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入沢康夫論3 – 1:牛の首をめぐるパラノイアックな断章(前編)

 

入沢康夫『牛の首のある三十の情景』(1979年、書肆山田)

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 今回は入沢康夫の代表作の一つ『牛の首のある三十の情景』について、極めてパラノイアックな読解を試みる。

 『詩の逆説』(1973年、サンリオ出版)で入沢康夫が述べていたように、詩について「愚者は考え、賢者は感じる」のだが、ここでは敢えて愚を犯す。

 いや、本当のところ、筆者にしてこれ以外の方法は取り得なかった。

 

 

[記法]

「牛の首のあるXつの情景( y)」を「X(- y)」と略記することがある。

「「牛の首のある八つの情景」のための八つの下図」は「八下図」で略記する。

つまり、詩集は順に 六 → 四 → 八下図 → 三 → 二 → 七 で構成されることになる。(6 + 4 + 8 + 3 + 2 + 7 = 30)

 

 

 

メタポエム

 

昨日の昼屠殺された牛どもの金色の首が、北東の空に陣取つて、小刻みに震へながら、(今、何時だらう)わたしたちの、わたしの、中途半端な情熱の見張り役をつとめてゐる。わたしたちは、わたしは、藻のやうな葉をなま温い風にしきりに漂はせる樹々に背を向け、地べたで、安つぽい三十枚ばかりのプログラムを次々に燃やし、その光でもつて、石柱の表面にはめ込まれた縞瑪瑙の銘板の古い絵柄を読み解かうとする。少なくとも、読み解かうとするふりをしてゐる。すでにいくつかの意味をなさない文字が、わたしたちの、わたしの、ひそめた眉の間から生まれて、燐光を放つ熱帯魚さながらに、闇の中へと泳ぎ去つた。

 ――「牛の首のある六つの情景 1」

 

 冒頭の一篇。

 

 入沢康夫のメタポエムといえば『わが出雲・わが鎮魂』(1968年、思潮社)の冒頭「やつめさす/出雲」がつとに有名である。『かつて座亜謙什と名乗った人への九連の散文詩』(1978年、青土社)の第二連を思い出してもよい。

 ここでは「三十枚ばかり」という数によって、これが『牛の首のある三十の情景』全体についての見立てであることが了解される。

 

 詩を「プログラム」と言っていることも見逃せない。『わが出雲』のあとがきでは「オペレーション」であったし、『座亜謙什』では「絵図」であり「建物」であった*1

 『牛の首』では「安つぽい」「プログラム」の積み重ねで何を遂行しようとしているのか? 「読み解く」のはプログラムではなく石板の表面にある「古い絵柄」らしい。それは一体?

 

 そして「少なくとも、読み解かうとするふりをしてゐる」「すでにいくつかの意味をなさない文字」というあたりに、すでに筆者の試みの必然の失敗が予告されている。『牛の首』という作品は決して全貌をあらわにすることなく「闇の中へと泳ぎ去」るのだろう。

 このようなテキストによって読者が「ひそめた眉」になることすら予想している。人を喰った作品。

 

 

 この時点でお気づきだろうが、『牛の首』自体にパラノイアックな擬装が施されている。本稿ではパラノイアをそのままに共鳴していこうと思う。

 

 

 

牛の首について①:入沢康夫の「牛」史

 

 入沢康夫は「牛の首」の起源を妖怪の「件(くだん)」に求めている。

 

 

 

 入沢康夫における「牛」のモチーフの取り扱いを時系列順に見ていこう。

 

 「犠牲」『夏至の火』(1958年、書肆ユリイカ)にすでに「牛の首」という単語が出てくる。が、これは偶然というべきで、特筆すべきところがない。

 

 「牛」が印象的な形で出て来た一番最初の例は「季節についての試論」『季節についての試論』(1965年、錬金社)だろう。

 

さらにそれを追立てる数匹の牡牛は ひときわ大きな鼠の巣を公然の住居としながら その遥か奥に 実行ある金銀 銅鉄のたぐいをますます深く匿し 匿すことによつて地下水のように縦横に流通させ しかもその背後にある豊富さをかすかにうかがい知り得るように その片鱗を随時 一時的に露出するよう加減することで かえつてその実体を架空のものと感じさせ 全貌をとらえ難くしているのであるから 人々は季節の推移を 片眼の機械の発する信号によつてしか理解しないにもかかわらず ひたすらに季節を ただひたすらに四季の変化のみを信じようと努めながら 虫籠から虫籠へと狂奔する

