古い土地

暗い穴

ある序論:「小説家になろう」と「ヒップホップ」の類似

 

 「小説家になろう」。1次創作と2次創作の合間を浮動するテキスト投稿サイト(この性質を「1.5次創作」と呼んでおこう)。横への参照(同時代の作品間参照)を本質とするメタゲーム(ゲーム性はランキングや評価ポイントなどの数値によって担保される。全員がランキングハックをやっているわけではないが、しかしランキングに乗っている作品は殆どゲームの参加者とみなせる)。個々の作品それ自体ではなく多数の作品によって形成される〈場〉=シーンを楽しむこと。

 

 「なろう」の特性を理解するには音楽における「ヒップホップ」と比較すると分かりやすい。上記の特徴は全てヒップホップにも当てはまる。

 ヒップホップのサンプリング性はなろうにおいて「近過去参照」として現れる、としておこう。アニメ・ラノベ・漫画・ゲームからゲーム実況等の動画コンテンツ、インターネットミームまで、引用による細部のくすぐり。全体の「百万回は見た」構造による安心ベースの作り。ループの快楽

 

 ところで、2000年以降ヒップホップの主流がサンプリングを聞かせる音楽ではなくなっていく(特に2010年代トラップが死ぬほど売れた)ことと、2013年頃以降のなろうがゆるやかに自己参照的になってきた(とりこむコンテンツが無くなった/なろうの語法がジャンルとして確立されてきた)ことにも類似が見られるのではないか。

 有名作で例を挙げると、Dr.Dreの「2001」(1998年)=「生バンド演奏をサンプラーでとりこむこと」と「謙虚堅実」(2013年)=「架空の漫画・ゲームに対する2次創作の体で1次創作を書くこと」は「引用元なしに引用の効果を利用する」点で全く同じだ。*1

 「八男」(2013年)の「ゼロ魔二次ゼロ魔抜き」(元々「ゼロの使い魔」の二次創作だったのを一時創作に改作したらハネた)も面白い現象だ。ヒップホップ側で対応物がないか少し探したが、にわかには見つからない。

 

 

 

「謙虚、堅実をモットーに生きております!」

https://ncode.syosetu.com/n4029bs/

八男って、それはないでしょう!

https://ncode.syosetu.com/n8802bq/

 

 類似を挙げたからには相違も述べておこう。

 アメリカのヒットチャートにおいて、もはやヒップホップを通過していない音楽を探す方が難しくなっている。一方なろうは娯楽小説(ラノベ)・漫画・アニメ等の中で、まだ「そこまでは」プレゼンスを発揮していないだろう。今後も発揮しないで欲しい。とはいえ、「なろう」的なフェティッシュは年々求心力を増しているように見える。世界の方が「なろう」に近づいている?*2 最近は毎クール複数の「なろう」出身作がアニメ化されているようだが、これは端的になろう系への資本の集中投下を示している。金が集まるならまだ影響力は増すのだろう。最悪。

 

 もう1点、「異世界迷宮で奴隷ハーレムを」を例に「少なくない数のなろう小説はネット小説の媒体性を活かしてゲーム実況などこれまで小説外にあった快楽をテキストに織り込もうとしている(ゲーム的リアリズム)」*3と書こうと思った。

 

異世界迷宮で奴隷ハーレムを」

https://ncode.syosetu.com/n4259s/

 

 だが、ヒップホップはただの音楽ジャンルではなく「ラップ、DJ、ブレイクダンス、グラフィティ」のいわゆる4大要素と共に発展してきた*4。他にもファッションへの波及、ラッパー同士のビーフなど、必ずしも音楽の快楽だけでヒップホップが成立しているわけではない。

 

追記:上の説明は外している気がする。筆者が混乱している。

「なろう」も「ヒップホップ」も複合的な楽しみ方があるが、その本義をとりあえず「テキストを読むこと」と「音を聞くこと」に限定した上で議論するのが公平だ。このときゲーム的リアリズムは「ゲーム実況の快楽」というこれまで小説の快楽として殆ど無かったものを取り込む試みだ。このぐらい距離がある快楽をヒップホップが取り込んだことってあっただろうか? ……歌詞でキャラクターの性格を表現しようとする(ので無理が出てくる)ヒプノシスマイク、とか? 

