古い土地

暗い穴

なろう批評4:ギスギスオンライン

 

 今回は『ギスギスオンライン』(2016年)の批評・レビューを行う。おまけとして『不死なるプレイヤーズギルド』(2018年)も紹介する。13000文字あるので気長にお付き合いいただきたい。

 批評の文脈、専門用語について不明な点は前回の記事を参照のこと

なろう批評3:ゲーム脳への序/VRMMOの衰退/VRゲームの新潮流 - 古い土地

 

 

 

1.天国

 

「[……]だけとは言うが、これがとても難しい。特にはリアルでは困難を極める。才能の違い、能力の差。どうにもならないことというのはやはりある。けど、これはゲームだからね。スタートラインはみんな一緒だ。それがとても面白いんだよ。オンラインゲームとは、天国を作る試みだ。[……]」

──〈ネフェリアさんの日常〉

https://ncode.syosetu.com/n0776dq/247/

 

 筆の滑りかはたまた計算尽くか、日常回でこういった言葉がさりげなく出てくるところに『ギスギスオンライン』の神通力がある。発言したのは主人公「コタタマ」にとっての外付け良心回路兼導き手である「先生」。

 同じ言葉が地の文(=主人公コタタマの独自)でパラフレーズされると、次のようになってしまう。

 

 苦しい言い訳だな。サトゥ氏、そうじゃないだろ? 選択するのはアイツらゴミだ。いつも。あるいはお前の言う通りかもしれない。俺やお前は強い影響力を持ってるかもしれない。だから何だ? お前らにはお前らの考えに従わない連中を殺す力がある。でも、死んだらそれでおしまいか? そうじゃないよな。これはゲームだ。リアルじゃない。本当に嫌なら逆らえる。戦う力を持たない純生産職だってそうだ。サトゥ氏。お前は反旗を翻した生産職連合を力で押さえ付けようとはしなかったよな? 逆効果になると分かってたからだろ。かつて先生はこう言ってたぜ。オンラインゲームってのは天国を作る試みなんだってな。俺もそう思う。誰だって楽しく遊びたいだろう……。先生みたいな人ばっかりだったらいいさ。でも、そうじゃない。俺たちは気に入らない奴が居たらブッ殺したいし、そいつがのたうち回ってドブ底を無様に逃げ惑う姿を見て幸せを感じるんだ。それは、例えば幻覚とかチャチなもんじゃ満足できない。最低でも欺瞞を自覚できないくらい完璧に騙しきってくれないとダメだ。

 そう、お前の言う……。

 俺はサトゥ氏の耳元でボソリと呟いた。

 ユートピア計画みたいにな。

──〈GW〜イケメンホスト集団の戦い〜〉

https://ncode.syosetu.com/n0776dq/390/

 

 現実のMMORPGがそうであったように、『ギスオン』の作中ゲーム「GunS Gulids Online」「GumS Gems Online」(以下「GGO」)もまた地獄めいている。いや、やけにポップに現実染みていると言った方が正しいかもしれない。

 通常のVRMMO小説ではまず登場しないRMTリアルマネートレード)業者「スマイルの旦那」が日本サーバーのトップになるほど活躍し、コタタマも敬意を払っていることは示唆的だ。

 

 

2.厄介

 

ギスギスオンライン

https://ncode.syosetu.com/n0776dq/

[あらすじ]

 時は西暦202X年。ごく当たり前のように発表され、ごく当たり前のようにサービスを開始した一つのオンラインゲームがあった。ジャンルはVRMMO。思い通りに動くキャラクターと異世界転移を疑うグラフィック。それは、あからさまなまでのオーバーテクノロジーを詰め込まれた現代のオーパーツであった。

 このゲームは異常だ。プレイヤーは口を揃えてそう言うが、レビュアーたちはイヤに冷静で、VRMMOというゲームジャンルの構造的な欠陥を指摘してくる。意欲的なタイトル、やりたかったことは分かる、次回作に期待とかそんな感じだ。そうじゃないんだと主張しようにも言われていることは至極まともでなんだか納得してしまう。目的地まで歩いていくのは正直ダルかった。戦闘も何から何までマニュアル操作で普通に疲れるし……。

 これは、とあるVRMMOの物語。

 主人公のコタタマはごく平凡なプレイヤーの一人。戦闘は苦手だが、その日時々で狩りに出て、持ち帰った戦利品でクランメンバーの武器を打つ。鍛治の腕前は廃人に及ぶべくもなく、露店で掘り出し物が見つかればそれに越したことはない。

 そんな彼がある日、ひょんなことからヘイトコントロールしたモンスターの群れを中堅クランのキャンプ地に誘導してターゲットをなすり付けたら全滅してしまうという事件が起きる。現行犯逮捕されたコタタマは身の潔白を証明するために容疑を否認するが……?

