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2021/11/16-17:ポー/エリザベス・ビショップ/ボードレール (追記:モダンとポストモダン)

 

2021/11/16 ポー / エリザベス・ビショップ

 

 ポーの詩を少し読んだ。

エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe:詩の翻訳と解説

 

 筆者の無知を晒すが、不気味と旋律の詩人にして推理小説創始者エドガー・アラン・ポー(1809-1849)と「草の葉」の英雄ホイットマン(1819-1892)は同時代人、いや前者の方が先輩の詩人だった。アメリカは爆速で物事が進む。

 ホイットマンロマン主義と民主主義とに基づく(良くも悪くも男性的で)ダイナミックなアメリカ詩世界を創出し、アメリカ文学全般の基盤となった。一方でポーの影響と名声はむしろ国外、特にフランス象徴主義にあったようだ。アメリカにはよくあることだが、ポーもまた海外の視線を通じて初めて「発見」されたのである。

 

 ポーの詩はまだイギリス詩の重力圏にあったが、音声的配慮にすぐれて逸脱している。和訳で意味をとるにせよ原文を頭の中で鳴らすべきだ。

 「Alone」における一文の途中の語句を文頭に持ってくるテクニックを読んで欲しい。「Eulalie」のポーらしからぬ牧歌を読んで欲しい。あるいは「The Raven」を見て欲しい(長いのが玉に瑕)。英語が音楽的に韻を踏みまくれる言語であることが実践で既に認識されていたのだ。「豪傑同士結合し曲げる鉄格子」状態である。

 ボードレール(1821-1867)は20年間にわたってポーを仏訳し続けた。フランス象徴主義の中でもとりわけマラルメ(1842-1898)はポーに私淑している。マラルメは難解だが同時に音楽的な詩人として知られる。

 

 それにしてもポーは文学者らしい恵まれぬ人生を辿ったようである。特に初恋の人エルミラとのエピソードはちょっと出来過ぎじゃないかと思う。

 

 

 『アメリカ現代詩入門』でポストモダニズム詩人として紹介されていたエリザベス・ビショップ(1911-1979)の「One Art」を読み「共感」*1したので紹介。「失う術を覚えるのは難しいことではありません

初めて英語から訳した詩 -Elizabeth Bishop 「One Art」 : て、わた し発行人と詩

 

 現代的な意味内容を古典的で複雑な韻律形式・リフレイン・弱強五歩格を用いて表現するところに諧謔がある。平易な言葉で書かれていて音声的に良く、イメージの喚起もよい。

 自分で書いたら「しかし――そもそも本当に得ていたのだろうか?」とか「私が恋するあなたはだが――本当に存在していたのだろうか?」あたりでオチをつけると思う。詩のイメージが散逸するか。

 

 

2021/11/17 ボードレール

 

 フランス詩を少しずつ消化している

 

 『惡の華』(1857)の著者ボードレール

 筆者はボードレールに魅力を感じない。男性的で、ロマン主義で、近代の倦怠・憂鬱を扱っていて、そういう傾向の現代詩全ての元ネタになったんだなあと思う程度である。青春的な部分とか近代的自我が脅かされない部分とかがいまいち興味の対象にならない。そこにピントが合う人がボードレールに度嵌りするのだろうが、要するに10代で巡り逢った人だろう。後世にボードレール的なものは鬼のように書かれるので(あまり進化した感じがしない)、そちらを先に読んでいる分逆にもはや時代的に先駆けているから偉いとも思わない。偉いけどね。

 知的でない、笑かそうという気概がない。ヴェルレーヌボードレールに負けず劣らずの性格だが作品は知的でどこか品がある。ランボーは若くて生意気で天才で、なんだかんだ好感が持てる。滑稽な小品を書けるのが良い。

 とはいえ、比較的気に入った連中も「おお、やっとるね」ぐらいにしか感情が動かないのだが。

 

 テキストをめぐる永劫回帰の主張を思い出す。詩は人間と神話を扱ったギリシャ叙事詩と自然を扱った漢詩でもう全て尽くされていて、後は時代の変化ごとにフレーバーを変えているだけなのではないか? 人間の仕事はフィッティングに尽きるのではないか? (例えばボルヘスもエッセイで取り上げていた)「世界は一冊の本である」「全ての本はある一人の著者によって書かれている」という信仰。人間の矮小さ。

 

 

 

 

付録:Modern or Postmodern ?

 

 「モダン/ポストモダン - 文学/思想」という用語が何を指しているのか筆者は今混乱している。モダンという言葉が日本語だと「近代」とも「現代」とも翻訳されるのがよくない(あるいはそういった含みのあるmodernという単語が悪い)。以後の使用を期して本ブログにおける単語の用法を定義しておこう。まとめてれみれば、modernを現代と訳すやり方である。

 

モダニズム - 文学:T.S.エリオット『荒地』(1922)やジェイムズ・ジョイスユリシーズ』(1922)『フィネガンズ・ウェイク』(1939)等に代表される40年代中ごろまでの文学。

ポストモダン - 文学:50年代以降-80年代? マジックリアリズムやらナボコフやらヒピンチョンやら。もはや通史を立てられない諸々(60年代まではまだ通史っぽくできる気はするが)。「SFや推理小説などジャンルの借用」「引用元への寄生」「文学のための文学」「小節は終わったという認識の下に小節を書く」 

ジョイスの『ユリシーズ』も引用まみれの作品だが、一応これ単体でおおよそ読める(本当?)のに対し、ポストモダン文学はもはや引用元に「寄生」しているらしい(平石貴樹アメリカ文学史』)。例えばナボコフの『ロリータ』(1955)は少女愛の物語というより、愛について語ることについての(自意識的な)愛物語である、と。作品内に引用・パロディ・謎解きといった「遊び」が多く含まれ、むしろそちらが本編であるかのように、作品とほぼ同じ長さの膨大な注釈まで出版されている。

 

モダン – 思想:日本語でこのような言葉は使わないし、「現代思想」と訳すとまた違ってきてしまう。例えば「現代思想ポストモダン思想という時代があった」という文章は日本語として全く自然である。ここでは60年代までの思想、現象学やら実存主義やら構造主義までを含むことにする。

ポストモダン – 思想:60年代以降。脱構築やらポスト構造主義やら通史の建てられない諸々。

 

 

 

 

[reference]

 

・原成吉『アメリカ現代詩入門』(2020、勉誠出版
 詩を読むにあたって重要な視点3つ。Sight, Sound, Sense. インド・ヨーロッパ語族から日本語へ翻訳する際は特にSoundの情報が跡形もなく失われてしまう。
個人的に気になっている30-40年代モダニズム詩について触れられていない。大して文学的達成のない一過性のムーヴメントだったのか? もう原文で読むか。

 

平石貴樹アメリカ文学史』(2010、松柏社
 面白い。フォークナーの専門家で、その時代の南部に熱い視線を送り、ポストモダンに冷たい。

 

 

*1:「これアタシのことだ……」という感情のこと。Empathy。筆者が「共感」する他の例としてはムーンライダーズ小袋成彬、小笠原鳥類など