「Naima」はJohn Coltraneがアルバム『Giant Steps』(1960年)で発表した美しいバラードナンバーだ。今では歴としたジャズスタンダードであり、Coltrane本人も手応えを感じていたのか、晩年までたびたび録音を残している*1。
シンプルなメロディ、複雑な和声、ベースのペダルポイントで構成されたこの曲。現代的解釈だともうちょっとベースが動いたりコードが変更されたりするようだが、オリジナル版を分析するのも悪くないだろう。
得られる結論は次の通り。いかにも60年代モダンジャズ的なニュアンスのコード進行が、実はペダルポイントの上でメジャーコードを(ノンダイアトニックに)平行移動するだけで達成されている。明確実験として企図されていたのだ。
Coltraneの作曲で「実験」「勉強」要素の無い曲の方が少ないだろうが、「Naima」は実験抜きに美しさが語れない点でかなり成功しているように思う。
なお本稿は次の記事の翻案に近い。英語を厭わなければこちらを読んだ方が良いかもしれない。
オリジナル版の進行
コルトレーンが書き残した進行は次の通り。
Key : Ab
[A] (Eb pedal point)
||: DbΔ | GbΔ | AΔ - GΔ | AbΔ :||
[B] (Bb pedal point)
| BΔ | GΔ | BΔ | GΔ |
| DΔ | BΔ | AbΔ | EΔ |
[A] (Eb pedal point)
| DbΔ | GbΔ | AΔ - GΔ | AbΔ |
[outro]
| AbΔ– DbΔ | AbΔ – DbΔ | AbΔ – DbΔ | AbΔ – DbΔ | AbΔ |
Keyの同定は[outro]が明らかにI-IVなのが見やすい。他の方法としてメロディを追ってもよいし、[A]最後のAbをトニックとみなすでもよい。
(なお、この譜面はヴォイシングに関する重要な情報が抜けている。弾いて確かめる場合次の節(ピアノ)またはその次の節(ギター)を参照のこと)
機能和声的に書き換えてみる。
[A] ( v pedal point )
| IVΔ | bVIIΔ | bIIΔ – VIIΔ | IΔ |
[B] ( ii pedal point )
| bIIIΔ | VIIΔ | bIIIΔ | VIIΔ |
| #IVΔ | bIIIΔ | IΔ | bVIΔ |
[outro]
||: IΔ - IVΔ :||
VIIΔ (GΔ)と #IVΔ (DΔ)は中々お目にかかれないが、その他はポップスで使われる範疇。実際はペダルポイントが加わるからもう少し考えなければならないが。
[A]の「bIIΔ – VIIΔ – IΔ」について。よくある進行は「bIIΔ – IΔ」 の半音下降だが、その途中にわざわざVIIΔを入れている。ビバップの、それこそCharlie Parkerが好んだchromatic approachをコード全体でやっているような平行移動の進行だ。
ギター弾きの人はアレンジとして、あるコードを長く弾いているとき半音下から平行移動でずり上がるのをよくやる。ジャズマンが作曲として明確に意図するのは珍しいか? ポップス的にはVIIΔよりVIIdimの方が自然に思える。
[B]はよく分からない。「VIIΔ - bIIIΔ - #IVΔ」と並べると、ルートがviiのメジャートライアドを構成することに気づく。この種の「ルートが何らかのコードトーンになるようコードを平行移動させる」仕掛けはコンテンポラリージャズではたまにある。次はHerbie Hancock「Tell Me A Bedtime Story」の例:「BΔ7 – GΔ7 – EΔ7 – CΔ7」
とはいえ、この種の仕掛けは意図的でなければならず、「Naima」の場合意図していたとは思えない。筆者がたまたま並び替えてそう読んでしまったというだけか。
「VIIΔ - bIIIΔ - #IVΔ」のあとは譜面だけ見ればIΔ に解決する。 しかし/iiであり、聴感上も機能上もトニックの意図は無さそうだ。
bVIΔ は[A]へのドミナントモーションであり、/iiから/vへの4度上昇とも、bVIΔからvのペダルポイントへの半音下降ともとれる。
ペダルポイントの設定に着目し、[B] – [A]の流れで大きなツーファイブであると論じられることもあるが、筆者にはよくわからない。
