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ステファン・マラルメ雑考:とある入門手続

 

 

ステファン・マラルメって誰?

 

必要なら前段階として次の記事を参照:

2021/11/16-17:ポー/エリザベス・ビショップ/ボードレール - 古い土地

 

 ステファン・マラルメ(1842-1898)はフランス象徴派を代表する詩人の一人。筆者は原文で読んだわけではないので音韻面に関しては注釈に頼るしかないが、定型韻文の可能性を追求した詩人であると。ボードレールマラルメの影響元①)以降のフランス詩は確実に散文詩・自由詩が増えていったが、マラルメはそれに対抗するかのようにアレクサンドラン*1等の定型韻文にこだわった。アレクサンドランで詩の全てが尽くせるのだと信じたのか? その音楽性への傾倒はエドガー・アラン・ポーマラルメの影響元②)に裏付けられているのかもしれない。

 音楽性を追求する過程で、あるいは後述するような理由で、彼の詩は文法破格を積極的に利用し始めた。意味を異常に凝縮させ、奇妙な造語*2を行った。ときには詩の中に三重のストーリーを織り込んだ。

 そのうち、全てが〈詩句〉になってくる。散文すら〈詩句〉によって構成されるのではないか? いわく「ジャーナリズム以外の全ての文学的文章は詩である」と。

 マラルメに直接師事したポール・ヴァレリー(1872-1945、戦前の文壇を牽引したフランス文学者)は散文を歩行に韻文を舞踏に例えたが、マラルメは歩行を舞踏化しようと試みたのかもしれない。

 

 

 音楽性の観点で、マラルメは原文で読むことがスタートラインと言える。ところで、マラルメに関しては無駄に(?)難解な文章が散見されるが、これは音楽性のせいではない。*3

 マラルメの詩そのものは彼自身によって突き詰められてしまった感もあり、どのぐらい20世紀の詩に影響しているか筆者には計れない。しかしながら、彼が詩作と同時に深めていった思索は20世紀思想に巨きな足跡を残した。思想を通じて文学に影響したことも多いだろう。マラルメにまつわる難解なテキストは、彼の詩作品もさることながら彼を繰り込んだ現代思想の系譜に由来するようだ。

 

 1864年から1870年までマラルメは〈詩の危機〉に直面する。*4

 

「二十三歳で、老人、全て終わりとは」(カザリス宛、1865年3月30日/4月6日付)

 

 南仏の厳しい北風、リューマチ痛に悩まされながら(マラルメはどうも病弱だったらしい)地方の高等中学校で英語教師として(結婚)生活を始める。ランボーやらヴェルレーヌやらボードレールやら破滅型の「呪われた詩人たち」と比べれば真面目な方だろうが、しかしマラルメは生活者(職業人)としてまず〈不能力〉だった。

 この上に詩人としての〈不能力〉が重なってくる。この詩人は「書くこと」に呪われていた。自分に課したハードルが高すぎるせいで、「書きたくない、だが書かざるを得ない、だが書けない」というトリプルバウンドが発生する。

 彼は詩を突き詰める過程で次にぶち当たった。

  • 「虚無(Rien)の発見」(1866年の書簡)
  • 幼少期からのカトリックの信仰を捨てる「神殺し」の決断(1867年の書簡)
  • 「〈絶対の書物〉の啓示」(いくつかの書簡でたびたび触れている)

 他の書簡から察するに、こういった形而上学的悩みが精神のみならず身体にもフィードバックされていた。おしまいだった。

 

 

 だが、詩人は不幸にも生を諦めない。「幸いにも私は完全に死んだ」(1866年の書簡)それゆえに? (1866年のこの書簡のあと状況は更に悪化するのだが……。)

 マラルメの韻文詩は日本の全集で200ページもない。56年を生きた詩人にしては物足りない量だと思うかもしれないが、これは一重に困難なプロジェクトを設定し完遂しようとする理想主義(結果として度重なる推敲)に起因するのだろう。必然的にテーマとしてメタポエム(詩についての詩)、とくに「詩の不可能性」についての詩が出てくる。

 

 韻文詩以外の特筆すべきテキストとして、「〈不能力〉という古くからの怪獣を退治」するため書かれた未発表草稿、極めて難解な哲学的小話『イジチュール』(1869-70)がある。また80年代以後マラルメ本人が「批評詩」の名で呼んだ散文群は、むしろ今、韻文詩より読まれているかもしれない。*5