――「季節についての試論」

 

 すでに「牛」に「構造」を仮託すること、それが人をグロテスクなまでに支配する「構造」であること、匿すことによってますます匿されること、といったテーマが現れている。読み返してみて『牛の首』へのニアミスに驚いた。*2

 

 1965年の時点では、まだ入沢康夫は「詩の反逆」(『詩の構造についての覚書』)の可能性へ希望を持つことができたかもしれない。

 しかし、やがて「言葉」のモチーフが「牛」に流れ込んでくる。言葉も我々を支配するものの一つにすぎず、言葉で構造に反逆することはできない。 本当にそうだろうか?

 

 妖怪の「件」は『わが出雲』の途中、一か所だけだがきわめて記憶に残る形で登場する。自注も引用しよう。

 

朝だ。

 

屋の棟で鶏(かげ)ろが鳴き交し、

牛たちが、人の顔した仔牛を産む出雲の朝。

――「IV」『わが出雲・わが鎮魂』

 

人の顔した仔牛 典拠をつまびらかにしないが、牛が牛身人面のクダン(件?)なるものを産む。生後ほどなく死ぬが、死ぬ前に人語を発し、その予言に誤つところがない、といわれる。これはあるいは「よって件の如し」などの言葉から、逆に作られた話かもしれない。しかし、私は幼いころ、松江近在のそこ、ここで、それが生れたという話を数回聞いたし、新聞で読んだ記憶さえある。同郷の友人に確めたが、やはり、何度も、その噂は聞いたことがある由。人と牛のあいのこはまた、ギリシア神話ミノタウロスを連想させる。

――「わが鎮魂」『わが出雲・わが鎮魂』

 

 ここから「誕生と死」「予言」「発話」「人と牛の融合」「記憶 – 子供」といったテーマがあらわれ、『牛の首』へも生かされている。

 

 「その国」「牛を殺すこと」『倖せそれとも不倖せ続』(1973年、書肆山田)になると世界各地の牛の神話・民話が扱われるようになる。特に「ラスコオ」の洞窟絵画のモチーフによって、「牛を殺す」可能性が示唆される。

 「鳥」のテーマは『牛の首』を何度も通過する。だが到底「牛の首」に対抗できるものではない(むしろ……)。

 

(本当に牛を殺すためには 人は鳥の仮面をかぶらねばならぬ いや 仮面で無しに鳥の頭にならねばならぬだろう きみが人間の頭部にこだわりつづけるかぎり 牛の首の俗悪広大な支配は ついに止むことがないであろう)

――「牛を殺すこと」

 

 予告しておくと、『牛の首』において(鳥の頭をした)「狩人」はついぞ現れない。

 

 

 

牛の首について②:偏在

 

 『牛の首のある三十の情景』を特徴付ける要素として、「「牛の首のある八つの情景」のための八つの下図」を除いた各詩篇に必ず何らかの形で「牛の首」が登場することが挙げられる。(下図の段階では牛の首は存在したりしなかったりすること。このアイディアは『座亜謙什』におけるテキストの生成過程の問題を引き継いでいる)

 逆に、このルールによって読者は牛の首の存在を類推するようになる。まさしくパラノイア! *3

 列挙してみよう。

 

六:金色の首、紋章、牛の顔をした男、「二つの鉄の櫓を角のやうに高くそびえさせてゐる橋」、「何やら灰色のもの」、「二本の角が出たストップウォッチ」

 

四:首の異常に太いあの男、廊下の突き当りにいるかもしれない牛の首、牛の首を浮き彫りした木の寝台、「三つのこも包み」(おそらくどれか一つの中に)

 

八下図:ナシ、ナシ、ナシ、ナシ、銅貨(牛の首の刻印)、ナシ、黒壺の中で燐光を放つ牛の首、「遠吠えして止まぬ導管から、一瞬にして牛の首は生まれ出る」

 

三:「深い井戸の底で、赫々と耀(かがや)いてゐる牛の首」、「広場の中央に現れ出るあのいまはしい「首」」、牛の頭骨(※:通貨として扱われる)

 

