書いていたらいやに辛辣になった。本稿に誹謗中傷の意図はありません。
以下にコード採譜がある。
飛行する君と僕のために (歌・作詞・作曲:小沢健二) - ChordWiki : コード譜共有サイト
元々2016年のツアー『魔法的』で披露された曲。2017年フジロックでのライブが不法アップロードされている。
Ozawa Kenji 小沢健二 - 飛行する君と僕のために(Fuji Rock 2017) - YouTube
[コード]
・イントロ(key:G#mとみなす)の「IVm9 - Vm7 - Vm6」。意外性を出すためダイアトニックコードVm7の7thが半音下の6thに落ちる。
・Aメロ(key:G#mとみなす)の進行は「IVm9 - Im9 - bIImaj7 - Im7」で、サブドミナントマイナーとトニックマイナーを繰り返すごく普通の進行である。ここではむしろメロディックなベースラインに着目したい。後半のAmaj7 - G#m7はベースの第一音がルートではなく5th(eとd#)なのである。このせいで採譜に時間がかかった。
・サビ(key:Bとみなす)で「IVmaj7 - IIIm7 - IIIm7(b5)」といくのがアイディアといえばそうかもしれない。IIIm7(b5)でのメロディはb13th(1回目)およびm3rd(2回目)を当てる。
・「重力に~」部分でSteely Danの「Peg」バースや「Deacon Blues」イントロのような進行が出てくる。メロディや普段の語彙を踏まえると作曲段階では「B – F#/A# - A – E/G# - 」のようなトライアドで考えていたのだろう。編曲段階においてキーボードの気持ちよさで「Bmaj7 – F#add9/A# - Amaj7 – Eadd9/G# -」としたように聞こえる。
追記:有識者からのコメント。この進行は「Bmaj7 – Bbm7(b13) – Amaj7 – Abm7(b13)」とも思える。同じく『魔法的』で披露された「流動体について」では「Fmaj7 – Em7 – Ebmaj7 – Dm7」が使われている。これはギターオリエンテッドな進行であり、こちらの方向から着想したのではないか、とのこと。
(加えて、復帰後の小沢健二はメロディより先にコードを決めており、それは作曲の硬直化を招きがちである、という話)
[声]
・5,6年前も急速に声が老いたと思ったが、そこから更に枯れている
・復帰後の小沢健二はもうポップスを歌える声ではない、というのが筆者の持論。しかしこの曲に関しては(現在の声でも)ポップスとして成立している
[作曲]
・最近の小沢健二にしては作曲がマシだが、これは昔作った曲だから。2021年に作られた他の作品を聞けば分かる通り、今の作曲は商品として流通させてよいレベルではない。
・特に歌詞と譜割りが最悪
・筆者は次のようにも思う:彼はもう音楽(旧譜であれ新譜であれ)をインプットしていないのではないか。だからアウトプットも「あんな風」になってしまう。温故知新も流行もない。音楽的なマイブーム(動き)を感じない。
[アレンジ]
・今回の録音で文句をつけ得るのは編曲だろう。スネアの音の選択が異常であり、個人的には喰えない。
・全体的に悪いバンドグルーヴ。bpmはもっと落してよい。後半走るのだが、本当に良くない走り方。焦っているように聞こえる
・「シナモン(都市と過程)」と同路線のアレンジ/ミキシング。(R&Bを思い出たのかもしれないが)この曲そんな音の溝を深める必要性ないだろう。ライヴ録音の方が向いてそう
・しかし金が無い。ドラムとミキシング以外自作自演で回っているので、そこを外部委託していたらもっとよくなっていた。何故「飛行する」でなく「ドゥイドゥイ」がA面なんだ。さすがにスタジオミュージシャンが居た。ベースは自演だとしたらうますぎるし、エレピのアドリブソロも手癖であそこまでは弾けない。レコーディング前に打ち合わせ・すり合わせの時間がさほどとれなかった?
Producer, Associated Performer, Recording Arranger, Vocals: 小沢健二
Composer Lyricist: 小沢健二
[歌詞]
・今回の歌詞で意外だったのが「方角をくれる」。これまで「音楽を焚(く)べる」だと空耳していた
・子供と密輸人のテーマ。ある種の反動主義・逆張り。今の彼がやると唯々「大丈夫じゃない」「これはよくない」という印象を抱かせる。また、2016年といえば最終的にドナルド・トランプが勝つアメリカ大統領選挙が行われたわけで、歴史的含みを後付けせずにはいられない
[総評]
「飛行する~」の総評ではなく、現在の小沢健二の総評
堀込高樹と全く別の方向性・音楽レベルで中年の悲哀を表現しているといえばそうなのかもしれない。堀込高樹は69年生まれ、小沢健二は68年生まれであり、今の彼らは好対照を為している。笑いで喩えると、高樹は笑わせていて、健二は笑われている。
しかし後者こそが中年の本質なのだと小沢健二は身をもって示していた……?