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【楽曲解説】高橋徹也 - 『夜に生きるもの』(コード進行で見る高橋徹也②)

 

 以前、このような記事を書いた。

wagaizumo.hatenablog.com

 

 高橋徹也の楽曲によく見られるコード進行を抽出し、彼の和声の奇妙な部分がどこから来るのかを明らかにした(つもりである)。

 しかしこれは長い上に、40曲分のコード譜に基づいているのですべてチェックしようとすると時間がかかりすぎる。辞書としては使えるが初見での可読性が高くない。

 

 そこで今回は、名盤『夜に生きるもの』の各曲をアルバム収録順に分析してみようと思う。ここで見られる特徴は高橋徹也の楽曲全般にみられる。前回が理論編だとすれば今回は実践編である。

 前に書いたことでも重複をいとわず書く(引用する)ため、前回の記事を仮定しない。むしろ前回の記事より先に読むと良い。コード進行以外のことにも少し踏み込んでみる。

 

[Reference]

・『夜に生きるもの』コード譜

夜に生きるもの - ChordWiki : コード譜共有サイト

 

高橋徹也本人による各曲レビュー

『夜に生きるもの/ベッドタウン』全曲コメント | 夕暮れ 坂道 島国 惑星地球

 

 

1.真っ赤な車

真っ赤な車 (歌・作詞・作曲:高橋徹也) - ChordWiki : コード譜共有サイト

 

 Aメロで実存の不安を歌い、Bメロで実存の不安を歌い、サビで実存の不安を歌う。名曲。

 

 まず最初に指摘したいのは、Aメロ・Bメロ・サビが全部Ebm9 (IIm9)で始まることである。そこそこコードが動く曲なのに出だし工夫しなくていいのか。以下は邪推:おそらくベーシストがこれを危惧し、Aメロのベース第一音をEbでなくF(9th)にするラインを弾いた。このおかげで聴感上変化がつき、コードが録りづらくなった。

 

 Aメロ前半の「Ebm9 – Dbmaj7」は高橋徹也の曲で腐るほど出てくる「IIm9 – Imaj7」型の進行である。ここでは効果的に使われている。

 Bメロ「Ebm9 – Fm9 – Gbm9 – Emaj7」=「IIm9 – IIIm9 – IVm9 – bIIImaj7」 前3つが高橋徹也の曲で腐るほど出てくるm9のノンダイアトニックな平行移動の例になっている(Gbm9はマイナー借用だが、Fm9はそれで説明がつかない)。ここでは効果的に使われている。また後ろ2つ 「Gbm9 – Emaj7」はよくよく考えるとkey : E = Dbm 上の「IIm9 – Imaj7」になっている。

 

 サビ前半4小節は「IIm9 – V7 – IIIm7 – VIm7」というかなりポップス定型の進行である(逆循環と呼ばれることがある)。1stアルバムを除くと高橋徹也がこの進行を使うのは珍しい(彼の自然な語彙の中に入っていない)。ここはコード進行を一番最初に設定して作詞作曲したのではないか?

 サビ後半4小節は前半の変形であり、「IIm9 – V7 – IIIm7(b5) – VI7」となる。マイナーツーファイブ「IIIm7(b5) – VI7」でIIm9に解決する。ただし、Fm7(b5) = IIIm7(b5)はB (♭vii)をベースとするよう変更されており、「Fm7(b5)/B – Bb7」と半音下降する。これに伴ってギターはFm7(b5)の珍しいヴォイシングを使っている。ちょうど「真っ赤な車」と歌唱する部分であり、まあ効果的な変更ではなかろうか。

 

 

 

2.ナイトクラブ

ナイトクラブ (歌・作詞・作曲:高橋徹也) - ChordWiki : コード譜共有サイト

 

 アルバムバージョンはカメラ?の音が随所に挿入される。「監視(み)てるんだろ?」ということか。時系列的にはこの曲が一番アルバムの中で古いらしく、最初から病的なモードだったんだと分かる。

 菊池成孔のブラスアレンジが良い。が、ボーカルの録り方が良くないよう思われる。single『鏡の前~』に入っている別バージョンの方がシンプルに決まっている。

 

 コード進行を見るとAメロはkey : Fm で定型といえるような進行、Bメロはツーファイヴゲームでジャズ的には定型の範囲。

 やはり歌詞が素晴らしい。漠然とした不安をことこまかに描き、描写が深まるにつれその正体はますます不明瞭になくなってゆく。1番AメロからBメロの歌詞のつなぎも面白い。そもそも一文が長く、まだ文章の途中、意味的には繋がっているのに曲の雰囲気が大きく変わってしまう。それがまた不安を煽る。