 ブランショサルトルロラン・バルトフーコー、果てはデリダまで。フランス現代思想の潮流の中で尽きせぬ謎をマラルメは提供して来たようだ。

 

 

 先にマラルメが思想を通して文学に影響したと書いたが、その例として筆者がずっと研究している入沢康夫がいる、かもしれない。ブランショの『文学空間』(1955)はマラルメの『イジチュール』を導きの糸として新たなテキスト論を提出した。『文学空間』は当時知識人の間で結構流行ったらしく、フランス語が読める入沢康夫も比較的早期に読んだのではないか。このようにして入沢康夫マラルメの〈虚無〉に接近した可能性がある。詩は翻訳できなくても思想は翻訳できるのだ。たぶん。

 

 

 

日本語で読んでみる

 

 以下は筆者がマラルメの訳文・注解を呼んだときのメモ。

 

 

岩波文庫マラルメ詩集』

 

渡辺守章(訳)『マラルメ詩集』(2014、岩波文庫 赤548-1)

 

 定型韻文詩の新訳。なんか訳文がぎこちない気がしてチューニングするのに時間がかかった。おそらく原文の順序を比較的保った訳をしている。日本語として意味をとりやすくした訳に『マラルメ全集 I』があるが、これはかえって面白くない。

 他に日本語で読めるのに鈴木信太郎の旧訳がある。旧字旧仮名遣いなので筆者は遠慮しておいた。旧仮名はともかく旧字によってただでさえ難解な文章の読解スピードを落としたくない。

 

 220ページの本文と270ページの注解。むしろ注解をメインにして読み、そこからフランス語の原文を想像するという楽しみ方をした。

 

 「再び春に RENOUVEAU」 マラルメは春に体調悪くなって詩が書けなくなるから春のアンチだったらしい。それを詩にしているのがややウケる。

 ソネット「不安 ANGOISSE」の8行目、原文は「フランス語で語られた最も美しい詩句」と称賛され、訳文もよく練られている。

「虚無ならば お前のほうが、死者たちよりも 遥かに知る」

 

 「半獣神の午後」以降、特に80年代以降のソネットはたった14行の詩なのにやたら注解が重い。マラルメは一篇の詩にどれだけの時間をかけ、後世の人はその読解にどれだけの時間を費やしたのだろう。だが訳文では窺い知れない情報も多く「なんか、フランスの人は大変みたいやねぇ」というまったりした気持ちになる。

 〈存在〉と〈虚無〉の二者択一。*6

 

 拾遺詩篇は意味的にめちゃくちゃ素直。落差で笑えてくる。訳もドマン版『詩集』に収録された詩に比べればすんなり作られたように見える。

 

 

 

マラルメ全集』より

 

[第一巻]

 

・『イジチュール』(1869-70?)

 「ノート1」の内容、ただ抑鬱傾向の患者(ついでに不眠症だったらしい)が書いた観念的メモにすぎない。大文学者になるとこんなものまで公開され研究されてしまう。

 うーん、面白いものでもない。ほとんどワードサラダに接近したり、怪文書じみている割にきわめて推敲を重ねたり。このテキストが歴史的重要性を帯びたのはボニオ版(1925年『イジチュール』の初出。不正確な読解)のストーリー仕立ての編集のおかげじゃなかろうか。最初からマルシャル版に近い形で提出されていたらどうなっただろう?

 

 

・『賽の一振り』(1897)

 イカした植字的実験。まあ現代詩によくあるやつの先駆けといえばそうだ。

 テーマ的に『イジチュール』と通底している。で、『賽の一振り』も同様の欠陥があるように思う。翻訳で失われてる情報も多そうだが、しかし根本的に抽象的すぎる。おそらく詩にしても論文にしてもあまり知的興奮をもたらすものではない。

 

 

 

[第二巻]

 

 『ディヴァガシオン』など。散文詩、ならびにマラルメ本人が「批評詩」と呼んでいた散文群。批評詩の例は「重大雑報」や「書物はといえば」などで、表層的に何らかのテーマ(日常的な事件でもいい)について語りながら最終的には「詩について語るテキスト(詩)」である。