 

 

 

 ともかく、「なろう」の発明はヒップホップの発明と同様に、ある時点までエキサイティングだった。これ以上新しいものなどないのだから、既成概念を利用してどこまでも感覚をハックしていくこと(なろう風に言えば「チート」)。

 「なろう」という〈場〉における「異世界」概念の繁栄、その現象こそが異世界じみて見えた時期があった。

 

 とある記事へ続く。

 

wagaizumo.hatenablog.com

 

 

 

 

 

*1:作中作の活用は、特にポストモダン文学の常套手段である

*2:もはや権力の一部として存在を許されている「反体制」への反動として出て来た「体制」的な「なろう」が、その親和性ゆえ一瞬で権力に取り込まれること。あるいは、日本においてカウンターカルチャーが左翼傾向でオタクコンテンツ(サブカルチャー?)が右翼傾向であったこと。「少数派」は存在を認められたいだけなのか?

*3:しかし、具体例は全く挙げられないが、ある種の随筆・ルポタージュ・ラノベはゲーム実況以前からゲーム実況の快楽を持っていたかもしれない。ゲーム的リアリズムの発明ではなく流行が「なろう」の特徴と言った方が正確か?

*4:というのは少し嘘になる。あまり交錯せず発展していたこれら4要素が映画「ワイルド・スタイル」(1982年)でいっしょくたに扱われることで初めてこれらが「ヒップホップ」ということになった。映画による歴史修正。

入沢康夫論3 – 2:牛の首をめぐるパラノイアックな断章(後編)

 

 前回から引き続き入沢康夫『牛の首のある三十の情景』(1979年、書肆山田)を読んでいく。

wagaizumo.hatenablog.com

 

 

[記法]

「牛の首のあるXつの情景( y)」を「X(- y)」と略記することがある。

「「牛の首のある八つの情景」のための八つの下図」は「八下図」で略記する。

つまり、詩集は順に 六 → 四 → 八下図 → 三 → 二 → 七 で構成されることになる。(6 + 4 + 8 + 3 + 2 + 7 = 30)

 

 

  • 方位
  • 一人称「わたしたちは、わたしは」
  • 血族・記憶・子供
  • 「八つの下図」について
  • 結論に至る前のメモ
    • [舟]
    • [粉末]
    • [埋められたもの・隠されたもの
    • [虫]
    • [男]
    • [素てられた場所]
  • 結語1:ヒト、トリ、ウシ
  • 結語2:(数日後)
  • あとがき

 

 

方位

 

 以下、太字は引用者による。

 

昨日の昼屠殺された牛どもの金色の首が、北東の空に陣取つて ――「六 - 1」

ささくれ立つた木の樽に身をもたせて、西の方をちらちら盗み見てゐる男たち ――「八下図 - 1」

雨は北西の森から襲つて来る。(中略)白い叫びを背にして走らなければならないのだ。まづへ向つて、次いでへ向つて。 ――「三 - 1」

西空にうつすらと牛の首めいた形の雲が浮かび、一瞬にして赤く燃えあがる。 ――「七 - 1」

わたしたちの、わたしの子供は、の国で蒼白く生き返り ――「七 - 2」

彼らの見たことのないの海の魚を ――「七 - 4」

 

 方位がなにがしかのモチーフとして働いていそうな点でも『牛の首』は特殊である。他の作品では特にこだわりが感じられない。

 列挙してみて、少なくはない数登場することは判明した。何か読み取れるかというと……。

 方位を意味付ける方法としてとりあえず ①星座・天文学に結び付ける方法 ②宗教に結び付ける方法 などが考えられる。しかし『牛の首』においては夜空も神も丁寧に取り除かれている(「星」「爆破された教団」「太古の雷神」などは出てくるがモチーフとして弱い)。遊びと見る方が適切?