次の節で触れるように、コードが切り替わるごとに内在するスケールも切り替わる。つまりモーダルインターチェンジが行われている。vにペダルポイントを持つことからも[A]が大きなドミナントセクションで、スケールを色々付け替えながら最終的にトニックのAbに解決するのは解釈として通っているように思う。ただ[B]のモーダルインターチェンジは、IIm7(ないしII7)ってそんなに懐深いか? と思ってしまう。
実際のヴォイシングとコードスケール
プロのジャズミュージシャンは、聴けば理解できるのとリハモやテンションの付け替えを考える時むしろ邪魔になるから、テンションノートを譜面に書かない人が多い。
そのようにして、上述の進行はヴォイシングに関する重要な情報が抜けている。殆どのΔはmaj7だし、適宜5thを抜いたり(モダン以降のジャズにおいて5thは弾かなくて良い音だから、弾く場合テンションとみなしうる。独自研究)#5にしたりb5にしたりしなければならない。
分数コードの形で書きながらヴォイシングの情報を補ったのが次の譜面。ピアノならこの譜面の方が弾きやすいだろう。
[A]
||: DbΔ7/Eb | GbΔ7/Eb | AΔ7(#11)/Eb – GΔ7(#5)/Eb | AbΔ7/Eb :||
[B]
| BΔ7(13)/Bb | G/Bb | BΔ7(13)/Bb | G/Bb |
| DΔ7(#5)/Bb | BΔ7(13)/Bb | AbΔ7/Bb | EΔ7(#11)/Bb |
[A]
| DbΔ7/Eb | GbΔ7/Eb | AΔ7(#11)/Eb – GΔ7(#5)/Eb | AbΔ7/Eb |
[outro]
| AbΔ7– DbΔ7 | AbΔ7 – DbΔ7 | AbΔ7 – DbΔ7 | AbΔ7 – DbΔ7 | AbΔ7 |
(musescoreで見つけたほぼ同解釈のメロディ・コード譜)
分数コードからテンションコードへ書き換えてみる。さらにコードが示唆するスケールについて考えてみよう*2。
・DbΔ7/Eb = Eb7sus4(9,13) : Eb mixolydian scale
V7として最初に期待されるスケール。
・GbΔ7/Eb = Ebm9 : Eb aeolian scale?
マイナー借用したVm7のコードスケールはphrygianであり、9thをテンションに持たないことに注意。
・AΔ7(#11)/Eb = Eb7sus4(b5) : Eb locrian scale?
響きの良い和音であり、スケール当てはめに一番困る部分。次のaltered scaleとは3rdか4thかの違いしかない。
・GΔ7(#5)/Eb = Eb7(#9,b13) : Eb altered scale
b5thを使わずにalteredを示すテンションのいれ方。Ebに対する7thは抜いてもスケール感が出る。
・AbΔ7/Eb : Eb mixolydian = Ab ionian scale
トニックのAbΔ7。5thをベースとした形。
・BΔ7(13)/Bb = Bb7sus4(b9) : Bb phrygian scale
phrygianをコード一発で示唆するにはm7(b9)よりも7sus4(b9)の方が響きがよい。この後を考慮するとともしかしたらBb phrygian dominant scaleか? 短3度にせよ長3度にせよ、アヴォイドには違いない。
・G/Bb = Bb7(b9,13) : Bb diminish dominant scale
Thelonious Monkが愛したスケールの一つ。60年代のジャズミュージシャンなら皆使っていると思う。b9thと13th(と#11th)が両立する感じがいかにもモダンなのだ。普通メジャーコードに解決するときに用いるスケール/テンションのいれ方。なおBbに対する7thは抜いてもスケール感が出る。
筆者がトランスクリプションで見たことあるのはMcCoy Tyner, Herbie Hancock, Charles Mingusなど。日本のポップスでの使用例は竹内まりや「プラスティック・ラブ」、オリジナル・ラヴ「心 ~angle heart~」など。
・DΔ7(#5)/Bb = Bb7(#9, b13) : Bb altered scale
b5thを使わずにalteredを示すテンションのいれ方。
・AbΔ7/Bb = Bb7sus4(9,13) : Bb mixolydian scale
dorianのテンションとして13thを許容する流派ならBb dorianとも見える。しかしBb dorian ~ Ab ionianならもっと解決感があるべきだ。
・EΔ7(#11)/Bb = Bb7sus4(b5) : Bb locrian scale?
