、わたしは、溺死した妹が来るのを待つてゐる。妹を、――しかし、わたしたちに、わたしに、妹などあつたことか。欄間の、翼ある牛の首の紋章の下に、着飾つた子供たちが、手に手に巨大な羊歯の葉をかざして群がり、しきりに口を開け閉めするが、声はまるきり聞えない。 ――「六 - 2」
何人も何人もの牛の顔をした男とすれ違つた。中の一人は、片肌を脱ぎ、極彩色の雄鶏の刺青をむき出しにしてゐた。よく見ておくがいい、あれがおまへのお祖父さんなのだよ。そんな声を、どこからともなく聞いたとき、 ――「六 - 3」
緑色の揺籃が水に投じられる ――「四 - 2」
日蝕の午後、檻の中にゐるのは、わたしたちの、わたしの娘だ。 ――「四 - 3」
わたしたちの、わたしの伯父たちが、無理やりに仕事をさせられてゐた地下室が、ここなのか。 ――「三 - 2」
わたしたちの、わたしの子供は、北の国で蒼白く生き返り、一、二年ののちには戻つて来るはずだ。(中略)わたしたちは、わたしは、必ずしも信じてゐるわけではない。 ――「七 - 2」
それは、顔のない父たち母たちの匂ひ、また、見捨てられてすでに久しい牛小舎の匂ひでもあるが。 ――「七 - 3」
わたしたちは、わたしは、行き交ふ限りの子供たちに、一語一語口うつしに教へ込まうとつとめる。 ――「七 - 6」
入沢康夫の個人情報に基づいて考えようかとも思った(妹・娘は実在しない、兄・姉は実在するが出てこない等)。*3
しかし一人称を踏まえればもっと筋の良い考え方がある。
語り手が参照する記憶には「わたしたち」=「死者たち」の記憶が「偽記憶」として混入してくるのだ。「死者たち」は特に「死んだ血族」と捉えるべきだろう。ある死者は溺死した妹を持っていた。しかし、わたしに妹などいただろうか……。血を通じて作品内にクロニクル的な時間方向への広がりが確保される。
とはいえ、「行き交ふ限りの子供たち」に「牛の首の勝利」を教えようとするあたり、「記憶による継承」は血族でなくとも行われるはずだ。そうして一般性を確保しつつ、継承されるのは絶望的事実である。
『牛の首』には多くの「子供」が登場する。記憶の中の「幼少の私」も含めて。これで未来に継承されるのが全的な「忘却」なのだから、何ともネガティブだ。
「やがて、証明をあきらめる日が来るだろう。そしてその日、すべては伝へられるがままに受け入れられ、貨幣は純粋に貨幣としてのみ用ゐられて、装飾や玩具としての用途は廃絶せられるであらう。あらゆる遊びも、しかるべき(それが何であるかは判らぬながら)理由を有する生真面目な営みと看做され登録され、各自の死の必然的な到来の予想さへも、つひには忘れ去られるであらう。かくて牛の首は勝利し、しかもその勝利の事実も、誰ひとり気づくものはないであらう」と、わたしたちは、わたし、行き交ふ限りの子供たちに、一語一語口うつしに教へ込まうとつとめる。
――「七 - 6」
次は個人的に好きな詩句。
かつて愛した少女(十歳で死んだ)の曖昧な出現。出現した彼女の下半身が蛇であることを、いやもおうもなく確めるために、(その尾の尽きるところまで)私たちは旅に出なければならぬ。三万五千年ぶりに芽ぶいた杖の挿話。
――「八下図 - 2」