 

 

 一つ思いついた。方位の具体性ではなく、方位が存在することそのものについて

入沢康夫の〈擬物語詩〉で方位が内在しない作品世界は多数ある。

 

「あの、海へ出るにはどの道を行くんでしょう」「海ですって?」薬屋の主人はあっけにとられた顔をするが、すぐ僕が他処者であることに気がついて、「歩いては絶対にこの街の外へは出れません。何でもよいからとにかく乗り物に乗ってこの街の外へ出れば、海はすぐそこです」「なぜ歩いては出れないのです」「多分街路の構造上の問題だと思いますよ」とこの老店主は平然として言う。

――「5」『ランゲルハンス氏の島』(落合茂と共著、1962年、私家版)

 

 「ランゲルハンス氏の島」だったり「マルピギー氏の館」で何が起こっていたか。幾何に喩えると、〈詩句〉が単位アトラス(地図/座標近傍)として張り合わさり、捩じ曲がったオブジェ=多様体=詩を構成する、と言うことができるだろう。局所的にのみ方位付け可能か、そもそも方位付けが不可能な作品ばかりだ。*1

 

 ところが『牛の首』では、どうも大域的な方位まで存在するらしい。二次元曲面でいえば一番シンプルな球面である。

 局所的にはどれだけグロテスクで異常でトポロジカルに変形していても(※1)、大域的には基底現実と同じ球形を擬装している(この意外性!)――『牛の首』は我々の話として読むことが(も)出来る。「作品」と「作者」と「読者」の関係の中で、『牛の首』は以前の作品(以降の作品)よりも読者を否応なく引きずり込む力を持っている。

 

※1:『牛の首』におけるトポロジカルな変形の例

(前略)そんな声を、どこからともなく聞いたとき、廊下はみるみる狭くなり、そして、いきなり、うつかりすれば転げ落ちてしまひさうなほどに急な下り階段となつて、――わたしたちは、わたしは、もうかれこれ二時間も、その階段を下りつづけてゐる。

――「六 - 3」

 

 あるいは方位を「季節についての試論」における「季節」と同様の「構造」と思っても良い。ある種の循環と不変性。

 方位の話を抜きにしても、この作品をどこか遠くの物語と思える人は居ないだろう。『牛の首』は今なお不気味な燐光を発し続ける作品だ。

 

 

 という読み。説得的だろうか。

 

*1:数学に詳しい方へ:前者はリーマン計量が入ることを想定し、後者は向き付けが不可能≒リーマン計量が入らないことを想定(≒は2次元閉曲面論では=になる)。詩は閉多様体でない(一般にコンパクトでないし境界もあるかもしれない)気もする

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入沢康夫論3 – 1:牛の首をめぐるパラノイアックな断章(前編)

 

入沢康夫『牛の首のある三十の情景』(1979年、書肆山田)

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 今回は入沢康夫の代表作の一つ『牛の首のある三十の情景』について、極めてパラノイアックな読解を試みる。

 『詩の逆説』(1973年、サンリオ出版)で入沢康夫が述べていたように、詩について「愚者は考え、賢者は感じる」のだが、ここでは敢えて愚を犯す。

 いや、本当のところ、筆者にしてこれ以外の方法は取り得なかった。

 

 

[記法]

「牛の首のあるXつの情景( y)」を「X(- y)」と略記することがある。

「「牛の首のある八つの情景」のための八つの下図」は「八下図」で略記する。

つまり、詩集は順に 六 → 四 → 八下図 → 三 → 二 → 七 で構成されることになる。(6 + 4 + 8 + 3 + 2 + 7 = 30)

 

  • メタポエム
  • 牛の首について①:入沢康夫の「牛」史
  • 牛の首について②:偏在
  • 鳥について
  • 数字
  • セルフオマージュ
  • 言葉(書き言葉・話し言葉
  • [reference]

 

 

メタポエム

 

昨日の昼屠殺された牛どもの金色の首が、北東の空に陣取つて、小刻みに震へながら、(今、何時だらう)わたしたちの、わたしの、中途半端な情熱の見張り役をつとめてゐる。わたしたちは、わたしは、藻のやうな葉をなま温い風にしきりに漂はせる樹々に背を向け、地べたで、安つぽい三十枚ばかりのプログラムを次々に燃やし、その光でもつて、石柱の表面にはめ込まれた縞瑪瑙の銘板の古い絵柄を読み解かうとする。少なくとも、読み解かうとするふりをしてゐる。すでにいくつかの意味をなさない文字が、わたしたちの、わたしの、ひそめた眉の間から生まれて、燐光を放つ熱帯魚さながらに、闇の中へと泳ぎ去つた。

 ――「牛の首のある六つの情景 1」

 

 冒頭の一篇。

 