 この歌詞を書けるだけでも異才だが、それを音楽として実装する凄みがある

 

 そしてサビ。「Amaj7 – Dbmaj7 – Fmaj7 – Amaj7」という長3度循環、これはColtrane changesの例になっている。しかも下降より難しい上昇に挑戦しており、この曲の雰囲気と良くマッチしている。(下降がまだ易しいのは、Imaj7 に対し bVImaj7 はサブドミナントマイナーとしてポップスで普通に使われる和音のため)

 今日本語wikiepdiaを調べて知ったが、1937年にRichard Rodgersが書いた「Have You Met Miss Jones?」はColtrane以前に長3度下降をやっており、Coltraneを「Giant Steps」に導いたきっかけのひとつだという。聞いてみたが、長3度下降やっている箇所は微妙な出来である。ミディアムテンポでミュージカル的なメロディと釣り合いがとれていない。ジャズスタンダードになっているが、インストで聞くと不和が目立つ。

 下のFrank Sinatra版はトニック部分では和音を鳴らさないことで突拍子無さを減らす工夫をしている。メロディは美しい。

www.youtube.com

 

 高橋徹也も長3度上昇を使うにあたって様々な工夫している。ツーファイヴを削ぎ落とし、スロウテンポにし、そもそも実存の不安を描くことで長3度循環の意外性が効果的に働く土壌を用意した。

 これは本人に聞いてみたいが、Coltrane changesをどういう経緯で知ったんだろうか? まさか自力で?

 

 

 

3.鏡の前に立って自分を眺める時は出来るだけ暗い方が都合がいいんだ

鏡の前に立って自分を眺める時は出来るだけ暗い方が都合がいいんだ (歌・作詞・作曲:高橋徹也) - ChordWiki : コード譜共有サイト

 

 ブルースのI7-IV7ないしIV7 – I7を平行移動によりコラージュしてできた曲。平行移動の選択に楽理的根拠をこじつけることは困難、まあ感覚でやっているのだろう。

 サビ終わりにベースの半音下降が出てくるが、シンプルな9の平行移動である。半音下降で気持ち良い進行なんて一杯あるのに、そういうのは絶対に用いない。(この時期の)高橋徹也と筆者で身体感覚が違うと思わざるを得ないところ。

 

 分析するならフレットレスベースとシンセギターを採譜すべきだろうが、難易度が高い上に採譜してこれ全部感覚でやってますとなったら著しい徒労なので、しない。

 

 

 

4.人の住む場所

人の住む場所 (歌・作詞・作曲:高橋徹也) - ChordWiki : コード譜共有サイト

 まず前回の記事をそのまま引用する。

 

 スピッツみたいな曲。E7 - C#7でサビのDmaj7に接続するところとかまんま「ロビンソン」である。でも良い曲。難点を挙げるとすれば歌詞の像の結びづらさか・・・(元々違う歌詞だったのをアルバム制作の段階で変えたらしいので、新旧の歌詞が入り混じってイメージが通らなくなったのか?)

 イントロのリフ Dmaj7 – F#m9 が大変良い発明。Dmaj7が流れてきてトニックのImaj7かと思うと次のF#m9がIIIm9に聞こえて「いきなり転調!?」と驚かされる。

 しかし実際はどちらもダイアトニックコードだ。key:AにおけるIVmaj7 – VIm9 である。

 耳に気持ち良いが、楽理的にも面白い。この2つのコードだけでD Lydian = A ionian の調性を確立できる:F#m9をDmaj7のテンションと思うと全体でDmaj7(9,#11)になり、これはリディアンを強く示唆するコードである。F#m9の9thがDmaj7の#11thに対応するため、調性を確立する点(あるいは#11を出して驚かせる点)でF#m9はF#m7であってはならない。

 

 Bメロの「IIIm7 – VIm7」で勝負してる辺りは高橋徹也っぽくなく、この場合は好ましい。

 サビ最初の進行が「IVmaj7 – III7 – VIm7 – II7」なのを、ロビンソンの王道進行「IVmaj7 – V7 – III7 – VIm7」にもjust two of us「IVmaj7 – III7 – VIm7 – I7」にも抗った結果と読むのは読みすぎだろうか。この曲の場合はベタをちゃんとやろうという形跡もあるので、案外分からない。

 いや、読み過ぎか。

 

 

5.夕食の後

夕食の後 (歌・作詞・作曲:高橋徹也) - ChordWiki : コード譜共有サイト

 