 

 現在のあらすじは『ギスオン』成分が薄くて違和感を覚える。解説を加えて本性を明らかにしよう。

 

[あらすじへの注]

※1:作中ゲーム「GGO」が「現在のオーパーツ」と称されるほど異常にハイテクなのは、開発にタコ型エイリアンの「ョ%レ氏」が関わっているから。

※2:ゲームが「ごく当たり前のように発表され、ごく当たり前のようにサービスを開始した」のも、「レビュアーたちはイヤに冷静」なのも、レ氏が世論操作や記憶操作した結果だと思われる。そもそもプレイヤーたちは現実世界でゲームプレイ時の記憶を保持していない、とプレイヤーキャラクターである主人公コタタマは推測している。作中ゲームにおいてプレイヤーとキャラクターは本質的には別人で、ゲームのキャラクターが育成の結果リアルのプレイヤーと全く異なる人格に育つ可能性もある。そしてプレイ中の記憶はプレイヤーではなくキャラクターの側に保存されている。

※3:コタタマは「平凡」ではない。その悪行はよく作中ゲーム内の晒しスレで槍玉に挙げられている。彼が「戦闘は苦手」なのもゲーム内レベルと基礎技術の両面で正しく、死亡とリスポーンを頻繁に繰り返す。一方で、後述の「MPK」により廃人たちを圧倒することもある。「GGO」ではモンスターがプレイヤーより圧倒的に強いバランスで、雑魚モンスターと一対一で戦って勝てるのは廃人ぐらい。

※4:「ヘイトコントロールしたモンスターの群れを中堅クランのキャンプ地に誘導してターゲットをなすり付ける」のはMMORPGにおいて「MPK(モンスタープレイヤーキル)」と呼ばれる悪質な行為。現実世界のオンラインゲームで行うとほぼ確実に運営に通報されて処罰が下る。しかし「GGO」においてMPKはテクニックの一つとして許容されており、その撲滅はプレイヤーキャラクターとNPCによる自浄作用に任せるしかない。

 

 『ギスオン』はなんとも厄介な作品だ。VRMMO小説の陥穽=構造的虚無を巧みにすり抜けて築かれた2023年現在400万文字にもわたるテクスト。主人公の強烈な独白調文体と謎めいたSF世界観設計によって好悪が激しく分かれる、信者や作品wikiが生まれやすいタイプの作品である。

 

ギスギスオンラインwiki

https://seesaawiki.jp/gunsguildsonline/

現行スレ:【ギスギスオンライン】豆類総合スレ111【ココナッツ野山/たぴ岡】

https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bookall/1675745665/

 

 とはいえ基本がコメディなので、未書籍化・独自路線・長編Web小説(『幻想再帰のアリュージョニスト』(2014年)など)の中ではとっつきやすい方だと思われる。今から読み始める方は第200話あたりまでの100万文字を目標とするのが良いだろう。文量も現実的だし、『ギスオン』の本質部分は摂取できる。

 

追記(2024/2/3):小説の書籍化より先に漫画化した*1

youngchampion.jp

 以下の文章は『ギスオン』の文体=主人公コタタマの語り(telling)をもっぱら主題とするが、出来事(showing)ベースで描かれる漫画版から『ギスオン』に入るのも1つの手だろう。

 

 

3.コメディ

 

 『ギスオン』のミクロな構造は、(主人公コタタマが主体的に行動する場合)一話ないし数話毎にオチがつく『こち亀』タイプのコメディである。コタタマは毎度三下の小悪党ぶりを発揮し、「免罪符事件」や「冒険者ギルド(という名のキャバクラ兼ホスト)の発足」など様々な悪だくみを思いついては良いところまで行く。が、最後には予定調和的に悪事がバレて死ぬ。「GGO」は非デスゲームかつグロ規制が緩いVRMMOという設定なので、スプラッタコメディが起きやすい。