 入沢康夫のメタポエムといえば『わが出雲・わが鎮魂』(1968年、思潮社)の冒頭「やつめさす/出雲」がつとに有名である。『かつて座亜謙什と名乗った人への九連の散文詩』(1978年、青土社)の第二連を思い出してもよい。

 ここでは「三十枚ばかり」という数によって、これが『牛の首のある三十の情景』全体についての見立てであることが了解される。

 

 詩を「プログラム」と言っていることも見逃せない。『わが出雲』のあとがきでは「オペレーション」であったし、『座亜謙什』では「絵図」であり「建物」であった*1

 『牛の首』では「安つぽい」「プログラム」の積み重ねで何を遂行しようとしているのか? 「読み解く」のはプログラムではなく石板の表面にある「古い絵柄」らしい。それは一体?

 

 そして「少なくとも、読み解かうとするふりをしてゐる」「すでにいくつかの意味をなさない文字」というあたりに、すでに筆者の試みの必然の失敗が予告されている。『牛の首』という作品は決して全貌をあらわにすることなく「闇の中へと泳ぎ去」るのだろう。

 このようなテキストによって読者が「ひそめた眉」になることすら予想している。人を喰った作品。

 

 

 この時点でお気づきだろうが、『牛の首』自体にパラノイアックな擬装が施されている。本稿ではパラノイアをそのままに共鳴していこうと思う。

 

 

*1:ただしこの表現は入沢康夫の作品ではなく宮沢賢治の「心象スケッチ」に重点が置かれているはず

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ステファン・マラルメ雑考:とある入門手続

 

 

ステファン・マラルメって誰?

 

必要なら前段階として次の記事を参照:

2021/11/16-17:ポー/エリザベス・ビショップ/ボードレール - 古い土地

 

 ステファン・マラルメ(1842-1898)はフランス象徴派を代表する詩人の一人。筆者は原文で読んだわけではないので音韻面に関しては注釈に頼るしかないが、定型韻文の可能性を追求した詩人であると。ボードレールマラルメの影響元①)以降のフランス詩は確実に散文詩・自由詩が増えていったが、マラルメはそれに対抗するかのようにアレクサンドラン*1等の定型韻文にこだわった。アレクサンドランで詩の全てが尽くせるのだと信じたのか? その音楽性への傾倒はエドガー・アラン・ポーマラルメの影響元②)に裏付けられているのかもしれない。

 音楽性を追求する過程で、あるいは後述するような理由で、彼の詩は文法破格を積極的に利用し始めた。意味を異常に凝縮させ、奇妙な造語*2を行った。ときには詩の中に三重のストーリーを織り込んだ。

 そのうち、全てが〈詩句〉になってくる。散文すら〈詩句〉によって構成されるのではないか? いわく「ジャーナリズム以外の全ての文学的文章は詩である」と。

 マラルメに直接師事したポール・ヴァレリー(1872-1945、戦前の文壇を牽引したフランス文学者)は散文を歩行に韻文を舞踏に例えたが、マラルメは歩行を舞踏化しようと試みたのかもしれない。

 

 

 音楽性の観点で、マラルメは原文で読むことがスタートラインと言える。ところで、マラルメに関しては無駄に(?)難解な文章が散見されるが、これは音楽性のせいではない。*3

 マラルメの詩そのものは彼自身によって突き詰められてしまった感もあり、どのぐらい20世紀の詩に影響しているか筆者には計れない。しかしながら、彼が詩作と同時に深めていった思索は20世紀思想に巨きな足跡を残した。思想を通じて文学に影響したことも多いだろう。マラルメにまつわる難解なテキストは、彼の詩作品もさることながら彼を繰り込んだ現代思想の系譜に由来するようだ。

 

 1864年から1870年までマラルメは〈詩の危機〉に直面する。*4

 

「二十三歳で、老人、全て終わりとは」(カザリス宛、1865年3月30日/4月6日付)

 

 南仏の厳しい北風、リューマチ痛に悩まされながら(マラルメはどうも病弱だったらしい)地方の高等中学校で英語教師として(結婚)生活を始める。ランボーやらヴェルレーヌやらボードレールやら破滅型の「呪われた詩人たち」と比べれば真面目な方だろうが、しかしマラルメは生活者(職業人)としてまず〈不能力〉だった。