 早いテンポのjazz waltz。なんにせよ歌詞が先にできたのだろう。メロディもコードも自然に出てくるそれではない。

 コードだけ取り出すと次のようになる

 

|[Fm7]---|---|[Fm7(b5)/B]---|---|

|[F#6]---|---|[Bm7]---|---|

|[Bbm7]---|---|[Dbm7]---|---|

|[Abmaj7]---|---|[Ab7]---|---|

|[Dbmaj7]---|---|[Dbm7]---|---|

|[Cm7]---|---|[Fm7]---|---|

|[Fbmaj7]---|---|[Gbmaj7]---|---|

|[Abmaj7]---|---|[Ab7]---|---|

 ③

|[Dbmaj7]---|---|[Dbm7]---|---|

|[Cm7]---|---|[Fm7]---|---|

|[Dbmaj7]---|---|[Dbm7]---|---|

|[Cm7]---|---|[Fm7]---|---|

|[Bbm7]---|---|[Eb7]---|---|

|[Abm7]---|---|[Db7]---|---|

|[Gm7]---|---|[C7]---|---|

|[Fmaj7]---|---|[D7]---|---|

 |[Bbmaj7]---|---|[A7]---|---|

|[Dm7]---|---|[G7]---|---|

|[Gm7]---|---|[A7]---|---|

|[Dmaj7]---|---|[Db7]---|---|

 

 ①は本当にコード進行の着想が分からない。採譜が大幅に間違っているのかもしれない。

 ②③はkey: Ab で理解できる。②の後半で「bVImaj7 – bVIImaj7 – Imaj7 (– I7)」とmaj7を全音上昇させていくが、これはそれぞれ機能的にサブドミナントマイナー - サブドミナント - トニック。全音下降の方が生理的に気持ち良いと筆者は感じるが、この例のように上昇でもたまに用いられる。上昇が身体的に出てくるのが高橋徹也の特徴の一つ。不気味なアッパー感。

 ④はツーファイブゲームで短3度下のkey : F まで下りていく。

 ⑤はまた短3度下降してkey : D/Dm に降りようとしているのだが、その降り方が錯綜としている。よく分からない。

 

 筆者はこの曲が存外好きである。かなり無理なコード進行・メロディをしているのにストーリーテリングという一つの軸によって奇妙なまとまりを見せること。jazz waltz/jazz rock調のアレンジも筆者好み。

 「出所も分からない安物のワインが 唯一今彼女にとってリアリティのあるものだとして」 リアリティという単語は『ベッドタウン』最終曲「犬と老人」にも出てくる。「簡単に言うならリアリティ それしか反応しないんだ」

 

 

 

6.女ごころ

 

 未採譜。

 マイナー調の歌謡曲高橋徹也が合体事故を起こした曲。変なことをやっている箇所もあるが、採譜するほど気になりはしない。もう40曲分のコード譜あるし。なんとなく歌謡曲やってみっかぐらいの手つきが気力を奪う。

 こういう曲を書くのならもっと歌謡曲を研究した方がよい。

 

 

 

7.チャイナ・カフェ

チャイナ・カフェ (歌・作詞・作曲:高橋徹也) - ChordWiki : コード譜共有サイト

 

 まず「show」ってなんなんだという話。生命とは悲劇なのか?

 『Night & Day, Day & Night』収録の「星空ギター」ではもう少し元気のない「show」が聴ける。全ては90年代に終わってしまった?

 

 次に「チャイナカフェ」ってなんなんだという話。バースとコーラスで歌詞の意味内容が微妙に繋がっていない。「俺」が「奴」の話を聞いている場所がチャイナ・カフェなる場所だと想像できるが、そのモチーフの説得力・必然性がない。何? にも何故? にも答えてくれはしないのだ。なぜちょっとオリエンタルな場所が設定されたのか、どのような時代背景の気持ちでいればよいのか。

 

 歌詞は全体的にピカレスクノワールっぽい雰囲気で、高橋徹也自身は50-60年代フランス映画と結びつけているが、中身は到底悪漢モノではない。ここには現代的な実存の問題があるし、「俺の恋人だと名乗るやたら背の高い女」は「俺」の頭の中にのみ存在する。

 『ベッドタウン』収録の「笑わない男」はもうちょっと筋が通る悪漢モノで、「俺」は「爆弾を片手」に女を口説き、「結構な気分」になっている。あそこに登場する「あいつだけ一度も笑ってない」男は、やはり実在しない

 

 作曲を見る。Gm7/Gm6から始まってGmBbm – Am – Bmと平行移動していく。メロディもこのまま。最初の2つは単3度上昇で理解できるが、他は根拠づけるのが難しい。