「かつて愛した少女(十歳で死んだ)」は入沢康夫本人の記憶に基づいているようで、『漂ふ舟 わが地獄くだり』(1994年、思潮社)にも引用されている。更に後の作品にも登場した気がする。
ただし、ここでの一人称は「私たち」だ。平仮名の「わたしたち」でない上に「、わたしは」が抜かされている(次の節参照)
「八つの下図」について
「八下図」において破綻するルールは2つ。
①各篇には必ず何らかの形で「牛の首」が登場する
②一人称は必ず「わたしたちは、わたしは」という形をとる
①の破綻は前回「牛の首について②:偏在」で列挙により説明した。
②の破綻は、まず「八下図」において一人称が登場するのは「八下図 - 2」のみであることを述べておく。そこでの一人称が「私たちは」なのは上記のとおり。とりあえず、作者本人の情報とテキストの距離を離す作用はあるのだろうが……。
「「牛の首のある八つの情景」のための八つの下図」という「架空の草稿」(実際は決定稿なのだが)が提出されたことをどう思うべきか。
ここで登場する人物を慎重に分別すると、「発話者」「架空の書き手」「架空の編集者」「実作者」「読者」の五者になるはずだ。「架空の書き手」が「発話者」の登場する作品=草稿を書き遺し、「架空の編集者」がそれを「八つの下図」と題して提出した、という風に「実作者」が書いた。勿論このうち同一人物が居ても良い。例えば「架空の書き手」と「架空の編集者」は同一であってもよい。『座亜謙什』でも出てきた構造だ。
この分別を徹底分析してもあまり面白いことが言えない気がしてきた。ともあれ、「実作者」のこのような演出意図をどう思うか、および演出された「テキスト」の生成過程をどう読むか。書き言葉と「牛の首」の関係性。
全体をよくよく見渡すと、「書き言葉」「詩」という重要テーマと「牛の首」の関連が示されるのは、「牛の首」が不在になる「八下図」によってだということに気付く。前回の「言葉(書き言葉・話し言葉)」を参照。
結論に至る前のメモ
『牛の首』というさほど長くない詩集の中でも、特定のモチーフは反復される。これまで取り上げなかったものをメモしておこう。
[舟]
今しがた三角の帆を拡げた舟が夢のやうになめらかに通り過ぎた。 ――「六 - 5」
林立する帆柱 ――「八下図 - 8」
わたしたちは、わたしは、その列を右前方に見ながら、浅瀬伝ひに舟を操つてゐる。 ――「二 - 1」
百数十本の帆柱の林立する奇妙な船。 ――「七 - 3」
折口信夫「うつぼ舟」など、入沢康夫にとって「舟」は思い入れのあるモチーフである。特に密閉された木舟=棺の形で出てくることが多い(「「木の舟」のための素描」「異海洋からの帰還」)。「七 - 3」における巨大な「船」は、あるいはこういった棺なのかもしれない。
→[川・運河]
[粉末]
粉雪が(あるいは粉雪の幻?)無数の振鈴の音と共に散りかかり、あらゆる不安と衝迫から、わたしたちを、わたしを、つかの間にせよ自由にしてくれようとするのだが、折も折、運河の向ふ岸、すでに雪でまだらになつた石畳に並べられてゐる何やら灰色のものが目に入つて ――「六 - 5」
青銅色の砂にしみついてゐて ――「八下図 - 1」
一摑みの砂粒 ――「八下図 - 4」
麦粉を一摑みづつ握らせてくれる ――「三 - 3」
→[雲][雪]?