 この上に詩人としての〈不能力〉が重なってくる。この詩人は「書くこと」に呪われていた。自分に課したハードルが高すぎるせいで、「書きたくない、だが書かざるを得ない、だが書けない」というトリプルバウンドが発生する。

 彼は詩を突き詰める過程で次にぶち当たった。

  • 「虚無(Rien)の発見」(1866年の書簡)
  • 幼少期からのカトリックの信仰を捨てる「神殺し」の決断(1867年の書簡)
  • 「〈絶対の書物〉の啓示」(いくつかの書簡でたびたび触れている)

 他の書簡から察するに、こういった形而上学的悩みが精神のみならず身体にもフィードバックされていた。おしまいだった。

 

 

 だが、詩人は不幸にも生を諦めない。「幸いにも私は完全に死んだ」(1866年の書簡)それゆえに? (1866年のこの書簡のあと状況は更に悪化するのだが……。)

 マラルメの韻文詩は日本の全集で200ページもない。56年を生きた詩人にしては物足りない量だと思うかもしれないが、これは一重に困難なプロジェクトを設定し完遂しようとする理想主義(結果として度重なる推敲)に起因するのだろう。必然的にテーマとしてメタポエム(詩についての詩)、とくに「詩の不可能性」についての詩が出てくる。

 

 韻文詩以外の特筆すべきテキストとして、「〈不能力〉という古くからの怪獣を退治」するため書かれた未発表草稿、極めて難解な哲学的小話『イジチュール』(1869-70)がある。また80年代以後マラルメ本人が「批評詩」の名で呼んだ散文群は、むしろ今、韻文詩より読まれているかもしれない。*5

 ブランショサルトルロラン・バルトフーコー、果てはデリダまで。フランス現代思想の潮流の中で尽きせぬ謎をマラルメは提供して来たようだ。

 

 

 先にマラルメが思想を通して文学に影響したと書いたが、その例として筆者がずっと研究している入沢康夫がいる、かもしれない。ブランショの『文学空間』(1955)はマラルメの『イジチュール』を導きの糸として新たなテキスト論を提出した。『文学空間』は当時知識人の間で結構流行ったらしく、フランス語が読める入沢康夫も比較的早期に読んだのではないか。このようにして入沢康夫マラルメの〈虚無〉に接近した可能性がある。詩は翻訳できなくても思想は翻訳できるのだ。たぶん。

 

*1:1行12音節から成る形式。イギリスではシェイクスピアの時代に弱強五歩格にとって代わられる一方フランスでは19世紀まで生き残った

*2:「浄らかなその爪は…」通称「yxのソネ」5行目の「ptyx」など

*3:マラルメが言う所の〈音楽性〉は容易につかめるものでは無い。しかし少なくとも、音韻を分析するだけなら大仰な言葉を持ち出す必要はない

*4:以下は主に『マラルメ全集 I 別冊』「イジチュール」の注解に従う

*5:マラルメの現代的な研究においては次の事実も忘れられない:1874年9月より半月誌『最新流行』(8号まで)で、さまざまな女性変名での記事執筆のほか、服飾イラストや食事のメニューを集め、最新の文化情報を一人で書き、すべての記事のレイアウトをしてイラストを入れ、広告まで取るというアクロバットを行った。売れてはいないが同時代の一部の文人からは「散文詩」として高く評価されている。どういうこと? https://core.ac.uk/download/pdf/147573931.pdf

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2021/11/29, 12/3:入沢康夫『詩の構造についての覚え書』堀江敏幸『おぱらばん』

 

 

2021/11/29 入沢康夫『詩の構造についての覚え書』

 

入沢康夫『詩の構造についての覚え書』(1968年、思潮社

 

 試論・評論をいくつか読んで直観したけど、この人めっぽう気さくではないな。詩人入沢康夫に対する断定を避けるなら、実作者ボルヘスに対して作品を通じて読者の頭の中で浮かび上がる「ボルヘス」のようなものとすればよい。

 「入沢康夫」は常に怒っている。内にドロドロしたものがあり、一方でその噴出の仕方は遊びや冗句、知的なガワをまとう。ここでmy opinionとしないところ、人と直接ぶつかろうとせず逃げ道を常に用意している、隙が無いのは、自己保存よりもより高い殺意のためではないか。レスバで勝つには論理的であり続ける、少なくとも論理的なふりをしなければならない。