やはりコードスケール解釈に困る。
一般にColtarneの『Giant Steps』は、モードジャズ黎明期に作られたビバップ最後の結晶と評価される。彼の演奏は既に「シーツオブサウンド」と言えるほど音数が多いけれど、モード的ではない。「Giant Steps」や「Countdown」で用いられたColtrane changesは完全にビバップ的に解釈されている。
(余談 Coltrane changesはモードジャズ期に入っても捨てられたわけではない。アドリブの途中で用いられる例がいくつかある:今のモードからスケールアウトする際、何らかの楽理的根拠に従ってアウトしたい。例えばそれは半音/全音上に平行移動したモードだったりIIm7-V7, V7-Iの代入だったりするわけだが、Coltrane changesを”根拠”として使ってもよいのだ)
しかし、上で見たように、滑らかにモーダルインターチェンジしていきながら複雑なテクスチャーを塗り替えていく「Naima」は、モードジャズを予期していたような作曲である。特にペダルポイントの使用が初期のモードジャズっぽい。
ちゃんと検討してみる。Miles Davis『Kind of Blue』の初録音が1959年3月2日、「Naima」の初録音が1959年4月1日。あのMilesが懇切丁寧にモード理論を説明してくれたとはとても思えない。
サブスクに怒涛の別テイクがあったので確認してみた。採用テイクではTommy Flanaganがアドリブをとっている。Alt Takeの1-6までColtraneはアドリブっぽいものを吹いているが、テーマの変形が多い。テーマから外れる部分はコーダルに吹いているように思う。スケール垂れ流しもよくするが、これは以前からの手癖でモードを踏まえたものではない。
以上から総合的に考えて、「Naima」はコーダルな意図をもって作曲した可能性の方が高い。
だが、後にモードジャズの大家となるColtraneをして、ビバップを突き詰めた『Giant Steps』の中に既にモードの萌芽があったと読むのは面白い。
おまけ:ギターtab
ギターで弾くためのコードtab譜。トップノートはメロディの第一音になるよう調整してあり、ちょっといじればコードとメロディを同時に弾くことができる。
ペダルポイントがEbとBbなので6フレットにcapoをつければ楽になるんじゃないかと思ったが、そうするとコードとトップノートのいくつかが両立できなくなる。4フレットcapoはアリかもしれない。
[A]
DbΔ7/Eb = Eb7sus4(9,13) : x66668
GbΔ7/Eb = Ebm9 : x6466x
AΔ7(#11)/Eb = Eb7sus4(b5) : x6769x
GΔ7(#5)/Eb = Eb7(#9,b13) : x6547x
AbΔ7/Eb : x668xx or x6658x
[B]
BΔ7(13)/Bb = Bb7sus4(b9) : 6x6446
G/Bb = Bb7(b9,13) : 6x978x
DΔ7(#5)/Bb = Bb7(#9, b13) : 6x(8)779 or 6x6779
AbΔ/Bb = Bb7sus4(9,13) : 6x658x or 6x688x
EΔ7(#11)/Bb = Bb7sus4(b5) : 6768xx
*1:後期の録音として例えば『Live At The Village Vanguard Again!』(1966年)がある。
*2:コードスケール理論については次を参照。会員登録するだけの価値はある。