→[燐光]
燐光を放つ熱帯魚さながらに、 ――「六 - 1」
あの燐のやうな光を放つ巨大な牛の首が「四 - 2」
黒壺の中で燐光を放つ牛の首。粉末状の憎悪。 ――「八下図 - 7」
「粉末状のもの」の使用は『牛の首』において印象的だ。
「粉雪」は作品内で唯一「牛の首」へ抵抗を示したモチーフだ(すぐ失敗したが)。幻でないもの=作品内現実(?)は「牛の首」の領域らしい。
更に言えば幻想も「牛の首」の領域だ。
牛の首の発光原理は何なのか。それは「わたしたち」の幻視ではないのか。
[埋められたもの・隠されたもの
あの手押車のには、三つのこも包みが積んであつて、その一つだけが妙に重たかつた。また、別の一つは、いつもいつも、中でカタカタと何かが鳴つてゐた。 ――「四 - 4」
それもどこへ埋められたことか ――「二 - 2」
半ば腐つた櫃を掘り起し、 ――「七 - 2」
「季節についての試論」を思い出させる隠蔽の悪質さ。
[虫]
虫にすっかり羽毛を喰らいつくされた羽根ブラシ ――「三 - 2」
闇のラシャはひとところだけ虫の喰ひ痕のやうに喰ひ破られる。(中略)虫や小鳥の名をいただく部族から部族へと ――「七 - 4」
潰した貝殻虫のうす茶色い汁でもつて ――「七 - 5」
多いと思っていたがそんなことは無かった。出現頻度的には「魚」と同程度。なぜか後半に出現が偏っているようだが……。
[男]
何人もの何人もの牛の顔をした男 ――「六 - 3」
向うの、共同墓地の門から出て、近付いて来る男 ――「六 - 6」
首の異常に太いあの男 ――「四 - 1」
西の方をちらちら盗み見てゐる男たち。 ――「八下図 - 1」
原色の羽毛で全身を飾つた男 ――「八下図 - 6」
八方に逃げて行く男どもの後姿 ――「三 - 1」
さうだ、昨日出会つた男が、それにまちがひないと言つた。 ――「三 - 2」
猪首の男たち女たち ――「三 - 3」
生物学的性別が問題である。血族を除けば「女」より「男」の方がよく出てくる(前者は「かつて愛した少女」「猪首の女たち」「頸の太い老婆」の三回、後者が八回)。
牛面人身に関してはミノタウロスの残響があるだろう。さてその他は、男の異常者?
[素てられた場所]
その黒々とした建物(おそらくは廃止された駅の建物) ――「六 - 2」
爆破された教団の跡地の斜面に ――「二 - 2」
また、見捨てられてすでに久しい牛小舎の匂ひでもあるが ――「七 - 3」
入沢康夫のモチーフとして「古い土地」は普遍的である。「未開拓の土地」とか「新興の土地」が出てくる方が珍しい。神話的民話的雰囲気を受け継いでいるからだろう。
とはいえ、『牛の首』における「機能停止した建造物」のモチーフは特徴的といえる。似たテイストの詩句として次も挙げておこう。*4
舗装道路の尽きるところに、避病院めく建物があり ――「六 - 5」
ひよつとしたらわたしたちが、わたしが、はるか昔に住んでゐたのかも知れない、ひどくひどくなつかしい街の幻が、一瞬浮かんで、あわただしく消える。 ――「三 - 3」
[広場]
[塔]
結語1:ヒト、トリ、ウシ
言葉に言い表せぬ魅惑の力を持った詩篇、それを求め続けて一生を棒に振った男。これはお伽話ではなくて、本当にあった(ある)ことだ。馬鹿な話。馬鹿な話だろうか。
— 入沢康夫 (@fladonogakobuta) 2016年2月6日
今日ここで、わたしたちは、わたしは書く、草の繊維で織り成された布地に、潰した貝殻虫のうす茶色い汁でもつて。「たつた一度の愛撫を求めて、わたしたちは、わたしは、一生を棒に振つた」と。 ――「七 - 5」
要素分解の遊び・パラノイアはこのぐらいが限界だろう。作品との全的な対決が求められる。