 サビは分かりやすい「IVm7 – Vm7 – Im7」。申し訳程度にピアノがオリエンタル風味を出すが、必然性という観点ではよく分からない。バースとコーラスはマイナーの調性で統一感を保っているけど、「チャイナ・カフェ」という単語が投入されるとギリギリである。マイナーペンタトニックをこねくり回しているうちにオリエンタルが想起される瞬間があった? これで曲としてまとまっている(?)のは凄みか。

 

 PVやシングルのジャケットで(おそらくは自身の)墓穴を掘っている。曲との関連性は不明だが、当時の高橋徹也をよく表している。

www.nicovideo.jp

 

 

 

8.いつだってさようなら

 

 未採譜。

 demoバージョンを聞くと1stアルバムの頃に作曲されていそうだ。

www.youtube.com

 

 歌詞もメロディも和声もアレンジも特筆すべきところがない。アルバム収録時に3/4拍子に変更して一部の譜割に無理が生じた、という程度。1stアルバムのダメなところをそのまま引きずった曲。

 録音は悪くないのでこの曲で高橋徹也の歌唱法について考えるとよいかもしれない。考えがまとまったら追記する。

 

 

 

9.新しい世界

新しい世界(高橋徹也) (歌・作詞・作曲:高橋徹也) - ChordWiki : コード譜共有サイト

 

 グルーヴィーなグッドミュージックのガワを被せて色々無茶をやっている曲。

 

 しばらく歌詞について見てみよう。まず譜割がおかしい。メロディより先に歌詞が全部つくられていて、結果1番と2番でメロディの形が微妙に全部変わり、覚えにくい。

 Aメロは一見して恋愛もの(もうちょっとよく考えると友情もの)で、1stアルバムに出てきそうな内容である。旧友との再会をきっかけにBメロで時間の経過を取り扱う。このあとサビへ向けてどう展開するかといえば、今の穏やかな場所が「なぜか好きになれないのさ」、新しい世界なんて「どこにもないのさ」、そして目の前に続く道が「俺を駆り立てて離さない」。感情の表出がグチャグチャである。ポップスに許容される域を超えている。

 

 以下「考察」的な要素が入る:筆者は今まで「目の前にただ続く陽のあたる道」を比較的ポジティブな方向性のワードだと考えていて、だからサビの中でも前半と後半で感情がすれ違っているよう考えていた。が、ふと今、すれ違いを解消する仮説を思いついた。

 夜に生きるものである「俺」にとって「陽」は必ずしも温かくないのではないか?

 太陽は空虚な真空、ともすれば笑われるべき「あのただのあかり」*1であって、彼を助けるものでは決してない。むしろ夜明けはドライブの終わりを告げる(ベッドタウンに生まれ育った高橋徹也はドライブと夜の国道、郊外の風景、カーステレオから流れる音楽が分かち固く結びついている)のだから、太陽は彼から車を奪ってしまう。特に終盤、「君によく似た悪魔」の顔が一瞬だけ映るためには「俺」は車を降りていなければならない、と思う。降りていた方が美しい。

 目の前に「ただ続く」のは精神の荒野ではないのか。彼は原理的に存在不可能な「新しい世界」をそれでも、あるいは不可能性ゆえにこそ求める。自らの「車」が無くなってもなお、強迫観念に襲われながら自らの足だけで「目の前にただ続く陽のあたる道」を歩かねばならない。

 

 有識者によれば、「売れたいのに売れない」というかなり現実的かつ物質的な欲求にドリヴンされてこの曲が出来たらしい。そのために「成功者の旧友」というモチーフが登場するのだと。物質的現実をインプットして実存をアウトプットする機構。

 

 コード進行を見る。AメロBメロは歌詞の意味内容は通常のポップスの範囲内なのと同様に定型の進行。Key : Bb でAメロ最初の「Bbmaj7 – Am7 – Am7(b5)」が「Imaj7 – VIIm7 – VIIm7(b5)」であることはちょっと意外(VIIm7を経過和音として用いる)。Aメロ(と中間部)では思いっきり王道進行「Ebmaj7 – F7 – D7 – Gm7」が出てくるのが面白い。ポップスのふりをして場を温めている。ここは歌詞とコードどちらが先か微妙なところ。

 

 サビのコード進行は前回書いたのを引用。頻繁な転調の中に「IIm9 – Imaj7」の平行移動が紛れ込んでいることに注意。

 サビを見よう。1コーラス6小節なのだが2のn乗を1単位としないせいで止まれない感じがする。進行は「Ebm9 – Dbmaj7 – Fm9 – Ebmaj7 – Cm7(b5) – F7」 