 「詩人入沢康夫」はこの奥に〈根の国〉・詩への交感と孤独、悲しみをたたえている。精神分析なら母無し子(ついでに姉も亡くしている)の側面から切り込むだろう。

 

 以下、印象的な箇所を引用しつつコメント。

 

「なにかうしろめたい気がするのだ。(中略)おそらくそれは、不可能を夢みつつ、その不可能に狎(な)れはじめているのではないか、という感じ」(p13)

 モーリス・ブランショ『文学空間』(1955年)から「芸術は伝達の手段ではない」を引っ張ってきて、それに対する反駁としてイヴ・ボヌフォア『詩の行為と場所』の「むしろ詩の限界を認めなければならない、そして詩がかつてはひとつの目的であったことは忘れて、詩を単に接近の手段と考えなければならない、とわたしは信じる」「詩はなによりまず、絶えざる戦いであれ」を置く。

 入沢康夫が(当時の知識人同様に)構造主義にかなり接近していたので、耳が痛かったのかもしれない。あるいは、手法を自ら開拓する詩人にとってマンネリの危機はつねにあった。

 

「この曲面での「構造」の追求は、先にもいささか口をすべらせたように、おのずから「詩の反逆性」(この世界を造った「神」を象徴とする権力・支配体制・世間的善等々に対する反逆)へと導びかれるのではあるまいか」(p34)

 若い。だがこの「怒り」こそ始まりだったのかもしれない。人々の「つくりもの」への疑心を「つくりもの」である「権力」が利用しているという文脈。

 また「怒り」は「言葉」へも向けられる。言葉の中に不可分に嘘が含まれている、それを抉りだして見せたのは入沢康夫の仕事の一つである。『牛の首のある三十の情景』が象徴的。

 

「詩につきまとう人間的関係を不純と見て拒否を重ねていけば、詩人は言葉を奪われざるを得ないのである」(p45)

 詩人の詩行為は《関係の関係》に関係する行為であること(言葉は関係の中で成り立っており、詩とは関係同士の関係であり、詩人はそこへ参入していくこと。圏論か?)。その関係の中に話者たる人間は当然含まれている。入沢康夫はここを忘れたことがなかった。

 

 私的感懐の吐露の詩に対して「言葉は感情を直接表現する力を十分持っているか?」と「それが果たして「詩作品」になるか?」の2点で疑義を挟んでいる。『死者たちの群がる風景』のつまらなさは少しこの点に接近する。

 

「だが、このような試みを通して、ぼくたちは《書く》ということ、《読む》ということの《不可能性》にじかに触れることになる。いわば、このような試みは《不可能性》に、その片鱗を露呈させるための罠として、なお繰り返し企てられねばならないだろう。」(p71)

 詩の形態的な線型順序について。たびたび「罠」という言葉がでてくる。何か容易には掴めぬものを捉えるための技巧、悪意、怒り。

 

「この曖昧さ(引用者注:《作者と話者の相互依存における本源的曖昧さ》のこと)は、ぼくたちの意識とぼくたちの存在との関係の曖昧さに似かよっている」(p87)

 

「そこに詩作品の光栄と悲惨を云々することも可能だろう。この場合、光栄はその自由さの故、そして悲惨はついに真の有でも真の無でもあり得ぬという不自由さの故である」(p106)

 

 詩作品を〈存在〉、〈言葉〉に置き換えてもよい。

 

「しかじかの構造性は、それ自体破れ去るべき幻影にすぎない!」(p119)

 

 常に発展を要求すること。「もはや詩などないのか?」という問。問の状態で持続したのが70年代で、80年代に入ったらもう肯定してしまうような・・・。時代の終焉、ポストモダンの終わり。

 

 

 

2021/12/3 堀江敏幸『おぱらばん』

 

堀江敏幸『おぱらばん』(1998年、青土社

 

 〈擬物語詩〉の小説への影響として堀江敏幸『河岸忘日抄』(2005年、新潮社)を読もうとしたけどダメだった。〈擬物語詩〉の特徴として「リライト不可能性」(「詩は翻訳できない」に近い)や「作者と発話者の相互侵食性」が挙げられるが、『河岸忘日抄』にはどちらも無い気がする。むしろ『おぱらばん』(1998年、青土社)を読もう。これは〈擬物語詩〉の論理で動いた散文だ。

 

 エッセイ、小説、詩が奇妙な結合をしている。異国(ここではフランス)における言語の問題は作者と発話者を微妙な関係に導く。結構フィクションだと思っていた作品「BLEU, BLUES, BLEUET」の最後にフランス詩の翻訳と思しきテキストが出て来た驚いた。

 文体が面白い小説(筋に関係なくどこを読んでも面白い小説)と詩にはどのぐらい距離があるのだろう?