 さらにミクロの部分、語りの段階からくすぐりは含まれている。本作は主人公コタタマの一人称視点で書かれているが、その語りがすこぶる強烈なのだ。彼の仕切り屋の性格が反映され地の文は頻繁にマシンガントークとなる(先の「オンラインゲームってのは天国を作る試みなんだってな」の引用のように)。読者は読み進めていくうちに作者を信頼し始め、途中から主人公が喋るだけで面白いという状況になる。キャラへの愛着はラノベ(≒キャラ小説)以降の物語を牽引する重要な要素だが、『ギスオン』の場合は語りへの愛着も大きな役割を果たしている。

 

 信頼と文体に関連して、『ギスオン』に含まれる大量のミームの一部を観察してみよう。

「(知らない)ゴミ」:主人公に絡んでくる、主人公が見知らぬ他プレイヤーのこと*2

「オンドレぁ!」:主人公がゴミの首を斧で刎ねるときの掛け声

「もるぁっ!」:廃人たちが高速圧縮言語「もる語」で会話している様子

「んっ……」「アッー!」:女性/男性キャラクターがスキルの使用に伴ってあげる嬌声。

 珍妙な言葉に変な文脈を付して何回も使用すれば、読者にミームへの愛着を植え付けられる。様式美のギャグを作っているのだと思えばコメディらしい努力だが、『ギスオン』ほどうまくミームを製造しているなろう作品を私は知らない。

 

 

4.信頼

 

 ゲーム内イベントとして始まる、ロングスパンで物語を牽引する『ギスオン』のSFの側面を紹介したい。したいのだが、ここで概要を述べて「%」「ギルド」「ガムジェム」「天使」といった語を説明すると、本稿の読者が作品本文を読む楽しみを奪ってしまうことに気づいた。美味しくないネタバレは避けよう。

 それになにより、ネタバレ上等と言われても私はそれらを説明できない。無理。いつの間にか全宇宙ともう一つの宇宙が関わるほど話が壮大になり、情報の出方もかなり錯綜しているからだ。

 

 情報が錯綜する理由はいくつもある(文量が多い、語りが強烈で記憶に濃淡がつかない)が、ここではSFが絡むものを述べよう。『ギスオン』の主人公コタタマは信頼できない語り手であり、主人公が述べる設定考察が誤っている可能性がそう低くないのだ(設定考察に関する誤りは主人公の意図するところではないだろうが)。

 主人公の信頼できなさは、作中ゲーム「GGO」の特性により更に強まる。『ギスオン』は作中現実世界の「名無しの誰か」が「コタタマ」を操作するゲーム小説なのではない。自分が厳密にはゲーム内キャラクターだと自覚している「コタタマ」視点のゲーム小説なのだ*3。この一見微妙な、VRMMOでしかまともに取り扱えない違いが、『ギスオン』のコメディパートにもシリアスパートにも活かされる。

 

先生が以前に言っていたことの意味が分かった気がする。このゲームは、プレイヤーが持ち前の知識や経験を活かしてキャラクターを育てるゲームだ。魔物を倒してレベルを上げるってだけじゃない。ゲームの中での経験が、キャラクターの心の在り方を決める。これまで俺はリアルの俺がコタタマというキャラクターを動かしていると認識していたが、そうじゃないんだ。あらゆる行動にペナルティが付き、キャラクターの性向が決まる。それがこのゲームの本質だ。

──〈暗たま〉

https://ncode.syosetu.com/n0776dq/36/

 

「コタタマ氏。俺は両利きだ。プレイヤーの主体はむしろキャラクター側にある……。先生の教えを受けたのはお前だけじゃない」*4

 くっ、俺に勝ち目はねえってコトか。

 ……このゲームの本質は、キャラクターを育てることにある。経験値を稼いでレベルを上げるというだけじゃない。言ってみれば子育てに近いだろう。何を思い何を為したかでキャラクターの性向や後天的な形質を獲得していく。

──〈第三章、ョ%レ氏の逆襲〉

https://ncode.syosetu.com/n0776dq/112/

 

このゲームの本質はキャラ育てゲーなので、プレイしている内にリアルとゲームの人格が乖離していく。そこに演技しているという感覚はない。学校じゃ内気で大人しいやつが家じゃ母ちゃんに尊大に振る舞うように、元々人間は多面性を持った生き物だ。むしろリアルとゲームで完全に性格が一致してるやつのほうが珍しいだろう。

──〈選ばれし民〉

https://ncode.syosetu.com/n0776dq/613/

 

 作品内で「コタタマ」を操作している「プレイヤー」に繋がる情報が丁寧に除かれていることも述べておこう。信頼できない語り手らしい意図的な隠蔽である*5。「コタタマ」の癖が強い現実染みた仕草に反して、読者は未だ「プレイヤー」の年齢も性別も確認できていないのだ。

