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暗い穴

「小説家になろう」フェミニズム批評:週間ランキングから結婚について考える

 

 

問:テクスト投稿サイト「小説家になろう」の週間総合ランキング(2022/10/17現在)の20位以内にいくつ「異世界[恋愛]」カテゴリの小説は含まれるか。

答:16個(なお、そのうち12個が「婚約破棄」の要素を持つ)。

https://yomou.syosetu.com/rank/list/type/weekly_total/

 

 

 驚いた。私の知らないうちに環境が変わっている。

 

 「なろう」といえばオタク的男性イデオロギーの権化のようなイメージで、作品数も男性向けの方が多い印象だった。現在の動向を知るため、カテゴリ「ハイファンタジー[ファンタジー]」を男性向け作品、「異世界[恋愛]」を女性向け作品の代表として作品数を調べる*1。最終部分掲載日を(2022/9/1-2022/10/17)として各々検索してみると、前者が8240件、後者が3140件である。今もまだランキング外ではハイファンタジーが優勢なのか?

 ただし、ハイファンタジーが往々にして長期連載化し(そしてエタる)、異世界恋愛ものが短く完結する傾向にあることを考慮せねばならない。最終部分掲載日での計測はある種の実感を伝えるが、純粋な作品数と言えないのだ。そこで初回掲載日を(2022/8/1-2022/10/1)として検索したところ、前者が3031件、後者が2143件だった。新規作品の数ではそれほど差がない! ためしに5年前の同時期、初回掲載日(2017/8/1-2017/10/1)で検索すると2962件/1040件となる。この5年で有意に異世界恋愛ものが増え、ハイファンタジーの作品数はほとんど変わらないことが分かった。

 

 結論。「なろう」週間ランキング最上位というメタゲームの極致において、「女性向け作品」が圧倒的なプレゼンスを持っていることの要因の一つに、それらを好む読者と書く作者の増加がある。無論、それだけで説明できる占有率ではないが……。*2

 四半期ランキングにおいて男性向けと女性向けの比率は2:3ぐらい。年間ランキングになるとようやく逆転し、3:2ぐらいになる。異世界恋愛ものは長くても20万文字程度で連載終了するから長期間のポイント評価では不利になりがちだ(それでも年間の単位でようやく逆転する!)

 なお、四半期ランキングまでは女性向け作品=異世界恋愛ものと思ってしまってよい。女性向けの中では「異世界[恋愛]」」カテゴリのみがブランド化し一強になっているのが実情である。*3

 気になって調べたところ、「カクヨム」だとどのスパンのランキングも男性向けに独占されている。二次創作サイト「ハーメルン」もそうだ。

 「なろう」だけに起きた地殻変動。ここ数年の傾向らしい。

 

なろうの異世界物人気ランキング見てみたらほとんど悪役令嬢関連なん... - Yahoo!知恵袋

ターニングポイント「2020/03/03」

https://ncode.syosetu.com/n5314hx/

ターニングポイント「2020/03/03」補稿

https://ncode.syosetu.com/n1982ia/

 

 それにしても、なんでここまで結婚の記号が好きかね、と思う。「婚約破棄」が12作品と述べたが、他の4作品も結婚が関わっている。

 結婚をめぐる幻想。恋愛を結婚で保障すること。

 べつに「なろう」の週間ランキングに限らず、女性向け大衆小説やら男性オタク向けコンテンツやら、いろんなところで見受けられるけれども。

 

 

 近代社会において(異性)愛という〈個〉のドラマは、生殖という〈種〉のドラマと家族という〈制度〉のドラマをつなぐものとして用いられる(竹村和子『愛について』)。愛があるなら結婚しなければならない、結婚しているなら愛がなければならない、結婚しているなら子供がいなければならない、子供がいるなら結婚していなければならない。

 そんなもの、誰が(現代日本で)信じているというのか。おそらく、「愛=生殖=家族」の構図を100%信じられる人はそう多くない。一方で、「愛=生殖=家族」の構図を100%疑える人もそう多くない。他者を通じ、教育を通じ、フィクションを通じて、私たちの中に「愛=生殖=家族」の三位一体は深く刻み込まれている。

 「欲望はつねに他者の欲望である」と言ったのはラカンだった。私たちは他者から欲望の「正しい」持ち方を学ぶ(真似ぶ)。ここから、「欲望はつねに社会構築的な部分を含む」と言ってもよい。いつ寝るべきか、なにを食べるべきか、何を愛すべきか、そもそも愛とは何か。こういった「本能」に分類されそうな欲求もすべて、社会に要請された「正しさ」を少なからず参照している。実際に「正しく」なるかは別として。たとえば殺人衝動は、社会的に正しくないがために、より深まる(ジム・トンプソン『内なる殺人者』)。

 

 ところで、「なろう」が体制側か反体制側かと問われれば、めちゃくちゃ体制側だ。一周回って保守的だ。ゼロ年代のオタクがときにネット右翼と結び付いていたのとだいたい同じ図式。