二:張り子の牛の首、「この風景を、おそらく三千マイルの彼方で、ひそひそと操作している牛の首をした精霊たち」

 

七:牛の首めいた形の雲、牛のように頸の太い老婆、「見捨てられてすでに久しい牛小屋の匂ひ」、「牛の先祖の化石の出る黄色い崖」、漂着物の間から見てゐる牛の首、「かくて牛の首は勝利し」、「牛の首、牛たちの首」

 

 近景、中景、遠景、どこにでも様々な形態で牛の首があらわれ得ることが分かる。

 

 繰り返される重要モチーフを抜き出しておこう。

 まず「通貨」のモチーフ。これは「季節についての試論」における「牡牛」と根を同じくする。また、通貨の経済(交換)は言語の経済(交換)にも波及する。

 つぎに「井戸」のモチーフ。安易だが(村上春樹作品や『胎界主』と同様に)井戸=イドとして「牛の首は我々の無意識の中にすら存在する」と読みたい。しかし、どういうことだ? 本稿後編の「結語1」で再び触れる予定。

 「井戸」にも似るが「廊下」のモチーフ。廊下の突き当りは仄暗くて見通すことができない。そこに何かいる、という民話的怪談的モチーフ。

 

 

 個人的に好きなのが「六 - 4」の「二つの鉄の櫓を角のやうに高くそびえさせてゐる橋」。これはもう美しい病識だと言う他ない。テクニカルポイント100点の牛の首。

 

わたしたちは、わたしは、二つの鉄の櫓を角のやうに高くそびえさせてゐる橋の上に来かかり、何気なく支柱に片手をかけ、あわててその手を引つこめる。鉄骨は火のやうに熱く、あまつさへ、それを伝つて血がとめどなく流れ落ちてゐたので。ふり仰ぐと、櫓の頂きのあたりで高笑ひの声が起こり、そして、人とも鳥ともわからぬ大きな影が北へ向かつて舞ひ去つて行つた。

――「牛の首のある六つの情景 4」

 

 

 

鳥について

 

 詩篇「牛を殺すこと」を引用した際、牛を狩る「鳥の頭をした」狩人について言及した。だが『牛の首』における鳥の扱いは、「牛の首」と対立するようなものではないようだ(?)

 

翼ある牛の首の紋章の下に、 ――「六 - 2」

極彩色の雄鶏の刺青(いれずみ) ――「六 - 3」

(※:刺青は「牛の顔をした男」の一人に入っていた)

人とも鳥ともわからぬ大きな影 ――「六 - 4」

鳥たち(つぐみか、それとも椋鳥?)だけが木立の方で ――「四 - 1」

雉の尾羽根が暁の空を ――「八下図 - 1」

そして飛びさる鳥影。 ――「八下図 - 5」

原色の羽毛で前進を飾った男 ――「八下図 - 6」

粘土の鳥が次々と砕け ――「二 - 1」

錆び落ちた製図用の鳥口。虫にすっかり羽毛を喰ひ尽くされた羽根ブラシ。 ――「二 - 2」

藁を編んで鳥の形の籠を作り ――「七 - 1」

虫や小鳥の名をいただく部族 ――「七 - 4」

 

 

 「山羊」とか「猪首の男たち女たち」とか、動植物は「牛」と「鳥」以外にも多数出てくる。しかし、この2つは出現頻度によって差別化されている。

 出現頻度のわりに、鳥の属性は「牛の首」以上に散漫とした印象を受ける。あるいは抑圧されている?

 

 振り返ってみると、入沢康夫にとって「鳥」はときに悪意的な主体として立ち現れた。「鴉」『倖せそれとも不倖せ』(1955年、書肆ユリイカ)。「VIII」『わが出雲』のヌエドリ(一名トラツグミ)、キジ、ニワトリ。「九、」『座亜謙什』の「掟の鶏ども」。また次も思い出したい。

 

死者たちの

     集ふ海はどこにあるのか その海鳴りの幻聴さへ実は消へ去つたといふのであれば われらがそれを作りださねばならぬ 鴉どもが群らがつて世界を絲巻枠に押しつけ重ね合はせ衰亡させていくことを死者たちの名において拒む為に!