 

 プレイヤーとキャラクターの分離は、なろうの「転生」にまつわる「身体/精神/記憶/人格」といったテーマを意識的にゲームのシステムとして取り入れた結果にも見える。さらに言うと、『ギスオン』に登場する宇宙人のハイテクぶりからして「仮想現実に別の人格がある」の「仮想」部分が外れる可能性がある。

 面白い設定の練り上げ方、活かし方だ。

 

 

5.システム

 

なろう批評3:ゲーム脳への序/VRMMOの衰退/VRゲームの新潮流 - 古い土地

 ここからしばらくの間、前回の記事を踏まえつつゲーム/VRMMO小説としての『ギスオン』を考えたい。

 

 まずゲームについてコタタマはどう考えているのだろうか。

 

 俺はこう思う。

 ゲームの本質はシステムだ

 グラフィックは綺麗であるに越したことはない。しかし逆に言えばその程度のものでしかない。

 VRMMO? 確かに凄ぇよ。

 暫定エイリアンが作ったこのゲームはオーバーテクノロジーの結晶だ。

 でも俺は、このゲームが最高のゲームだとは思わない。

 聖剣伝説3のワクワク感はもっと凄かった。サガシリーズの戦闘システムには度肝を抜かれた。FFやドラクエに至っては言うまでもないだろう。ボンバーマンは? ロックマンは。ストリートファイター2にはハマったよなぁ……。

 そういうことなんだ。

 俺はゲーマーだ。どんなにレベル上げしたところで手元に何が残るでもねえ。しょせんはデータだからな。ゲーマーってのは滑稽な人種だ

 その上、単なる暇潰しだからと自分に言い訳して生きるのかい?

 俺はゴメンだね。

 だからよ……。

──〈GunS Guilds Online!〉

https://ncode.syosetu.com/n0776dq/225/

 

 割と硬派で回顧主義的な意見。これがレイドボス「エッダ」戦途中の、自分を犠牲にする前の語りのパフォーマンスであることは留保すべきである。コタタマの見栄張りと筆の滑りが同期している。とはいえ、このようなゲーマーの矜持をもった人物だからこそ「GGO」を自分なりの方法で目一杯楽しむことができたのだ、という説得力がある。

 

 

6.ネトゲ

 

 次に、オンラインゲーム(特にMMORPG)についてどう考えているか。

 

 ネトゲーのメインコンテンツは「人」だ

 重厚なストーリーや緻密に計算され尽くしたゲームバランスを堪能したいならオフゲーをやればいい。

 しかしそうではない。俺たちネトゲーマーは他人に誉められたいし、認めて貰いたいのだ。超絶技巧を披露して俺TUEEEEしたいし、スーパー賢い自分をアピールして俺SUGEEEEしたいのだ。それが偽らざる本音だろう。そうした中で、身の丈に合った遊び方を見つけていくのが本来あるべきネトゲーの形だ

 廃人とまともに張り合っても仕方ないと思うなら、名脇役を目指せばいい。

 誰かに必要とされたいと願うなら、誰もやりたがらない仕事をすればいい。

 そうやって隙間を埋めていくように、ネトゲーの社会は回っていくのだ。

 物語の主役になりたいのは誰だって一緒だ。

──〈怪盗%の挑戦状!〉

https://ncode.syosetu.com/n0776dq/190/

 

 「人」あるいは「他者」。オフラインゲームの体験の裏側で私たちが恐れ避けてきた当のもの。私たちはコンピュータゲームという双方向メディアにおいて、ゲーム世界と現実世界の非対称性を盾になおも自我の超越性を確保しようとする。あるいは「没入」することで現実世界の他者を忘れ去る。私の場合、ダークファンタジーの小説を読む気がしない(しんどいので)が、『DARK SOULS』はプレイできる。さらに遠ざかって少なくともプレイ動画を見ることはできる。ゲーム的リアリティ、ゲーム脳の在り方。コンピュータは一人遊びを豊かにした。

 しかしMMORPGにおいては不特定多数の「他者」の存在がシステムに組み込まれている。しかもこの他者はそれぞれにゲーム的リアリティを抱え、自我の超越性を確保しようとする。人を恐れ、怒り、それでも自分本位に他者を求める欲望。ネトゲーのいびつなコミュニケーションの果てに超越性が確保されることはないだろう、とコタタマは述べている。

 