 読もうかと思ったが、マラルメの詩論とか19世紀フランスの風俗に興味が無いことに気付いてしまった。訳文に注解を加えてもなお今読むにはちょっと古いよう感じる。チューニングすることはできない。

 

中畑寛之「マラルメの「批評詩」とはなにか?」

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ellfk/14/0/14_KJ00008078219/_pdf

 

 評論についての時代背景:1884年マラルメ42歳にしてヴェルレーヌ『呪われた詩人たち』とユイスマンス『さかしま』での紹介によりようやく世間の注目を集めるようになる。有名になり新聞への寄稿をたびたび求められるようになったこと、リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)の祝祭的歌劇・交響曲が詩への挑戦と思えたこと、90年代に入ると少し下の世代から誹謗中傷を受けるようになったこと、このあたりが創作意欲につながったのではないか。

 

 

『文学空間』

 

モーリス・ブランショ(著)粟津則雄、出口裕弘(訳)『文学空間』(1962年、現代思潮社

 

 「新批評」には1930-1950年代の英米における「ニュー・クリティシズム」と1960年代以降の仏における「ヌーヴェル・クリティック」の2つがある。時代と国が異なるので中身も割と異なるから注意。ブランショの『文学空間』は後者に先鞭をつけた仕事と言える。

 

 これ、作品を作る側じゃないと訳に立たないんじゃないか。消費する側だと冒頭の文学理論は読んでてあまり面白いものではない。文芸評論としての出来はどうなんだろう……。

 

 カフカの記述面白いけどこれカフカ本人が面白いだけだな。いやでもカフカの日記は本当に面白い。

 ブランショは「作者によって完全にコントロールされた作品って大したことないよね(そもそも不可能だけど)」という感覚が根底にある気がする。と書こうとしたが、マラルメってかなりコントロール入ってる気がする。「そもそも不可能」の方に重点があるようだ。いわゆる「作者の死」の理論。

 死だとか絶望だとか、そういう(悲劇的)モチーフを「根源」とする。

 

「「イジチュール」が興味をひく点は、そのテーマとなっている思想のなかに直接あるわけではない。この思想はいわば、思想というものに息苦しさを覚えるような思想であって、その点でヘルダーリンの思想に似ている」(p142)

 『イジチュール』本編よりブランショの読みの方がマシだな。不在と虚無をめぐる物語。ただ、この物語じみた組み立てはボニオ版の編集ありきだ。

 

 

 

[その他reference]

今井勉「『呪われた詩人たち』のマラルメ

http://www2.sal.tohoku.ac.jp/~tsutomu/travaux/malarme.pdf

ヴァレリーが「マラルメ問題 le problème Mallarmé」と呼んだところのものである。「マラルメ問題」とは、マラルメの詩において、言葉の物質的なレベルでの美(たとえば音楽性)というものと、直接的な理解の困難(マラルメの詩の「意味」の不可解)ということが、一体となって共存しているという事実、あるいは、意味の理解の有無にかかわらず「詩の言葉そのものの実存」が強烈な効果を放つという事実が提起する様々な問題の総称である」

 

 

 

*1:1行12音節から成る形式。イギリスではシェイクスピアの時代に弱強五歩格にとって代わられる一方フランスでは19世紀まで生き残った

*2:「浄らかなその爪は…」通称「yxのソネ」5行目の「ptyx」など

*3:マラルメが言う所の〈音楽性〉は容易につかめるものでは無い。しかし少なくとも、音韻を分析するだけなら大仰な言葉を持ち出す必要はない

*4:以下は主に『マラルメ全集 I 別冊』「イジチュール」の注解に従う

*5:マラルメの現代的な研究においては次の事実も忘れられない:1874年9月より半月誌『最新流行』(8号まで)で、さまざまな女性変名での記事執筆のほか、服飾イラストや食事のメニューを集め、最新の文化情報を一人で書き、すべての記事のレイアウトをしてイラストを入れ、広告まで取るというアクロバットを行った。売れてはいないが同時代の一部の文人からは「散文詩」として高く評価されている。どういうこと? https://core.ac.uk/download/pdf/147573931.pdf

*6:しかし、どちらも「存在しない」のではないか。言語の限界を示しているにすぎない。