 この作品において小説性を活かされているのは、モチーフの時間持続だろう。「ドクトゥール・ウルサン」では頭痛から始まって診療所の待合室でインテリア雑誌から文学者を回想し始める。それが終わっても診療所の顛末が残っている。

 

 

 

 

 

 

マリオストーリー(N64)とペーパーマリオ(GC)における任意コード実行/任意スクリプト実行について

 

 2021年の2月下旬、2つのペーパーマリオシリーズで相次いで任意コード実行(ACE)/任意スクリプト実行(ASE)が達成された。今更ながらこのことについて書いてみようと思う。

 

 以下はスピードランナーでもグリッチハンターでもない門外漢の筆者が、自分で理解できる範囲で勝手に抄訳・拙訳したものです。翻訳に許可とれという話だったり理解不足・誤訳で記述に誤りがあったりしたら筆者が全ての責任を負います。つまるところ、公開できるレベルまでブラッシュアップした個人的メモに近いので注意してください。誤りがあればコメント等でご教授ください。

 人物名は敬称略。

 

 

2021/2/20 マリオストーリーN64)でACEによるクレジットワープが達成される

 

 感動的なストーリーなので次のツイートスレッドから抄訳する。

 

 

 今回のACE立役者の1人Rainは5年前、プログラミングについて全く無知の状態でコミュニティに参入してきた。全てはマリオストーリーをぶっ壊すために。

 

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2021/11/25-28:入沢康夫『ネルヴァル覚書』『死者たちの群がる風景』ネルヴァル『火の娘たち』『オーレリア』

 

 前回から引き続きネルヴァルを読む。

wagaizumo.hatenablog.com

 

 

2021/11/25 入沢康夫『ネルヴァル覚書』

 

入沢康夫『ネルヴァル覚書』(1984年、花神社)

 

 詩人の入沢康夫はネルヴァルの研究者としても知られている。修論(1959年)のテーマもネルヴァルだった。50年代はちょうどネルヴァルの研究が盛んになってきた時代でもある。

 

 この本はネルヴァルの空白期ともいえる1842年(一度目の発狂の翌年)に遺されたテキストを晩年の傑作群の先駆けとしてみる。更には1980年代以前の曖昧な草稿研究を批判して、年代不明とされてきたいくつかの草稿を1842年前後に近づけるアクロバットを行う。

 

 次はネルヴァルのある草稿より引用。研究者の間では女優のジェニー・コロン*1に向けた手紙とも書簡体小説の下書きとも考えられている。

 

「しかし、私のために存在しいていながら私の存在さえも当時は知らなかったただ一人の女性からは、五百里も離れて。

愛されていない、いつか愛される希望もない。あの、あなたの虚しい面影を渡しに見せてくれた異国の女、私のために一夜の気まぐれにつき合ってくれた女、しかし、自分の恋、自分の利害関係、自分の習慣を持っている女は、恋の感情以外では、ありとあらゆる快楽を与えてくれたのでした。けれども、恋が欠けていては、それら全ては何者でもなかったのです。」(p90-91)

 

 「あなたのために死ぬ」(p93:これは別の書簡体小説からの引用)ことはできてもあなたのために生きることはできない。そういうことかもしれない

 

 過去を繋ぐ手段としての「衣装」「装飾」(しかし衣装による偽装には限界がある)。「老女」のテーマ。

 主人公には分からない「古い言語」。ネルヴァルは特に少女が唄う「古い唄」を愛好した。

 

 ジェニー・コロン、聖ロザリア=深淵の聖女、聖母マリア、ペルセポネー、イシス。あるいはネルヴァルが2歳の時に亡くなった母までも、彼の頭の中では繋がってしまうのだ。

 

 

*1:ネルヴァルが経験した最大の失恋相手。1840年に死亡。作品内に極めて重要なモチーフとしてたびたび登場する

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