 ネトゲーの現実を知っているからこそ、ゲーマーたちは『SAO』のキリトのようにMMORPG世界でただ一人の人間になりたいと願った。後続のVRMMO小説もそうだった。しかし『ギスオン』においてはどうか。コタタマは(アンチ)ヒーローだろうか。そうだ、と言える。三下の小悪党で、いつも最後にはしっぺ返しを食らって、戦闘職としても生産職としても初心者レベルで、レイドボス戦の途中では戦闘を放棄し隅の方で遊んでいるコタタマは、結局は彼にしかできない能力・発想・ポジションにより要所要所で「活躍」してしまう。「8.王と奴隷」で述べるように彼は「ハーレム」を築き上げる。彼のようなキャラクターも活躍できるようにゲーム世界が奇妙に現実染みて設計されている。

 しかしながら、コタタマの超越性は作品内で一部相対化されている。彼のマシンガントークは超越性の基礎となりつつ、その過剰なパフォーマンスぶりから超越性が仮初のものであることを予感させる。また彼の信頼できない語りは(アンチ)ヒロイックファンタジーに必要な読者の共感を巧みにすり抜ける。

 

 では、読者の共感はどこへ行くのか。共感の行き先は確保されている。それはネームドキャラクターではなく、「知らないゴミども」とコタタマが呼んだあの名無しのプレイヤーたちだ。「ゴミども」とコタタマの煽り合い、殺し合い、競い合い、たまの協力を通じて、読者はコタタマと遊ぶ。ここにおいてネトゲーの匿名性がはがされ、子供が一つのテレビとゲーム機を囲んで遊ぶような空間が生まれる。なおこの空間の閉鎖性は「チャンネル」の概念によって「GGO」内に取り込まれており、素行の良い一般プレイヤーはコタタマと別のチャンネルに配置されるため、コタタマが出会うのはゴミばかりだと説明される。

 このような遊びの空間の作り方も『ギスオン』の発明である。VRMMOにつきものの掲示板回が存在しないのは、空間を壊さないための配慮だろう。あと感想欄が掲示板染みているので不要なのか。

 

 ゴミども(とコタタマ)に関して個人的に気に入っているのは、彼らがある種の諦観を抱えながら、それでもゲームを楽しんでいることである。彼らは「身の丈に合った遊び方を見つけていくのが本来あるべきネトゲーの形」だとよく知っている。廃人のサトゥ氏のようにも、行動力のあるコタタマのようにもなれないとよく知っている。そもそも「GGO」というゲームは、敵が強すぎるわ、数少ない使える魔法は自爆技だわ、宇宙人からすれば地球人は技術的にも身体的にもミジンコレベルだわ、と幾重にも不能を思い知らされる構造になっている。それでも「バカなんだから賢いフリはやめろ」と煽り合いながら、ゴミたちはコタタマと共にキャラロスト(=ゲーム内記憶と人格の消失)覚悟の「エンドフレーム特攻」まで行う。このブログでもう何回言及したか分からない「ロマンティックアイロニー*6の姿勢を見いだせよう。

 

 補足:ネトゲーリアル路線のゲーム小説として『ガチ勢乙。ネトゲは遊びじゃねえんだよ』を見かけたので紹介しておく。

https://ncode.syosetu.com/n5397ey/

 

 

7.グラフィック

 

 最後に、VRMMOという架空のゲームジャンルについてコタタマはどう言及しているか。

 

 グラフィックの高画質化とターン制ストラテジーの緻密化。それがVRMMOというジャンルの本質だ。

 それは、つまりリアルに極限まで迫ることを意味する。

 だから従来のネトゲーでは半ば無視されてきた「見た目」という武器が有効に働く。

──〈次世代へと受け継がれるもの〉

https://ncode.syosetu.com/n0776dq/274/

 

俺は以前にゲームの本質はシステムだのと言ったことがあるが、あれはその時はたまたまそういう気分だったってだけだ。今は違う。このゲームの本質はグラフィックだ。リアルと比べても見分けがつかないほどの解像度。結構なことじゃねえか。女キャラが美人揃いで、肌を触れば体温を感じるし、いい匂いがする。完敗だよ。このゲームは凄ぇ。認めるよ。最高のゲームだ。

──〈GunS Guilds Online!〉

https://ncode.syosetu.com/n0776dq/467/

 

 俺はこのゲームをオススメするとしたら女キャラの可愛さだと思ってるし、それ以外にはないと思っている。いや実際にそうよ? [……]