 Ebm9 – Dbmaj7はDb major ~ Bb natural minorを示唆する。AメロBメロはkey:Bbなのでサビでマイナーへ転調するのはポップスの常識の範囲。だが、次のFm9 – Ebmaj7で全音上がったEb mjorを確立する。そして次のマイナーツーファイブCm7(b5) – F7が暗示するのはBb harmonic minorである。明らかな情報過多であって、この過剰が歌詞とマッチしている。情報量のバランスをとるという選択肢は存在しない。(なおEbm9はBb har.minのダイアトニックコードなのでCm7(b5) – F7 - Ebm9と解決するのはそう不自然ではない。この滑らかさが何の足しになるのか問われると困るが)

 

 最後のサビはこの転調過多な6小節を更に半音ずつ、計4回上昇させていく。どれだけ「もう後が無い」のか。途中に出てくる「目の前をいま横切る車の中に 君とよく似た悪魔が」がこの曲のハイライトだと筆者は考える。鮮やかな裏切り、美しい悪意。この詞だけでこの曲の存在事由たりえる。

 

 

 作曲、作詞、編曲が好きな曲はもっと他にあるが、高橋徹也の歌唱で一番良いのはこの曲かもしれない。AメロBメロはあの音韻の滑らかさを考慮していない歌詞や譜割の無茶から歌唱というより語り(祈り?)に近い。曲が進むにつれ熱が入るのだが、1番サビ直前で「好きになれないのさ」と突き放してサビに行くあたり、(脳の普段使わない箇所に)ビタッと嵌る感覚がある。

 

 

 

10.夜に生きるもの

夜に生きるもの (歌・作詞・作曲:高橋徹也) - ChordWiki : コード譜共有サイト

 

「大げさに、図々しく言えば、世の中に居る人ほとんど”夜に生きるもの”だと思ってますし。別に時間的な夜ってことじゃないですけど」

www.youtube.com

 

 Bメロが耳に残る。歌詞がまるで「人さらい音楽宣言」ではないか。

 

 コード進行を見よう。

 Aメロはkey : Bm で「Bm7 – Cmaj7 – C#m7(b5) – F#7」=「Im7 – bIImaj7 – IIm7(b5) – V7」。マイナーツーファイヴの前にbIImaj7を挿入するのは、ちょっと意外に見えて定型か? 「Bm7 – Cmaj7」だけ取り出すとBmのコードスケールがB phrygianっぽくなる(実際はB aeorian)。「Cmaj7 – C#m7(b5)」を取り出すとルートのみ上昇する、「IVmaj7 – #IVm7(b5)」のような進行。

 Bメロはツーファイブゲーム。解決先がD、F、Eの3つあるDはkey : Bm のダイアトニック。その次のFは短3度上昇、その次のEが意外性のある転調で、ここでkey : C#m にうつる。keyが F から E に半音下降する変わり目の部分、コード進行は「Fmaj7 - F#m7」と半音上昇しており、メロディも高くなる。歌っていて気持ち良い。

 サビはkey : C#mで「Im7 – II7 – V7」。マイナー調でII7を使うのは珍しいという程度。その終わりは「C#m9 – D#m9」でいつも通りm9の平行移動を行う。

 

 サビ終わりでギターが轟音をかき鳴らすのはグランジ的な緩急なのだろうか?

 

 Joao Gilbertoのカバーで有名な「Estate」からインスピレーションを受けたらしい。ボサノヴァを聞いていても、この頃の高橋徹也ボサノヴァ的余裕・憂鬱に欠けている。有閑から最も遠い存在と言っても過言ではない。それで「夜に生きるもの」になってしまった。

 

 

 

おわりに

 

 良いけど、ポップスとしての良さじゃないし、売れるわけがない、といういつもの結論に至る。

 曲構造、歌詞、歌唱、どれも「引き離さない」ミームとしては強度が高いので、どうにかマネタイズできなかったものか。レコード会社に売り出しの努力が足りないと書こうとしたが、驚くべきことに『夜に生きるもの』の制作には数千万円かかっているらしい。それで三千枚しか売れなかったのでお察し。

 

メモ:当時、高橋徹也を売り出すにあたって小沢健二スピッツMr.Childrenあたりは参照されていそうである。90年代後半「J-pop」形成期のオーバーグラウンドを考えねばならない(それは筆者の能力・趣味を超える)。

 

 

 

 

*1:Cornelius「太陽は僕の敵」