――「碑文 ―― 一九七〇年の死者たちに」『「月」そのほかの詩』(1977年、思潮社

 

 詩における鳥の悪意、といえばエドガー・アラン・ポー「大鴉」が思い出される。「神殺し」を決心したマラルメは「翼をもつ者」を神の系譜として悪意的にとらえた。入沢康夫は宗教的なバックグラウンドからこうしたわけではなかろうが。

 

 『牛の首』における鳥の悪意は「六 - 4」で「人とも鳥ともわからぬ大きな影」が「鉄骨を熱し血を垂れ流した」ことに現れている。だが、ここで鳥だという判断が保留されていることに注意したい。不気味だ。

 

 刺青の例からして鳥と牛は人を媒介して共存できるようだ。あるいは、鳥の中でも鶏という「家畜」だけは特別に牛という「家畜」と迎合するのだろうか? (「家畜が人を使役する」という関係の逆転は、「季節についての試論」の段階ではユーモアだったのだろう。『牛の首』ではどうか)

 

 「六 - 1」冒頭「昨日の昼屠殺された牛どもの金色の首が」 食用としての「牛」が示唆が示唆されるのはここだけだ。しかもその首は「金色」である。有用物から「財産」としての牛、経済のテーマが導かれる。

 

 

 「鳥」というモチーフからもう少し何かを引き出したい気はする。例えば、かつて「(詩の)反逆」の可能性を追求した鳥頭の狩人たちがいたのだが、それらはすべて散り散りになり、今や牛の首に取り込まれるか破片の痕跡が残るばかりである。とか。

 

 

 

数字

 

百数十本の帆柱の林立する奇妙な船。その舳から数へて七十八本目の帆柱の下まで来て、わたしたちは、わたしは、だしぬけに古い屈辱の匂ひを嗅ぐ。

――「七 - 3」

 

 

 「七十八」、これは草稿が1978年に成立したことの示唆だろう。

 『座亜謙什』にも「千九百七十一枚の黄色い紙」など西暦を織り込んだ表現がある(おそらく1971年に『校本宮沢賢治全集』の編集が始まったことを示す)。

 

 

セルフオマージュ

 

鉄骨は火のやうに熱く、あまつさへ、それを伝つて血がとめどなく流れ落ちてゐたので。

――「六 - 4」

肥つた山羊が次々と咽頭を割かれ、床はまたしても血にまみれる

――「四 - 2」

 

 これを読むと次を思い出さずにはいられない。

 

マルピギー氏の館では、ほとんど毎日、さまざまの名目の、実はなんの根拠もない祭儀が行われ、祝宴がそこここで設けられる。これらの祝典は完全にその厳粛味を欠いていて、人身供儀の式典でさえも、だらけたゲラゲラ笑いの中で、血だけが小川のように流れる。

――「「マルピギー氏の館」のための素描 9 祭り」『声なき木鼠の唄』(1971年、青土社

 

 また

 

地面には一面に粒状の骨が析出し、星がかはるがはるのぞきに来ては舌うちをして去る。

――「七 - 1」

 

 これは

 

とてつもなく巨きな星が、ぼくの頭のすぐ上に夢のように降りて来ては、舌うちして遠ざかつて行く

――「X」『わが出雲・我が鎮魂』

 

の引用であり、『わが出雲』以前にも同様の詩句があったよう記憶している。更にはこれがフランス文学からの引用だった気も……(ネルヴァル?)

 

『牛の首』の最後の連

 

牛の首、牛たちの首に追はれ、また追はれ、あるいはまた、それらを追つて、わたしたちは、わたしは、大きな(しかしおそらくは、――否、絶対に、不毛な)恋情の中へと、ますます深くとらへられて行く。

――「七 - 7」

 

 『牛の首』において唯一ここだけ「牛の首、牛たちの首」という単数かつ複数の表現が「牛の首」に使われている。「追はれ」「追つて」の変化も踏まえると『座亜謙什』における「わたし」と「あなた」との類似が意識的に働いていそうだ。

 

 

 入沢康夫は自己引用を意識的・無意志的にやるタイプの詩人なので、この作業はいくらでも続けることができる。

 

 

 

言葉(書き言葉・話し言葉

 

[書かれた文字・描かれた絵柄]