 じゃあネトゲーはドコで勝負するんだと言えば、やっぱりそれは「人」になる。もっと言えば中の人がちゃんと居る女キャラだ。それ以外にはないでしょ。

 俺はずーっとそう言ってきた。VRMMOの何が凄いって女キャラだよ。ゲーム性とかシステムとかは従来のMMOと比べてどうこうってのはないんだよ。VRって言っちゃってるしな。要はグラフィック、ビジュアルなんだよ。本質はそこよ。

──〈エーミールの受難〉

https://ncode.syosetu.com/n0776dq/629/

 

 急に身も蓋もなくなってきた。

 ただ、この語りはコタタマのジェンダーパフォーマンス(「男」の猥談)であることを差し引いてなお、一考に値する。現実世界で進化を続けるVRゲームは新しいゲームジャンルや新しい身体感覚への期待が根底にあった。一方で、VRに関わる性欲も現実のものになっている(VRポルノ等)。

 私たちの資本主義社会は悲しいほど性にまつわる諸相で駆動している。特にフルダイヴVRMMOが実現していない時代におけるVRMMOの小説化には、もう下賤な欲望の要請しか残らないのではないか。『SAO』のトロフィ―ワイフ「アスナ」の在り方を「欲望ってそういうものだよな」と認めてしまう、コタタマの切実かつ軽薄な開き直り。

 

 VRだからこそルッキズムが加速するという観察は正しい。現実の「VRchat」でも「バ美肉おじさん」が大量発生した。「GGO」のキャラクタークリエイトについてコタタマは次のように述べている。

 

 さてお待ちかねのキャラクタークリエイトだ。俺はネカマプレイには興味ねえからな、野郎一択になる。ネトゲーマーの嗜みとして女キャラのクリエイトもいじっておきたいが、一度性別を決めたら戻れないってことは調査済みよ。

 ビジュアルは、と。おぅ、話に聞いちゃいたがこりゃあ手間が掛かりそうだ。ファンネルを動かして彫刻を削っていく感覚に近いな。リアルの容姿をそっくりそのまま持って来るデフォルトモードから改造していくのが一番早いらしいが、俺はセミプロだからな。アマチュアと同じ手法に甘んじるのはプライドが許さねえ。ファンネルを操作してちまちまと削っていく。テーマはフツメンだ。

 セミプロの俺はカワイイだのカッコイイだのといった表面上のことには囚われない。要は何を思い何を為すかだぜ。資金繰りに困ってやむなく食い逃げに走ることもあらぁな。他人の目を引く外見ってのは不利なんだ。ホストも裸足で逃げ出すようなイケメンにして女に貢がせるのも手だろうが、それは俺の流儀じゃねえ。

 俺は、一番槍で敵陣に突っ込んで真っ先に串刺しにされてても違和感のないキャラクターを作っていく。

──〈第二章、ガムジェムの章〉

https://ncode.syosetu.com/n0776dq/62/

 

 「GGO」内ではリアル寄りのアバターとフィクション寄りのアバターが混在する。いや、別の箇所を読むにどうも後者が優勢らしい。だから「フツメン」と「無難にイケメン」のどちらがより目立たないかは議論の余地がありそうである。また、引用部にはコタタマの「女は容姿だが男は容姿ではない」というジェンダー観が内在している。これはネトゲーにおけるネカマ(=リアル女性が貴重でチヤホヤされるから女性の演技をして有利を得ようとする男性)の論理と同根である。

 「GGO」では課金アイテム「整形チケット」を使うことでいつでもキャラクリをやり直せる。作中コタタマはたびたび「バンシーモード」と呼ぶ女性態にアバターを変える。それはコタタマだとバレたくないためだったり、男子禁制のコミュニティに潜入するためだったり、男どもを慰労するためだったりする。バンシーの容姿は「ほどほどにかわいい」。

 

 補足:「GGO」では課金アイテム「名札」によって名前も付け直せる。しかも通常のMMORPGならトラブルを避けるため他プレイヤーと全く同じ名前は付けられないところ、「GGO」ではなぜか付けられる(システムが詐欺を許容している)。「GGO」では容姿も名前も個人を特定するものではない。では何が、というのが「GGO」を「人格まで含めたキャラ育てゲー」として設定した『ギスオン』のテーマの一つかもしれない。

 

 

8.王と奴隷

 

 この節をもって『ギスオン』批評を終える。最後はこれまでと一変して、なろう小説とゲーマー文化をめぐるジェンダートラブルが『ギスオン』をつまらなくした様子を記述しよう。