正直なところ、「牛の首」はほとんど代名詞 it として運用されているようにも見える。諦めず先に進むため、牛の首に見られるテーマ性をおさらいしよう。
- 「監視」*5「支配」「権力」のテーマ。「通貨」「経済」のテーマ。ここまでは「季節についての試論」に出てくる。
- 「予言」のテーマ。「人との融合」「身体」のテーマ。「子供」のテーマ。件(くだん)に由来するもの。
- 「決定稿」のテーマ。「無意識」のテーマ。これらは『牛の首』に初出。
ここで井戸=イドだけで「無意識にも牛の首が存在する」ことを導くのは安易だと思ったので、少し補足。
理由の殆どは結語1の議論ありきである。「世界の構造」「与えられたもの」の一つにヒトの無意識も必ずや含まれるだろう。
残りは「決定稿」のテーマ、「八つの下図」に絡む。草稿段階では「私たち」なのが「わたしたち、わたし」に変更されること。この一人称の変化に、やはり決定稿になると出現が約束される「牛の首」の影響を見たいのだ。無意識、とまでは言えなくとも「牛の首」が発話者に内在的影響(抑圧・衝動)を与えているように読むことは不可能ではないと思う。
牛の首とは「世界」の多様なヴァリアントなのか? いやそんなはずはない。既に述べたように、『牛の首』において「鳥の頭をした狩人」は登場しない。わずかに「粉雪(あるいは粉雪の幻?)」の虚しい試みがあるばかりだ。そういった「反体制的」なものすら「体制」維持に必要な要素に過ぎない、というのか。*6
「牛の首」とは「世界の構造」、「所与のもの(構造上受け入れるしかないもの)」、「今ここに「わたし」が存在することそれ自体」ではないのか? 人が社会を作ること、人が死すべき定めにあること、「わたし」が「わたし」でしかないこと、息をして喰らって糞尿を垂れ流して眠ること、機能として(不全になったとしても)与えられたことへの怒り。
「この曲面での「構造」の追求は、先にもいささか口をすべらせたように、おのずから「詩の反逆性」(この世界を造った「神」を象徴とする権力・支配体制・世間的善等々に対する反逆)へと導びかれるのではあるまいか」(p34)
――『詩の構造についての覚え書』(1968年、思潮社)
1968年の時点で、いや第一詩集を出版した1955年、もっと遡れば10代の頃から抱えていた「怒り」。引用部分では触れられていないが、間違いなく反逆=怒りの対象に「言葉」も含まれているはずだ。言語(構造)が我々を規定するのだから。
しかし、言語を用いてどれほど言語に抵抗できるのだろうか? 言葉によって言葉の嘘を暴くことなどできるのだろうか?
この矛盾こそ、入沢康夫の作品をスリリングなものにしている。入沢康夫はシュルレアリスム詩の(時として安易な)言語破壊ではなく、むしろ一見にして平明な言葉の中に「罠」=悪意を忍び込ませることを選んだ。
『牛の首のある三十の情景』の主題は「構造の中にいるヒト」だ、と言ってみよう。このヒトは一にして多という極めて特殊な形態をとるが、我々の似姿だ。あるいは我々より我々らしいかもしれない。というのも、「自我」「意識」も(言語化される部分されない部分に関わらず)間違いなく「虚構」であって、したがってむしろ虚構性を積極的に引き受けるテキスト内の「わたしたち、わたし」はよりヒトの本性に近づいている。世界の虚構性を積極的に引き受けることも重要だ。*7
『牛の首』の錯乱して不穏な作品世界は、しかし空間的に我々の世界に近い(これは「方位」で述べた)。時間方向にも死者がおり血族がおり記憶があり子供がいる(「血族・記憶・子供」)ことから、殆ど同じと言ってよい。「ラスコオの昔から」=ヒトの始原より牛の首が存在するなら、歴史性も似る。
ヒトの始原?