 「なろう」に住まう彼らは現実の後期資本主義社会を真っ向から否定せず*4「正しさ」に沿いたいと思っている。一方彼らは現実に緩やかに絶望してもいるので、欲望の充足は迂回して、たとえば近代回帰(近代的な「正しさ」への回帰)という形で行われる。肥大しすぎた社会のなれ果てから目を背け、自分の手に負える小さな近代社会を作る試みだ。ハイファンタジー内政ものでは、中世ヨーロッパ風ゲーム的世界観(「ナーロッパ」)に近代のテクノロジーイデオロギーを持ち込む、といった具合に。

 そして異世界恋愛ものでは、結婚に結実する恋愛という「正しい」形で「愛=生殖=家族」の構図を再生産する。ここにおいて舞台は異世界でなければならない。現実からはるか遠い世界でなくては、恋愛も結婚も「正しく」行われないのだから(これは流石にミスリーディングだろうか。要は理念・理想はそのままでは決して現実化されないという当たり前の話。その事実性にときに抗いたくなるのもまた当たり前である)。

 

 可能なら正しくありたい、というのは殆ど誰だってそうだ。正しい道の方が面倒は少ない。だが、現代は、かつての「正しさ」=「大きな物語」が「正しく」なくなっている時代だ。基準が強固に植え付けられた上で、その矛盾・相対化まで植え付けられる。誰でも間違える可能性があり、神経をとがらせる必要がある。全員がなんとなくマイノリティ化する。

 「なろう」における戯れの裏に、「正しさ」に対する無力感を治療しようという試みの、いささかナイーヴな一変形を見て取りたい。そもそも「正しく」あろうとすることがナイーヴと言ってもよい。目的も手段も子供じみているのは承知の上で、それでも彼らは進む。

 正しくなりたい。安全になりたい。他者を、現実の自分を、傷つけるとしても。間違ったことだとしても。知的怠惰だとしても。

 

 

 冷静に「なろう」の作品を一つずつ批評していくとほとんど「稚拙」の一言で片付くが、全体を眺めて欲望の素直な表出と受け止めるとき、どこか切なくなる。「なろう」で行われるメタゲーム=内輪での加速、「なろう」が作り出す共同幻想=現代の神話・民話は、ひたすら「正しさ」に供する方向に進んで、突き抜けるということがない。(いや、個々の作品のどこかには、あるのかもしれない)

 異世界恋愛ものの場合、女性読者が現実とファンタジーを区分を十分承知して楽しんでいるのだとしても、作者が表現の自由を行使する場として生きがいになっているのだとしても、結果的に女性への抑圧の再生産に加担している側面は否定できない(ジジェクイデオロギーの崇高な対象』)*5。女性向けコンテンツとフェミニズムの間で昔からみる光景でもある。

 また、以前ランキングに上がっていた異世界転生ものに、転生前の主人公が「30代ワープア」であるものが存在した。他人事ではなく胸が痛くなった。精神的貧困を問うとき、同時にその下部に横たわる経済的貧困を問うべきなのだろう。「なろう」は現代のプロレタリア文学でもあるのだろうか。

 

 以上、「なろう」の週間ランキングにおけるメタゲーム性の果てに、何かしらの攪乱可能性ではなく切なさを見る話。

 

 

 追記:本稿はもっぱら「異世界[恋愛]」ものに着目したため、他のカテゴリ、男性向け作品、男性向けと女性向けの境界例、などのフェミニズムジェンダー批評を行えなかった。また、個々の作品分析がないのも「なろう」論として心残りである。まとまった数読んでないせいで批評すべき作品を抽出できなかった。

 

 

*1:この近似がなにもかも雑であることは注意しておきたい。まずもって男性向け女性向けの定義が全く明確ではない。女性が主人公の『本好き』『はめふら』『蜘蛛子』は女性向けなのか?

*2:「なろう」のメタゲーム性に関しては以前軽く分析したことがある。

ある序論:「小説家になろう」と「ヒップホップ」の類似 - 古い土地

*3:じゃあランキング中の男性向け作品に多様性があるのかと問われると、疑問である。たまにVRMMOものや現代ラヴコメや現代伝奇がなくはないという程度。

*4:そもそも「なろう」は加速した資本主義の末路である。資本主義社会を緩やかに肯定した漫画・アニメ・ラノベ・ゲーム・動画を大々的に引用することで成立した「なろう」に、親殺しの可能性はない。

*5:ここでジジェクを引用したのは7割方冗談だと思ってほしい。ただ、彼の理論が「「なろう」の異世界恋愛ものにおける結婚イデオロギー」の場合にも適用可能な気がしてしまうので、紹介しておく:ジジェクイデオロギーを言明と〈もの〉のレベルに分ける。たとえば旧ソ連におけるスターリニズムは、その言明を誰も信じていないにもかかわらず、70万余の粛清・1400万余の戦死者を可能とした。「イデオロギーは人が信じないことを計算に入れ」「〈もの〉として流通させる」のだ。

第四章 ジジェクのイデオロギーと主体の理論 | 概念を孕むこと。