 『ギスオン』はキャラ小説でもある。私が魅力を感じたキャラクターを列挙すると:

コタタマ:説明不要。

知らないゴミども:「6.ネトゲー」で述べた。

サトゥ氏:廃人。イベント戦での失敗を追及されては処刑される可愛らしい側面と、効率廚の攻略組のリーダーゆえ(自分を含めて)人を人と思わない恐ろしい側面がある。コタタマの悪友で悪だくみも同レベル。

先生:コタタマのストッパー兼良心回路。「オンラインゲームとは、天国を作る試みだ」のような含蓄ある言葉をたびたび残す。可愛らしい羊の姿をしているが、常人がこの動物アバターを真似ると内臓配置がおかしくなって破裂して死ぬ。

セブン:サトゥ氏を支える廃人。初期は「最短ルートだ」と言いながらいつの間にか死んでいる効率廚セミ芸人だったが、中盤あたりから熱い想いを秘めたキャラになった。

スマイルの旦那(サトウnキ):RMTリアルマネートレード)業者。同じサトウシリーズのサトゥ氏と並々ならぬ因縁を抱えている。妄執のあまりゲイっぽくなる。

ョ%レ氏:タコ型エイリアンの運営ディレクター。全宇宙をめぐる戦いと深い関わりを持ち、プレイヤーの敵になったり味方になったりするラスボス候補。マネージャーの「櫻井氏」と仲が良くなぜかキャバクラに行ったりしている。

 そう、男ばっかりなのである。主人公と近いところに居る女キャラで魅力を保っているのは、師匠ポジの「ネフェリア」(初登場時にネカマだとコタタマは述べていた)とチュートリアルナビゲーターの「NAi」ぐらいか。

 追記:序盤はかなり良いキャラしてたのに最近は影が薄いロリコンの「アットム」君を言及し忘れていた。主人公と距離が離れると女性キャラでも、「ペヨン」とか「メイヨウ」とか「ベムトロン」とか「エト様」とか良いキャラが居る……のだが、一時加入キャラだったり出る機会が少なめだったりで私はすぐ名前を挙げられなかった。あとネカマでやけに人気のある「アンパン」はどう思おう。

 『ギスオン』は、女性キャラが主人公コタタマに好意を寄せるにつれ魅力を失っていく構造的欠陥を抱えている。ラウンドキャラクターを最初予感させつつもフラットに収束していくのだ。その裏にあるのは、女性キャラの魅力がそれを眼差すコタタマの魅力として回収されていくシステムだ。男性キャラはコタタマの強烈な語りのパフォーマンスに負けないよう造形描写されているのに、主人公に惚れる女性キャラはそうなっていない。

 「スズキ」や「ポチョ」といった第一話から登場する女性キャラの掘り下げを行わず、主人公に惚れる女をポンポン増やしていく「ハーレム」構造の採用は、この作品の最大の失点に思われる。採用するにせよもっと書き方があっただろうと。「ジャムジェム」の登場はストーリー的に重要なので分かるが、「トドマッ」(第218話初出)などはもう登場させた意味と主人公に惚れさせた意味が全く分からない。

 「エンドフレーム」の「正常個体/異常個体」周りの設定で、ゲーム内メインストーリーの前半は男性キャラ(≒異常個体)がイベント戦において有利であり、後半は女性キャラ(≒正常個体)が有利になる、としたのもよくない。そもそも男性を「異常」、女性を「正常」と名前だけでも関連付けるのはどうかと思う(このジェンダーバイアスこそ「現実」なのか?)。本格的な女性キャラの掘り下げは彼女らが戦闘で活躍する「物語の後半」に行う予定なのかもしれないが、400万文字時点でまだ「物語の中盤」らしい*7

 

 細かい点では、主人公に好意を寄せる「スズキ」、「ポチョ」、「マゴット」(リアル女子中学生)がリアル寄りアバターだと設定されていることの性欲の露骨さに戸惑いを覚える。開き直りといえばそうか。なお「ジャムジェム」(中身がAI)、「シルシルりん」、「ニジゲン」(ネカマ)などフィクション寄りアバターも多い。

 「GGO」では「特別な所有権」により性的な身体接触が防がれている。これを前提として、女性キャラがコタタマへの好意/性欲を殺意としてぶつけるエログロナンセンスギャグが何回も擦られる。最初は面白かったけど引っ張りすぎだ。「殺し愛」が「感染」していく様子からして何らかの裏設定があるのは間違いないのだが、一回コタタマが考察して否定されて以来とくに言及がない。

