入沢康夫『わが出雲・わが鎮魂』(1968年、思潮社)
- 導入:異説・出雲神話
- オペレーション
- 自注の例
- 余録1:いくつかの植字的方法
- 余録2:『わが出雲・わが鎮魂』「あとがき」全文引用
- [reference]
この節は以前内々に作ったテキストの修整版として成立した。
「やつめさす 出雲建が 佩ける大刀 黒葛(つづら)多纏(さはま)き さ身無しにあはれ」
出雲建 - Wikipedia
「出雲」の枕詞としては「八雲立つ」がよく知られている。「やつめさす」は「八つ芽刺す出藻」から来たとされ、多くの芽が自然に生える豊かな出雲、ぐらいの意味。
古事記(以下「記」)においてはこの歌の背景として
「それほど豊かな出雲の支配者(イヅモタケル)の大刀なのに、(ヤマトタケルに騙されて)蔓(つる)ばかり幾重にも巻く飾り鞘(さや)で刀身がなく、アアオカシイ、ザマヲミロ」
というのが採用されている。
ままあることだが、日本書紀(以下「紀」)では同じ歌に違う背景が採用されており、出雲振根による弟の飯入根の騙し討ちとして描かれる。そこでの「あはれ」は同時代人の歌とするから「カワイソウダ、キノドクダ」ぐらいの意味になるだろう。
他方、これらいずれのエピソードも原形からかけ離れた、”編集された”挿話だという説もある。
「しかしこの歌の原形は、どう考えてもこんなものが無しい格調をもっているものではない。『八雲立つ出雲健が佩ける太刀……』と歌いだすこの格調の美は雄々しい出雲の勇士を讃える言葉でなくて何であろう。『葛多巻き』という表現も太く強大な太刀を示したものであり、末尾の『あはれ』もあっぱれ見事だと讃えた言葉である。出雲の勇士を賛美した歌が、替え歌として、彼ら有志の没落をうたう哀歌となったのであろう」
――鳥越健三郎『出雲神話の成立』(1966年、創元社)
「記」も「紀」も政治的意図を(意識的/無意識的に)多分に含んで編纂されたのは周知の事実だが、出雲神話に関しては面白い説があった。過去に。
因幡の兎、八岐大蛇討伐、先の出雲健討伐など、出雲が舞台となるエピソードは神々を物語る古事記上巻の約三分の一をも占めている。それにもかかわらず、1980年代まで(後述)それほど多くの神話を残したであろう大国家が存在した証拠・遺跡は見つかっていなかった。規模が大きいほど、発見は容易なはずなのに。
このことや伝承の分析をもとに書かれたのが鳥越健三郎『出雲神話の成立』である。
出雲国風土記*1では出雲国の始まりとして「国引き」がうたわれる。
「古代の出雲国(現在の島根半島)は土地が小さかったため、神様が朝鮮半島や隠岐、北陸地方などから余った土地を4個所引っ張ってきてつなぎ合わせたという話です。引き寄せた土地をつなぎ止める綱が、「薗(その)の長浜」(稲佐の浜から南に続く海岸)と弓ヶ浜、綱をつなぎ止める杭が、三瓶山と大山だとされています。」
島根県:島根県 : 特集2 神話のふるさと島根(トップ / 県政・統計 / 政策・財政 / 広聴・広報 / フォトしまね / 179号)
鳥越『出雲神話の成立』の大筋は以下の通り:
よせあつめ……/つくられた……/借りものの…… 前出の国引き神話にしたがえば、出雲の国土は多くの「他処」から引いて来て「作り縫」われ、大きくされたものだが、いわゆる「出雲神話」そのものについても、これは本来出雲地方で伝承された土地神に関する神話・伝説というよりも「記」「紀」編纂の頃。日の神の子孫の収める陽の国に対する、陰の国・夜の国の必要上、それを出雲に措定し、各地の伝承を寄せ集めて、大和朝廷で作られたものであり、古代出雲地方を中心として大和に対抗するに足る大国家があったわけではない、との説がある
――「I」 入沢康夫『わが鎮魂』
この説に基づけば、編集され寄せ集められた出雲神話体系の始まりに、(おそらくは)元々伝承されていた寄せ集めの神話=国引きが置かれていることになる。美しい対応だ。
また、この説と昨今の島根県が出雲大社や出雲神話をよくPRしていることを並べると、借りもの・まがいものが幾星霜を経て真実に「された」感じがして、妙な興奮を喚起する。
さて、この「にせの出雲神話」説の妥当性についてリマークしておこう。1983年に始まる調査で荒神谷遺跡の全容が明らかとなり、銅剣の本数などから古代出雲に大国家が存在したという説が有力になってきた。(筆者は詳しくないのでどの学派が有力なのかは専門家に聞いてほしい)
荒神谷遺跡 - Wikipedia
最近だと古代出雲人のDNAを解析する試みがあった。縄文人に近いとかなんとか。クラウドファンディングで資金を調達。
新着情報 古代出雲人の人骨から、縄文人・弥生人のルーツに迫る挑戦!(東京いずもふるさと会(会長岡垣克則)) - クラウドファンディング READYFOR
とはいえ、「陰の国」が無理くり出雲に措定されたというのは今でも十分通りそうな話だと思う。政治的「屈服」のあかしとして。
「国」の痕跡は資料として残るが、「神話」の痕跡は史料としてしか残りようがないのだから、謎は謎のままだろう。
「にせの出雲神話」説の学問的妥当性は、しかし本稿の範疇ではない。
重要なのは1966年から1983年までの間「出雲神話は「偽物の」神話である」可能性を提出し続けたこと。
それにより入沢康夫が『わが出雲・わが鎮魂』(1968年)を書くきっかけとなったこと。それだけで十分な価値があるように思う。これは審美主義が過ぎるだろうか。
以上の準備によって、ようやく『わが出雲』の冒頭部分を紹介できる。
やつめさす
出雲
よせあつめ 縫い合わされた国
出雲
つくられた神がたり
出雲
借りものの まがいものの
出雲よ
さみなしにあわれ
――「I」 『わが出雲』
この詩句には多重の含意がある。
①出雲神話において出雲国が「国引き」という寄せ集めで成立していること
②それと同様に、『わが出雲』は多様なテキスト・語りのコラージュで成立していること
③贋出雲神話:今伝わる出雲神話は時の権力によって大幅に編集されたものであり、多数の「借りもの」を除くと出雲本来の伝承は極めて少ない(無い?)という可能性
④メタポエム:同様に、『わが出雲』は東西古典/神話/近代詩/民俗学 etc の引用/引喩/編集によって成立していること。それが時にきわめて「うそくさい」形式をとること。
また、「さみなしにあわれ」の意味も、まず「記」が「ザマアミロ」、「紀」が「カワイソウダ」で全く異なる。背景として《卑怯な騙し討ち》は共通しているが、鳥越の異説は本来《騙し討ち》など関係なく、「あわれ」は「アッパレダ」の意とした。
「あはれ」の意味のとり方で、この歌全体の立場が変転するように、「あわれ」の意味によって、『わが出雲』の立場もまた。
――「さみなしにあわれ」 『わが鎮魂』
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