石柱の表面にはめ込まれた縞瑪瑙の銘板の古い絵柄 ――「六 - 1」

使ひ古しの活字を拾つて、失はれた物語の何行かを、組み上げようとしてゐるのが見える。 ――「八下図 - 6」

そんな言葉が、あの銘板に彫(きざ)まれてあつたが ――「二 - 2」

半ば腐つた櫃を掘り起し、中に蔵められてゐる石の板の文字を ――「七 - 2」

今日ここで、わたしたちは、わたしは書く、草の繊維で織り成された布地に、潰した貝殻虫のうす茶色い汁でもつて。「たつた一度の愛撫を求めて、わたしたちは、わたしは、一生を棒に振つた」と。 ――「七 - 5」

 

 言葉を「話し言葉」と「書き言葉」に分けたとき、後者は詩に直結するモチーフとして特権的に扱われる。前者はまた違う意味を持ってくる。

 

→[肌(に刻まれたもの)]

片肌を脱ぎ、極彩色の雄鶏の刺青を ――「六 - 3」

胸板を敷きつめた長い廊下に(中略)血の汚点(しみ)のある床面を擦る ――「四 - 2」

島の上空には、/すきまなくアラビア文字を入墨された背中が脂つこくひろがり ――「八下図 - 4」

 

 この肉体的なモチーフは、『牛の首』以外の入沢作品ではあまり見かけない。どことなく「罪過」のイメージがある。

 

 

[発話とその不通]

着飾つた子供たちが、手に手に巨大な羊歯の葉をかざして群がり、しきりに口を開け閉めするが、声はまるきり聞えない。 ――「六 - 2」

わたしたちは、わたしは、彼女に向かつて声を放つのだが、彼女には聞えてゐるのだらうか。 ――「四 - 3」

 

 唖(おし)の子は『わが出雲』では重要な役割を果たしている。特に、エスキス版の『わが出雲』では地獄下りを共にするウェルギリウス役は唖の子だと明言されている(決定稿だと曖昧にされている)

 発話と子供の関係性は、件(くだん)が仔牛であることも想起される。

 しかし、ここでは「子供→大人」のみならず「大人→子供」の発話も阻害されている。

 

→「笑い」

ふり仰ぐと、櫓の頂きのあたりで高笑ひの声が起こり、 ――「六 - 4」

八方に逃げて行く男どもの後姿が、どことなく猥褻な踊りに似てゐるので、わたしたちは、わたしは、声を殺して笑ふ。そして、今度こそ、それは、わたしたちの、わたしの番だ ――「三 - 1」

嗤ひ声だけが、いやに遠くまで響く。 ――「二 - 2」

花々は笑ひながら舞ひ去つて ――「七 - 7」

 

 悪意の笑いは入沢康夫と切っても切り離せない。全体の悪意的なムードと比すと、「笑い」の出現頻度は少なく感じる。「六 - 4」「二 - 2」では笑いの動作主がぼかされている。「三 - 1」は発話者自身が笑う。これは入沢作品だと珍しい。

 

 

 

[reference]

 

入沢康夫全般について

入沢康夫論1:導入に代えて――群盲象を撫でる - 古い土地

 

・『かつて座亜謙什と名乗った人への九連の散文詩』について

2021/11/22-23:入沢康夫『詩の逆説』『宮沢賢治 プリオシン海岸からの報告』『かつて座亜謙什と名乗った人への九連の散文詩』 - 古い土地

 

・『死者たちの群がる風景』について

2021/11/25-28:入沢康夫『ネルヴァル覚書』『死者たちの群がる風景』ネルヴァル『火の娘たち』『オーレリア』 - 古い土地

 

・『詩の逆説』『詩の構造についての覚え書』について

2021/11/22-23:入沢康夫『詩の逆説』『宮沢賢治 プリオシン海岸からの報告』『かつて座亜謙什と名乗った人への九連の散文詩』 - 古い土地

2021/11/29, 12/3:入沢康夫『詩の構造についての覚え書』堀江敏幸『おぱらばん』 - 古い土地

 

・詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)- 「入沢康夫『牛の首のある三十の情景』」

入沢康夫『牛の首のある三十の情景』 - 詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

 

 

 

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*1:ただしこの表現は入沢康夫の作品ではなく宮沢賢治の「心象スケッチ」に重点が置かれているはず

*2:「季節についての試論」が意外にも「社会」的なテーマを扱っているのは、これが60年安保闘争を都合のよい口実として書かれたことの微かな反映であろう

*3:パズルゲームwitnessの風景パズルを思い出させる。何でも「パズル」に見えてくる。