 

 補足:総じて、ここまで連載が長期化することを想定していなかったために生じた問題に見える。そして本節で述べた『ギスオン』におけるハーレムの欲望、ハーレムによる作品構造の安定化/固定化は、まだまだ議論が足りていないと感じる。赤松健ラブひな』(1998年)まで遡って「ハーレム」を考えることは今後の課題とする。

 

 追記:最近の「ハーレム」と「性欲=殺意」に関する言及。

 こら、アンパン。要らんことを言うな。俺はいいんだよ。最後に本命は誰なの!?って詰め寄られて誤魔化して逃げてコラー!って追い掛けられてエンドロールに入る予定だから。みんな大好きトゥルーエンドだぜ。

「そのまま人生の幕引きにならないといいね……」

 え、刺されるってこと? ホラーじゃん。

「今まで何だと思ってたの?」

 人間は慣れる生き物だからなぁ。なんかエッチなことをされてるんだなと今では思ってる。

「……俺を巻き込まないでね?」

 それはお前次第だな。

──〈蟲愛づる姫 1.00〉

https://ncode.syosetu.com/n0776dq/769/

 

 

 

付録:『不死なるプレイヤーズギルド』

 

不死なるプレイヤーズギルド

https://ncode.syosetu.com/n3069ez/

[あらすじ]

ゲームを始めようとしたら、突然不死の身体と現地基準では貧弱なステータスで異世界っぽい所にぶち込まれたプレイヤー達。

魔法は上手く扱えないわ、死ねばレベルはリセットされるわ、現地の人も魔物も強過ぎるわというハードモード。

それでも死んだらコンティニューできる力を使って懸命に戦い元の世界への帰還を目指す……が早々に飽きた主人公の自由気ままな振る舞いは、やがて世界を巻き込む大事件に発展していく……のだろうか。

これは不死の身体を持つプレイヤーという異物が入り込んだ世界の日常を、記す物語である。

 

 ジェネリックギスオン、と呼ぶのは作者が『ギスオン』の影響を明言しているとはいえ失礼だろう。しかし正直な話、冒頭数話を読んだときコメディパートの模倣が正確すぎて驚いた。あれ真似できる人いるんだ、という驚きである。

 もうちょっと形容詞句で説明すると、メインストーリーが百話で完結しているためまとまりが良く、TS主人公で、転生/転移もので、掲示板回ありのギスオンということになる。第一章終わり頃になると独自性も明らかになる。

 

 個人的には「8.王と奴隷」で述べたハーレムの落とし穴を回避しているのがうれしい。『不死なるプレイヤーズギルド』において性差による非対称性がキツすぎることはない。TS美少女のジェンダー問題は別途追及すべきだが*8

 もう一つうれしいのが、ルッキズムの監獄=美少女動物園の中で「美人でなく可愛くもない」と明記された嫉妬の魔女「ヒズミ」が主役級の役割を果たすことである。数百年にわたる彼女の懊悩の描写にグッとくる。

 

 

 

*1:『ギスオン』の熱心なフォロワーで漫画第1話でコメントを寄せている硬梨菜『シャングリラ・フロンティア』と同じルート。

*2:「ゴミ」という語が人を指さず本来の意味で使われるのは作中2回のみ。

*3:さらに厳密には、『ギスオン』の書き手はコタタマの内情を読心しているチュートリアルナビゲーターの「NAi」だと考えられる。

*4:引用者注:発言主のサトゥ氏はおそらくリアルでは片利きなのだろう。しかしゲーム内ではプレイ当初から意識的に両利きのように振る舞うことで、リアルで片利きから両利きになるよりずっと簡単に両利きになれたようである。

*5:もしかするとこれは意図的ではなく能力的限界、プレイヤーがキャラクターの記憶を持てない様にキャラクターもプレイヤーの記憶をあまり持てないのかもしれない。

*6:次の記事の末尾に解説がある。

空ろなるヒーローたち①:フォークナー『響きと怒り』『アブサロム!』のクエンティン・コンプソン - 古い土地 

*7:第744話〈ミスターエンフレコンテスト〉から始まる十数話を参照。スズキ、ポチョの掘り下げが久しぶりに行われていてうれしい。

*8:ただしなろう小説の中だと『ギスオン』『不死なるプレイヤーズギルド』のセッティングは美少女問題が予め相対化されている方である。