古い土地

暗い穴

補篇「声への憧れ」

 

軽く・軽く・軽く・うわっついて 

 

 

 

*1

 

 

・I'm old fashioned.

John Coltrane Quartet with Eric Dolphy - "Impressions" - YouTube

 ふとした拍子に頭の中で流れ始めたもの。存在自体はずっと忘れていたはずなのに。今でもアドリブのラインと音色だけは、そこそこの精度で(といっても元々の音質が良くないのだが)再生することができる。

 

 

・「遺稿」

 「異稿」は明らかに「遺稿」に音通する。しかし実際のところ、遺稿は異稿の一種なのだろう。私たちが「実作者はテキストを完結させようとした」という信仰を持つ限り。

 人生は改善できなくてもテキストは改善できるという気がする。

 

 

・いくつかの連想ゲーム

 「ポルノ」「男性の不能」に関連して、あの空間の中で当然触れるべきだったが忘れていたワード。「インセル(involuntary celibate:不本意な禁欲主義者)」「弱者男性」。

Rahsaan Roland Kirk - Volunteered Slavery (Montreux 1972) - YouTube

 ちなみにこれは「自発的な奴隷(volunteered slavery)」。

 

 

・いくつかの連想ゲーム②

 表層への愛好が「ルッキズム」を呼んだ。今もう少し「内側」に入り込もうとすると「関係性消費」が立ち現れるかもしれない。

 以前から気になっている点。音楽というそもそも表層に重心が寄っているメディアにおいて、「ルッキズム」を問題にできないだろうか。翻訳すれば「「声(音)」はいくら「良」くてもよい」という種の。

(「ボーカルの顔が良くないとバンドは売れない」といった原義ルッキズムは、とりあえず考えない)

 単一でない複数の価値尺度を持っているか、に言い換えられる。声に対して、歌に対してに、ラップに対して、非声に、楽器に、シンセに。個人が、音楽シーンが。

 

 

・わるいこと

 しかし多分、何かを愛好し取捨選択すること、何かを良いと思うことそれ自体に、私は後ろめたさを感じているようだ。

「何にせよ言及することは悪質であり、我々は手を縛り口をつぐまなくてはならないという信仰」

https://wagaizumo.hatenablog.com/entry/2021/11/09/101218

 

 

・いくつかの連想ゲーム③

 「感傷マゾ」という言葉が好きだ。その語感においていくらでもabuseできる気がする。

 次も感傷マゾの例に違いない。

 

結構カラダはボロボロ だけどやらなきゃ悔いが残るだろ

軽く・軽く・軽く・うわっついて 

――小沢健二「ダイスを転がせ」

 

「それゆえに何も残らないのさ。私たちの後悔を除いては。」

https://wagaizumo.hatenablog.com/entry/2022/02/27/235048

 

 

・「さよなら」について

 別れを告げられた経験がない。と同時に別れを告げた経験もない。要するに別れと言葉を伴ったことがない。

 大抵の場合相手は物言わぬ「人でなし」だったから。ピリオドは別れの挨拶とはまた異なると思う。

 例外と言えばこれぐらい。

 

羊歯の葉かげで錆び朽ちていく犬釘。
排水溝の底の、槍に貫かれた頭蓋骨。
走り去る蜥蜴。石の下のハサミムシ。
それらことごとくが私に告げる。
何しに来た、二度と来るな。

――入沢康夫「VI《鳥籠に春が・春が鳥のゐない鳥籠に》」『死者たちの群がる風景』

 

 だから、どこかへ向けて言っておこう(それは遥か未来へ向けてかもしれないし、私が愛した予め失われたものども、私を通過したものども、あるいは私自身に対してかもしれない)

 さようなら もう二度と会うことは無いでしょう

 

 

 

 

・「宇宙より古く」

結構カラダを突き刺す 熱いナイフのようにとがるもの

軽く・軽く・軽く・うわっついて 

 

もう声を聞きたくない

吐きそうだ

 

 

 

 

*1:今回のオーダー
「人を馬鹿にしない」
「軽く書く(それはエモではない)」