「牛の首」とは、正確に言えば「ヒトに感覚される範囲の世界の構造」ではないか。『牛の首』は宇宙まで飛び出す話ではない。この意外な人間中心主義は、しかし詩の限界ギリギリまで逼迫している。
「詩は言葉でつくるもの」(マラルメ)だとして、それに参加するのはヒトなのだ。「ヒトの言葉はヒトが用いる」のだ。*8
ヒト、ヒト、ヒト。うんざりじゃあないか。
だが、どこまでもヒトから逃れることはできない。
だが、わたしたちは、わたしは、確実に年老い、花々は笑ひながら舞ひ去つて、夜々の真赤な空洞の底で行く千本の白い手が揺れてゐる。牛の首、牛たちの首に追はれ、また追はれ、あるいはまた、それらを追つて、わたしたちは、わたしは、大きな(しかしおそらくは、――否、絶対に、不毛な)恋情の中へと、ますます深くとらへられて行く。
――「牛の首のある七つの情景 7」
「絶対に、不毛な、恋情」。美しい詩句だ。おそらく「六 - 1」の石板解読への「中途半端な情熱」と同格。
「恋情」とは「怒り」。「何か」の絶え間ない希求。(これをメタポエム、〈詩の源泉〉への接近願望と読むことも面白い)
そして、その確実の失敗。
「やがて、証明をあきらめる日が来るだろう。そしてその日、すべては伝へられるがままに受け入れられ、貨幣は純粋に貨幣としてのみ用ゐられて、装飾や玩具としての用途は廃絶せられるであらう。あらゆる遊びも、しかるべき(それが何であるかは判らぬながら)理由を有する生真面目な営みと看做され登録され、各自の死の必然的な到来の予想さへも、つひには忘れ去られるであらう。かくて牛の首は勝利し、しかもその勝利の事実も、誰ひとり気づくものはないであらう」と、わたしたちは、わたしは、行き交ふ限りの子供たちに、一語一語口うつしに教へ込まうとつとめる。
――「牛の首のある七つの情景 6」
ともすればこの「予言」を行う「わたしたちは、わたしは」もはや「牛の首」になっているのではないか。その首は異常に太くなっているのではないか。
言葉の中に「牛の首」が潜んでいること。
48歳の年老いた(少なくとも若くない)詩人は、『牛の首のある三十の情景』以後、ある意味での「社会派」詩を書くことは二度となかった。ここが到達点であり、一つの世界が終わった。
宮沢賢治の詩はその切れ目から昏い宇宙をのぞかせた。『わが出雲・わが鎮魂』でも「だまされてはならない」から「(それにしても/どこにあるのか 友の魂//本当の/出雲は)」まで辿り着いたとき、そこは地獄などではなく宇宙の遠い場末のように感じる。
だが、『牛の首』の切り目から溢れてくるのはヒトの淀みだ。とことん「内」を突き詰めた作品だ、と今は言っておこう。*9
結語2:(数日後)
作品を読むとは「結語1」のようなことではないと思う。いや、テキストから寓意(?)を読み取って言語化するのは自由だが、そして何らかの方向性を示しているとは思うが……。所詮、論理を偽装した感想でしかない。一つの問題は、具体例もなく抽象の階段を駆け上がっていることである。
作品を「読んで」その作品について「書く」ことは難しい。作者と同様に読者は作品という〈場〉に否応もなく巻き込まれてしまうから。
『牛の首』の作品世界を球面に喩えたのは言い当て妙だったかもしれない。今は作品構造そのものが球面のように感じる。ツルツルして捉えどころがない。多様な読みが許容され、球面上に住み分けられ、そこに序列をつけることが出来ない。
この「作品」=「球面」に対して中心を措定することはそれほど意味を感じない(そもそも可能なのか?)。強いて言えば「牛の首」がそれにあたるが、「牛の首」は中心に「も」居るような部類の存在だ。
喩えを仮定した上でのイメージでしかないが、『牛の首』という作品の切れ目は、球面の外ではなく(存在しない)中心へ向かう重力を持っているのか?
本当に何を重力として、何にドライブされて書かれた作品なんだ。中心は無いか、単一中心でない? 球面の喩えはやはり不適当だった……?
以上の感想は一重に筆者の能力不足によるもので、読む人が読めば勘所をズバッと提示できるのかもしれない。なお
私自身もかつて言及を試みたことがあるが、「牛の首」とは何かと問いつつ、かろうじて「錯乱的な記号系」と言い得たのみだった。
入沢康夫の作品を楽しく読むということは(詩を読むということは?)謎めいた幻覚に乗ってしまうということでもあるので、入沢作品が嫌いな人による辛辣な評があれば結構有効に響くのかもしれない。「好きになれない」人のために批評がある。
あとがき
いくつかの見立ては全くの無駄・遊び・パラノイア・冗句にすぎず、また別のいくつかは筆者の力不足によりどこまで説得的になったか知れない。
ともあれ、筆者は全く個人的な理由でこの作品を客観視することができない。作品が人生に引き寄せられたか、人生を作品の方に寄せていっている。
今思うと、筆者の高橋徹也への接近に入沢康夫の影がないとは言えない。高橋徹也は一貫して「無頼漢」の「俺」の視点で世界を描いた。
【楽曲解説】高橋徹也 - 『夜に生きるもの』(コード進行で見る高橋徹也②) - 古い土地
追記:「男性性/マスキュリニティ」の問題。ナボコフなりボルヘスなり、引用を多用するポストモダン文学におけるマスキュリニティの表出方法。超越的なもの、謎めいたもの、言葉の構造に仮託されたマスキュリニティ。
入沢作品に通底する「父の不在」(精神分析的テーマ)や、『牛の首』で「男」ばかりが出てくること。動物を身体的ではなく、象徴的に人間以下のものとして扱うこと(これがマスキュリニティの表出なのは指摘されて初めて気づいた)。
「近代の終わり」は「男性特権の終わり」だったのか? 現代において「主体としての男性の特権性」はイデオロジックに一部解体されたり、現実的には既得権益として存続していたり、論考(と実践)に値するテーマが多い。
〈他者〉を拒否することの限界、〈虚無〉の不在が示された中で、それでもなお〈他者〉から距離をとること。漠然とした不安、コミュニケーションと言語への不信。「人間」を書くことの拒否。そういったテーマは次の「異世界論」に隠されているかもしれない。
青少年向けコンテンツ特有のジェンダー問題とネットを媒介した欲望表出とバズの方法論が悪魔合体して、ランキング上位だけ見るとジェンダー的に保守的なのが「小説家になろう」の環境だ*10。
といってもこれは昨今のポルノ・娯楽・オタクコンテンツに共通する問題だが(そしてその一部には地殻変動がみられる)。
そもそもTyler, The Creatorが「otaku」と述べる*11時代において、「オタク」なる用語でどれほどホモソ―シャルな集団を指定できるのだろうか? そこに連帯・共犯感覚はあるか?
*1:数学に詳しい方へ:前者はリーマン計量が入ることを想定し、後者は向き付けが不可能≒リーマン計量が入らないことを想定(≒は2次元閉曲面論では=になる)。詩は閉多様体でない(一般にコンパクトでないし境界もあるかもしれない)気もする
*2:この詩は入沢康夫20歳の失恋と自殺未遂から来ているらしい。だとすれば、その経験を「こう」としか書けなかったこと、書いてしまったこと、それは「呪い」と言う他ない。
*3:入沢作品全般に「父の不在」はある程度注目してよい特徴なのではないかと筆者は考えている。
*4:「避病院」をこの流れに含めるのは一種の政治的主張になる
*6:後期資本主義社会とのアナロジーを指摘せずにはいられない
*7:無論、これらはナイーヴな見方だ。正確を期すなら、世界は虚構ですらない。存在も不在もしていない。言語の明確な限界。これを「悪質さ」と呼ぶのは、おかしいだろうか?
*8:反例:オウムがヒトの言葉を真似ること。異種動物同士の言語「理解」。
*9:「社会」と言うと普通「外」だが、ここではヒトの営みとして、ヒトと宇宙との対比において「内」に引き寄せた
*10:ジェンダー以外でもそうだ。「なろう」は基本的に「近代回帰」の願望がある。「体制」への憧れと失望。
*11:https://twitter.com/tylerthecreator/status/1423746551411875845?s=20